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人類の言語は、環境や経験を共有する親密な集団の内部で、共通の個別脳内辞書(概念セット)を持つもの同士が意思疎通するためのものとして発達した、きわめて伝送効率がよいが、個々人の意識内部で言葉と意味を変換するにあたって誤りや誤差がうまれやすいきわめて不安定なものである。
したがって、コミュニケーションがうまく成立するためには、集団内部で信頼や共感があること、できるだけ言葉の意味や定義を共通化すること、誠実な心でできるだけ正しい言葉を使うことが求められる。

逆に、言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり、あるいは意図的に人を騙したり欺いたり、嘘をついたり、勘違いさせる表現を使うことは、人間の心を荒廃させ、言語に対する信用を失墜させ、人類社会を虚無的(ニヒル)な社会へと堕落させることになる。

今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさは、言語に対する信頼が失われたためであるということもできるであろう。

皆様はどうお考えになりますか。

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:コミュニケーション 不安 人間 人類 共感
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 63/63件

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[1]利己主義と性悪説と australiagc

今度は社会心理学もどきですね?。

では、まず存続しようとする過程では生命は必然的に利己主義にならなくてはいけないのではないかと個人的には思います。善意による助け合いも、結果的に何かしらの形で自分に利益があるわけで。

となると、生命の中でもずば抜けて賢い人間は、利用できる効率的な道具や手段は全て利用して、己が利するように仕組むのではないでしょうか。


言語がはじめて出来た頃は、コミュニケーションを円滑化させると意味合いで言語を使っていた。

そのうちにShinRaiさんがおっしゃったように「集団内部で信頼や共感」が生まれ言語への依存が強まると、当然人間はその言語を悪用して自分の利益を高めたり権威を誇示しようとするようになったから「意図的に人を騙したり欺いたり、嘘をついたり、勘違いさせる表現を使う」ようになった。


結果、「文明の閉塞感や社会の希望のなさ」を生じさせる一要因として現代社会に受け継がれてしまった。便利なものには、それに反する悪用法があるのはどんなテクノロジーでも同じですよね。


[2]>1 真社会性動物としての人類は利他主義ではなかっただろうか ShinRai

石牟礼道子さんの「苦海浄土 第二部 神々の村」の中に、ミツバチの話がでてきて、どうしてかなあと思ったのだけど、人類もミツバチや白蟻と同様に、狭い洞窟の中で、真社会性動物として、女性上位(卑弥呼みたいに)社会を形成していた時代があり、その頃は今ほど罪深くなかったのではないかと思いました。

altruism(利他主義)という言葉がありますが、真社会性動物の場合にはとくに個々人の利益よりも集団の利益を優先する傾向があるのではないでしょうか。

有史以来あるいは近代以降の人類がとくに利己主義的になったのであって、それは際限のない自然の破壊と略奪、植民地獲得・植民地経営によって、歯止めがきかなくなった。人類文明の終焉にむけてのラストスパートだったのかもしれない。

性善説か性悪説かと聞かれたら、僕は性善説を採りたいですね。人類も、大脳新皮質のズルい考えがなければ、野生動物とおなじ本能に支配された、ひたすら前向きな、善を生きることができる。

生命として生まれた以上、僕たちの心の奥底には善のきらめきがある。そう思います。

大脳新皮質の異常発達によって、人間は自らが善であることを忘れて、自分達を貶めているのではないでしょうか。


[3]「言葉」という観点に関して ahirusan

以下の2冊は、チョムスキーのN-barセオリーをベースに書かれたものです。

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈下〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈下〉 (NHKブックス)

言語を考える上ではこれらの書籍はとても参考になります。但し、言語とコミュニティーの関係にはふれられてはおりません。あくまでも、言語分類の観点に乗っ取った書籍です。


[4]現実は常に変化し続ける。 miharaseihyou

スタンダードそのものが変化するのだから、言語も変化し続ける。

言語は現実を映そうと絶えず努力し続ける鏡になろうとしている不完全な存在。

何故なら、作り手である私達が不完全だから。

保守は常に変化しなければ敗退して消えてゆく。

消えたって大丈夫。

新しいスタンダードが苦労するようにできている。

だいたいが抽象的な概念をベースに置こうとするのには無理がある。

現実は人間の想像力を超える範囲を常に含んでいるのだから。


[5]悪いのはわしら? hiko3karasu

逆に、言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり、

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

だから、言葉の定義を先にはっきりさせようよ。


[6]社会の状態に、言語が100%影響しているわけではない sidewalk01

人間のコミュニケーションでは曖昧性をくみ取る柔軟性が非常に重要です。それは英語圏でも同じで、字面通りにしか読み取れ無ければ疎通性は悪化します。社会状況の変化や技術の進歩の方が強いかと。


[7]概念(言葉の定義)の不一致は日常茶飯事では? rin-hiro

確かに、言葉の意味(定義)をお互いが理解し合っていいないと、思っていることの伝達に違いが出るのは当然ですね。でも、たとえ違う言葉の概念を持っている人たちと接して、交流していけば自分と相手の間には徐々に言葉の信頼が生まれると私は思います。まぁ、些細なことから喧嘩になる場合もありますが、すべてではないでしょう。だから、"言葉の定義が不ぞろいなまま会話や議論をしたり"して社会がどうのとかにはならないと思ってます。

"今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさ"については、言葉の信頼からうけるものでなく、テレビ局、マスコミ各社の報道、また物価の値上がりなどから受ける生活、経済不安から、人を楽観的に信用できなくなっているためというのはどうでしょうか。


[8]僕は、(昔)こう表現しました。 takahiro_kihara

言語は究極のvirtual(or tool)である。(つまり、伝えたいことがあって、その手段として言語があるんだ、と。)


ただ、その後勉強していくうちに、言語が思考を規定する面もあるので(エスキモーかどっかの民族は、我々が「白」と呼ぶ色を十種類以上?に分けて分類するそうです。また、脳科学でも、言語があるからこそ人間のように高度に発達した脳が生まれた、という面があるらしい。)、聖書のいう「はじめに言葉ありき。」という面も否定は出来ないな、と今は思ってます。


[9]>5 言葉の定義は、個人によって微妙に変わる takahiro_kihara

その人が生まれた時代・土地によって異なります。

前者は、辞書が時代、時代で改版されることからもある程度想像できるでしょう。後者についても、例えば「自分」というのは標準語では一人称を指す言葉ですが、(主に)関西では二人称を指す言葉として使われることが多いです。「言葉の定義をはっきりさせる」という作業は、辞書を編纂するのと同じぐらい大変な作業です。


[10]>2 利己的な遺伝子 rsc96074

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本によると、

「自分を犠牲にして、血縁を助ける利他的行動は、少なくともそれを行う個体にとって損失以外の何物でもないが、その個体の遺伝子から見ると、利他的行動は得になると言うことである。したがって、個体が行っている利他的な行動というものは、実は遺伝子にとっては利己的な行動ということになる。」

らしい。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2989/selfish.html

http://www.amazon.co.jp/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%...


[11]>8 言語が思考を規定する ShinRai

言語(ここでは「記号と意味のセット=概念」といった意味で)が、思考を規定していることは、たしかですね。そして、我々はそのことにかなり無自覚である。

概念なくして思考なし。

概念共有なくして議論なし。

たしかに聖書は「はじめに言葉ありき。」といいます。

しかし、言葉にする以前の宇宙あるいは自然・世界というものが厳然としてあることも、またたしかなことですね。

仏教、とくに禅は、そっちを強調しているのではないでしょうか。


[12]>7 交流していけば ShinRai

でも交流が難しいので、みんな人間関係に悩むのでしょうね。

意外と、言語以前の段階で、あいつ憎たらしいとか、生意気だからやっつけてやろうとか、嫉妬や反発やその他の言語以前の感情によって、我々は行動を決めているのかもしれません。

いくら時間がたっても、溝が埋まらないときってありますよね。

マスコミは、なんでもかんでも大騒ぎするから、見ないほうがいいかもしれませんね。言葉によって無責任に扇動して、それで売っている三流週刊誌とテレビと大差ないかも。


[13]>3 言語は、もともとコミュニティーの内輪と外様を分け隔てるものかもしれない ShinRai

本のご紹介ありがとうございます。


薩摩弁じゃないけど、よそ者と仲間を見分ける手段として、言語が機能したという歴史がありますね。


現代は、人類が世界のすべての資源を自分のものにして、繁栄しているから、あまり問題が顕在化していないけど、それでもやっぱり内輪と外様で言葉の意味や言葉を生み出すもととなる感情が違っているかもしれませんね。


[14]>12 言語と交流の仕方は sidewalk01

分けて考えた方が良いかと思います。


[15]>11 双方向性 sidewalk01

概念の積み上がりによる思索、体験に名前を付けることによる気付き、どちらも思考に影響を与えると思います。


[16]>6 言葉がなくとも意思疎通は可能 sidewalk01

石器時代など言語と呼べるものが殆どないにもかかわらず、集団で狩猟を行い、集団生活を営んでいた。表情、簡単な音のみでの意思疎通も可能であったと思います。


[17]>9 個人の主観的な言葉ではなく、このいわしで用いる言葉の定義 sidewalk01

のことではないでしょうか?


[18]>15 なんか、量子力学っぽい takahiro_kihara

量子力学は、現代の物理・化学(+分子生物学も?)の基礎を築いている、と言える学問ですが、これの基本となる考え方((現在支配的な、と付け加えた方が良いかもしれない。))を一言で表現すると、「(究極的に)物質を構成する量子は、粒子としての性質も波動としての性質も持っているので、観測しようとする現象に合わせて扱い方を変えればよい。」と言えます。量子力学の実際的な応用ではなく哲学的な意味を考えていく物理学者は、(たいてい晩年ですが)東洋的な宗教(特に禅とか)にその答えを見いだし、魂の安寧を得ることが多かったと思います。

このような考え方は、実証論か、実在論か、とも言われるようです。

(参考リンク)


[19]言語に対する信頼は、 TAK_TAK

昔からありませんでした。


人は平気で嘘(※特に、他人に対するネガティブな意見を、わざと言わない)をつきます。


そして、そのネガティブな印象を持っている人には直接聞こえないところで平気で陰口をたたくのです。


言語に対する信頼なんて、昔から全くありません。


[20]>6 曖昧性をくみ取ると TAK_TAK

誤解が生じます。

また、悪意をもって歪曲することも可能です。


字面どおりに伝え、

字面どおりに受け取ることこそが正直で実直で誠実な態度です。


[21]>18 言葉は真偽と独立して存在しえるので ShinRai

言葉は、アナログ的に状態を直接的に、模擬的に表すこと(オノマトペの場合)よりも、デジタル的に状態を間接的に、記号や信号を用いて表す場合(オノマトペ以外の通常の言葉)が多いので、言葉で表現した事態や事物が真であるのか偽であるのかということと独立して存在することができます。

だから、言葉をスタート地点とすると、なかなか物事が収束しない。(真偽がはっきりとしない。)ここに言語のもつ構造的な欠陥があるといえるかもしれませんね。(ヨーロッパの哲学者を苦しめた西欧哲学における、神=唯一絶対神の実在性の証明問題などは、この問題といえるでしょう。)

むしろ、言葉を捨てて、世界をあるがままに眺めよという禅や仏教の世界観のほうが、たしかに魂の安寧を得やすいといえるでしょう。


[22]>19 誰の言葉も信じないですか? ShinRai

ご家族やご兄弟などの身内、幼馴染や友人、あるいはご自身の言葉にも、信頼はないですか。


[23]>16 油壺マリンパークのイルカたちは ShinRai

いっしょにジャンプをするときに、水面下で掛け声を掛け合うという話を、おととい館長さんからうかがいました。

哺乳類よりも下等な動物の場合には、・あいさつ、・威嚇、・求愛、・服従の4つのコミュニケーションが行われると、ポール・マクリーンは書いていました。

哺乳類になってから、母子の哺乳行動を通じて、より密接な関係がつくられ、音声コミュニケーションが始まったといいます。

人類の言語も、その起原は、哺乳類の母子関係にあったと思われます。

それが、?子音の獲得、?離散的な子音によるデジタル処理の開始、?母音の獲得と音節数の著しい増加、?個別脳内辞書の構築(記号と意味のリレーショナルデータベースのインスタンス化)という発展をとげて、さらに、?文字の誕生を経て、今日のような言語に発展したのでしょう。

しかし、記号言語であるから、そしてそもそも同族意識をもつ集団内部のコミュニケーションを目的としていたから、排他的性格をもち、敵と味方を区別する機能があり、嘘も平気でつくことができるというところに、言語の構造欠陥があるのではないかと思うのです。


[24](おまけ) デジタル論議 ShinRai

・(1)我々が考えるままにキーボードに入力できるということは、デジタルで考えているということではないか。コンピュータの入力において、我々の思考は、もともとデジタル化されているから、アナログ→デジタル変換の必要がない。

・(2)量子化精度というのは、文化によって異なる。

日本なら月の満ち欠けに対して一日ごとに名前がある。英語だと、新月、三日月、半月、満月てな感じで量子化精度が荒い。だが、デジタルだから、その荒い量子化によってしか表現することができない。


[25]>22 言語に対する信頼がまったく無いとは言えませんが、、、 australiagc

ニュースを見たり新聞を読んだり、学校や職場で資料を調べたり、何よりメールでインターネットで文字のコミュニケーションをしてる以上は全く信頼・・・というか依存性がないということは無いでしょう。


ただ、近しい人の言葉に対する信頼は、言葉そのものに対する信頼ではなくて、その人に対する信頼です。

例えば、正直もので有名なSさんと、嘘つきで有名なUさんが、二人揃って同じタイミングで同じ事を、同じ言葉で言ったとしたら、信用するかしないかに困る筈です。


[26]コミュニケーションの練習不足といえましょう。 Gay_Yahng

近年、家族間でさえ意思の疎通ができないません。家族間では概念がもっとも近い単位であるので言葉は正確です。

にもかかわらず、コミュニケーションが取れないのは、核家族化、地域社会への帰属の希薄化等によりコミュニケーションのとり方の練習が十分にできず、特に若年層の、プライド、周りが認めてくれないと言うあせりなどから、中に閉じこもりコミュニケーションをとりたがらない、しかしコミュニケーション願望はあり、歪んでしまっているのです。


[27]>24 おまけ Gay_Yahng

(1)我々が考えるままにキーボードに入力できるということは、アナログをデジタルに変換していると言うことに他ならない。コンピュータへの入力において、我々の思考は、まず言語に変換され、アナログである言葉→デジタル変換を行っている。

(2)量子化精度というのは、文化によって異なる。

量子化精度が荒いのはサンプリングが荒いのだから、解像度を上げればアナログに近づく。つまりもとの像に近いデジタル値で表現することができる。


[28]>27 そうかなあ ShinRai

(1)いったいどこでA/D変換をしていますか?

言葉からデジタルに変換するのは、指ですか?

(2)文化によって、デジタルの精度が違っていて、言語表現するかぎりにおいてけっしてアナログにはなりえないんじゃないのかな


[29]>28 A/D変換は、空の月を見て、「十六夜月」と呼ぶときに起きているのでは? ShinRai

空の月をみて、日本人が「十六夜月」と呼ぶとき、あるいは英語圏の人間が「ほぼ満月」と呼ぶときに、アナログからデジタルに変換が起きているのではないでしょうか。

だから、言語化するということは、すなわちデジタル化といえませんか。

禅では、不立文字だから、空の月をみても太陽との相対位置に関係なく「月」と呼ぶのかもしれませんね。


[30]>28 そういうものです。 hiko3karasu

(1)いったいどこでA/D変換をしていますか?

言葉からデジタルに変換するのは、指ですか?

キーボードが

「りんご」を「246A24732434」に変換します。

(2)文化によって、デジタルの精度が違っていて、言語表現するかぎりにおいてけっしてアナログにはなりえないんじゃないのかな

身振りや手振り、口調などをアナログ情報として、言語をデジタル情報とするなら言語が物事をあらわしきれないのはアナログ情報を切り捨てて言葉だけをデジタル情報としたからです。


[31]>29 それはA/D変換ではありません。 hiko3karasu

アナログもデジタルも量をあらわすので極小では差がありますが極大では同じに見えます。

「十六夜月」と「ほぼ満月」の違いは概念の調整を行った結果です。


[32]>30 そうですか? Gay_Yahng

>キーボードが

まあそういうことです。

>身振りや手振り、口調などをアナログ情報として、言語をデジタル情報とするなら言語が物事をあらわしきれないのはアナログ情報を切り捨てて言葉だけをデジタル情報としたからです。

身振りや手振りをアナログというなら、それも当然デジタル化できます。テレビ画像はデジタル化され電波を媒体にして映ります。ならば、あまたの中に画像が再生できるなら同じことが起こっているのでは?

>言語表現するかぎりにおいてけっしてアナログにはなりえないんじゃないのかな

言語で表現せずに数値化すればいいんですよ。


[33]>28 社会に適応する言語 geul

量子化頻度の差は一人で取り扱う分には±0だけど、人と人とが接すると荒くなる

それをコミュニケーションによって処理して納得のいくように修正する。

社会で生きるためにはその差を無くす必要がある。月と太陽を同じと考える人間や月は雲のように地球上に浮かぶ物と考えている人間、満月と三日月は別の物と考える人間同士をコミュニケーションさせる事で集団における月の概念をつくる。だから、脳内辞書は社会的な辞書と友人・親族で共有される合言葉的な辞書、個人専用の辞書など様々なもので構成されている。

アナログは類義語のどれを使おうかとかコミュニケーションによって修正する作業工程をいうのではないでそうか。

言語が無いということはそれぞれ別の概念を誤認していても気付かないということ。1人でいる分には問題はないけど、社会の中にいる分においてはそれを修正する必要がある。これがリンゴであれば食べ物ではないと認識したり、善悪に個人差がでる。

事前に善悪や物の概念に差異が生じない世界があるとすれば、そこに嗜好や夢が千差万別となることもないことになる。

それこそAIすら持たないデジタルコンピューターに近いとおもう


[34]>30 キーボードにはA/D変換の機能はないのでは? ShinRai

キーボードが行っているのは、「り+ん+ご」という離散値を、そのままデジタル化しているだけではないでしょうか。

離散値は、必ずしも数値である必要はないと思います。

つまり、音素あるいは音節という離散値は、繰り上がったり、繰り下がったりはしないけども、50進法(あるいは濁音、半濁音、拗音を加えて100+進法)の離散値ではないかと、強く思うようになりました。

キーボードにはA/D変換の機能は、備わっていないと思うからです。量子化や標本化は行っていませんよね。あらかじめデジタルである音声符号(あるいは頭の中にある意識上の符号)を、そのまま、電気信号に変えているだけではないでしょうか。

音声 → 電気信号 という変換をしているだけで、連続値を離散値に変換はしていませんよね


[35]>26 どのようなコミュニティを作成・維持するか。 takahiro_kihara

同種の人間であればあるほどコミュニティ(共同体)を作成・維持しやすいでしょう。人間(生物?)は、自分とは異なったものを警戒する傾向がありますから。おそらく、これは生物としての本能だと思います。また一方で、人間には好奇心があるので、自分と異なった人・物のことを知りたい、という欲求も生まれる場合もあるでしょうが。

いずれにしろ、あるコミュニティの中ではある程度理解を共有する言葉が使われないと、そもそもコミュニティとして成り立たないような気がします。


[36]>35 家族はコミュニティの最小単位 Gay_Yahng

いずれにしろ、あるコミュニティの中ではある程度理解を共有する言葉が使われないと、そもそもコミュニティとして成り立たないような気がします。

家族がもっとも共有する言葉の共有度が高いはずです。そこでさえ、コミュニケーションは万全とは言いがたい。


[37]>34 音声をA/D変換するなら入力は音波 Gay_Yahng

>キーボードが行っているのは、「り+ん+ご」という離散値を、そのままデジタル化しているだけではないでしょうか。

「り」「ん」「ご」が離散値でありデジタルであるなら、更にデジタル化する必要はない。

>キーボードにはA/D変換の機能は、備わっていないと思うからです。量子化や標本化は行っていませんよね。

言語のデジタル化という概念を採用するならば、音声による言葉がアナログであると仮定し、それをデジタル化するならば、コンピュータ入力時にデジタル化をしていると言わざるを得ない。

しかし、音のデジタル化は音楽CDの技術を見ればわかるようにアナログ波形のデジタル化という技術が確立ししている。連続値を離散値に変換するならば音声を入力するべきである。それは確かにそのとおり

言語のデジタル化はデジタル化というよりは符号化、記号化というべきか。50に分けるのはデジタル化ではなく区別し、記号化しているというべきか。


[38]>36 世代間の相違は? takahiro_kihara

家族という単位では、多くの場合土地が違うことによる問題は少ないかもしれませんが、世代(育ってきた時代が違う)による言葉の相違は無視できないと思います。

家族がもっとも共有する言葉の共有度が高い

かどうかは、その家族のメンバーにより違うでしょう。


話を元に戻して、

今日の文明の閉塞感や社会の希望のなさは、言語に対する信頼が失われたためであるということもできるであろう。

そうとも言えますが、文明が進歩してきたことによって、達成可能な「夢」が少なくなってきたことも一つ原因に挙げられると思います。

アメリカンドリームも、今はその質が変わってきているようですし。

(参考)


[39]>37 離散した符号や記号に分けることを、デジタル化と呼ぶのに抵抗があるのですか? ShinRai

デジタル本来の定義は、「離散」ではないのでしょうか。

「数値」あるいは「電子」ではなく、「離散」こそがデジタルの定義ではないでしょうか。


[40]>32 またしてもデジタルとは? hiko3karasu

またShinRaiさんとGay_Yahngさんのデジタルの意味がずれているように感じます。

ShinRaiさんはあくまでメタファーでデジタルと言う言葉を使っているだけですよね。その上で脳の言語処理はコンピュータのようだというメタファーを引き出しているだけですよね。

おまけ

身振りや手振りをアナログというなら、それをアナログ信号技術を使って電波に映像を乗せることができます。テレビ画像は変調された電波を媒体にして各テレビで映ります。ならば、あまたの中に画像が再生できるということは脳内の処理はアナログ処理なのかもしれませせん。


[41]>39 質問シリーズ? hiko3karasu

またデジタル論議になるならば、、

デジタル本来の定義が離散であることはShinRaiさんのれいの俺様定義でしょうか?その定義はどこかに確証がありますか?本来の定義とは指を使って数を数えたと言うラテン語のことですか?

質問1:「デジタル本体の定義が離散である」の確証を示せ。

http://q.hatena.ne.jp/1220343033/183166/#i183386

でShinRaiさんのデジタルは電子工学的なデジタルでないことが分かりましたから、ShinRaiさんのデジタルデータはコンピュータに入力できません。コンピュータによるデジタル処理もできません。量子化もメタファで使うならいいですが、電子工学的な量子化、標本化をしていないので議論の中でいきなり使うと誤解が生じる可能性があります。つまり情報理論は当てはめない方がいいでしょう。

あと不思議なんですが、ShinRaiさんは

デジタル本来の定義は、「離散」ではないのでしょうか。

で物事が納得できるのですか?

デジタル本来の意味は、「離散」ではないのでしょうか。

なら分かるのですが

xxが離散することをデジタルと定義する。

のような説明にしていただけませんでしょうか?

質問2:「離散」(=「不連続」)と言う言葉を使ってデジタルを定義せよ。


[42]>32 言語の離散値は、四則演算とかできませんが、コンピュータに入力してデジタル処理できますよ! ShinRai

>ShinRaiさんのデジタルデータはコンピュータに入力できません。コンピュータによるデジタル処理もできません。

このご指摘は間違いでしょう


[43]>33 AIすら持たないデジタルコンピューターに近い、つまり言葉で考えると馬鹿になるということですね ShinRai

禅が言葉を使って考えるな、ということの意味がだんだんとわかってきた気がします。

言葉を使って考えること自体、量子化誤差や、無意味な記号(あるいは抽象概念)に意味を期待したりすることなど、ディジタルの罠にはまることを意味するのでしょうね。


[44](おまけ2)アフリカは無文字社会であったそうだが、、、、、 ShinRai

アフリカは無文字社会だったそうだから、書き言葉の危険性を考える必要はなかったのでしょうが、我々は書き言葉をもつので、書き言葉についても少し考えてみたい。

書き言葉は、話し言葉から肉声や顔の表情や雰囲気などのアナログ要素を捨て去ったものである。

書き言葉は、書き手(話者)がそばにいないから、読むものによっていかなる意味にも取られうる可能性をもつ。

また、書き手は、読み手がそばにいないから、顔の表情を読み取られる恐れもすくないので、嘘でも誇張でも容易に書くことができる。

そもそも、書き言葉というものが生まれえたのは、我々の言語がデジタル(離散的)な情報として存在していたからではないだろうか。


[45]デジタルだから嘘をつきやすい! ShinRai

アナログであったら嘘つきにくい。

人間の言語でも、直接面と向かって話をするときには、嘘をつきにくい。アナログ的な要素(声の調子や顔色が伝わるから)。

オレオレ詐欺が、電話で行われるのも、なるべく余分なアナログ要素を取り除いて、符号部分だけを伝えるほうが詐欺をしやすいからではないだろうか。


[46]>38 時代認識の時差というものかもしれませんね ShinRai

いまどき、勉強して、偏差値の高い大学に入っても、絶対に就職できるわけでもない。

そもそも、地球環境がおかしくなっていて、石油も枯渇しつつある、わけのわからない戦争が産油国の奪取をめぐっておきている、今までみたいに経済成長をめざして一生懸命に働けば、お給料が上がって、豊かになるといった単純で無責任な時代じゃあないもんね。

世界人口が50億人を超えた1986年あたりに、成長の限界を超えてしまったという人がいるけど、おそらくそうだと思う。地球は一人一人の人間にとっては無限に大きいけど、50億人、いや70億人の人間にとっては、すでに狭すぎて、環境破壊して死の惑星になるかもしれない危険の中にある。

このあたりは、若い人のほうが、実感しているのかもしれないですね。

引きこもりやニートのほうが、正しい生き方で、がむしゃらにお金儲けをすることのほうがクレージー

そういう時代を僕たちは生きているんじゃないだろうか。

既存の概念がことごとく通用しなくなる時代というのかな。


だから、今みたいな時代こそ、あらためてコミュニケーションの意味や大切さを考えて、お互いに助け合う、励ましあうための、手段として再活性化したいものですね。

そのためには、何をする必要があるのか。

どう考えればよいのか。


[47]>45 これはデータの量の違いでは・・・? australiagc

直接面と向かって話す時はアナログ要素が伝わるから嘘をつきにくいというのであれば、目の前に居る状態でも目を閉じるとデジタル通信に切り替わって、目を開けるとアナログ通信に戻るって事ですか・・・?単に脳に伝わる判断要素が多いか少ないかだけの問題かと思いますが・・・。


ちなみに、そういったフィジカルな情報を増やす事で逆に騙しやすくする例もあります。ホストやキャバ嬢は言葉ではなくて、仕草やボディタッチなどを使って客の心をとらえる技術を多く心得ています。営業マンの「自分を売り込む」手法も、大きな声を出したり身体全体で「ウケる自分」を演じる事でターゲットに自分の存在を印象付ける事からはじめます。


ようは、「思い込ませたい内容」と「自分が発信している情報」がどのコミュニケーション手段を使えばマッチするかではないですか?


例えば、オレオレ詐欺の場合、「思い込ませたい内容」は「自分が『オレ』」であるという事ですよね。でも姿を見せてしまうと、「自分が発信している情報」(ようは視覚的情報)は「自分は『オレ』ではない」という内容になってしまいます。だからそいった視覚的情報が伝わらない電話を使う。ただそれだけではないですか?


[48]>46 自然のサイクルだと考えれば australiagc

確かに自然界の許容量に対して人間が増えすぎたのかも知れませんね。

環境問題も資源不足も、

いや70億人の人間にとっては、すでに狭すぎて、環境破壊して死の惑星になるかもしれない危険の中にある。

まさにこのとおりじゃないですかね。


特に日本列島の発展具合と人口密度はもう既に限界ですかね。少子化の傾向もその一つだと思います。社会に対する不信感も、自然界の必然として増えすぎた人間が間引かれるよう環境が作用しているとも見れますよね。


[49]>43 その逆です geul

言葉が存在しない世界で相手のことを見て全てを理解する世界があるとすれば、いわゆる万人が暗黙のサトラレ状態だということですが、そういった場合は相手のことを全て理解しているので量子化誤差は0になります。相手の不本意な考えの起因を全て理解しています。全ての人間が言葉を使わずに社会的な善悪を決めます。いえ、もう原初状態のうちに善悪が決まっていたりします。

我々がそれが善悪かどうか戸惑うのは社会にそれを認めない人や認めないだろうという人もいるし、社会から私だけを優遇するといった考えを排除するために何度もフィードバックして考え直して判断を下します。しかし、右のような場合は、もう決まっているので社会のすべての人間がありふれた生活を過ごします。そこに「個性的である」という世界はありません。

一方、言葉が無い世界相手のことを悟ることのできない世界は、個別の概念が交じり合って、それで良いと決め付けているので社会という存在を無視した個人たちが無造作に放り出された世界になります。


[50]>25 関係ありません TAK_TAK

情報の信頼性は、言葉そのものに対する信頼です。

その人(情報源)の信頼ではありません。


SさんとUさんがXXXXXと言ったら、XXXXの意味だけで、XXXXの信頼性は決定されます。


[51]バベルの塔の話をしているのですか? ricochet

それはともかく、まず西洋の言語に対する感覚というのは、人間を超越したもの(ヨハネ福音書の「はじめに言葉ありき」で神と同格に扱われている)、という感じがあり、日本人のような、感覚が先行して、必ずしも言語化を重視しない人たちとずいぶん異なると思います。

集団内部で使う言葉、というのも、日本語にはあてはまっても、英語の状況には言えないと思います。彼らは、英語とコミュニティを結びつける発想はないと思います。

それから、今日の文明の閉塞感というのは、日本にはあてはまりますが、いろんなアンケートを見ても、日本ほど閉塞感を感じている国のほうが稀である気がします。むしろ、新しい時代の始まり、みたいに受け留める人たちのほうがマジョリティだと思います。


[52]>51 言葉の敵味方識別機能 ShinRai

日本人はたしかに実存的、あるいは言葉を信じない。

でも、西洋人も以前よりは閉塞感を感じていると思うし、敵味方を識別するときに言葉を利用することはありますよ。ちょっと面白いエピソードを思い出したので、紹介します。生死の境に言葉が敵と見方を識別するのに信頼できる手段となりうる話です。

ダグ・スタントン著「巡洋艦インディアナポリス号の惨劇」(朝日文庫)は、広島に投下した原爆をテニアン島で荷降ろししたインディアナポリス号が、イ号潜水艦によって撃沈され、乗組員が四日間海の中で漂流する話です。

救助に向った「バセット」の乗員は、「多くのものが救出を望まなかったこと」に驚く。

「サーチライトを浴びて泳いでいる生存者は、自分たちを救助しようとしているのは日本軍だと確信した。同じように、救助しようとする側も相手の正体がいまだ分らず、何かの罠でないかと疑っていた。なにしろ目に見えるのは油で真っ黒の顔だけで、くぼんだ白い目がこちらを睨みかえしているのだ。救助隊員の一人が拳銃を抜き、大声で怒鳴った。『おい、ドジャーズが本拠地にしている都市の名前な何だ、言ってみろ』

『ブルックリンさ!』と答えが返ってきた。そこでようやく救助を開始するといったありさまだった。」


[53]>50 つまり、誰が言おうと信じないものは信じないということですね ShinRai

言葉である限りにおいて、信じない。

人偏に言葉と書いて信じるですが、何も信じないですか。

そうすると、いったいどんな風に生きておられるのだろうかと思ってしまいます。

騙されたとしても、信じて生きるほうが楽かもしれないと思うので。

何も信じないというのも、一種のニヒリズムでしょうか。


[54]>50 結局どっちなんだ・・・? australiagc

言語に対する信頼なんて、昔から全くありません。

XXXXの意味だけで、XXXXの信頼性は決定されます。


XXXXは言葉ですよね?

言葉の意味だけで、言葉の信頼性は決定されます


言葉に信頼性がないのに、言葉の意味で信頼性が決まるの・・・?


[55]>54 たしかに、この突っ込みは的を得ているといえるかも ShinRai

うーん、たしかに、言葉だけを信じているというようにも受け取れますね。


[56]>19 言葉に対する信頼は、その言葉を言った他人に対する信頼にも似ている。 miharaseihyou

自分の言葉すら信じ難いのに、他人の台詞を「はい、そうですか。」と信じられるか?


[57]日本語の敬語は非常に高度な符号化方式である! ShinRai

デジタル通信の符号化は、それによって、通信の効率化と誤り訂正機能を向上させると、ネグロポンテの「Being Digital」に書いてあった。


では、人類の言葉において、いったい何がそういう役割を果たしているかといえば、ラテン語の時制(1・2・3人称、単複ごとに現在、大過去、半過去、過去分詞、現在分詞、仮定法現在、仮定法過去などがある)がまず思いつきました。


それから、代名詞。人称代名詞の格、指示代名詞、関係代名詞。


そして、古文の時間に苦しめられた敬語。これこそが文章を短くしても、文意が通じる、そして敬語の使い方一つで誰が誰に行なったかがわかる符号化方式としてはきわめて高効率なものだと気づきました。


こんなことは、アナログでしかコミュニケートしない他の哺乳類には真似のできないことでしょう。デジタル通信以外にはできない。つまり、話者や聞き手の頭の中に符号変換回路がなければ、ぜったいに通じない高度な符号だと思います。


[58]>57 と、これは、おまけ話に近いです。すみません ShinRai

このいわしの話題とは少しずれているけど、ごめんなさい


[59]>58 だけど、敬語が使えなくなってきているということ自体が ShinRai

社会における人々の結びつきの希薄化であり、日本文明の衰退であり、社会がカオスあるいは奈落の底へと向かってじわじわと堕ちていっていることの表れかもしれませんね


[60]>59 敬語は対人関係を表す miharaseihyou

身分制社会では必要不可欠なアイテムであり、特に武家社会では発達しました。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%...

参考文献にどうぞ。

しかし、基本的には対等な関係を意識して保とうと勤めている現在の日本社会では衰退して当然です。

最近の若者言葉には単語の横滑り現象を利用して村社会でのニュアンスを表現しようとする例が多いように感じます。

上下関係よりも立場の違いや群れの違いを感情とともに表現しようとしているように見えます。


[61]文明の閉塞感や社会の希望のなさを含めて、全ての社会悪の原因は、言語に対する信頼が失われたため、というより、 hiro_kun

人間一人一人の普遍的な存在価値が確立されておらず、欠落しているから、言わば、人間一人一人の精神、心の土台、社会の基礎が無い、欠落している、崩壊しているからだ、と、確信的に思います。そこで使えるのがこの理論、

【子供は、自分と配偶者の命の続きであり、自分より大切な配偶者よりも大切である。】

つまり結婚、子供誕生、養子縁組を繰り返すたびに、配偶者の大切さと、それよりもっとの子供の大切さが、無限に上昇して行き、全ての人々がお互いを思い遣る気持で繋がり合い、真の平和、究極の調和へと結びつくかもしれない、この理論。

関西在住の、関(せき)さんに、洗いざらい喋ってみたところ、「絶対そうしたほうがええっ!」、「絶対そうした方が世の中良くなるで。」、「絶対そうせいっ!!!!!」、と、言われましたので、絶対そうせい、を、絶対相性、と置き換え、絶相対性、と置き換え、理論なので、

【絶・相対性理論】、と、銘々。

↑この理論が世界、並びに地球、果ては宇宙を救いますw

http://q.hatena.ne.jp/1221098354より。

ついでに、

【はてなメッセンジャー】

http://i.hatena.ne.jp/idea/21017


[62]>61 >言語に対する信頼が失われたため、 hiro_kun

というのも一理あるとは思いますが、言語、言葉など交わさなくても、全ての親が我が子のために、己の命を賭して行動したら、全ての子供達の閉塞感は解消され、自分の命、自分の存在は尊いのだ、大切なのだ、親や、その親たちが構成する社会に僕は、私は、僕達は、私達は、守られているのだ、と確信した全ての子供達の見る社会は、希望に満ち溢れることに成るでしょう。

【絶・相対性理論】が世界、並びに地球、果ては宇宙を救いますw

http://q.hatena.ne.jp/1221098354より。

ついでに、

【はてなメッセンジャー】

http://i.hatena.ne.jp/idea/21017

↑これを、「てんどん」と言いますww。

一服♪( -ω-) _旦""


[63]>62 結婚の絶対条件 hiro_kun

【絶・相対性理論】が、結婚の絶っ対条件と成った時、世界、並びに地球は救われるでしょう、宇宙まで救ってしまうかもしれませんww。

http://q.hatena.ne.jp/1221098354より。

ついでに、

【はてなメッセンジャー】

http://i.hatena.ne.jp/idea/21017

↑これを、「しつこい人」と言いますww。

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