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デジタルとアナログについて:人類の言語はデジタル言語ではないか。
発声器官から出るのはアナログ音声ですが、50音(50音は清音だけだから、濁音・促音入れると100以上の音節)を組み合わせて、言葉(符号、記号)を作って、それをデジタル処理しませんか。デジタル処理というのは、一音・一文字違うと、意味がまるで変わるという意味。桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタルではないでしょうか。
これが可能なのは、(1)発音するにあたっても、聞くにあたっても、区別しやすい、子音、母音、音節がある。
(2)記号である言葉を聴いて、その言葉の意味が頭の中の辞書からすっと引っ張り出してこれる高速・大容量メモリーの脳がある。
その記号の意味をあらかじめ知っていなければ、コミュニケーションが成立しないので、各人が脳内に辞書を作り、それが意味と記号の変換装置(エンコーダー/デコーダー)と作用する。
この大容量記憶デバイス(大脳新皮質)のついた高速処理コンピュータ(基底核や視床下部など辺縁系)が我々の脳であり、そのおかげで言語コミュニケーションが成り立っている。だから、チンパンジーにいくら言葉を教えても、覚えるわけがない。

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:コンピュータ 医療・健康
✍キーワード:けが なのは アナログ エンコーダー コミュニケーション
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 67/67件

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[1]人は言語のみで意思疎通するにあらず hissssa

うなり声や泣き声でも意思疎通はできますが。同じ言葉でも言い方次第で意味は大きく変わります。紙の上やディスプレイに表記された言語はデジタルと言ってもいいと思いますが、実際に交わされる言葉はアナログだと思いますよ。

厳密にはチンパンジーに言語は通じないかも知れませんが、身振り手振りを交えてのある程度の意思疎通は犬猫に対してだって可能です。人類の進化から見ても、初期の人類は猿と変わりませんでしたが、突然デジタルな意思疎通が成立したわけではないでしょう。


[2]同音異義語 seenone

同音異義語に関してはいかがでしょうか。


[3]デジタル? Gay_Yahng

音声をデジタル化している?つまり、量子化、数値化している?

音を分けてその1音を区別しているのは数値化しているとはいえません。

デジタルについてそういう定義をするなら、既存のデジタルと区別する為に違う名称をつけないと。


[4]音素論 sibazyun

そうです、これは、言語学を学ぶと、最初のほうで出てくる考え形です。「一音違うと、意味がまるで変わる」という単位を「音素」といいます。

ただ、ややこしいのは、何を音素とするかは、言語によって違います。日本語では「ア(a)」という母音が一つの音素です。英語では bat と but、どちらもカナで書くと「バット」ですね。英語を話す人にとっては、このa音とu音は、違う音素です。


[5]>1 コミュニケーションはもともと同族の、密接な人間関係が前提でしょう ShinRai

もちろん、言葉が通じるためには、気持ちや体験が共有されないといけません。それはその通りです。これはアナログかデジタルかに関係なく、動物のコミュニケーションに一般にあてはまることだと思います。

ここで問題にしているのは、我々の使っている言語は、他の動物の鳴き声コミュニケーションが、アナログ符号であるのに対して、デジタル符号であるところが違うのだと思います。


[6]>2 同音意義語を自分の脳内辞書にもっていたら、それを気にすることになります ShinRai

鹿と市価と歯科の三つの「しか」があるとして、自分の脳内にあらかじめそれらがあれば同音意義語を認識・意識します。

しかし、脳内辞書に鹿しかなければ、歯科や市価と聞いても、勘違いするか、知らない単語だと思うだけではないでしょうか。


[7]>3 これもデジタルという単語の定義の問題になりますね ShinRai

量子化・数値化することがデジタルでしょうか? むしろ、既存のデジタルの場合には、二値化して、すべてを0か1かで表現するところがデジタルなのではないでしょうか。

音節の場合には、二進法ではなく、一つの桁に100種類以上の音が入る100進法のデジタルなのだと思います。


[8]>4 脳内辞書やエンコーダ・デコーダについてはどう教えているのですか ShinRai

言語学では最初に出てくるのですか。音素の違いはわかりますが、デジタル化することによって脳内にエンコーダやデコーダが必要になり、実際に脳はそのようなエンコーダ・デコーダ機能を果たしていること、そして個人個人が個別の脳内辞書を生まれた後につくりあげることについては、言語学はどのように説明しているのでしょうか。もし簡単にご説明いただけるのなら、お願いします。


[9]>3 連続信号(アナログ)と離散信号(デジタル) australiagc

信号のサンプリング(標本化)の理論からすると、アナログ信号(連続信号)をサンプリングしてデジタル信号(離散信号)に変換する為には、一定の間隔でデータを収集し、該当の標本値に置き換えていく必要があります。

例えば1ヘルツの周波数でデータを収集し1バイトの標本値に置き換える場合、毎秒耳に入ってきた音を2^8=256段階の数値にぴったり当てはめて記憶していく事になります。


しかしGay_Yahngさんの言うとおり、人間の脳は音素を該当の標本値にぴったりと当てはめて記憶するわけではありません。脳細胞やシナプスが記憶を行う際に取る状態には無限の形態があり、数値化できないアナログナなものです。仮にこの状態を従来の「デジタル化」していると言う事に当てはめるのであれば、一つの脳細胞だけで無限バイト分の「大容量」を保存できると言う事になってしまいます。


という事は、人間だろうが蟻だろうが、脳細胞一つで無限バイトの「大容量」を保存していると言う事になります。「高速演算機能」に関しても同様に、一つの細胞から渡される情報を処理できる=「大容量」を処理できる事になってしまいますので、もし仮に人間の脳が情報をデジタル化して保存、処理しているため言語が操れるというのであれば、同様の理由で蟻も言語を操れる事になってしまいます。


大よそのコンセプトは似ていますが、上に同じく、何か新しい名前をつけないといけませんね。


標本化に関する参照ウィキ↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B...

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A2%E6%95%A3%E4%BF%A1%E5%8F%B...

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B...


[10]>7 くどくてすみません・・・! australiagc

上にも述べたように、人間の脳は収集した情報を、数値で言うなれば「無限」のバラエティで処理します。

よって、100進法どころか無限進法でデータを収集、処理しているのです。


無限進法が適切な表現だとは思いませんが、これは明らかにアナログです。


繰り返すようですが、これは現在使われている「デジタル」の意味合いとは異なりますので、他の名前を与える必要があると思います。


[11]>10 50音は離散信号 ShinRai

我々の話す言葉は、アナログな音ではありますが、50音(清音、濁音、拗音など入れると100以上あります)は、それぞれ間違えようのない離散信号であるととらえています。

たとえば、「あ」と「い」の間の母音というのは存在しないでしょ。あるいは同じ母音を使ったときに「か」と「さ」の間の音というのも、存在していないでしょ。


[12]>11 語学上はそうですが、会話の中ではどうでしょうか? australiagc

確かにShinRaiさんの言わんとしている点も理解でき、個人的にも5割以上賛成です。50音は紛れも無い離散信号 - デジタルと表現しても良いでしょう。


しかし、僕らの会話は50音で行われていうと、話は違ってくると思います。例えば、普段話している言葉で50音と違う発音をしているものもありますよね。体育が良い例です。正確な文学的な発音は「タ・イ・イ・ク」ですが、実際の発音は「タイク」です。耳で聞いて言葉に出せても、実際に50音に当てはめる際に戸惑う単語や発音は他にも多くあると思います。


また、日本語の「か」と「さ」の間に当たる子音も外国には存在しますし、「あ」と「い」の間に当たる母音の発音も可能です。「a」と「e」の間の音を表す「ae」の発音記号が良い例ですね。他にも、語学的に存在していないが、使っている発音、認識している音は無制限に存在すると思います。日本語の五十音はその点非常に良く出来ていますが、西洋のアルファベットに関してはそうはいきません。


これに音の高低を絡めると、中国語に代表されるような多数の発音が出来上がります。音の高低による分別だけであれば離散信号としてデジタルに処理できますが、訛りや人それぞれの個性が絡まると文章上で同じであるはずの単語も多彩な母音と子音、高低のコンビネーションになってきます。声紋には同じものはありませんしね。


これらを会話の段階において50音に当てはめて認識しているかというと、これは微妙だと思います。最も良い例が、赤ん坊が言語を覚えたり、語学的知識が無い状態で外国語を習う時です。この場合、知識がないため音素を五十音やアルファベットに当てはめて情報を処理する事は無いと思います。典型的なファジーロジックによる処理が、あいまいなアナログからあいまいなアナログへと行われます。


確かに非常に「デジタル的」要素が強いと言う点はほぼ全面的に賛成なのですが、これを「デジタル」と称するにはちょっと無理があるかな?という雰囲気があります。とうのも、言語がデジタル化可能なのであれば、AIの技術が進めばコンピューターに言語を喋らせられると言う事に理論上なりますが、恐らく現在の半導体を使ったデジタル技術ではこれは不可能なのではないかと、個人的には思うんですよね。やはり何か有機的なもの、アナログなものを移植しないと。って、話がずれちゃいましたね、すみません。


でも、本当に面白い議題ですよね、これ。


[13]>8 言語の構造のみ sibazyun

すみません、私の学んだのは、言語そのものの構造解析なので、「脳でどう処理しているか」という分野ではありませんので、説明はできません。

なお、言語の構造解析では、後にコンピュータで使うようになったデジタルというのか、離散的な考えがよくつかわれます。たとえば、「デフォールト」(何も指定をしていなければ、実はxxxとする)というのは、「無標」(何も標識がなければ、実はxxxをあらわす)という言い方で出てきます。


[14]>12 タイク が タイイクは sibazyun

すみません、「タイク」と発音しても(日本語を知らない外国人ならいざしらず)、「タイイク」ととる、というのは、まさしく「デジタル」的な処理です。つまり、現象はアナログかもしれないが、閾値処理をしているわけです。この場合、「エラー処理」を実施していることになります。


[15]>7 そう、デジタルと言う単語の定義です。 Gay_Yahng

>量子化・数値化することがデジタルでしょうか?

そうですよ。

既存のというか、コンピュータで言うところのデジタル化の0、1と言っているのは0と1しかないのではなくて、0と1でアナログ量を数値化しているだけのことです。

10と言う量は2進数の1010というだけです。

音節を100に区別して100進法と言いますが、100個の音を組み合わせて音節なりを表すわけじゃないですよね?単に1から100までしか数字のない世界で、1から100に桁の考えを盛り込まず、それぞれ違う文字を当てはめているだけです。

デジタル化という言葉は技術的な言葉です。

あなたの感性で既存の言葉に新たな意味を付け加えられても混乱しますよ。


[16]>12 音節で単語を意識している? Gay_Yahng

音節を1つずつ追いかけて単語を理解していますかね?

私はむしろ節まわしの方が重要なような気がします。

タモリの北京放送のまねってあるじゃないですか?単語としてはでたらめでも、北京語なら北京語の語感、節まわしを似せるとなんとなく北京語のように聞こえる。

音節が明確に分けられると考えるのは「あいうえお」が表記と発音が同じ(と自分たちは思っている)日本語的な発想だと思います。


[17]>14 誤り訂正符号理論 ShinRai

人間の言語にも誤り訂正符号理論があったということですね、非常に意義あるご指摘ありがとうございました。ますます面白いですね。


[18]>13 符号理論が現実に適用されるようになったのは ShinRai

ベル研究所のクロード・シャノンが、1948年に「シャノン限界」という通信コミュニケーションの効率の限界について、「これは符号化が行なわれたときに実現する」といったそうです。

この符号化は、我々の音楽CDや携帯電話や地デジ放送では、完璧に利用されています。どうしてそれが実現できたかというと、マイクロプロセッサ技術のおかげです。

人類の言語が、デジタル符号(情報源符号化ならびに誤り訂正符合処理)処理を行なっているのも、実は大脳新皮質の拡大のおかげではないかと思うのです。そして、基底核や視床下部が、大脳新皮質と連絡をとりあって、膨大なメモリーの管理・処理を行なっている。我々の脳は、我々が思っている以上に、複雑なことをやっているのではないでしょうか。



このあたりは、ブラウン大学のフィリップ・リーバーマン(Philip Lieberman)が研究しているようです。

リーバーマンは、生成文法なんて糞食らえ、FXOP遺伝子が言語能力を伝えるというのも間違い、ブロカ野やウェルニッケ野が言語を司るというのも間違いと、非常に革新的なことをいっていますね


[19]ノイズ理論 Low Noise, 高いS/N比、Eb/N0の環境 ShinRai

通信の世界では、いかにしてノイズの低い通信を行うかで、通信効率が変わります。

人間のコミュニケーションも、親しい友人、幼馴染、家族の間では、短い言葉で深いコミュニケーションができます。

これはデジタルかどうかとは別ですが、通信理論が人間の会話にも適用できるという一例にならないでしょうか。


[20]>17 デジタルの意味を定義しないで議論を進めてもしょうがない hiko3karasu

「デジタル」的な処理 の意味が分かりません。

デジタル機器的コンピュータ的な補正と言うならまだ分かりますが、言葉を経験で補正することと、コンピュータ的補正は内容はまったく違うと思います。

前の方も指摘していますが、デジタルの意味が間違っています。既存のデジタルとは違う意味で使っているのに別の論拠にデジタルだから、脳の働きはコンピュータ的だと理論の跳躍をしてしまっています。

言語はデジタル的→コンピュータと同じ働き/処理ができる。

というのは言語は「既存のデジタル」的ではないのでコンピュータと同じ働き/処理ができる。と言うのは変じゃないですか?


[21]擬音 seenone

会話の中の擬音についてはいかがですか。


[22]>21 オノマトペは、おっしゃるとおり、デジタルではありませんね ShinRai

オノマトペは、言葉が意味をもつ数少ない例だと思います。

そして、オノマトペを多用する日本語、日本人は、デジタル言語の陥穽から救われる可能性がもっとも高い言語を使っているといえないでしょうか。

虫の声、蝉の声と、生き物を擬人化して表現する我々には、自然と一体化する心性がまだ残っているのかもしれませんね。(角田忠信「日本人の脳」ほかの著作が参考になるかもしれません。)

http://books.livedoor.com/search/&type=author&word=%B3%D1%C5%C4+...


[23]>3 (定義について) 人間は、子音と母音を生み出したことによって、言語をデジタル処理できるようになった ShinRai

動物は、時間ドメインにおける周波数偏移で、アナログ的に記号を処理しています。

人間も普通の哺乳類として、初期はアナログ処理をしていた。

しかし、ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。

それが可能なのは、ターミナルプロセッサ(端末処理装置)である脳のメモリー拡大と処理速度向上があったからだ。

以上のようにデジタル言語を定義することについては、どうお考えですか。


[24]>22 オノマトペはまさしくデジタルです sibazyun

たとえば、日本語では、猫の鳴き声をニャーか、それでなくても、ニャオ、ニャーゴなどの数種類の決まった「五十音の組み合わせ」でしか表現しません。英語なら、miaw, miaaw などの数種類の「アルファベットの組み合わせ」です。実際の猫の鳴き声がアナログなのに対して、デジタルというか、離散化して表現しています。


[25]>23 ひょっとすると、「デジタル」というのはこういうことですか? nofrills

> ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。

つまり、ShinRaiさんのおっしゃる「デジタル言語」とは、「子音と母音の組み合わせ」を前提しているということですか?


例えば、

このように、音(音素)がひとつ変わることで、ほかが変わらなくても、別の「意味」が生じている、というような?


そういう意味ではないのなら私の取り違えなので、このレスは無視してください。


もしそういう意味だとすれば、それが該当するとは考えがたい言語もありますので(アラビア語とか)、その着想から「言語」一般、および「人間(の脳)と言語」を語ることはできないのではと思うのですが。


[26]>23 デジタル言語を説明するのにデジタル的という言葉を使う?? Gay_Yahng

ShinRai さんの「デジタル」「デジタル的」の意味から説明してください。

>しかし、ある時点で、人間は、子音と母音を生み出し、それらを使うことによって、デジタル的に処理するようになった。

これは「デジタル的」であって、「デジタル」ではないと言うことでしょうか?

子音と母音の組み合わせは工業技術的な意味でのデジタル処理とは言えません。あいまいな印象を与える言葉の使い方は排除してください。デジタル、アナログと言うのは誤解されやすく使われています。デジタル人間というとデジタル処理と関係なく機械に強い人、コンピュータオタクのようなイメージです。でもデジタル技術は動作を実現する為の1つの方法であり、アナログ技術もまた1つの技術なんです。

子音と母音で区別しやすい音を定義したので同じ言語を使う人同士はその音の連なりで単語を理解しやすくした。と言うことは分かります。それならデジタル言語などと言わず、「区別しやすい音節言語」とか言えばいいです。デジタル処理がされていない行為に対してデジタルと言うのはおかしいし他の人に説明するときに誤解を招きます。

ShinRai さんが区別できる音と言う意味でデジタルだと言うならば、それは広義のデジタルをShinRai さんとして定義していると言えるかもしれません。でもそのデジタルと言う言葉から、ターミナルプロセッサとかメモリーとかに結びつけるのはおかしいですよ。ただの言葉遊びになっちゃっています。


[27]>19 「ノイズ」を定義しないと話が始められませんよ nofrills

> 人間のコミュニケーションも、親しい友人、幼馴染、家族の間では、短い言葉で深いコミュニケーションができます。

そのことと「ノイズ」の関係は何ですか? また、それ以前に、「ノイズ」はどう定義されているのですか?


例えば、うちに今カップラーメンとケーキがあって、甘いものが嫌いな“弟”が「ああ、腹減った」と言ったときに、“私”が「ケーキがあるよ」ではなく「カップラーメンがあるよ」と答えるのは、「腹減った」と言う弟が満足するのはケーキではなくカップラーメンだ、と知っているからです。ここで“私”が「弟にはケーキよりカップラーメンだ」と知っているということは、「ノイズ」なのでしょうか、「ノイズ」ではないのでしょうか。


[28]>19 これもよく分からないです。 Gay_Yahng

短い言葉で深いコミュニケーション と ノイズ にどんな関連があるというのでしょうか?


[29]>24 ふうむ、たしかに言われてみるとそんな気がしますね ShinRai

ニャンニャン、ニャーニャー、ゴロニャン、ニャオというのも、猫の気持ちを離散化して表現しているということですか。

そういわれると、そんな気もしますが、ニャンニャンを牛の鳴き声や犬のほえ声だと思う人はいませんよね。

ニャンニャン自体に、猫らしさが現れているところが、記号論的な言語ではないということになりませんか。


[30]>18 唐突に「符号化」の話になっているので流れがわからないのですが nofrills

唐突に「符号化」の話になっているので流れがわからないのですが、encodingという英語の表す複数の「意味」がぐちゃまぜになっていませんか?


言語学でいう「コード」は、まず、他者との間で共有されていることが前提です(「各人が脳内に辞書を作り」だけでは「言語」にならないんでは。「俺語」はできるかもしれませんが)。この「コード」がないと、他者によるデコードは行なわれず、コミュニケーションというものが成立しません。これは「マイクロプロセッサ技術でデータを圧縮」というときの「コード(エンコード、デコード)」とは違うんじゃないかと思うのですが……。


例えば日本の若者が友人同士の会話で口にする「バイト、パネェかった」における「パネェ」は、「ハンパねぇ(半端ない)」を「エンコードした」ものだ、と言うことができると思います(「データ圧縮」的な意味で)。そしてそのコードを知らないと「パネェかった」は読み解けない(意味がつかめない)、つまり「デコードできない」。そして「パネェかった」はコードが共有されていないと話者が認識しているような場では、通例、用いられません(その代わりに「半端なく忙しかった」、「すごく大変だった」などと言う)。ここまでは言語学ですが、そのコードの利用(エンコード、デコード)について「脳」がどうかかわっているかを扱うのは(つまり、脳がどのようにエンコード、デコードしているのかについては)、言語学ではないのでは……認知言語学は別かもしれませんが、認知言語学が対象としていた「言語」や「意味」は、ShinRaiさんがおっしゃっているようなものとはまた別なもののような気がしなくもないです。(認知言語学はほとんど知らない上に、いろいろとつかみかねているので、曖昧な記述ですみません。)


このツリーの最初にあるようなことは、音声学とか音韻論の分野で扱われているようなことですよね。つまり「言語における音とは何か」の話。その話をしているつもりの人との間で、「言語における音を脳はどう処理しているのか」の話(やや認知言語学?)を、用語を未定義のまま、説明不足の状態で進めようとしても、ちょっと無理筋じゃないかなと思うのですが。


以上、私の知っている範囲は極めて限定的で古くて浅いので全然外してるかもしれないのですが、もう少し他人がデコードしやすいような形で話を進めていただければ、と思います。話題としては興味深いです。


[31]>27 たしかに、ノイズの定義がないですね ShinRai

通信理論では、銀河雑音、ショット雑音、ジョンソン雑音など、はっきり定義されていますからね。

同じところで、同じ体験をしていると、気持ちが通じやすいということを言いたかったのです。

違う経験や違う仲間とだと、同じ言葉を聞いても違ったことを思いついたりしますよね。

体験や経験の共通性に対するノイズというのでしょうか。

そういうのが、通信におけるノイズと同じように考えられるように思ったのです。

ノイズが少なければ、少ないエネルギーで、コミュニケーションが成立するということです。


[32]>31 それなら重要なのは「コンテクストがあること」ではないのでしょうか。 nofrills

> 通信理論では、銀河雑音、ショット雑音、ジョンソン雑音など、はっきり定義されていますからね。

いや、そういう話ではなく、「同じ体験をした」がゆえに「同じことを前提としている」(←ここが重要ですよ)ということが「ノイズである」のか、「ノイズではない」のかが、投稿を拝読してもさっぱりわからなかったので、最初に確認のために、それをうかがった次第です。(その状態で変に話を始めても私はAをBと定義し、ShinRaiさんはCをBと定義し、互いに「Bについての話」をしているつもりで実はまったく別々のことを話していた、ということになりますので。これは話をするときの基本だと思います。)


で、「前提が同じではない」ことから生じる「違ったことを思いついたりする」ことを、ここでは「ノイズ」と呼ぶ、ということでよいかと思うのですが、それが「通信におけるノイズと同じように考えられる」というのがよくわかりません。


> 同じところで、同じ体験をしていると、気持ちが通じやすいということを言いたかったのです。

> 違う経験や違う仲間とだと、同じ言葉を聞いても違ったことを思いついたりしますよね。


それは「ノイズがない」ことではなく、「体験の共有がある」ことですよね。別の言い方をすれば「会話に至るコンテクストの共有」があらかじめなされている状態。(以下、「コンテクスト」という「用語」を使います。)


ベタな例を挙げると、同じ職場の人同士なら「田中部長」(架空の人名です)というだけですぐわかるけど、初めて会った人に「田中部長」がなんちゃらという話をしても「誰それ?」だから「うちの上司でかくかくしかじかな人物である」旨を説明することが必要、とか。あるいは同じサッカーチームのサポーター同士では、初対面であっても、「200x年x月x日のどこそこスタジアム」と言うだけで「あー、あのときはどこそこの席で見てたんっすよ」というように話が通じる(コミュニケーションが成立する)とかいった例もよくありますよね。


その場合、「ノイズがあるからコミュニケーションが素早くできない」「ノイズがなければコミュニケーションが素早くなる」のではなく、「コンテクストが共有されているときはコミュニケーションが素早くできる」「コンテクストが共有されていない場合はコミュニケーションが素早くできない」のでは。つまり重要なのは「コンテクストが共有されていること」であって、「ノイズがないこと」ではないのではと思うのですが。


なお、蛇足ですが、ノイズがあるかないかはある会話におけるコンテクストの共有の有無とは連動してないですよ。「田中部長」の部下のAさんは部長と仲がよく、Bさんは仲がよくない場合、Bさんが「田中部長が」と言うたびにAさんは「また悪口か」と思うかもしれない。それが単に「田中部長は出張だ」というだけであっても「部長がいなくてせいせいしてやがんな」みたいなふうに思うかもしれない。それが「ノイズ」じゃないでしょうか。そしてそういう「ノイズ」がない人間と人間の関係というのは、私には想像がつかないし、最初にShinRaiさんのご投稿で「ノイズの低い通信」と「短い言葉で深いコミュニケーション」というのを拝読したときに一番わからなかったのはそこでした。家族とか友人とか関係が深い人同士のほうが、いろいろと知ってるから、その場の言葉のやり取りと直接関係しない「ノイズ」(これはShinRaiさんの定義する「ノイズ」とは違うかもしれませんが)も多いじゃないですか。「だいたいおまえはいつも」とか、「そういえばあなた猫好きでしたよね」とか。そこからコミュニケーションが「深く」なるか、それとも浅く広がっていくか、迷走するか、などはいろいろあると思います。


[33]>29 オノマトペはアナログじゃないかな ShinRai

たとえば、雨がパラパラ降っているのと、ザァザァ降っているのと、どちらがたくさん降っているかわかりますよね。

コロコロ転がすのと、ゴロゴロ転がすので、どちらが重たいか、わかりますよね。

記号的ではない言語です。コロコロと、コロンコロン、カランコロン、それぞれに意味がありますよね。


[34]>33 「記号論的な言語」とか「記号的ではない言語」とか nofrills

すみません、またわからなくなったのですが、「記号論的な言語」とか「記号的ではない言語」とかいう場合の「記号」というのは何を意味して使っておられますか? というか、「記号論」とはどういうものかを踏まえて「記号論的な」という言葉を使っておられますか? 少なくとも、ShinRaiさんのお使いの「記号」はこのへん↓でいう「記号」とは違いますよね……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E5%8F%B7%E5%AD%A6

http://en.wikipedia.org/wiki/Semiotics

http://www.nulptyx.com/semio.html


で、その「記号」と「デジタル/アナログ」はどう関係しているのでしょう。


それと、擬音語の「意味」という場合の「意味」とは何でしょうか。シニフィエ? シニフィエを持つものが「記号的ではない言語」というのは、私にはさっぱりわからないのですが。


[35]>34 記号である言語と、記号でない言語 ShinRai

私の説明が悪くてすみません、それにしても定義やら難しいですね、言語学は。

記号言語というのは、シニフィアンは、なんでもいい。お互いにシニフィエをあらわすものが何であるかを知っていたら、どのようなシニフィアンをもってきてもいいという意味でいいました。

記号言語でないというのは、音自体が意味をもっているので、雨がざぁざぁ降っているときに、パラパラ降っているねといえないような場合です。

カラカラと笑ったときに、ゲハゲハ笑ったといっても聞いた人には通じないでしょ。

記号言語の特徴は、語る者と、聞く者の間に、共通の記号解読表があるということです。

お匙のことを、英語圏では、スプーンといい、フランス語圏ではキュイエールといいますが、これは語圏の中では決まりごとになっているから、スプーンといえば英語圏の人はお匙のことを思うのです。

オノマトペに記号性が皆無とはいいません。言葉によっても、記号性があるものもあれば(客席はガラガラだったというのが、たくさんいるのか、少ししかいないのか、はじめて聞く人にはわからないかもしれません)、ズシンズシン、ドッカンドッカン、ポリポリみたいに、それだけで動作が想像しやすいものもあります。

しかし、赤ちゃんがハイハイしているのを、どっかんどっかんと形容したときに、日本語を知らない人でも、なんか変だなと思うのではないでしょうか。

このことをもって、純粋な記号とはいえないと思うのです。それを、言葉自体が意味をもつといっています。


[36]>32 言語の始まりは、母を求める子供の声だったといいます ShinRai

「三つの脳の進化」を書いたポール・マクリーンによれば、哺乳類の行動で、他の脊椎動物と違っているのは、育児・音声コミュニケーション・遊びだといいます。

そして、音声コミュニケーションの発端は、子供が母親を求めるセパレーション・クライだといっています。

もともと、二つの異なる生命体であるもの同士が、なんらかの音声や記号(アナログでも、デジタルでも)によって、意思疎通ができるというのは、共通体験・共感があるからだと思います。

私は、共通体験の相関度合が高いことを、ノイズが低いという意味で使いました。


[37]>30 認知言語学あるいは禅? ShinRai

すみません、デコードしにくい議論を長々として。でも、ついてきてくださって、ありがとうございます。感謝申し上げます。

「ばねぇかった」という言葉使いを知りませんでしたので、ひとつ勉強になりました。それが「半端でねぇかった」という言葉と同義語であるとは、なかなか想像つかないですね。

言語学は、起原論と意味論をあまり扱わないできました。だから我々は、前人未到の地で、うろうろとさまよっているのかもしれません。どうか我慢してお付き合いください。



音(シニフィアン)と意味(シニフィエ)についてですが、さきほどの「半端じゃねぇ」は、まだシニフィアンでしかありませんね。

あなたが認知言語学の領域だという部分、あるいは禅的に不立文字の言葉にならない世界が、デジタル・アナログの問題の前提にあり、それが問題になっているのです。


我々はいったいどうやって、言葉の意味を確定しているのでしょうか。

こうなると、荒川修作の「意味のメカニズム」みたいに難解な現代芸術のダイアグラムアートを思い出すかもしれませんが、肩の力を抜いて、気楽にやってみましょう。


今の僕なら、「バイトばねぇかったよ」と友達がメールあるいは電話してきたら、今日はとても大変だったのだろうなあ、きっと食事する暇もないくらいか、いつもよりも疲れているのだろうなあと、自分なりに「半端じゃない」状態を想像します。

反対語は、「楽勝だった」になるのかな。


私はこれまでの人生で、いろいろな人が、「半端じゃない」と言ってきたときに、どんな顔をして、どんな状況を論じているかを見知っているから、そのように意味づけるのです。

だから、顔の見えない相手からのメールでも、これまでに見てきたその人か別の人の「ばねぇ」顔を思い出しながら、「大変だったねえ」とメールで返事を打つのです。


つまり、僕の頭の中(大脳新皮質)には、これまで何回も何十回も聞いてきた「半端じゃない」「ばねぇ」という言葉と、そのときの状況が映像・画像で記憶されていて、今晩もらったメールに「ばねぇ」とあったら、それらのイメージが走馬灯かあるいは連続写真のようにぱっぱっぱっぱと思い浮かんでくるのです。

我々の脳は、リレーショナル型のデータベースなのかもしれませんね。それも画像のハンドリングができる。

人間の脳には、いったい何枚のイメージが記録可能なのだろう。今までに見てきたこと、覚えていること、忘れてしまっているけど思い出すことがあること、何十年ぶりかで突然思い出すこと、そういったイメージが実にたくさん記憶されていて、それらには、シニフィアンのタグがついていて、何かの言葉をトリガーにして、思い出されるのでしょうか。

たとえば、「ばねぇ」と言っていたのに、ぜんぜん疲れた様子がなくて、ニヤニタしているだけの友達もいて、そいつは、「ばねぇ」を「バーのねぇちゃんにナンパした」という意味で使っていたことが後からわかったなんて、トリビアな記憶もいっしょに出てきたりするのでしょうね。


[38]>25 デジタルとはそういう意味です ShinRai

あ○こ:あんこ、あそこ、アリコ、我孫子、あげこ、歩こ、あいこ、青子、亜希子てな具合に一音入れ替わるだけで、まるで意味が変わる。

これはデジタルといえないでしょうか。基本的に南アフリカの黒人も50音だと聞きます。あえいおう、かけきこく、させしそす、と学校でやるそうです。人類の言語にとって、音節単位で記号を組み立てるのが実は一般的ではないかと思うのですが。

それが該当しない言語というのは、どういう意味でしょうか。


[39]>36 ノイズとは何ですか? Gay_Yahng

>体験や経験の共通性に対するノイズというのでしょうか。

そのノイズとは何ですか?

共通性に対して何か阻害する要素があるんですよね?それは何ですか?なにをノイズと言っているのかが分かりません。


[40]>38 また独特の「デジタル」の用法ですね nofrills

> 一音入れ替わるだけで、まるで意味が変わる。

> これはデジタルといえないでしょうか。


いえないと思います。(ちょっと屁理屈みたいなことを書きます→通販で「高枝切りバサミ」ってありますよね、先端のはさみをのこぎりに付け替えることも、長さを伸ばすこともできます、っていうの。あれは一部を変えるだけで――換言すれば、ハサミの機能をOFFにしてのこぎりの機能をONにするだけで――まるで機能が変わるのですが、ああいうのを「デジタル」とは言いませんよね。そう呼ぶことにしたら世の中おもしろいかもしれませんが。)


あと、挙げられている例が恣意的に過ぎます。一音入れ替わったって「意味」が変わらないものもあるでしょう(一人称の「おれ」と「おら」など)。音が入れ替わらなくても意味が全然違うもの(同音異義語)も山のようにありますよね。それ以前に、こういう場合の「例」として「アリコ」など固有名を入れるのは、反則にもほどがありますよ。


> それが該当しない言語というのは、どういう意味でしょうか。


前の投稿のリンク先をお読みいただけましたでしょうか。

母音は音韻論的には a, i, u の3つと長母音、2重母音 (/ai/,/au/) しか弁別しない。しかし、音声学的にはより多様な発声がなされると考えられている。

これが具体的にどのようなことかは、テレビのアラビア語講座をぼーっと視聴しているだけでもわかるかと思います。


それと、私は「該当しない」とは言っていません。「該当するとは考えがたい」と言っているのです。議論をするときにはそういった点も大切にしていただきたいものです。


このツリーの別の枝にもありますが、なんか全体的に、「文字」で表されているものと、「音」で表されているものを同一視しすぎておられるのではと思います。「音」はそんなに厳密なものではありませんよ。誰かが「“あーこ”が大量発生した」と言うのを「アオコが大量発生した」のであって「餡子が大量発生した」ではないと把握できるのは、もちろんイントネーションという要素が最も大きいのですが、何より「餡子」は「大量発生」するものではないからではありませんか? そういう補完は人は日常的にやっていて、ほとんど意識していません。


[41]>40 ああそうか、やっとわかった(かも) nofrills

ようやく質問の文章でおっしゃりたかったことが何となくわかってきたような気がします。これでもまだ違ってるかもしれないけど。


質問の文章から:

> 発声器官から出るのはアナログ音声ですが、50音(50音は清音だけだから、濁音・促音入れると100以上の音節)を組み合わせて、言葉(符号、記号)を作って、それをデジタル処理しませんか。デジタル処理というのは、一音・一文字違うと、意味がまるで変わるという意味。桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタルではないでしょうか。


つまり、誰かが発話している「あーこがたぁりょーはっせーした」を「アオコが大量発生した」と把握できるのは、その音声に適切な「音」(50音)を当てはめ、それを「言葉」をして「作る」こと(構成する、ということ?)ができるからだ、ということですよね。そしてその処理についてShinRaiさんは「デジタル処理」と呼んでおられる。


ここで例えば、「あーこがたぁりょーはっせーした」に別な音を当てはめて「たーこがかぁきょーたっせーした」としてしまうと、「多恵子が快挙を達成した」という文ができる、と。(イントネーションを勘案するとこれは無理ですけどね。少なくとも標準語では「アオコ」と「タエコ」はイントネーションがまるで違うので。)


つまり、同じ音であってもどういう音をマッピングするかによって「意味」が変わる。元の音が「アナログ」なのだから、マッピングの処理は「デジタル」だと仮定してみたら、確かに1つ1つの値を変えれば全体が変わってくるので「デジタル」であると考えられる――という思考が、この質問の質問文を書く前にありましたか?そして前提は「脳はコンピュータだ」という考え?

# 「マッピング」は私がここで一方的に使っている用語で、ShinRaiさんの文にはありません。


そして、「桁ごと(digit-al)に意味があるからデジタル」というのは、オノマトペのツリーにあるように、「音」に「意味」がある、という考え方?


オノマトペは別として、例えば「アカイ」の「ア」に意味はありますか? 「タカイ」の「タ」は? 「ワカイ」の「ワ」は? 「チカイ」の「チ」は? 今考えている「チカイ」は「近い」ですか、「誓い」ですか、「地階」ですか?――ってのが日本語ですよね。


また、ShinRaiさんのおっしゃるような「デジタル」で、「音」に「意味」があるのなら……確かに、「きいて」と「きって」は一音が違うだけで「意味」がまるで違います。でも「音」に「意味」があるとして一般化できるかというと、できませんよね。というのは、そうでないものがとても多いから。


日本語においては常に、一音が違うだけで「意味」が違う、と仮定すれば、「たかい」と「たっけっ」というのは別の「意味」を持つということになりますが、実際には「たっけっ」は「高い」が音便化したものです(昼間、お店で20歳くらいの子がつぶやいてました)。同様に「パネェ pa ne e」は「半端ない han pa na i」が音便化したものです。「ない」は音便化すると「ねぇ」になりますが、では呼びかけるときに使う「ねぇ」(「ねぇ、人の話、聞いてるの?」などでの)、同意を求めるときに使う「ねぇ」(「ちょっと高すぎるよねぇ」などでの)が「ない」と同じ「意味」かというと、違います。


[42]>36 何の話になっているのでしょうか? nofrills

> 私は、共通体験の相関度合が高いことを、ノイズが低いという意味で使いました。

ええと、「ノイズが低いという言い方を、共通体験の相関度合が高いという意味で使いました」ということですよね。単なる書き間違いかもしれませんが、そうでないなら「意味」という語の使い方がおかしくないですか?


それと、マクリーンの本について言及されていますが、正直、何の話をなさっているのかがわかりません。論の基本の提示も無茶苦茶です。

ShinRaiさんのご投稿の本文から:

ポール・マクリーンによれば、……音声コミュニケーションの発端は、子供が母親を求めるセパレーション・クライだといっています。

同じくご投稿のタイトル:

言語の始まりは、母を求める子供の声だったといいます

「発端」=「始まり」、「子供が母親を求めるセパレーション・クライ」=「母を求める子供の声」は何の問題もありませんが、「音声コミュニケーション」は「言語」とイコールで結べませんよ。その子供個人にとっての「言語」との出会いはそれであるにしても、それは「人間一般と言語一般」についてそのままで妥当とはいえないのでは。


# マクリーンの本は読んでいないので(ああいうのは難しすぎて手を出せません)、マクリーンがいう「音声コミュニケーション」が「言語」なのかどうかも私にはわからないのですが。


> もともと、二つの異なる生命体であるもの同士が、なんらかの音声や記号(アナログでも、デジタルでも)によって、意思疎通ができるというのは、共通体験・共感があるからだと思います。


▼以下、くだらない話です。読み流してください。

数日前、近所をかわいい犬と40歳くらいの女性が散歩していました。「ありゃ、初めて見る犬だ」と思って犬に目をやったら、犬が立ち止まって「テコでも動かない」時の姿勢になって私のほうをじいっと見ている。このままだとこの子は動かないだろうなと思ったので、飼い主さんとも初対面だったのですが、互いに「あらあら」、「すいません」か何か言いながら近寄って、「かわいいわんちゃんですね」と言って、犬には「あーそーなのそーなの、うんうん」と声をかけてひとしきり納得するまで数十秒、遊びました。


この場合、私とその犬との間に何かの共通体験・共感があったのでしょうか。オカルト的なこと(前世で縁があった、など)でもない限り、その犬との間に共通体験はありません。共感は「今日は暑い」くらいならあったかもしれません。


その犬と私との間には「ノイズ」(阻害する要素)はいくらでもありました。初対面であること、互いの言語(バーバルであれノンバーバルであれ)を共有していないこと、種が異なること、身体の大きさ、目線の高さがまるで異なること、など。


自分としては、あの犬とは少ないエネルギーで、コミュニケーションが成立したと思っているのですが。


[43]>35 今度は「記号言語」ですか…… nofrills

> それにしても定義やら難しいですね、言語学は。

言語学に限らず、用語を正確に使うことは議論の大前提ですよ。会社のミーティングでだって、自分が独自に考えて定義した用語については、議論を始める前に必ず定義を説明します。誰かが勝手に、あるいは勘違いして誤ったふうに、ある用語を使っていれば、話は通じなくなります。


で、今度は「記号言語」ですか……ほんと、用語についてもっと神経使ったほうが、話がスムーズに進みますよ。まず、「記号論的な言語」とか「記号的(ではない)言語」もこの「記号言語」と同じですか?


また、ShinRaiさんの記述を拝読するに、この「記号言語」は数理論理学でいう「記号言語」ではないのですよね。


> 記号言語というのは、シニフィアンは、なんでもいい。お互いにシニフィエをあらわすものが何であるかを知っていたら、どのようなシニフィアンをもってきてもいいという意味でいいました。


例えば「お匙」を英語でspoonと言うが、それはそもそもsleepであってもbaloonであってもよさそうだったのに、spoonということになっていて、「あれのことはspoonと呼ぶ、spoonといえばあれのこと」というのが共有されている、ということについて、「記号言語」とは言わないです(しつこくてすみません)。「記号論的な言語」とか「記号的言語」と言うことはあるのかもしれませんが、一般に通じる用語法かというと……。そもそも「記号論」をどうとらえておられるのかがわからないので何ともいえないものがあります。


> このことをもって、純粋な記号とはいえないと思うのです。それを、言葉自体が意味をもつといっています。


おっしゃりたいことは何となくわかるような気がします。しかし、こんなことを書くのは申し訳ないのですが、言語を語るには記述があまりに不正確で、「わかります」とか「同感します」とはいえません。


論理展開も無茶苦茶です。「記号である」が地すべり的に「純粋な記号である」に置き換えられて、「純粋な記号とはいえない」から「記号(ShinRaiさんの用語では『記号言語』)ではない」に展開していますが、その「純粋な」ってのはどっから出てきたんですか? そもそも「記号」をどのような意味で使っておられますか? 「純粋な記号」は、例えば手帳に書き込むマーク(給料日はコイン、デートの日はハート、試験の日は本、など)や、標識のピクトグラムの類、ウェブページのアイコンなどとしてはありますが、それらはここで議題となっているような「言語」でしょうか。


> カラカラと笑ったときに、ゲハゲハ笑ったといっても聞いた人には通じないでしょ。


「通じ」なくはないですよ。「誤解される」だけで。「彼はカラカラと笑った」を「彼はざあざあと笑った」とか「彼はしとしとと笑った」と言えば「通じ」ませんが、それは「ざあざあと」や「しとしとと」が「笑う」とつながらない(意味を成さない)からです。それは「言葉自体の意味」や、ましてや「音の意味」とは関係ありません。


「雨がざぁざぁ降っているときに、パラパラ降っているねといえない」のは、「ざぁざぁ」という擬音語が指し示す様態と、「パラパラ」という擬音語が指し示す様態とが一致していないからではないでしょうか。擬音語ですから、それらはもちろん「(言語ではない)音」を言語化しています。しかしそれは「音」に「意味」があることを意味しない。「雨がざぁざぁ降っているとき」に、「ざぁざぁ」を「パラパラ」に置き換えられないのはその通りですが、それは指し示している様態が違うからです。降っているのが雨である場合は、「雨」と「ひょう」でも置き換え不可能です。ナンセンス文になりたくなければ、「降っている」を「売っている」に置き換えることもできません。


オノマトペについては、例えば英語ではpourという動詞で表すものを、日本語では「ざあざあ」という擬音語で表すのはなぜか、といった検討はできるかもしれません。しかし、『「ざあざあ」は(言語学でいう)「記号」ではない、なぜなら私たちは「スプーン」のことを「バスーン」と呼ぶことに変えることはできても、音を写した「ざあざあ」を「しとしと」に変えることはできないのだ』と主張することは、ナンセンスです。なぜなら「ざあざあ」で表されている様態が「しとしと」ではないのと同様に、「スプーン」で表されている物体は「バスーン」と呼ばれる物体ではないからです。(※ここ、あえて意図的に論理展開を真似して詭弁にしてあります。)


あと、「擬音語は音を写し取ったものであり、擬音語は音自体が語なのだ」という主張(ですよね?)は、トートロジー以外のなにものでもありません。


[44]>37 ひょっとして、冗談ですか?(笑えないけど ^^;) nofrills

> 言語学は、起原論と意味論をあまり扱わないできました。

ご冗談を。起源論は物的証拠で確認できるだけでも古代ギリシャから続いていますし、意味論・統語論はまさにlinguisticsのコアでしょう。


> だから我々は、前人未到の地で、うろうろとさまよっているのかもしれません。

これも冗談めかしているおつもりかもしれませんが、笑えません。自分(たち)が知らないことについて「前人未到の地で、うろうろとさまよっている」と言ったりすることは、先人に対し、失礼極まりないです。「言語学」と呼ばれる分野については長い長い積み重ねがあります。どこがどう前人未踏なのですか。(脳の機能についての詳しい研究は歴史が浅いのかもしれませんが。)


はてなの質問程度で「言語学」についてわかった気になったり、聞きかじった程度で「知っている」つもりになったりしないでください。そもそも自分が考えた(そして十分に説明せずに提示した)ことについて「言語学はどのように説明しているのでしょうか。もし簡単にご説明いただけるのなら、お願いします」と他人に言うこと自体が、ちょっとおかしなことなんですよ。


> 音(シニフィアン)と意味(シニフィエ)についてですが、さきほどの「半端じゃねぇ」は、まだシニフィアンでしかありませんね。


「シニフィアンでしかない」の意味がわかりません。シニフィエはありますよね、あるから人々の間で用いられているわけで。じゃあなにが「でしかない」のだろう、この続きを読めば何かがわかるのかと思ったら、話がまったく変わってるし。しかも、えー、そっちにパス?みたいな。


> あなたが認知言語学の領域だという部分、あるいは禅的に不立文字の言葉にならない世界が、デジタル・アナログの問題の前提にあり、それが問題になっているのです。


全然意味がわかりません。「シニフィエでしかない」ものの例ですか? 違いますよね。


まず私が先の投稿で何かについて「認知言語学の領域だ」と言った(=断言した)という事実はない(suggestならしましたが)、ということはここでは措いておいて、なんでここで「不立文字」が出てくるんですか。第一、「人類の言語はデジタル言語ではないか」という書き出しで「言語」を対象として議論をしている場で、「不立文字」を出してくるのは何なんですか。他人を馬鹿にするにもほどがある、と怒るのが正しい(適した)反応かもしれませんね、これはさすがに。


そして、「不立文字」が「デジタル・アナログの問題の前提にあり」っていうのは何でしょうか。っていうか「デジタル・アナログの問題」って何?


それが何であるか、説明も提示も明確にせず、ただ「デジタル」だ「アナログ」だという「言葉」――いや、「記号」ですね、ShinRaiさんの文章を読む限りは。それもソシュール的な意味ではなく、手帳に書き込むハートマーク的な意味で――を使って、何を考えたいんでしょうか。それで何かを考えることができているのでしょうか。


あと、「ばねぇ ba ne e」ではありません。「ぱねぇ pa ne e」です。モニタで文字が判別しづらいのはわかりますが、もう少し丁寧に読んでください。


[45]>44 言語学の起原論 ShinRai

これはパリ言語学会で、起原論は扱わないという決定が1860年代に行なわれたと聞いています。そのために、起原論は、他の国でもあまり学会で取り上げられなかったのではないですか。


[46]>9 人間以外の哺乳類はアナログ処理 ShinRai

蟻はしゃべらないでしょ。だから脳も小さくていいのです。

哺乳類でも、言語をデジタル処理しているのは、人類だけなのではないかと思います。だから人間だけが脳が大きい。

やはりデジタル処理、それに必要な大容量記憶装置(新皮質)にこそ、人類の言語の最大の特徴があると思います。

たとえば、サルやねずみが、「食べ物があるよ」というメッセージを伝えたいときには、時間ドメインの周波数変移で鳴き声を送るわけです。それも何回か鳴くかもしれませんから、途中で一瞬聞き落としたとしても、メッセージは伝わるわけです。

しかし、人間の言葉は、デジタルだから、同じ時間でもっとたくさんの情報を送受信できる。

その代わりに、誤りが生まれる可能性も高くなる。さらに、脳内に記号をデジタル的に処理する機能が必要となる。それは、レキシコン(脳内辞書)と呼ばれるもので、生まれたときから、言葉とそれにまつわるイメージを記録していくわけです。

だから、チンパンジーの脳の4倍も大きな脳を我々はもっているのだと思います。


皆様、たかがイワシ、されどイワシ、素人の議論にお付き合いいただき感謝しております。


[47]>41 音には基本的には意味がないのが記号言語、例外はオノマトペこれは音に意味がある ShinRai

>ShinRaiさんのおっしゃるような「デジタル」で、

「音」に「意味」があるのなら……確かに、

「きいて」と「きって」は一音が違うだけで「意味」がまるで違います。

>でも「音」に「意味」があるとして一般化できるかというと、できませんよね。

ええっと、いわしのすばらしさと限界(直接会って話ができないのはやはり寂しい、

言語はネットではなかなか伝わらないです。はてなはその点、いいほうですよね)

を感じています


記号言語において、音には意味はありません。

匙を、スプーンとよんでも、ブブーンとよんでも、キュイエールとよんでも、

キーキーとよんでもかまわないです。

それは、意味(シニフィエ)と記号(シニフィアン、言葉)のマッチングに

おいては、恣意的なマッチングができるということです。

デジタルというのは、そのマッチング(あるいはマッピング)という関係性

が構築されているときに、一音違うと、違う意味になったり、意味をもたな

くなったりするということです。

その例外は、オノマトペです。

もしかすると、オノマトペは、我々が哺乳動物としての、アナログ符号処理

をしていたときの名残りなのかもしれませんね。

宮沢賢治や、その他たくさんの日本の詩人がオノマトペをけっこう好きなの

も、なんとなく原初の言葉であるということを感じているからかもしれません。


[48]>45 意味論もあまりやっていない ShinRai

意味論では、鈴木孝夫がおもしろいことをいっていますね。

鈴木孝夫のように、80歳を過ぎても、やんちゃな子供みたいな人だからこそ、意味論に踏み込めたのでしょう。

「鈴木孝夫 言語文化学ノート」でいっているのは、「言語とは、個々の人間の体験と音素符号が結びつく個別な意味体系、個別な概念作用の上に成り立っている、実に不安定なコミュニケーション手段である。」といったようなこと。

意味は一人一人の経験の中にしか生まれない、つまり意味は大脳新皮質の中の記憶領域に、後天的に蓄積されていくということです


[49]>39 言葉と意味の相関係数を1から小さくしてゼロに近づけるもの ShinRai

うんうん、ご質問ありがとうございます。

ニヒリズムという言葉を思い出しました。

ニヒリズムというのは、意味の無相関現象であるといえます。

つまり、どこかの国の政治家みたいに、若者にチャンスを、若夫婦に子供を作れる環境を、といいながら、何もしていないみたいな、言葉が実態をもたないで、なおかつ人によっててんでバラバラな使い方をする状況が、ニヒリズムです。

今、すでにそうなっているかな。



ノイズが極大化していくと、意味の相対主義を通り越して、虚無主義、ニヒリズムになります。

ノイズとは、言葉と意味のマッチング(マッピング)関係の相関を小さくするベクトルと呼べないでしょうか。


[50]>42 うむ、何の話になっているのでしょうか? Gay_Yahng

通信におけるノイズは伝えたい信号を歪ませる要因です。

コミュニケーションにおいてもノイズのために他人に自分の意図を伝えられないのならば、何か阻害要因があるんですよね?

親しい間ではそのノイズが少ないと。

ではそのノイズは何を想定しているのでしょうか?それは今後の考察が必要と言うことですか?


[51]>50 ノイズは脳内辞書の相関度といえるでしょう ShinRai

ひとつひとつの記号(言葉)に対して、それぞれの人間の脳内で意味が生まれます。それが脳内辞書として、何万、何十万項目と出来上がっていきます。

その何十万の言葉と意味のマッチングが全部同じだったら、相関係数は1だとしましょう。

この1のとき、ノイズはありません。(そんな状態は親子でもありえませんが)

ノイズは、1をゼロの方に減らしていく、言葉と意味のマッチングの不均一のことです。


[52]>51 また、あたらしい意味ですね。 Gay_Yahng

言葉の意味の不整合率をノイズと呼ぶのですね。それは通信工学的なノイズとは違う考え方ですね。

やはり言葉遊びをしているように見えます。

ShinRai さんが新解釈のデジタルやノイズの意味を定義して(または広義の意味に解釈して)、それを今ある工学的なデジタルやノイズに当てはめようとする。

本質を比較するのではなく、言葉遊びでしかないのではないでしょうか?


[53]>52 それとも・・・? Gay_Yahng

通信理論に送り元と送り先の不整合が何かの要因でありえて、それをノイズと呼ぶことがあるのでしょうか?

通信工学の信号レベルの話で考えていましたけど、通信理論ではもっと次元の違う理論があるのでしょうか?


[54]>52 そうですね、どういう言葉使いをすれば、うまく表現できるのでしょうか ShinRai

おっしゃるとおりですね。

どうしたらもっと整理した議論にできるでしょうか


[55]>45 単語の起源と言語の起源 sibazyun

[56]>53 インピーダンスマッチングはあるかも ShinRai

ノイズとは別ですが、インピーダンスの整合なんかは、送り手と受け手の間の相性によって、伝わる伝わらないというのがありますね


でも、私がもともと申し上げたかったのは、脳内辞書のマッチング(相関)が高いかどうかで、伝わる伝わらないが変わるというところです。

ノイズとは違うけど、むしろアンテナ効率に近いかなあ


[57]>55 フォローありがとうございます nofrills

フォローありがとうございます (^^) >sibazyunさん


「言語の起源」については、確かに1860年代にパリ言語学会は「立証不可能な話はもういい。今後その話が出てきてもうちでは扱わない」というような決定を下しています(そのころは、よほどそれが盛んだったのでしょうね)。しかし、1980年代以降は研究は盛んです。


sibazyunさんのご投稿で気付いたのですが(多謝)、実際のところ、ShinRaiさんが「言語」というとき、それが「ランガージュ」を意味しているのか「ラング」を意味しているのかについて、私は非常に混乱しているようです。そしてその混乱が整理される見込みは……ないですよね。別ツリーでGay_Yahngさんがおっしゃっているように、「言葉遊び」をされているようですから。


[58]>48 また断片なのでわかりません nofrills

投稿のタイトルと本文のつながりが明示されてないので勝手に解釈するしかないのですが、「言語学は意味論をあまりやっていない」という事実があり、鈴木孝夫はそれをやっている数少ない学者である、ということですか? なぜそうお考えになったのかわかりませんが、その認識はあんまりではないかと思います。

http://en.wikipedia.org/wiki/Semantics

http://webshop.kenkyusha.co.jp/book/978-4-7674-3117-8.html


> 意味は一人一人の経験の中にしか生まれない、つまり意味は大脳新皮質の中の記憶領域に、後天的に蓄積されていくということです

はい、だから何ですか? ここでは話が断片的すぎて何が何やらさっぱりわかりません。


で、それとこのツリーの上のほうにある「禅的に不立文字の言葉にならない世界が、デジタル・アナログの問題の前提にあり、それが問題になっている」という私には意味がわからない記述とはどう関係しているのでしょう。もしかして、「他者の言葉は理解し得ない」ということの実例ですか? とにかく、次から次へと新たな要素が断片的に(場合によっては説明もなく独自の定義づけをされた上で)提示されるだけで、話が流れていないんですが……ShinRaiさんの思考をまとめるためのノート(メモ)としてお書きになっているのなら、その旨、書き添えていただけるとありがたいです。


[59]言葉遊びのつもりはないのですが、言語の発展段階について思うに ShinRai

言葉遊びをしているつもりはないのですが、、、、、、

人類の言語が他の哺乳類(霊長類含む)と、どれだけ質的に違っているのかを、理解するための整理のつもりです。私がデジタルにこだわるのも、デジタル処理に人類の音声コミュニケーションシステムの最大の特色があると思いかけているからです。

人類の言語がどのように発達したかについて、思うところを述べてみます。

1 哺乳類は、育児・音声コミュニケーション・遊びの3つをするという点で、他の脊椎動物と違っているという指摘があります。(ポール・マクリーンの指摘)

この音を使ったコミュニケーションは、もともとは赤ん坊がお母さんのおっぱいを吸っていたときに立てる音ではないかと、マクリーンはいっています。

また、メッセージとしては、子供がお母さんと離れたときに泣く、セパレーション・クライが元祖ではないかといっています。

人類の言語も、起源的には他の哺乳類と同じではないかと思うのです。

2 人類が他の動物と違うところは、洞窟生活をしていたときに、より密接な親子・兄弟関係が結ばれたことと、安全だから幼児期が長くなったということでしょう。密接な人間関係は、言語という不安定なシステムの不備を補う(補正する)効果がありますし、幼時期が長いと、脳や発声器官の構造変化が容易でしょう。

3 (子音の発生)

洞窟で暮らしていたとき、夜は暗くて歩きまわることもできなかった。遊ぶこともないし、音響的にも外部から遮断されていた。

人類は、そこで遊びとして音楽をするようになった。そのときに、肺気流を使わないで音を出せる舌打ち音が生まれて、これが子音の誕生。

今も南アフリカのコイサン語やコサ語には、クリックがたくさんあります。

4 (デジタル処理のはじまり)

子音が重要なのは、構音的(音を出す)にも、聴音・音響的にも、区別しやすいからです。

そのために、以前は時間ドメインの周波数変異で記号を伝えていたのに、デジタル的に記号を組み立てることができるようになり、コミュニケーションの効率が向上します。

5 (母音の発生)

舌打ちによって、舌と唇の筋肉が発達し、喉頭の降下によって、肺気流を口から出せるようになり、母音が出せるようになります。a-e-i-o-uです。

舌の位置を動かしたり、唇の形を変えることで、これらも離散している音です。

6 (シラブルの発声)

母音と子音を組み合わせて、50音表のようなものがつくられます。

7 (シラブルを使った記号・符号作成)

50音(日本語では100以上の種類のシラブルがあります)を使って、記号を作ると、2音節で1万、3音節で100万、4音節で1億の記号が作れます。

8 (脳内辞書作成)

しかし、単語数が増えると、どうやってお互いに記号(あるいは符号)の意味を共有するかという問題が出てきます。

それで、お互いの脳内に、辞書を作るようになります。イメージ(形や色)と記号を結びつけるリレーショナル・データベースです。

これがあるから、お互いにコミュニケーションはなりたつ、意味の共有ができるのです。この辞書の内容が違うと、誤解や不疎通がおきます。

われわれは言葉を使う瞬間瞬間に、意味から記号への符号化、記号から意味への復号化を行っている、そこに人類の言語の特徴があるのではないかと思うのです。このシステムにおいて、デジタルであるということが決定的に重要なのではないかと考えるのです。




[60]>59 なるほど、ようやく要点がわかりました nofrills

なるほど、ようやく要点がわかりました(わかったような気がします)。最初からこう表現していただけていたらよかったかもしれません。前は他人の書いた謎めいたメモを解読していたような印象ですが、今回は講演のレジュメを見ているような印象です。


何が「問題」かというと、お使いになっていた「用語」が、いわば「ひらめいた」ものそのままであり、なおかつ抽象的でいくぶん専門的(専門用語的)であり、さらに「なんかちょっとずれてるのでは」という印象を与えるので(本当にずれているのかどうかは別問題で、「デジタル」については実際に本当にずれているのですが)、伝わらなかったのではないかと思います。別な言い方をすれば、読んでいる人が、ShinRaiさんの頭の中にある「前提」(not exactly「辞書」)を共有していなくて、ShinRaiさんはそれを説明しようとして、善意で (in good will) 次から次へと断片的なことを提示し、読者は自分と同じように断片を結びつけてくれると想定しているのでは、と思います(説明を求められたことについて直接的に説明するのではなく)。だから余計に「伝わらない」し「言葉遊び」に見えてしまうのでは。


ともあれ、ざっと拝読しましたが、まだあれこれ腑に落ちません。具体的には、例えば、

子音が重要なのは、構音的(音を出す)にも、聴音・音響的にも、区別しやすいからです。

そのために、以前は時間ドメインの周波数変異で記号を伝えていたのに、デジタル的に記号を組み立てることができるようになり、コミュニケーションの効率が向上します。

ここが、書いてあることはわかるのですが、言っていることがわからない……というと伝わりますか(「わからない」は「異論」の有無とは別です)。まず「時間ドメイン」、「周波数変異」が、この前の部分の何を受けている/指しているのか、前の部分からどうつながっているのかがわかりません(ご自身でわかっていることでも、他人に説明する場合は、自分ではくどいなと思えるくらいに説明を詳しくしたほうがよいのでは。「構音的(音を出す)」という記述のように)。


……まだあるのですが、もう少し考えてから続きを投稿します。とりあえず「読みました」の挨拶代わりにレスを入れておきます。


[61]>60 続きです nofrills

08-23 21:36:54の続きです。

そのために、以前は時間ドメインの周波数変異で記号を伝えていたのに、デジタル的に記号を組み立てることができるようになり、コミュニケーションの効率が向上します。

「デジタル的に記号を組み立てること」の「デジタル的」については、前の投稿で私がした質問(下記)に直接のご回答をいただけていないので(本筋じゃないところに反応はいただいていますが)一方的なレスになるかもしれませんが……というか「デジタル」だから「効率がよい」というのもそこまで自明じゃないと思うんですけど(それにはさまざまな条件付けが必要)、まあそれはそれとして。


前の投稿での私の質問:

つまり、同じ音であってもどういう音をマッピングするかによって「意味」が変わる。元の音が「アナログ」なのだから、マッピングの処理は「デジタル」だと仮定してみたら、確かに1つ1つの値を変えれば全体が変わってくるので「デジタル」であると考えられる――という思考が、この質問の質問文を書く前にありましたか?

なぜこれを質問したかというと、

マッピングの処理は「デジタル」だと仮定してみたら

について、「仮定が成立していません」と申し上げたかったのです。「成立していない」の根拠は後述。


しかしその質問についてのお返事が:

デジタルというのは、そのマッチング(あるいはマッピング)という関係性が構築されているときに、一音違うと、違う意味になったり、意味をもたなくなったりするということです。

http://q.hatena.ne.jp/1219219734/180690/#i181061

と、「私の言う『デジタル』の定義」になってて、噛み合ってないんです(しかも「私が言う」がまったく欠落していて、あたかも「一般にデジタルとは」であるかのように書かれている)。つまり、いわしで言葉を交わしていても互いに通じ合っていない。これじゃ「しびれも切れる」ってもんですよ。


で、この「私の言う『デジタル』の定義」がまた内容的に杜撰というか成立してないんです。だから「なるほど」と言えない。(既にいくつもの投稿で指摘されていますが)ShinRaiさんの想定されている「1つ1つの値」は完全に数値化されたものではなく、したがってその処理は「デジタル」であるとはいえないのです。例えば、英語のmadとmudは、日本語では「マッド maddo」と書くしかありませんが、実際にはこれらのaとuはまったく別々の音です。日本語の中でも、このような母音の揺れは別々の音として明確に(あるいは公式に)認識されていないだけで、存在しています。苛立ったギャルが「はぁ?何いってんの?」と突っかかってくるときの「ぁ」と、デビ夫人が「あらまぁ、お久しぶり」というときの「ぁ」は、はっきり聞き分けられるくらいに音が違うはずです。そして、通常の生活で、ギャルの「はぁ?」の「ぁ」と、デビ夫人の「あらまぁ」の「ぁ」の音が入れ替えられたって、意味がわからなくなることはありません(「デビ夫人っぽくないなあ」、と思うことはあるかもしれないけど)。


むしろ、ギャルが「はぁ?」と言っているのを「はぁ?」という文字に起こす(マッピングする)処理こそ、「記号」を当てはめるだけの処理(ShinRaiさんのおっしゃる「記号的」な処理)で、その処理は恣意的なものです。(マンガの書き文字で「ぁ」に「゙(濁点)」がつけられることも許容されていることも想起してください。)


オノマトペについてのツリーで、「猫の鳴き声」の例が挙がってますよね。日本語では「にゃあ」、英語では "meow" と。人間の耳に聞こえている音(「アナログ音」)は同じなのに、「文字化」された(ShinRaiさんの言う「デジタル処理」された)結果では、日本語ではN音、英語ではM音とされている。英語にはN音はないとか、日本語ではM音がないとか、日本語のN音は英語ではM音であるといった背景もない。これのどこがどう「デジタル」なのでしょう。


人間がある意味「機械的」に、「この範囲の音はこう認識する/こう表記する」というシステムを作って音声を整理していることは、「人類の言語が他の哺乳類(霊長類含む)と、どれだけ質的に違っているのか」という点では注目点のひとつなのかもしれませんが、それは単に「整理している」だけで、「アナログ」の情報を「デジタル処理」はしていませんよね。(逆に、コンピュータの音声認識の技術はアナログの音声をデジタル処理していると思いますが、その技術の確立には、人間が行なっている「曖昧な処理」を機械にさせるにはどうするかという点でいろんなハードルがあったはずです。)


で、ShinRaiさんの「私の言う『デジタル』の定義」については、既に複数の投稿で、「それは『デジタル』とは言わない」(つまり、「一般的な『デジタル』の定義ではない」)、「それを表すなら別の名前を与える必要がある」という指摘がなされていますね。図書館の分類のように「番号を割り当てること」を比喩的に「デジタル」と呼ぶことはあるかもしれませんが、それは本当の「デジタル」ではないです。(「比喩」については、「君は太陽だ」という愛の告白について検討してみてください。相手は本当に「太陽」ですか?)


しかしShinRaiさんは指摘を受けても依然として「デジタル」という語を使い続けておられる。それはなぜなのかというと、論の展開に「デジタル」という概念は欠かせないものであるため(<「このシステムにおいて、デジタルであるということが決定的に重要なのではないかと考えるのです」、「私がデジタルにこだわるのも、デジタル処理に人類の音声コミュニケーションシステムの最大の特色があると思いかけているからです」)、ですよね。ShinRaiさんは「デジタル」という語を使い続けるしかない。


けれどそれは、「立論が失敗している」ということではないでしょうか。「Aのように仮定したら、Bという結論になる。Bという結論から、Cと考えられる」というのは、「Aのように仮定したら」が成立しない時点で破綻します。この質問で指摘されているのは「Aのように仮定したら、というのは成立していませんよ」ということではないでしょうか。言っている/考えている内容がどうのこうの以前、単にロジックとして崩れているんです。


人間が音声に対して高度な情報処理を行なっていることは確かです。でもその処理が「デジタル」と呼べるものなのかどうか、そこを問うべきところで、「デジタルである」を前提にして話を進めてしまうから、「言葉遊び」だと受け取られてしまうんでは。


[62]>61 蛇足――「言語は不安定」について nofrills

以下は蛇足。「デジタル」とか「ノイズ」とかいった語を「俺定義」で使っておられるさまを見て思ったのですが、ひょっとして、「言語は不安定なもの」とか「シニフィアンとシニフィエは恣意的」というのが、こういうことだと思っておいでですか? つまり「人によって意味が違う」というのはこういうことだと? これまでのShinRaiさんの記述から、さすがにそれはないと思うんで、私の勘ぐりが過ぎるとも思うんですけど、投稿させてください(だから「蛇足」と明示しておきます)……このいわし質問でされているような「デジタル」や「ノイズ」の用法を許容するほど、「言語」は「不安定」ではありません。


またもや例え話ですが、Aさんが桃を指差して「これは『プラム』ですね」と言えば、会話相手のBさんからは「いいえ、それは『桃』です」と返されます。名前がわからない果実についてAさんが「これは『プラム』ですね」と言ったとき、Bさんもそれが何なのかを知らないが、それでもプラムではないということは知っている場合、「いいえ、『プラム』ではありません」と返ってきます。そして、いずれの場合も、Aさんはそれが「桃」であるとわかった時点、もしくは「プラム」ではないとわかった時点で、その果物を指して「プラム」であると言い続けることはしませんし、できません。「これがプラムならば」という仮定は、それが「プラム」でないことがわかった時点で終わります。


これはなぜかというと、「桃」も「プラム」も決まったシニフィエを持っているからです。言語を使う者がその「決まったシニフィエ」を無視できるほど、言語は不安定なものではありません。こういった「決まったシニフィエ」は、言葉の「意味」のひとつの側面です。ただし言葉の「意味」には別の側面もあります。その別の側面について「言語は不安定だ」ということが言えるのです。(ただしここでは多義語、同音異義語は除外して考えます。それらは説明を長引かせるだけなので。キャラクター名の「モモ」とかは除外してください。)


「言語は不安定だ」というのは、平たく言えば(ちょっと変な例なのですが)、その「桃」という言葉(また「桃」そのもの)が、「その人にとってどのような『意味』を持つか」が、人によって異なる、ということです。例えば「どのような感情が伴うか」「何が想起されるか」といったことです。


で、「どこそこで食べた桃は美味かった」という体験を共有している人同士なら、「桃」というだけでその体験が呼び起こされるかもしれない(これがShinRaiさんのおっしゃる「ノイズの低いコミュニケーション」なんですよね。「ノイズ」という考え方が妥当かどうかは別に検討する必要があるけど)。逆に「あの味は嫌いだ」という人もいるだろうけれど、だからといってその人にとって「桃」というシニフィアンがあの果物を示すということが通じない、ということはない。そして、誰にとっても「桃」は「プラム」ではない。(少なくとも日本語圏では……ひょっとしたら「桃」も「プラム」も同じ名称で扱っている言語もあるかもしれませんが、それは別です。)このように、シニフィエは(ある程度は)固定されています。


具体的な物体について使う語ではない「デジタル」についても、シニフィエが(ある程度)固定的であるということは、「プラム」や「桃」と同じです。ShinRaiさんは「プラムではないもの」を指して「プラム」と言い、ひょっとしたらそれが「桃」かもしれないのに「桃」という言葉を知らない状態なのかもしれません。


そのときに「プラムのようなもの」、「プラムと思われる果実」と言うとか、「これをプラムと呼ぶことは妥当か」を問うのではなく、単にいきなり「プラム」と言い(断言し)、そこから話を始めてひとつの論を立てて、その全体の論についての意見を求めている。そして人々が「それ、プラムじゃなくないですか」と言っても「いや、プラムだ」と言い続けている。それは無理筋です。


以上です。


(ShinRaiさんとは関係のない事例なのですが、自分が「俺定義」でしゃべるだけで説明の努力もせず、それが相手に伝わらないとなると「言語は不安定だ」「あなたの体験と私の体験は重ならないからわからないのだ」という言い訳をする、という事例にファーストハンドで接した経験があるので、ほんっとに蛇足なんですけど、投稿させてください。)


[63]デジタルというよりも・・・ vaux

上手く表現できるか分りませんが・・・・

"人類の言語はデジタル言語"というよりも、人類の脳は声帯発音をする際に無線通信技術で言うところの「変調」を複雑にかけることが出来ると考えてみるのはどうでしょうか?

此処で言う「変調」とは、[Ampritude modulation-振幅変調-AM]とか[Frequency Modulation-周波数変調-FM]等の概念です。無線通信では搬送波(キャリア)に変調をかけることで情報を伝達します。そして変調法式によって情報の伝達効率が変わります。


「人間の話し言葉」も「動物の鳴き声」も「連続した波形(音)」という意味ではアナログ波形以外の何物でもありません。センサーとしての耳を含む「脳」はその連続した音波形をありのままに認識していますので同様にアナログと考えます。

そして、声帯をもった生物全ての発声音をアナログ音波形「キャリア」と考えます。

人間はこの音の高低や長短、強弱といった「アナログ波形」を声帯発声する際に「子音や母音」といった「音素」をも使って複雑に変調(modulation)することで複雑な意思疎通を可能としていると解釈するのはいかがでしょうか?


例えばある日本人が、思いきり悲しそうな声で「うれしい・・・」とつぶやいたとします。これは「日本語」という変調方式を知らない他言語人や動物には悲しいつぶやきに聞こえ(感じ)ますが、日本語変調方式を知っている者には「悲しいけど無理してるんだなこの人・・・」と理解できる、というような複雑なコミュニケーションが成立します。


そして、人間言語の変調機能である「読み書き」の部分はデジタル化することができると言ってもいいのかもしれませんね。というかデジタル化されているからこそ、こうしてインターネット上でのコミュニケーションが成り立っていると・・・


感情表現を含む声帯発声の部分も音信号としてデジタル化できるのですが、「読み書き言語」のデジタル化とは意味合いが違いますね。


[64]デジアナ(アナデジ)です yamadakouzi

「言語」といっても大きく2つに区別されるように?感じます(が実際は?違うと思います)---?は一般論、?は私的感想

?について「音声言語」と「文字言語」が思い浮かべられますが、「音声言語」がアナログ的要素が大きくて「文字言語」はデジタル的要素がほとんどのように感じますが、少し考えればそうではない様事に気づかれると思います。元々、「言語」の持つ役割としては「物事の区別を間違いなく伝える」という側面があります。だからどんな「言語体系」も「デジタル的」になる事は必然です。ところが伝える内容にはAかBかCか・・・でなくその中間の(または混合の)ニュアンスを即座に伝える役目も有るのです。そのため音声は比較的便利なようですが、曖昧になりがちなところもありますし、音声でまかないきれない場合は楽器類なども使われることがあります。また、書き言語でも、記号・絵的な文字や絵そのものが使われる事があります。という事は、情報としては飛び飛びの値を持つデジタルだけでなく、連続の値を持つアナログも多く存在する(無限段階に存在できる)。また、言語は「音声言語」と「文字言語」だけではないことがいえます。


[65]>61 もうひとつ言うと Gay_Yahng

「ShinRaiさんのデジタル」「ShinRaiさんのデジタル処理」は私たちの思う既存技術的デジタルまたはコンピュータで使うデジタルとはかけ離れているにもかかわらず、

つまり

「ShinRaiさんのデジタル」≠既存技術的デジタル

であるにもかかわらず

人間の言語=デジタル → 人間の脳はコンピュータ的処理をする。

とShinRaiさんは説明します。

でも、実際は

人間の言語≠デジタル → 人間の脳はコンピュータ的処理をするとは言えない。

となるのではないか?

ShinRaiさんはそのときによって都合のよい解釈をするので議論にならない と言えばわかってもらえますか?

あるときは「ShinRaiさんのデジタル」、あるときは「既存のコンピュータ的デジタル」に意味を変える理論は納得できない。


[66]>54 デジタルとかちゃんと勉強したら? hiko3karasu

今はデジタルとか、ノイズとか、ほかの人と意味が違っちゃっているよね。これは勉強不足だと思うよ。デジタルとか、ノイズとか、ちゃんと勉強してみたら?コンピュータの動作も勉強すると、脳とは働きが違うんじゃないかな?と思うんじゃないかな。プログラム組んでみるだけでもいいかもね。

コンピュータって万能がイメージがあるかもしれないけど、全部やり方を教えてあげないと動いてくれないよ。計算は速いけどね。


[67]>62 もうひとつ言うと は・・・ Gay_Yahng

私の「もうひとつ言うと」はすでにnofrillsさんが言っていることでしたね。

私こそ蛇足でした。

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