NGOは、例えて言えば、毛細血管のようなものかも知れません。
国連などの支援が及ばないところに、各国のNGOが入り込み、活動しています。
外務省がイラクの状況を調査するとき、外務省職員はイラク国外(カタール?)までしか入れず、イラクの有力者(聖職者や族長)とのパイプは、NGOに頼るといったこともあったようです。
なるほど、わかりました。
国連などの手が届かない、回らないところで活動するということですね。
質問したときは
危険なところ=国連や現地政府の及ばないところ
と解釈していましたので納得しました。
比較的安全で、かつ支援を行ったほうがよいのに
国連などからは手が回らない地域があるのは
当然なのに私の頭からはすっかり抜けていました。ばかダナー
ところで危険なところではどうなのでしょう。
活動しないという理解でよいのでしょうか。
活動していらっしゃいます。アフガニスタンの伊藤さんのご冥福を心からお祈りします。
活動していなかったら不幸に遇う方がおられるわけがありませんでしたね。
どこそこで、なになにというNGOが活動を中断した、再開したとはニュースでも時々報道されるので
危険でないか危険であるかという見極め、というよりも活動が出来るか出来ないかの見極めはそうとう難しいのだろうと想像します。
実際に活動している国から、その時の政府や軍から強制退去を迫られれば、退去するしかないでしょう。
しかし、母国から退去勧告等があった場合は、それに従わず現地に留まって活動する人は少なくありません。
それでこそ、NGO(非政府組織)である意義があります。また、NGOは一カ国の人員だけで構成されているとは限らず、複数の国籍の人員で構成させる場合も珍しくありません。
その一方で、万一、誘拐等の問題が発生すると、国家間の交渉にゆだれなければならない場合もあります。その辺が、国としてもNGOとしても、難しいところです。
数年前、イラクで、日本人のボランティア、ジャーナリスト等が誘拐される事件がありました。その時、日本の国会議員の内、何人かは、「危ないところに勝手に行ったのだから、解放までにかかった費用を本人に負担させるべき」といった発言をしました。
一方で、欧米諸国からは、危険な国でのジャーナリストやボランティア活動への賞賛の声が挙がり、「危険な国で活動を続けたのは自己責任」といった日本の国会議員の対応に、大きな批判が寄せられました。
この回答を最後に回答を打ち切ります。
ありがとうございました。