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人類の言語がデジタルであるというとき、個々の人間の脳内には、言葉(記号、符号, シニフィアン)と、意味(シニフィエ)を結び付ける「個別脳内辞書」のようなものが存在していて、我々は考えたり、話したり、聞いたりする瞬間瞬間に、言葉と意味を参照していると考えられます。

何かの現象や物体を見たときに、それを言葉にすることは、デジタルの世界でいう「量子化(quantization)」、そして「符号化(coding, encoding)」にあたるといえるでしょう。また、言葉を意味へと還元するときにも、「復号化(decoding)」が行われます。これらの量子化、符号化、復号化の処理の際に、量子化誤差・符号化誤差・復号化誤差のようなものが生まれるから、言葉によるコミュニケーションには誤解や勘違いが生まれるのではないでしょうか。

禅が、言葉に依存するな、言葉を使ってものを考えるな、不立文字というのも、言語のデジタルな処理による誤差を排除することが目的ではないでしょうか。

皆様、いかがお考えになりますか。

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:コミュニケーション シニフィアン シニフィエ デジタル 人間
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 96/96件

▽最新の回答へ

[1]人類の言語とは、大脳による情報源符号化・復号化である ShinRai

こういうようにもいえませんかね。 短い言葉で、大切なメッセージを送り、伝えることができるのは、個々の人間の脳が、情報源符号化・復号化を行っているからだと。


[2]人間はあらかじめ自分が知っていることしか、新たに知ることができない ShinRai

個別脳内辞書に登録された(言葉+意味)の対照表をもとに、ものごとを考え、語り、聞くために、あらかじめ辞書に登録されていない言葉の意味はまるでわからないという現象がおきるのではないでしょうか。


[3]人類の言語がデジタルであるというとき? Gay_Yahng

>人類の言語がデジタルであるというとき、

今回は前提にしましたか。

今回は音素の話ではないのですね?

やはり、言語がデジタルであると言うことがイメージしにくいんですが・・・・。まあ、それが前提の世界では と言うことならば・・・。

いや、やっぱり分からないなぁ。

たとえば、「りんご」があります。

このりんごを見たときにどのような「量子化」または「符号化」をしているのでしょうか?

丸い度90%、赤い度70%・・・・とか?


[4]>1 誤差は必然 geul

言語による情報伝達に誤差が生じるのは個別の脳は言語だけでなく、

経験的にも異なる構造をするから。

人類は成長するにつれて、様々な社会と関わっていくし、様々な経験をします。

その過程は人によって異なるので、そこから得た成果でコミュニケーションを取り合えば

いくらかは誤差が生じるのは必然的。

善悪・正誤が実在しない社会は、正誤の判定という概念はそもそもないので

それが誤っている方向であるということにすら気付かないというときもある

道徳や教育、政治、自由は比較対象があってはじめて批判できる


[5]>1 どこで符号化していますかね? Gay_Yahng

符号化・復号化しているのならば、正確にその言葉だけが再現できるのではないかと思います。

「愛している」を符号化・復号化して取り出された情報は「愛している」でしかない、

それを大切な言葉だと認識するのはその言葉を発した人がどんな人か、表情や、どんな口調で言っているのか、を総合的に判断しているのではないでしょうか?


[6]境目の曖昧な意味の類型化を超立体的に行っている。 miharaseihyou

デジタル情報の塊としての意味の境目が判別不能になるほど立体的に整理分類された複合体に見える。

意味の配置の次元が何次あるのか見当も付かない。


[7]>2 辞書は成長していく sibazyun

「個別脳内辞書」というのは、まあ、そのようなものがあると考えると

なっとくできることもありますね。しかし、そうだとして、

「辞書は、あらたな言葉と意味との対照を獲得していって、成長する」

と思います。

こともが大人に成長していくとき、あるいは大人でも外国語を身に着けて

いくときは、「個別脳内辞書」が成長していっていると思います。

ただし、この表現は、比ゆ的な意味しかないかもしれません。

それから、音素という弁別単位について、言語によって違うということを

前にいいました。日本語なら「ラ」の音(音素としては、子音の音素と

母音の音素)ですが、英語や仏語なら RA と LA とを切り分けて

います。で、日本人の英語学習者の中には、習ったあとでも、この区別が

できる人も、できない人もいます。 できる人は、「個別脳内辞書」の

英語バージョンが成長してきた、といえるのではないでしょうか。


[8]>3 「デジタル」は前提にならないと思うのですが nofrills

人類の言語がデジタルであるというとき、

……その「デジタル」とはどのような意味か、説明してください、と続けざるをえませんが、それは別に問題ではありませんね。読んでいくと、

何かの現象や物体を見たときに、それを言葉にすることは、デジタルの世界でいう「量子化(quantization)」、そして「符号化(coding, encoding)」にあたるといえるでしょう。

とあるので、「なるほど、筆者は『何かの現象や物体を見たときに、それを言葉にすること』が『量子化』や『符号化』であると考え、それを『デジタル』と呼んでいるのだな」ということはわかります。(「デジタル」を説明するのに「デジタル」を使っている、というロジックの問題は、この際措いておかないと話が進まないので、措いておくことにします。)


しかし、「日本の多くの場所においては、冬が近づくと店頭に多く並ぶようになり、多くの場合は赤い系統の色をしていて(緑色のものもあるが)、一般的に上方が広く、下方に向かってすぼまっていく形状をしており、大人の両手にすっぽりおさまる程度の大きさで、基本的に甘く、独特の芳香をはなつあの果実」を「りんご」と呼ぶことについて、「符号化」はわかりますが、「量子化」がわかりません。


ひょっとして音素の問題、つまり(「だんご dango」ではなく)「りんご ringo」であるということがここでいう「量子化」なのかなとも思いますが(最初に言っておくと、それは無理だと思います)、そうすると、その「りんご」という語を構成するひとつひとつの音素はまったくぶれがないものなのか、あるいは書かれたときに「りんご」でも「リンゴ」でも「林檎」でも通じるのはどう説明されるのか、「リンゴ」という文字列を見たときに「ああ、ビートルズのドラムの人ね」とか、「『言語』の意味である」とかいう「デコード」をすることもあるという現象はどう説明されるのか(つまり「同音異義語」をどう説明するのか)、といった問題が出てきますよね。


[9]「不立文字」は「言葉を使ってものを考えるな」ですか? nofrills

私は根本的になにか勘違いしているのかもしれませんが、

「不立文字」は「言葉を使ってものを考えるな」ということなのでしょうか。

「言葉で聞いただけですべてを知った気になるな」、

「言葉という形で伝えただけで、すべてを伝えられるわけではない」ということではないのでしょうか。

# 揚げ足取りみたいに読めてしまうかもしれません。非礼をお許しください。


[10]>5 符号化器と復号装置が個別脳内にある ShinRai

Gay Yahngさん、

書き込みありがとうございます。

人間の符号化・復号化の問題は、その符号化・復号化装置がひとりひとりの脳内にあって、てづくりであり、その人の人生の中で、じっくりと育っていくものだからではないでしょうか。

さらに、個々の人がどのような符号化・復号化を行なっているかが見えないところも、問題かもしれません。

もちろん、だからこそ、言葉以外の声の調子や顔色を伺うことに意味があるわけでしょうが。


[11]>9 いろいろなとり方はあるかもしれませんが ShinRai

非礼ではありません。素直な質問は大歓迎です。

ただ言葉の理解については、人それぞれになりますから、議論は収束しにくいかもしれません。

私は、不立文字は、「言葉にするな」というとり方でもいいと思います。

もちろん、言葉でわかったつもりになるなでも、いいと思いますが。

文字・言葉にすることの、限界を知り尽くしたのが禅の世界ではないかという気がします。


[12]>4 誤差は必然、そうです、そう割り切って考えないといけないのでしょうね ShinRai

おっしゃられるとおりだと思います

だからこそ、我々は言語によるコミュニケーションのもつ限界、あるいは誤差必然性を理解しておかなければならないのだと思います


[13]>8 りんごの量子化について ShinRai

具体的な例で話しましょう。

あなたの行きつけの八百屋さんに、いつもの季節に、赤いりんごが並んでいたら、きっとあなたはそれを迷わずに「りんご」と呼ぶでしょう。

では、外国の、たとえば欧州とか、中東の街角で、形はりんごと同じようなのですが、ひと回りかふた周り小さくて、色は赤でも緑でもなく黄色かオレンジ色の果物が並んでいたとき、あなたはどう考えますか。

「これは『りんご』かな」と考えるでしょう。

これが量子化プロセスです。

その後、それが「本当に」りんごであるかどうかは、食べてみたり、木になっているところを確認したり、植物図鑑で調べてみて、はじめてあなたの脳内で「りんご」というカテゴリーに入るかどうかが決められるでしょう。

地元の人は、あなたがそれをりんごと呼ぶかどうかを、気にも留めないでしょうが。

禅的にいえば、「あまり悩まないで、とにかく食べてごらんよ」ですかね


[14]>7 辞書は成長していく ShinRai

そのとおりです。

我々の個別脳内辞書は、ものごころついたときから、成長しつづけていきます。

大人になっても、新しい体験によって、どんどん広がり、あるいは深まっていきます。

ただ、それは、あくまで個別にです。

誰かの脳内辞書が広がり深まったからといって、その恩恵を直接受けることができるのは本人のみです。

ここが厳しいところです。

他の人に、おすそ分けしたくても、受け皿がない場合が多いといえるでしょう。

体験したものしか、その体験を共有できない、ここに我々の知能・知性の限界があるといえるかもしれませんね


[15]>6 時と所によっても変わるでしょうしね ShinRai

同じ人間が使い分けした言葉であっても、時と所が変われば、込めた意味や量子化の基準も変わってしまう。

あるいは、同じ人間であっても、相手を選んで、言葉を違った意味に使うことがある。

言語というのは、実にとらえどころがないということを理解するためにも、デジタル処理で、個別脳内辞書が使われていることを理解しておく必要があるかもしれませんね。


[16]>12 直感的な「りんご」 geul

デジタルな言語 - ノート『YES』のブログについて、長いので日記を書いてきました。

結論

情報の善悪・正誤を経験的に判断し、同系列の別の存在と比較する事でその価値の度合いを計測・消費プロセスを作る。社会の内部においては、比較対象の正誤・善悪の判定を他者の経験にも委ねる。その上で必要な共通的な概念が便宜的に必要であったので言語化された。社会が存在しないときも脳内に辞書を設けて比較するために名詞化・形容詞化される。

直感には個人の意識や比較が存在しないので、その直感を与える物のありがたみさえ知ることは無いし、改善改良する対象が無いので道徳的な思想も要さない。その教えによって誘導されて生きながらえる点で動物以下の存在になる。


[17]>16 野生動物の直感のほうが、人間の好き勝手な思考より、正しい行動を導く可能性はないでしょうか ShinRai

ブログも拝見いたしました。興味深い考察ありがとうございます。

意識による思考作用と、直感と、どちらが正邪を判断できるのでしょうか。

私は、意識自体には、正邪を判断することはできないが、本能的な直感にはできるような気もします。

人間が自分で考えると、動物以下になりえるが、人間が自分で考えることをやめて、宇宙の真理と一体化すると動物並みに正しく生きることができるような気がします。


[18]>13 やっぱりわからない。 hiko3karasu

>これが量子化プロセスです。

言い切られてしまったが。

前提のデジタルの意味がよくわからないので意図をはずしているかもしれないけど、これは目からの画像情報から脳内の類似情報から類推して「りんご」の意味と言葉を出力したんですよね。量子化されていますか?

量子化の意味は下記と同じ?または近い?またはまったく違う?

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CE%CC%BB%D2%B2%BD&kin...


(2)情報理論などで、連続的な量を、ある単位量を定めたりすることによって、とびとびの近似的な数値で表すこと。


[19]>18 とびとびの近似的な数値というのは ShinRai

あらかじめ言葉を持っていないと、認識されえないので、あらかじめ持っている言葉によって近似的に表現されるということです。

「りんご」を食べたことも、見たことも、聞いたこともない人が、はじめてりんごをみたとき、その人は、それが食べられることすら理解できないでしょう。認知あるいは認識不能なのです。

「りんご」は食べたことがあるけども、「ふじ」、「つがる」、「国光」などの種類をまったく知らない人は、どのりんごを食べても、「りんご」としてしか認識しません。

りんごの細かな種類を知っている人は、いろいろな種類のりんごを出されたときに、ふじ、つがる、国光といったより細かなカテゴリーで認識します。

国光にも何種類ある、ふじにもいくつか種類があるということを知っている人の場合には、ふじの種類の食べ分けも可能になります。

知識や経験によって、個別脳内辞書を深めたり、広げると、量子化の精度がよくなるということになります。

量子化のたとえが当てはまるような気がしませんか。


[20]>3 今回は音素(シニフィアン)の話ではなく、意味が量子化される部分です ShinRai

今回は、音素あるいは音節からつくられる記号・符号(シニフィアン)の話ではありません。

それらの記号・符号と、意味(シニフィエ)が、個人の意識の中でどのように結び付くのかというメカニズムについて、みていきたいと思うのです。


[21]何か見慣れないものを見るときに ShinRai

我々がしばしば口にするのは、「○○に似ている」、「△△が違う」と、似ている・違うという表現である。

これは明らかに、我々の意識の中に、なにか基準となるものがあるのだ。それと比べて、似てる、違うという表現をしている。

これも量子化の一種ではないだろうか。


[22]>19 あまり似ていないと思うけど hiko3karasu

>あらかじめ言葉を持っていないと、認識されえないので、あらかじめ持っている言葉によって近似的に表現されるということです。

近似的しか合っていないと思うけど。

「単位量」「数値で表すこと」はどこに行っちゃいました?

たとえにしても似ていないと思いますよ。


[23]>22 話が、メタファーに振り回されているような気がします nofrills

hiko3karasuさんに同感ですが、それ以前に、「量子化のたとえが…略…」に明らかなように、「量子化」は「たとえ」なのですよね。メタファー(暗喩)ですよね。それが全然伝わってないし、ShinRaiさんご自身のなかでも「それはたとえである」という前提がグダグダになってるのではないかと思います。メタファーは「事実」ではないのに、あたかもそれが事実であるかのように前提して論を組み立て、話を展開しようとなさるから、わけわかんなくなってる。


つまり、「人類の言語は(が)デジタルである」という言い方ではなく(実はこの「人類の言語」というのが個人的には非常にひっかかるのですが、それは措いておくことにします)、「言語処理はデジタル処理のようなものだ」という言い方で、つまり直喩で、話す/考えるようにしてみてはと強く思うのですが。


[24]>20 了解しました。 nofrills

この点は了解しました。「りんご」と「だんご」の違いを問うものではない、ということですね。例えば子供が物体としての「りんご」を指差して「いんご」と言ったとき、大人は「りんご」として解釈する(「だんご」とは解釈しない)、ということかと思ったのですが、そうではないのですね。


[25]>11 「言葉にするな」は「言葉を使ってものを考えるな」とイコールでしょうか nofrills

質問を変えます。

「言葉にするな」は「言葉を使ってものを考えるな」とイコールですか?

つまり、禅宗ではそのようなことをおしえているのでしょうか?

それとも、「不立文字」というのは、(またもや)メタファーですか?


「誤差」はあなたの思考の過程の中で既に生じているのではないでしょうか。

それをアウトプットしたものが他者に受け取られるときに「誤差」が生じているのは、

「言語」のせいではないし、

「言語の性質」や、「文字・言葉にすることの、限界」のせいでもありません。

話者による「言語」の使い方のせいです――ということはできませんか?


[26]>15 結節点が不規則に無数にある。 miharaseihyou

単純なブランチの内部からでも絶えず変動する複数の接点が開いている。

意識して接点を増やしている場合もある。

意思による調整も完全には利かない。

また、全体の活性化された領域自体が絶えず変動する。

主要な活動領域が一瞬で切り替わる場合もある。


[27]>21 アナログ的 sibazyun

「○○である」と言い切ることを「離散的」すなわち「デジタル的」というのは、まだあたっていると思うのですが、「○○に似ている」というのは、この「離散的」にしかできない表現をなるべく回避したい、なるべくアナログ的(連続的)に言い表したい、という方向ではないだろうか。


[28]>27 離散値しか基準がない ShinRai

そういう考えもありますね。

でも、すでに自分の中に確立している離散値しか基準にないから、それに似ている、それと違うという表現になるのでは。

似てもおらず、違ってもいない、完全に新しいものに対しては言葉を失う。

現代芸術作品と向き合うときの態度なんかそうじゃないでしょうか。


[29]>28 自分の中に確立している離散値 って何でしょう? hiko3karasu

また、言葉の意味がわからなくなってきたので質問。

「自分の中に確立している離散値」 って何でしょう?

何と離散しているんですか?何かトビトビだったり、何かと差があるんですよね?

りんご の例でいってみましょうか。

りんごがあります。

視覚からりんごの映像が脳に届きます。

脳内で基準の「離散値」と比較します。

りんごだとわかります。

さて、この離散値とは具体的になんでしょう?

どうもsibazyunさんやShinRaiさんの脳内辞書は私のとかけ離れているような気がします。


[30]>29 それは「概念」とも呼べるかもしれませんね ShinRai

「りんご」という概念(記号+意味のセット)しか持っていない人と、「つがる」、「ふじ」、「国光」という概念を持っている人で、りんごの離散状況は違います。

何かを見たときに、私たちは、自分の脳内にある「概念」を引っ張りだしてきて、その概念にあてはまるか、同じか、違うかを考えています。

既成概念と無縁に世界を見ることは、むずかしい、それこそ悟りの世界です。


[31]>30 離散状況とは?? hiko3karasu

離散状況とはAさんとBさんの持っているりんごの概念が違うという意味でよろしいでしょうか?AさんとBさんの認識の差ですね。

また、「自分の中に確立している離散値」は「概念」なのですね。

では、離散値というのは他人との違いを表す値であるのですね?

私は自分の中で「りんご」と云うものを判断するために他の「バナナ」と区別する概念が離散値なのかと思っていました。ならば、自分の中に確立しているのではなくて、自分と他人との離散値なのではないでしょうか?


[32]>26 リレーショナル hiko3karasu

外部からの入力に対して、入力を数値化していると膨大なさまざまなパラメータが必要となり比較検証には時間がかかる。瞬時に認識する必要がある場合、時間的に間に合わない。

それよりも、外部刺激から連想される接点を伝っていって全体像を結ぶ。接点はより強い結びつきを伝う。この結びつきは個人の体験により強化され個々人が連想する像はそれぞれ違うだろう。

これが高じればトラウマのように精神的抑圧になるのかもしれない。


[33]>31 概念の離散 ShinRai

人間の言語は、母音と子音によって離散符号である音素(フォニーム)あるいは音節(シラブル)が作られ、これらを組み合わせて記号・符号を作って会話をする。

これらは構音的(発音)にも、音響的(聴音)にも、区別しやすいので、デジタル処理が可能である。


脳内の概念(シニフィアンとシニフィエのセット、記号と意味のセット)の場合に、離散的というのは、音とはまた別の意味で使いました。

人間はあらかじめ頭の中に概念がないと、ものごとを認識できない傾向があり、この概念が実は一人の頭の中で、離散的に存在している。

世界の現象を、自分の意識の上に点在的に概念化していて、それらの概念をもとに、世界を見るから、見落としがおおくなる。

りんごとバナナとみかんしか知らない人は、ドリアンを見ても、それが果物であると想像つかない。

わけのわからないものが、自分に近づいてくる時に、危険だからサッと逃げるのは動物、人間は「あれは何だろう」と考えて体が止まってしまうから、逃げ遅れる。


不十分かもしれませんが、少しは伝わりますでしょうか。


[34]>33 今回は音素の話ではないことは理解しております。 hiko3karasu

人間はあらかじめ頭の中に概念がないと、ものごとを認識できない傾向があり、この概念が実は一人の頭の中で、離散的に存在している。

離散的に表現されたものが概念かと思っておりました。「離散的に存在」というのは離散値が収納されている有様を指していますか?

「離散値は何ですか?」という質問に「概念といえるかもしれません」ということだったので離散値=概念でそれが離散的に存在しているのですか?

電子工学的なデジタルを意味する「離散的」は1.1を1、2.6を2と表現する方法です。中間がなく「離散的」です。

ShinRai さんの云う離散的に存在するというのはどういう状況でしょうか?

また最初の質問にもどります。

離散値はどういうものを想定していますか?何か単位のある数量であらわされるものかと思っていたのですが違いますか?離散値と比較するということなので何か比較するものがあるのかと思うのですが、それは今後の考察が必要だということでしょうか?

質問を列挙しますね。

質問1:離散値=概念でいいですか?

質問2:ShinRai さんの云う「離散的に存在する」というのはどういう状況でしょうか?

質問3:離散値はどういうものを想定していますか?


[35]>34 答えてみました ShinRai

ごめんなさい。たしかに質問を受けると、私の言葉使いがあいまいすぎたと反省します。

質問1:離散値=概念でいいですか?

我々が何か現象や事物を認識できるのは、脳内にあらかじめ概念が用意されている場合である。

概念が用意されていない場合には、その現象や事物をすぐには理解できない。

この概念は、何か法則があるのではなく、生息環境や伝統の中で、あるいは偶然の産物として脳内に作られる。

そういうことを言いたいのです。離散的という言葉は不適切かもしれませんね。

質問2:ShinRai さんの云う「離散的に存在する」というのはどういう状況でしょうか?

概念ができてしまうと、概念にひっかからない現象や事物は見えなくなる。

概念がものごとの理解を邪魔してしまう。

概念のないところの事象は目に入らない、意識に上らない。

離散的というのは、概念のでき方が連続的ではないというつもりです。

質問3:離散値はどういうものを想定していますか?

離散値とは不連続なもの。間に存在するものを意識しなくする、見えなくするもの。


[36]>35 離散 hiko3karasu

概念の話はなんとなくわかるんですよ。照らし合わせるものがあって、認識するそれは個人で微妙に違う。同じものを見ても同じことを感じているとは限らない ってね。

ただ離散的、離散値、離散的に存在 という言葉が伝わりません。

離散的って日常会話で使います?言葉の意味がわかりにくいんですよね。もう少し砕いた言葉、違う言葉で表せないでしょうか?

質問1:離散値=概念でいいですか?

離散的という言葉は不適切かもしれませんね。

離散値は概念 であるという説明の書込みでは離散的という言葉は使われていませんが何の話になっていますか?質問1は簡単です。yesかnoです。文脈から離散値は概念 ではない、つまりnoでいいのかな?

質問2:ShinRai さんの云う「離散的に存在する」というのはどういう状況でしょうか?

a

概念ができてしまうと、概念にひっかからない現象や事物は見えなくなる。

概念がものごとの理解を邪魔してしまう。

概念のないところの事象は目に入らない、意識に上らない。

b

離散的というのは、概念のでき方が連続的ではないというつもりです。

が繋がらないのですが、aは無視しちゃってもいいのでしょうか?

「離散的に存在する」は「概念のでき方が連続的ではなく存在する」

という感じでしょうか?えー、つまり?

「この概念が実は一人の頭の中で、概念のでき方が連続的ではなく存在している。」

・・・・難しいですね。

質問3:離散値はどういうものを想定していますか?

離散値とは不連続なもの。間に存在するものを意識しなくする、見えなくするもの。

その不連続な「もの」の「もの」がなんだか知りたいのです。

「見えなくするもの」であるならば、それが基準になりえるのですか?りんごと判断するための基になるものが離散値ですよね?

あ、離散値=概念 が正しいか正しく無いかにも因るのかな?

もしや根本的に違っちゃっています?


[37]人間の言語は概念を作ることによって成り立っている。その概念は言葉と同様に離散的である ShinRai

hiko3karasuさんの質問にどうお答えすればいいのか、

帰り道、ちょっと違ったアングルで考えてみましたので、

書いてみます。


1 人間の言語は記号言語である。

我々の言語は記号である。記号を送って、受け取って、コミュニケーションが成り立っています。

どうしてそれが成り立つかというと、それぞれの人間の頭の中に、記号と意味の符号変換表(個別脳内辞書、シニフィアンとシニフィエの対照表)があって、みんなそれを瞬間瞬間に参照しながら、話したり、聞いたり、考えているのだと思います。

ここでシニフィアンとシニフィエのセット、記号と意味のセットになったものを、概念と呼びます。

2 概念は言葉がないと存在しえない

そうすると、我々は概念を参照しながら、コミュニケーションをしているのですが、概念というのは、アナログ的な連続するものではなくて、ある特定の記号・符号・シニフィアンに対して、脳内のイメージや体験記憶が結びついて存在しています。

つまり、言葉(記号、符号、シニフィアン)なくして概念なし。

フォニームという離散符号を組み合わせて作った言葉は離散的である。

離散的な言葉と同じように、概念も離散的である。言葉が離散事象であるように、概念も離散事象である。

3 言葉でものを考えるということは、概念を使って考えているということである。

それは、概念から外れたものを、考えに入れることができない。


う???ん、こんな感じのことを考えていました。

通じますか。

ますますわかりませんか。


[38]>37 離散的 の意味を教えてくれれば。 hiko3karasu

最初に1つ。音素は今回考えないのかと思いましたが、出てきますか。

次に

離散的、離散値、離散状況

の意味、または言い換えた言葉を教えて欲しいだけです。もう少し分りやすい表現は無いですか?

ShinRai さんの主張が分らないから説明して欲しいと言っているわけではないのです。

フォニームという離散符号

概念も離散事象である。

と云ったときそれぞれの離散の意味は同じですか?私には違うように見えます。

ShinRai さんの離散は

電子工学のデジタルで使われる、

「ある状態を、離散的な数字などの信号によって表現すること。」

と同じでしょうか?この電子工学のデジタルの意味は理解されていますか?身長172.5cmという量を10cmのモノサシ17個分と表すことです。(1cmのモノサシ172個分でもいいです。)。つまり10cm(または1cmの)のモノサシという単位が必要です。 ここまでOK?

まずはここまで。


[39]>37 概念はデジタル的でしょうかね? australiagc

ShinRaiさん、またお邪魔します。かなりシリーズ化してきましたね?。

まずは今回の議題ですが、

復号化の処理の際に、量子化誤差・符号化誤差・復号化誤差のようなものが生まれるから、言葉によるコミュニケーションには誤解や勘違いが生まれる

これはそのとおりでしょうね。

厳密に言えば、「処理」の過程で生じる「誤り」以前に人間の「ディコーダー」そのものが一つとして同じではないわけですし、同様に標本値に当たる「概念」そのものが全ての人間の間で共通ではないのですからね。

さて、タイトルの概念はデジタル的かという疑問なんですが、Yahoo辞書のJapanKnowledgeから引用するのであれば、

概念:個々に共通な特徴が抽象によって抽出され、それ以外の性質は捨象されて構成される。内包と外延をもち、言語によって表される。

ってなところですよね。仮に言語をデジタルだと定義した上で、概念がこの言語無しで存在し得ないとするならば、概念は言語と言うデジタル要素からインテグレートされた上層のデジタル要素と言う事に、確かになりますね。しかし、概念とは「表す」という行為を行う際に言語と言うデジタル要素に再ディコードされるだけで、概念そのものはアナログ要素として存在しているのはないでしょうか?

つまり、インプット(理解)の際にデジタル(言語)からアナログ(概念)に変換され、これをアウトプット(表現)される際に再度アナログ(概念)からデジタル(言語)に変換されるのではないかという事です。


というのも、上の辞書の定義には「抽象によって抽出され」とあります。解釈にもよりますが、抽象というのは対義語に当たる具象に対してあいまいなものであり、実際に我々の脳の中にある単語一つ一つに付随する概念と言うのは不変の固定値があるものではないのでしょうか?


Aさんの既存概念にある「りんご」と、Bさんの既存概念にある「りんご」は文頭で言ったように違いますし、またお腹が減った時のAさんの「りんご」の概念と、お腹がいっぱいの時のAさんの「りんご」の概念は恐らく違うと思います。言語化を仮にデジタル化と言うのであれば、その概念をデジタル化する際には確かに「りんご」という離散値が当てはめられますが、思考の中にある「りんご」という概念そのものは精神状態や周囲の状況により左右される、非常にアナログ的なものだと思います。


仮に言語に概念を忠実に再現する力があるのであれば、そもそも「誤差」は生じませんからね。

つまり、標本値に当たる概念がアナログである以上は、アナログエラーが生じる為、これが「誤解や勘違い」になる。と、いうのが今回の意見です。


[40]大脳新皮質というタブラロサ(真っ白な板)上での思考・議論には概念が必要である、 その概念とは! ShinRai

議論に参加してくださっている皆様、ありがとうございます。

議論の前提となるである、人間の脳の構造について、今朝ほど思い出したことがありますので、参考までに述べてみたいと思います。

Eugine Marais の"The Mind of the Ape"およびPaul MacLeanの「三つの脳の進化」を読んだうえでの、記述です。

1 大脳新皮質の発達による自然淘汰の超克

我々の脳は、本能の知恵を伝える古い脳と、経験に学び因果関係を推論できる新しい脳の、二つの脳が並行して存在している。

人類、ヒヒやチンパンジーを含む、高位の霊長類は、普段ものを考えるときに大脳新皮質が優位をしめます。古い脳は、眠っていて、新しい脳で考えます。

実は、高位の霊長類以外の動物は、自分の身体を生育環境のニッチ(他の誰も食べない食料)に合わせて特化させることで、生き延びるという手法をとってきました。キリンの首が長いのも、アリクイの口や舌が特別な形をしているのも、そうです。

ところが、自然環境にあまりに特化してしまうと、自然が変わったときに、滅びてしまいます。

そこで、高位の霊長類は、本能の制御を抑制して、大脳新皮質の部分を発達させて、知恵を働かせてなんとか食べていくように変わったというのです。

これは、自然淘汰の法則から自由になるということであり、一面すばらしいことですが、危険なことでもあります。人口爆発が引き起こされるからです。

2 大脳新皮質を使った言語機能

言語の発達も、この大脳新皮質の働きによると考えられます。

(1) 洞窟の中で音楽を楽しんでいて、子音というものが生まれる。

(2) 肺気流を口から出すことと、舌や唇の筋肉の発達により、母音が発声できるようになる。

(3) 母音や子音という音素を獲得したことにより、言語処理のデジタル化が始まる。

(4) 同時に、個々の人間の脳内に、記号と意味(シニフィアンとシニフィエ)の対照表(概念一覧)が作られる。

音素・音節にもとづく記号と、個々人の脳内に構築される概念一覧によって、言語コミュニケーションは成立します。

したがって、新しい概念は、その概念をまず正しく脳内にインストール(インスタンス化)してもらわないと、言語コミュニケーションは成立しない。

白紙のメモリーである大脳新皮質の上で、記号と意味のセットとして存在したときにはじめて「概念」は生まれます。

この意味で、概念は、デジタルといえないでしょうか。

たとえば、「りんご」を知っている人に、「リンパ」の話をしたときに、「リンパ」を知らない人が、なんとか「りんご」から意味を類推しても、正しい意味には到達しえません。あるいは「コンパ」や「シンパ」の延長でもありえません。

たくさん概念を持っている人は、そこで語られている「リンパ」が、琳派のことなのか、リンパ腺のことなのか、ちょっと考えてから文脈から推定することができます。


[41]>38 1離散的とは、2量子化と標本化定理 ShinRai

1 離散的とは

音素や音節が離散的であることについては、異論はないのですよね。

別のツリーで書きましたが、

りんご りんぱ たんご だんご

といった記号の類似性が、意味の類似性に結びつかない性質のことを、意味の離散、概念の離散としてイメージしています。

意味は離散的であり、同様に記号と意味のセットである概念も離散的であるといえないでしょうか。

2 量子化とは

モノサシの単位については、「標本化定理」の考えと似ていると思います。

都市住民の消費者にとっては、りんごは一つの概念にしかすぎず、ふじとか、つがるとか、書いてあっても、それらの情報は捨象して、りんごとしてしか見ていない。

ところが、りんご産地の農家の人は、今月はふじが出荷、来月はつがるが出荷と、ひとつひとつの種類によって、出荷時期や作業が異なるし、当然、味や色も見分けることができる。より細かい概念によってコミュニケーションを行なっている。

都市住民であっても、脱サラしてりんご農家になれば、同じように細かい標本化・量子化を行なってコミュニケーションをするようになるでしょう。


[42]>39 アナログな概念が存在するのかということも考えてみたらどうでしょう ShinRai

概念がデジタルか、アナログか。

面白い検討をありがとうございました。

しっかし、アナログな概念って、存在していますか。

そうだと説得力がありますね。

別の質問で言及しましたが、オノマトペはアナログだと思います。

雨が「しとしと」、「ざーざー」降っている。

この「ざーざー」は、「ざんざん」といってもほぼ同じ意味になります。

しかし、では、オノマトペは概念かというと、どうでしょうか。「記号と意味のセット(外延と内包)」というよりは、「アナログな状況を音素・音節を使って表現したもの」ではないでしょうか。

外延(記号)である言葉と内包(意味)が恣意的に結びつくという言語の原則にもとづけば、そこにアナログな

要素はなく、概念はデジタルになってしまうような気がしますが。


[43]概念を考えることは、人類言語をマシン語レベルで考えることにつながるだろうか ShinRai

・概念とは何か。その外延と内包と呼ばれているものは、記号(シニフィアン)と意味(シニフィエ)と、完全に一致すると考えてよいだろうか。

・人間の大脳新皮質のタブラロサ(白紙状態)な性質上、人間は概念を持たないことには、思考も発言も聴取理解もできない。

しかしながら、概念は白紙の脳の上に点在するデジタルな離散データとして存在しているので、概念の間にあるものを見落とす傾向にある。

あらかじめきちんと対象を理解しつくした概念をもっていないかぎり、概念によって正しくものを見ることができない。

本来、理解を助けるものであるはずの概念が、理解の邪魔をする。現実を隠す。

・いったい、いつ、どこで、どのようにして、概念というものは生まれたのだろうか。

概念を用いるのは人類言語だけだろうか。

概念の問題を正しく理解するためには、人類の脳の進化、言語の起原を考えざるをえないのではなかろうか。

私は、今から7万5千年前の中期旧石器時代に、洞窟の中で、人類は多段階的な進化を遂げて、子音、母音、記号と概念のデジタル処理、脳内辞書を獲得したのではないかと類推する。

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/200822.htm


[44]あらかじめ概念を持っていなければ思考は生まれない ShinRai

人間は概念によって思考を行う、その概念は生得のものではなく後天的に獲得する。

だとすると、生後の成長過程で、どれだけたくさんの概念を獲得したかによって、人間の思考活動の深さや広がりは決定するのかもしれません。

だからこそ、スポーツ新聞やゴシップ週刊誌の見出しには、誰でもわかる言葉しか出てこない。

漢文の素読や詰め込み教育も、概念の種として記号(シニフィアン)だけでも大脳新皮質に植えつけておけば、将来、その概念を必要とするときに、より容易に概念を学んで、獲得しやすいからというようにも考えられますね。

これも概念のデジタルな性格によるといえないでしょうか。


禅で、「随所に主となれ」といいますが、どのような問題も自分自身の問題として、主体的に理解しようとしないと、理解はできない。

「地球環境問題」のように、言葉だけが独り歩きしていて、なかなかその実態を理解しにくい言葉もあります。ジャン・ボードリヤールは、「意味するものの同語反復」という言い方をしました。言葉だけ繰り返してわかったような気分になることだと思います。

正しく現実世界を理解して、言葉と意味のきちんとした対照として概念を獲得することが、世界理解において極めて重要であるということにはならないでしょうか。


[45]>41 音素の話に戻っちゃうの? hiko3karasu

1 離散的とは とは??

音素や音節が離散的であることについては、異論はないのですよね。

あります。異議あり!!

意味が分りません。

私の質問を読んでいただいておりますでしょうか?

「離散的」の意味を教えてください。

箇条書きにしないと分らなかった?

私は「ShinRai さんの云う離散的」の意味が分らないと言っているのになんで離散的であるかどうかの議論ができると思うのかな?

2 量子化とは とは?

量子化まで話を広げなくてもよかったんですが。。。

「標本化定理」の考えと似ていると思います。

また「たとえ」ですか?似ているだけで同じじゃないということですね?・・・同じなんですけどね、私たちの言葉では。その後のShinRai さんの認識とは違います。そういう意味では「たとえ」でしかないですね。

ふじ、つがる はりんごを構成する概念というよりは、りんごに関係はありますが新たな概念でしょう。りんごのサンプリング単位にはなりませんよ。「34ふじ」や「127つがる」でりんごが表せるわけではありません。

質問4:ShinRai さんの云う離散、離散化、離散状態、離散符号、離散値の意味をそれぞれ「離散」という言葉を使わずに説明してください。意味を教えてください。

質問5:電子工学のデジタルの意味は理解されていますか?yes/no

質問6:ShinRai さんの云う「離散的」は電子工学的デジタル処理で使われる「離散的」と同じである。yes/no


[46]>44 地球環境問題のたとえ ShinRai

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L0/200512.htm

三鷹天命反転住宅 再訪記 その10

4月23日 06:00

お互いに早起きして、シャワーを浴びると、他にやることがない。天井から吊り下がっている紐につかまって、体のストレッチをしながら、四方山話をする。

長谷部君は、塾で子供たちに地球環境問題を教えることもあるという。

「得丸さんは、2002年のヨハネスブルグ・サミットに行かれたのでしたね。どうでした」

・人間は地球環境問題の意味をわかりえない

「そうだね。まず、言語学的にいって、言葉の意味というのは、記号が体験と結びついてはじめて生まれるものだ。シニフィアン(記号)とシニフィエ(意味)が結びついて概念になるのだが、このシニフィエは個々の人間の体験がなければ存在しないんだ。

たとえば、「クスクス」という料理を食べたことのない人の場合、クスクスは笑い声以上の意味を持たない。それが食べ物だと説明されても、想像することすらできない。

あるいは、「ラーメン」という記号に対して、とんこつラーメンしか知らない人もいれば、醤油ラーメンしか知らない人もいれば、はたまた即席ラーメンしか知らない人もいる。それはこれまでどんなラーメンを食べてきたかによって、意味が作られているということだ。

この意味論にもとづくと、人間は地球環境問題の意味を理解することはできない。人間と地球ではあまりに規模が違いすぎるから、人間は地球で起こっている環境問題の現象を全地球的に把握することは不可能なのだ。

(付記:それに、地球規模の環境問題は、21世紀になって、人類が始めて直面する前代未聞の事象だから、いまだかつて誰も経験したことがないのだから概念として成立したためしのない言葉だ。)

人間の胴回りを80cmとしよう。地球の胴回り、すなわち赤道の長さは4万キロだ。(メートル法は赤道を4万キロとすることを基準としている。)さて、地球と人間で胴回りは何桁違うでしょう。」

4万キロは4千万mだから、それを4分の5倍すると、赤道の長さは人間の胴の5000万倍ということになる。これは7桁(1000万倍)と8桁(1億倍)の間だよね。常用対数を取ると、5は0.7だから、7.7桁違うということができる。音響や電波の世界で使うデシベルというのは、常用対数をとって10倍するので、77デシベル(dB)だ。

一方、地球が誕生してから45億年といわれている。人間の寿命は80年。これも5000万倍の差、つまり7.7桁、77デシベルの違いだ。7桁も8桁も大きさの違うものの上で起きていることを体験することなんて、できっこない。

つまり、人間は地球環境問題という記号を口にするけれども、その本当の意味を理解することはないということになる。

・意味するものの同語反復

ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」という本の中で、消費社会が進んでくると、人々は言葉を記号としてしか認識できなくなり、言葉のもつ意味を考えなくなると書いてある。「意味するものの同語反復」と呼ばれる現象である。

環境問題のように、個人が意味を体験できない言葉の場合も、この現象が起こりやすい。

2002年のヨハネスブルグ・サミットは、「持続可能な開発のための地球サミット」という名称だった。WSSDだ。ところがこの会議では、サステナブル・デベロップメントの意味を誰も問わなかった。政府代表も、NGOも。誰も環境問題が何であるかを知らず、持続可能な開発がどのような意味を持つかも気にすることなく、まるで念仏かお題目のように持続可能な「開発」をやろうといっていた。本音は、いつかベンツに乗りたい、という程度だったのだ。

僕は、持続可能な開発が「意味するものの同語反復」になっているということを、環境省や環境NGOが参加しているメーリングリストで訴えたけれど、誰一人反応しなかったよ。


[47]>45 離散とは、不連続 ShinRai

すみませんでした。

1 離散的とは、不連続である。

アナログのように連続していない。

音素でいうと、「あーいーうーえーお」の5つの母音以外には母音はない。これらの母音の間に母音は存在しない。中間値もない。

概念としても、「りんご」と「りんぱ」の間に、つながりはない。不連続が離散ではないでしょうか。



>ふじ、つがる はりんごを構成する概念というよりは、りんごに関係はありますが新たな概念でしょう。りんごのサンプリング単位にはなりませんよ。「34ふじ」や「127つがる」でりんごが表せるわけではありません。

でも、ふじやつがるで表現したものを「りんご」と呼ぶ人がいることは間違いないでしょう。

質問4:ShinRai さんの云う離散、離散化、離散状態、離散符号、離散値の意味をそれぞれ「離散」という言葉を使わずに説明してください。意味を教えてください。

離散とは不連続。中間に何もない。distinct や discreteに存在しているということです。


質問5:電子工学のデジタルの意味は理解されていますか?

yes



質問6:ShinRai さんの云う「離散的」は電子工学的デジタル処理で使われる「離散的」と同じである。

yes


[48]>39 概念について Gay_Yahng

>これはそのとおりでしょうね。

私はこの前提の「復号化の処理」に疑問があります。

>またお腹が減った時のAさんの「りんご」の概念と、お腹がいっぱいの時のAさんの「りんご」の概念は恐らく違うと思います。

これは少し違うのではないでしょうか?

概念は日々変化するのはありえると思いますが、この場合はりんごの概念があって

りんごがテーブルの上にあると言う情報、お腹が減ったと言う情報のインプットがあるので、そのとき取り出すアウトプット「うまそうなりんご」が出てくるのでは?


[49]音素・音節がデジタルだから、概念もデジタルになり、世界を正しく理解できない ShinRai

こういうことはいえますでしょうか:

人類の言語は、音素・音節という離散符号を使いますから、デジタルであり、そのためにそれらの符号に対応する意味もデジタルに離散的に脳内辞書に登録していくことになった。

だから、人類は、言葉を使って理解しようとするかぎり、世界をあるがままには捉えることができない。デジタル的に量子化しているので、誤りが多い。


[50]>37 概念が先だと思います。 Gay_Yahng

>2 概念は言葉がないと存在しえない

これは違うのではないでしょうか。

概念が先でしょう。

特に人間の感情は先に感情があって、言葉が名づけられませんか?

自分の感情なのでどういうものかは分る。概念を形成。それに名前がつく。では?

男の子は「恋」という言葉を知っているドラマでやっているし漫画にも描いてあった。

男の子が女の子をみて何かもやもやした感情を覚える。女の子にちょっかい出してみたり、触ってみたくなったりする。

この気持ちはなんだろうな?と考える。

他人の指摘なり自分で結びつけるなりして、「恋」であると認識する。

また、たとえば、猫は明確な意味での言葉を持っていません。でも概念はあると思いませんか?「さんま」と言う言葉を使わなくても猫の目の前にさんまがあれば「食べるもの」「うまそう」と考えているのでは?

これらの事については、どうお考えでしょう?


[51]>48 ものすごぉくファジーで、時間や場所や状況に応じて結び付け方や働き方の違う、リレーショナル・データベース ShinRai

>またお腹が減った時のAさんの「りんご」の概念と、お腹がいっぱいの時のAさんの「りんご」の概念は恐らく違うと思います。

私もaustraliagcさんと似たような考えです。

「りんご」という記号(シニフィアン)から思い浮かぶ意味は、同じ人間であっても、時と所、体調や気分、あるいは運や啓示によって、違ってくる。それくらい概念における外延(シニフィアン)と内包(シニフィエ)の結びつきは恣意的なのじゃないかと思うのです。

りんごと聞いて、ワシントン大統領の逸話や、あるいはニュートンの発見を想起する場合だってあるでしょう。あるいは、iPODやiPHONEのアップル社を思い出す人がいてもおかしくない。さらに、ビートルズのリンゴ・スターを思い出す人がいてもいい。

我々の脳内においては、「りんご」ひとつとっても、実にさまざまな体験や記憶が入力されていて、それが何かのきっかけで思い出されてくるのではないかと思います。


[52]>47 これはびっくり hiko3karasu

質問4-6の回答が矛盾しないとは思わなかった。

音素のことは確立された事実ではないので説明に使えませんよ。

離散=不連続 了解です。

しかし、実際にどんなことをするのかはよく分らないです。

特に

離散状態、離散値

については?

りんごの不連続状況

→どんな状況でしょう?不連続であることに違いがあるのですか?

自分の中に確立している不連続値

→どんな値でしょう?

前の発言から意味が変わっているならば教えてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%A...

デジタルとはアナログに対応する理論で、工業的には状態を示す量を数値化して処理(取得、蓄積、加工、伝送など)を行う方式のことである。

ということで、

データの数値化にあたっては量子化を行い、整数値(すなわちdigit)で表現する。このため、データ量を離散的な値として表現することになり小さい量に対しては誤差を持つ。

ですので、音素のデジタル処理を検証しましょう。

音素という量を整数値化しましょう。

私には音素を量で表す方法が分らないのですがどういう「量」を考えればいいですか?量を考えるには単位も必要ですよね?kgでもcmでも個でもいいですが何が単位になりますか?


[53]>52 離散と数値化は別の事象では? ShinRai

hiko3karasuさん、

離散と数値化は別の事象ではないでしょうか。

体重を量ったり、歌をCDに録音するときには、標本化して数値化します。

しかし、「あーいーうーえーお」が離散しているというときに、それが数字になるのかというと、もちろんコンピュータ処理上は数字にして処理するでしょうが、数値化するしないにかかわらず、これらの母音は離散しているといえませんか。

果物といえば、「りんご」と「バナナ」しか概念を持たない人が、洋ナシを見たときに、「これは形はリンゴに似ているが、味はどちらかというとバナナだ」と表現するのではないでしょうか。あるいは「形も味も、リンゴでもなければ、バナナでもない」と。

これも概念が離散していることのあらわれだと思います。

数値化にこだわる必要はないと思いますよ。いかがですか。


[54]>50 概念の定義を「言葉と意味のセット」(シニフィアンとシニフィエのセット、外延と内包)とした場合 ShinRai

私の定義では、概念は「言葉と意味のセット」ですから、はじめに概念があるというのは、定義から外れてしまいます。

餌があるとか、うまそうな魚がいるとか、そういうのは、概念以前と呼びます。(私の定義では)

恋愛感情は、言葉以前のものです。おっしゃるとおりです。

それを恋と呼ぼうと呼ぶまいと。

だけど恋愛感情そのものを指して概念とは呼びません。(私の定義では)


あなたのお話の中で、恋心とか、猫が秋刀魚を見たときの感情というのは、対象へのまっすぐな関係性とでも呼ぶべきものじゃないですか。概念にする必要ないものだと思います。それを概念と呼ぶことは適当じゃないと思います。


[55]>53 なぜこだわらない?? hiko3karasu

まあ、この辺が噛み合わない大元なのでしょうね。

離散と数値化は別の事象ではないでしょうか。

そうなんですか?

質問6:ShinRai さんの云う「離散的」は電子工学的デジタル処理で使われる「離散的」と同じである。

yes

電子工学的デジタル処理で使われる「離散的」は量を表すための不連続な値である。

量子化と別の意味である「音素に分離すること」

に「離散」=「不連続」と云う言葉を使い、工学的な量子化を行わないのならば、ShinRai さんが云う「離散」は工学的なデジタル処理とは無関係な「離散」の意味で使用されている。

よって、言語は電子工学的デジタルでない。

デジタルの意味をもっと広義の「区別する」と言う意味でのデジタルならまだ可能性はあるのではないでしょうか。

言語は音素と言う不連続な値(離散値:デジタル)で構成されている。

ならばいいのでは?

類似性はあるかもしれませんが似ているだけです。


[56]>47 質問6はさすがに強引過ぎ・・・(笑) australiagc

これはちょっと飛躍しすぎですね。

電子工学におけるデジタルは、離散的うんぬん以前に二進法が大前提です。電子回路におけるデジタル信号には、電圧が高いか低いかの2つの状態しかないからです。

いくら人間の脳の構造が解明されていないからといって、「脳細胞や脳波が二進法で動作している」というのはさすがに無理があります。この証明は簡単です。もしシナプス間の信号をデジタル信号、シナプスを電子回路、脳細胞を半導体と同等の物だと言うのであれば、世の中のゲームオタクが使っているハイスペックのコンピュータは既に僕らの脳よりも優秀であり、言語を操り思考を行っていると言う事になってしまいますので。


http://ja.wikipedia.org/wiki/デジタル回路


[57]>42 アナログな概念は存在しますよ australiagc

思想や感情を表す単語に付随する概念/意味に特定の離散値はないでしょう。

Gay_Yahngさんの「恋」の例に同じくです。

他に挙げるのであれば、「宗教思想」、「政治思想」、「芸術思想」、「わびさび」などですね。


[58]>55 上にも書きましたが、少なくとも電子工学的ではないですよね。 australiagc

電子工学においては、数値化できない時点でアナログですからね。


[59]>56 デジタル回路の話はしていないのだが。 hiko3karasu

電子工学におけるデジタルは、離散的うんぬん以前に二進法が大前提です。

違います。今の主流のデジタル回路が二進法で考えるほうが扱いやすいだけです。別に電圧0V、+3V、-3Vの3つの状態でロジック回路を組んでも問題ありません。

私の言葉の使い方が悪かったのかな?電子工学っていうとノイマン型コンピュータを思い浮かべちゃう?

アナログからデジタルへの変換と言うのは

アナログの量を離散的(=不連続)な数字で表すことです。

身長172.5cmという量を10cmのモノサシ17個分と表すことです。2進数がいいならそれでもいいですよ、モノサシ10001(2進数表記)個分です。

どこぞの土地の広さを後楽園球場50個分と表現するようなものです。どこぞの海水の量をビッグエッグ10杯分と表現するようなものです。


[60]>58 それは「恋」? hiko3karasu

数値化するロジックを思いつかないなら、電子工学に持ってくるな??

と言ったところでしょうか。


[61]>59 ああ、それもそうでしたね? australiagc

ああ、そんな回路もありましたね!

まあいずれにしろ脳細胞はx進法で動いてるわけじゃないので、いずれにしろ無理がありますよね?。


[62]>60 できたら便利なのに・・・ australiagc

電子工学に持ち込める=情報工学にも持ち込めるはず!

・・・マイクで喋った内容が勝手にプログラムに変換されたら楽なのに。あ、でもIT系のエンジニアは失業しちゃいますね。


[63]>61 脳の動き方はどうでもいいのかもねぇ? hiko3karasu

脳細胞はx進法で動いてるわけじゃないので、

私もそう思うんですけどねぇ。見たこと無いけど。

コンピュータ的な参照、比較は総当りで参照しないといけないから時間かかると思うけどな。

今まで動物的に動いていた人間が言語を導入してコンピュータ的な処理を始めたんなら脳の大改造が必要だと思うんだよね。OSの入れ替えどころかメイン基板の入れ替えでしょう。方式がまったく違う基板ね。

方式が違うんだから徐々に変化はできない。だれが入れ替えたのかな?神様?


[64]>49 世界を正しく理解できるのは神様だけでは? australiagc

もし仮にその言語化という擬似デジタル行為が世界を誤って理解する原因であるという理屈が成り立つのなら、対偶にあたる世界を正しく理解するイコール言語化を行わないと言う事ですよね・・・。

だとすると、動物や昆虫、人間なら右脳を活発に利用している音楽家や芸術家の方が、人間の科学者や政治化より世界の本質を理解するに近いところに居るって事になっちゃいますよね?そもそも世界を「正しく」理解するってどういう事なのでしょう?やっぱ宗教!?


と、いうのは置いておいて。世界を「正しく理解」するという概念はあまりに抽象的過ぎて分かりませんが、「知る」もしくは「経験する」という意味合いでは、純粋に身体能力やサイズの問題じゃないでしょうか?

例えば、極小を知るには人間の神経細胞は大きすぎる。極大を知るには人間の身体は小さすぎる。ってなカンジで。また、音も光も熱も圧力も、人体が感知できる範囲には限界がありますし。電波なんかは感じることすら出来ませんしね。


何より、本当の意味で「理解」するには物理的に「主観」に立たなくては無理なのではないでしょうか?例えば、死を知るには実際に死んで見るしか方法は無い。木がどんなものか知るには実際に自分も木になってみなくてはならない。更に言うなれば、木になるだけじゃなくて、木を構成する極小の元素のひとつひとつ、または木が存在する極大の世界そのものに。


やっぱ、神様しか居ないですよ。


[65]>57 ところで、 hiko3karasu

概念にアナログ/デジタルというのはどういうものを云うのでしょうか?どうもイメージできないです。

連続な概念/不連続な概念 ?

概念と言うのは抽象的、普遍的な共通認識のようなものかと思うのですがそれが連続したりしなかったりするというのはどういう状況なのでしょう?


[66]>65 横軸よりも縦軸の連続性ですかね australiagc

概念に無理やりアナログかデジタルを、結局は押し付けてしまっているわけですが。

時間などの横軸に対する連続性ではなくて、仮に概念を表現する何かしらの「値」があった場合、この「値」を表現する縦軸にはある離散的な「値」の集合体があるのか、それとも離散値では無い連続的なスケールなのかという意味合いで解釈しています。


もっとも、やっぱり概念を数値化する事ができないんで、イメージできないのは無理も無いでしょう、もともと表現できないものなわけですから・・・。果たして我々の脳みそはどうなってるんでしょうかねー?


[67]>43 ぜんぜん意味がとおりません sibazyun

わたしは、マシン語に近いアセンブラでソフトを組んでいた経験があり、マシン語の読み方も心得ています。そのわたしは「人類言語」(日本語、中国語、英語などのことですね)をマシン語で考えるということはぜんぜん理解できません。


[68]>51 恣意的なんですか。 Gay_Yahng

シニフィアンとシニフィエを1対1で結びつけるのが個別脳内辞書でありまとめて概念ではなかったのですか?デジタル処理的に「りんご」に「意味」が結びつくのではなかったのでしょうか?コンピュータ的処理なら「りんご」についての意味は決まった出力ですよね?なぜ恣意的になっちゃうのでしょう?

リレーショナルデータベースならニューラルネットコンピュータの方が得意なのでは?


[69]>> 脳細胞はx進法で動いてるわけじゃない、といわれますが、、、 ShinRai

電子工学のデジタル処理とは、たしかに全部同じとはいえません。しかし、ひずんだ記号であっても離散値に合わせて受け取って処理するところなどは同じ部分もあるかとは思います。すみません、この議論については、ちょっと脇におかせてください。

言語を扱う脳生理がデジタル処理かどうかについて、たしかに数値化されていないとは思うのですが、50音表に基づいた処理しかしていないとしたら、そして、あらかじめ自分の脳内辞書に入力された概念(=記号と意味がマッチングしたもの)に基づいて判断しているとしたら、それはデジタル処理ではないでしょうか。x進法のxは、音節あるいは音素の数が入るのではないでしょうか。

顔も見えない、声も聞こえない、インターネット上の議論においては特にそうだと思うのですが、いかがですか。


[70]>69 これこそまさに、無理にデジタル化するから誤差が大きくなる例では? australiagc

面と向かっての会話では、身振り手振りや、手書きの図を書いてみたり、または感情に左右されて声のトーンや音量、口調が変わったり、顔色が変わったりとアナログな情報が行きかいます。

「文字だけを使ったコミュニケーション」(オンライン上のデジタルコミュニケーション)と、文字を書いたり打ったりする事を一切禁止した身振り手振りと言葉だけのコミュニケーションを比較した場合、後者がまず間違えなく勝ります。

これは、本来アナログで表現されているものを無理やりデジタルに置き換えた結果、誤差が大きくなる事によるものではないでしょうか?

というのも、コンピュータ的なデジタル処理に近付く事で人間のコミュニケーション力が上昇したというのであれば、文字を読めない人間は明らかにコミュニケーション能力が劣っているという事になってしまいます。確かに文字を読める事で情報源が膨れ上がりますが、お互いに同程度の知識しかない話題について文字を読める人と読めない人が議論した場合、後者が常に負けるとは思えません。


[71]>70 非言語コミュニケーションが、デジタル誤差を補完する ShinRai

おっしゃるとおりだと思います。

言外の表情や口調で、メッセージは伝わりますね。

人間は、言語の限界を、非言語コミュニケーションで補っているというふうに考えられますね。

「ことばの意味付け論」という本がありましたが、言葉の内容よりも、非言語のほうが重要であるということが書かれたいました。

ただ、言語コミュニケーションのもつ、情報量の多さ、効率性などがあるから、デジタルコミュニケーションは廃れないということになるのでしょうかね。


[72]>71 個人的にはその通りだと思いますね australiagc

言語が同じ民族間の誤差を埋めたのであれば、コンピュータ言語は民族間に一つの論理的に処理できる統一性をもたらしたと言えるかも知れませんね。国際化社会における必然ですかね。インターネットはどの国でも回線があれば繋がるから。

非言語コミュニケーションは確かに多くを補うかも知れませんが、文化的バックグランドが違うと逆にバグを増やすだけの場合もありますしね。やっぱりデジタルコミュニケーションは偉大だ。


[73]>72 あのー Gay_Yahng

言語が同じ民族間の誤差を埋めたのであれば、コンピュータ言語は民族間に一つの論理的に処理できる統一性をもたらしたと言えるかも知れませんね。

コンピュータ言語は民族間に統一性をもたらす?

??????????????

わかりません。

日本人の何人がコンピュータ言語を理解していると言うのでしょう?

アメリカ人の何%が理解しています?

コンピュータ言語は言語と名前がついていますが、コミュニケーションの言語ではなく、人間がコンピュータに言うことを聞かせる為のプログラム言語です。

コンピュータ言語をコンピュータ技術一般を比喩的に表すのに使っていたとしてもなんか、おかしいです。

顔も見えない、声も聞こえない、インターネット上の議論においては特にそうだと思うのですが、いかがですか。

何を受けて「特にそうだと思う」のか抜けているような気がするのですが、ここの議論で混乱があるとすれば、意味を取り違えて使う、または比喩的に使っているのに比喩的じゃない表現をしてしまうからです。

ShinRaiさんはデジタルにそんなにこだわる必要があるのでしょうか?もう工学的なデジタル処理ではないのは判ったのだからデジタル処理であると言い張る必要はないのでは?

australiagcさんもShinRaiさんも自分の中の言葉のイメージだけで既存の言葉と違う意味でつかって話を進めちゃうんですね。


[74]>69 x進法で動いているかもよ? Gay_Yahng

電子工学のデジタル処理とは、たしかに全部同じとはいえません。しかし、ひずんだ記号であっても離散値に合わせて受け取って処理するところなどは同じ部分もあるかとは思います。すみません、この議論については、ちょっと脇におかせてください。

離散値の意味が違っているので同じ部分はないでしょう。・・・って脇に置いちゃうのか。

音素の話に戻りますか。

じゃあ、前のときに聞かなかった疑問を。(前の議論を理解していないだけだったらごめんね。)

人A→声→人B耳→人B脳音を認識→人B脳内辞書検索→人B辞書比較→人B意味抽出

という流れの中でどこが音を音素50音に分けるのでしょう?そしてデジタル処理をするのでしょう?

えーつまり、声を出すときに50音にするんでしたっけ?耳で聞くとき?もっと先?

質問7:どこで音を音素50音に分けるのでしょう?

質問8:デジタル処理をするのはどこでしょう?

それはデジタル処理ではないでしょうか。x進法のxは、音節あるいは音素の数が入るのではないでしょうか。

ここでのデジタル処理はどういう処理ですか?音素に分離することは電子工学的なアナログ→デジタル(量子化)とは違うことがわかりましたので、コンピュータ的デジタル処理じゃないですよね。

質問9:どんな処理ですか?

またこれからは、電子工学的「デジタル」と区別するために「音素の離散」を「デジタル」と呼ぶのをやめましょう。別の言葉を定義しないと。「音素の分離化」とかどうでしょう?「ShinRaiデジタル」とか。

でなければ、逆に

この議論で使われる「デジタル」は電子工学的な量子化、デジタルではありません。

と宣言するとか。


[75]>73 ああ、そういう意味じゃありません。 australiagc

世界中どこでも使えるって事ですよ?。

例えば、日本で販売されてるマックを、アメリカに持って行っても使えるでしょ?同様に、アメリカ製のDELコンピュータを日本のISPで契約してもインターネット繋がるじゃないですか。

Cocoa言語やC言語、Intelチップが処理する2進法はアメリカでも日本でも違わないですから?。

でも、日本の教科書や小説を持ってアメリカに行っても、日本語が分からないアメリカ人にはさっぱりでしょ?そういう意味です、僕が言ったのは。


概念とは全く関係の無いお話です。


[76]>32 広大な情報空間に浮かぶ結節点から発信される情報 miharaseihyou

まるでピンポン玉のように発信された複数の情報が次第に衰えながら結節点を目指す。

絶えず無数の情報群を内包する空間。

結節点に命中した情報は一定時間の後に変換されて新しい情報となって空間に再投射されることもあれば、その場で減衰していくこともある。

もちろん多くの情報の塊に分割されて増幅された後に再投射される場合もある。

多次元空間に伸びるブランチと不規則に出現消滅する結節点。

順位付けされた情報が複雑に交差する。

そして、ブランチですら次第に減衰していく。

生命の力で駆動されるそれらは、生命群のようにも見える。


[77]>74 まねされちゃった。 hiko3karasu

じゃあ追加で

x進法は5進法になっちゃうんですか?音素と音節は同じ次元に並べちゃっていいんですか?それとも50進法?

離散的数字は1,2,3,4,5・・・・という量1ずつあがっていきますが50個の音はどういう量の違いなのでしょう?

質問10:50音表のそれぞれの要素はどういう関係がありますか?


[78]>75 正確に言うと使えない機能もありますけど法的には。それは置いといて。 Gay_Yahng

だって、民族間に一つの論理的に処理できる統一性を提供したんですよね?情報機器間に統一性を提供したって事じゃないですよね?

日本の一太郎や筆まめを持ってアメリカに行っても、日本語が分からないアメリカ人にはさっぱり。

コミュニケーションのレベルではコンピュータ言語の出る幕じゃないと思うけど。


[79]>77 ふふふ Gay_Yahng


[80]>79 音素≠50音 sibazyun

この議論の本質には関係しないと思いますが、言語学の立場から念のため。

日本語の音素は、(厳密にはちがうが、わかりやすくいうと)a,i,u,e,o の母音と、k,g,s,z,t,d,h,b,p,n,y,r,w などの子音です。「五十音」、

すなわち「カ(ka)」などは、その複合です。


[81]>78 そのとおりですよ。 australiagc

論理→ロジック。ALUのLの字の事でした?。

つまり情報機器に統一性を提供したって事ですよ。

そして、情報機器の統一性が民族間の統一性に貢献するって事です。

言い換えれば、数式同様、AND、NOT、OR、XORはどの国でも同じですし。

日本の一太郎や筆まめを持ってアメリカに行っても、日本語が分からないアメリカ人にはさっぱり。

一太郎や筆まめのUIに表示されるのは、「コンピュータ言語」じゃなくて「日本語」ですから話の論点が全く違いますよ?(笑)コンピュータは日本語読めないし。教科書の例を出しちゃったからまずかったですね。ごめんなさい、混乱させちゃって。


「言語」って言葉を使うから悪いんですね。このいわしでこんな話を続けて良いのか分からないんですが・・・そもそも言語や脳やデジタルの話じゃなくて全然脱線しちゃってるんですよけど話続けちゃいますか?(笑)ShinRaiさんに悪いような・・・ようは、「コンピュータやインターネットが出来て、世界中どこも便利になったよね♪」ってだけの話です。


コンピュータ言語もしかりですが、国際単位系でも良いんですよ。国際規格になりうる要素があるか否か。そして実際にどれだけ海を越えたコミュニケーションに貢献しているか。言いたいのはここなんです。

かといって、別にプログラミング言語やメートル法を使って直接外人とコミュニケーションが取れるなんてのは言ってませんよ??だって日本語発音で「メートル」って言ってもアメリカ人には通じないし(笑)

例えば、日本や中国で使われていた「尺」という単位と「メートル」を比較すると、その由来を考えればメートル法がいかに民族間の統一規格になりうる要素が高いか分かりますよね。(まあ、マイルに拘るへそ曲がりもいますが!)


「『一つ』の論理的に処理できる統一性」というのは、それ『一つ』がコミュニケーションの全てになりうるというわけではなく、コミュニケーション全体の『一つ』の項目を補う事が出来るって意味ですよ。


[82]>81 じゃあ、これはここまでにしますか。 Gay_Yahng

情報機器の統一性が民族間の統一性に貢献するって事です。

民族間の統一に貢献しているとは思えないです。

一太郎や筆まめのUIに表示されるのは、「コンピュータ言語」じゃなくて「日本語」ですから話の論点が全く違いますよ?(笑)

論点の違う「言語コミュニケーション」と「情報機器の言語」、を言語という言葉で比較しているのを、

むしろ戻している思うのだけど。

コンピュータは日本語読めないし。教科書の例を出しちゃったからまずかったですね。ごめんなさい、混乱させちゃって。

次元のちがう話を比較対象におくと混乱すると思います。

ハードウェアで言えば、紙に文字を書いて綴じるという「本」というハードウェアの仕様は統一されているが、それで民族間のコミュニケーションに直接寄与するわけではない。コミュニケーションに寄与するのはその本(ハードウェア)に乗っている言語(ソフトウェア)が担うのでは?

「言語」って言葉を使うから悪いんですね。このいわしでこんな話を続けて良いのか分からないんですが・・・そもそも言語や脳やデジタルの話じゃなくて全然脱線しちゃってるんですよけど話続けちゃいますか?(笑)

ただでさえ、言葉の意味があいまいなここの議論でわかりにくい比喩を使うのか、、、

まあ、じゃあこれ以上はやめましょうか。


[83]>82 もうしわけございませんでした?。 australiagc

元々、Gay_Yahngさんのコメントの前の「デジタルって世界中どこでも便利な技術ですよね?」ってレベルで終了しちゃったつもりだったんですよ、このツリー(笑)

これはALL-OR-NOTHINGの話じゃなくてSOMEの話でして。国際単位系やISO規格って、それだけじゃコミュニケーションできないけど、コミュニケーションの一端を担うのに便利な基準じゃないですか?便利じゃなかったらはじめから国際規格なんて作らないし。デジタル技術が発達してこういうのが楽になりましたよね、確かに?。ってな程度な話だったんですよ。


脱線話で血圧上げちゃって申し訳ありませんでした。本題の方に戻ってくださって結構ですので?。おつかれさまです。


[84]>80 組合せが必要だとx進法というわけにはいかないでしょうが。 hiko3karasu

組み合わせる事で1つの音を表すならば、普通の数字をあらわすx進法にはならないと思いますね。

ただ、分けられた要素として「区別された値」と言う意味でのデジタル的な扱いはできるかもしれませんね。sibazyunさんの例では18個の要素とその組合せで表す処理装置はありえるかもしれません。

でも、リンゴと聞いてR、I、N、G、Oと脳内で変換するのは面倒なような?

ところで、「ン」ってNでいいのでしょうか?


[85]>76 または海を伝う波紋 hiko3karasu

入力情報に喚起された刺激は複数の波に起こす。ニューラルネットの複雑に入り組んだ網目の海に情報の刺激は波紋を伝える。無数のポイントを通過し減衰し、増幅する波は次々と接点を刺激していく。やがて波紋によって結ぶ像をすくい取る。


[86]>80 ギャキュキョ、ピャピュピョの扱いは? ShinRai

ありがとうございます。

日本語の音節の種類は、いくつというのが正しいのでしょうか。


[87]話し言葉をそのまま書き言葉にできるということは ShinRai

話し言葉がそのまま書き言葉になるということは、我々の話している言葉は、記号であり、デジタルであるということにならないでしょうか。

でも、書き言葉になると、口調やスピードや顔色が見えなくなるから、誤解が多く生まれやすくなるでしょうね。


[88]>87 またデジタルとは何かになっちゃいますね。 hiko3karasu

記号化されていると思いますが、

デジタル=区別化されているかというと???

書き言葉は口調やスピードや顔色を排除して記号化するのに成功したと考えられますね。


[89]>69 言語としての音素は多くの刺激の中で比較的注目される要素にすぎない。 miharaseihyou

人間は五感だけでなく全身を使って情報を受け取っています。

言語中枢は比較的重要な領域の一つではありますが、全てではありません。

むしろ他の刺激に従属するのではないか?と感じる事もあります。


[90]>86 学者によって説が異なりますが、 sibazyun

わかりやすいものでいえば、私のあげたのに、

「ちいさい<ゃゅょ>を表すj(発音記号で、yの音)、

「ちいさい<っ>」を表すQを加えたものです。


[91]>62 ある部分は sidewalk01

説明可能であっても、異なるシステムで走ってるところがあってもいいんでないでしょうか?


[92]>23 メタファーに振り回される sidewalk01

事象の理解を助けるはずのメタファーに振り回されるというのは良い表現と思いました。


[93]>63 メタファでシステム理解 sidewalk01

をするということも大切かと思います。


[94]>68 コンピュータと人との違い sidewalk01

が関連しているのではないでしょうか?種を残していく、生存を目指すといった生物としての特性が、恣意性を深めるのではないでしょうか?


[95]>83 準備性は同じだけれど sidewalk01

取り込む素材が歴史の中で変わっちゃってるから文化圏によって疎通性がさがるのだとおもいます。


[96]>64 言語の機能から言えば sidewalk01

同一集団内での相互作用を可能にするという側面さえあればよいでしょう。

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