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ちょっと夜中にすみません!!

http://en.wikipedia.org/wiki/RMS_Republic

このページの船なのですが、2009年夏に引き上げの計画が立っているということが下の方に書かれていると思います。
ソースは[13]だそうで、そっから
http://www.rms-republic.com/phpBB2/viewtopic.php?t=19
このページにリンクが張られていると思うのですが、

●この船の概要(場所・どういう船なのかなど)
●この船に金貨があるということについて(どれくらい?なぜある?)
●引き上げ計画のなるべく詳しい概要

について教えて下さい。

要するに英語に強くないのです。
めんどくさいので明朝までであれば最低200ポイントはお支払い致します。


●質問者: ryota11
●カテゴリ:学習・教育 旅行・地域情報
✍キーワード:2009年 すみません ソース ポイント リンク
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● nofrills
●400ポイント

北アイルランドの造船所に関連してこの船のことは聞いたことはあるような気がするので出てきました(タイタニックの前にこんなことが、みたいな話で)。引き上げ計画があるとは知りませんでした。


http://en.wikipedia.org/wiki/RMS_Republic

RMSリパブリック号は1903年に(北アイルランドの)ベルファストのハーランド&ウルフの造船所で建造された蒸気船で定期就航の船(オーシャンライナー)。6年後に航海中に衝突事故で沈没。最初はthe International Mercantile Marineという会社の定期船として「SSコロンバス号」という名前だったが、2回就航したところでホワイト・スター・ライン社(タイタニック号でもおなじみ)に買い取られて「RMSリパブリック号」となった。


なお、「RMS」はRoyal Mail Shipの頭字で「英国の郵便物を運ぶ」ということですが、同時に客船でもありました。タイタニック号もフルネームは "RMS Titanic" といい、同じベルファストの造船所で作られた船です。(当時、ベルファストのこの造船所は非常に多くの船を作っていました。造船所自体は今もありますが、昔日の繁栄はもうすっかり過去のものだそうです。)


「この船の残骸は1981年にCaptain Martin Bayerleによってマサチューセッツ州ナンタケット島(緯度・経度はウィキペディア本文に、40°26′″N, 69°46′″Wとあるところでわかります)南方で発見され、以後2度にわたって黄金の場所の特定計画があったが、いずれも失敗。2005年に引き上げに関するBayerleの独占的権利が法廷でリコンファームされ、2008年に再調査、2009年夏に大掛かりな引き上げを計画している。部分的な引き上げが行なわれる見込みだ」というのがウィキペディアのだいたいの内容です。


ソースになっている [13] のところは、「(全部ではなく)部分的引き上げが予定されている」ということについてのソースです。

http://www.rms-republic.com/phpBB2/viewtopic.php?t=19

このサイトは、Captain Martin Bayerleご自身のサイトで、フォーラムのadminはBayerleさんご自身です。


以下はウィキペディアのあまり整理されていない記述の内容を簡単に……。


1909年1月23日の早朝、ニューヨーク(米国)からジブラルタル(英領だが地域的にはスペイン)に向かっているときのこと。ナンタケット島沖が濃霧で、乗客742名のリパブリック号は減速し、警笛や信号で居場所を発信したが、SSフロリダ号という船(これはイタリアからの移民を満載していた)と衝突した。フロリダ号の船首がリパブリック号の船体に突き刺さったとき、就寝中だった乗客が負傷したり死亡したりした(乗客の死者数は3人。フロリダ号でも3人の乗員が死亡。)。


そしてリパブリック号のエンジンとボイラー室が浸水し、船長は乗員を指揮してデッキに出てきた乗客を避難させた。リパブリック号は当時最新の無線機を積んでおり、それを使って救難信号を出し、衝突相手のフロリダ号やコーストガードの船が乗客の避難先となった。霧の為に時間がかかったが、夕方にはバルティック号という別の船も現場に来て、傷ついたフロリダ号からこのバルティック号に人々が移動し、最終的には助かった乗客は全員、バルティック号でニューヨークに戻った。


船長とクルーは船を救おうと残り、コーストガードのクルーも浸水を食い止めようとしたが無理で、結局1月24日にクルー全員が退避、リパブリック号は沈没。15,378トンのこの船は、沈没した船としては当時最大だった。


リパブリック号は黄金などを積んでいたとの噂が絶えない。一説には米海軍の給与支払いに用いられる米国金貨、$250,000-$265,000が積まれていたというし、別の説では1908年にイタリアのメッシーナで発生した地震の救援金が積まれていたともいう。また、Captain Bayerleの説では、ロシア帝国への借款の一部としての金貨、$3,000,000が積まれていたという。(当時はもちろんまだ金兌換制で、1オンスが20ドルだったそうです。)


タイタニック号の沈没が1912年なので、リパブリック号はその3年前ですね。大事故だったにもかかわらず、死者数が6人で、衝突した船の乗客・乗員の大半は無事で、それはリパブリック号のマルコーニ無線機とCQDというコール(現在のSOSに相当)のおかげだ、と引き上げ計画のBayerleさんは説明なさっています。

http://www.rms-republic.com/index1.html

◎質問者からの返答

あー、これは、いつもながら分かりやすい訳をして下さって本当にありがとうございます。

とても助かりました。参考にしながらいろいろ見てみたいと思います。

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