人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

元の皇帝フビライハンは日本に対してどのような思いを抱いていたのか、を
調べています。

元寇当時(文永の役1274年、弘安の役1281年)、元は南宋を滅ぼすことを第一の
目的としていた、と言われているようですが・・

そもそも文永の役は「威力偵察」で弘安の役は「南宋軍を消耗させるため」、
という内容がWIKIPEDIAには載っていました・・

日本なんてちっぽけな国だ、と思っていたのでしょうか?
いつかは征服して・・と考えていたのでしょうか?



●質問者: shoma22
●カテゴリ:趣味・スポーツ 芸術・文化・歴史
✍キーワード:Wikipedia フビライ 元寇 南宋 弘安の役
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● rsc
●35ポイント

「大蒙古国・国書」は日本を属国にしようと脅しているのではなく,南宋との戦を有利にすすめようとして,盛んに貿易をしていた日本と南宋の関係を断とうするために国交を結ぼうと言っているにすぎないのではないか,とも言う説もあります.大帝国の蒙古が小国の日本に対して書いた国書にしては,ずいぶんと譲歩の言葉で書かれていることと,最後の「不宣」で「これは命令じゃないよ」と言い表しているからです.しかも最初の元寇である文永の役までに蒙古は四度も使者を日本に送っています(日本に来たのはそのうちの二度).蒙古が他国を支配するときの例からすると,これは異例のことだとも言われています.

http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/index.h...

上記のような説があるそうです。確かに、ちっぽけな国と思っていたのでしょうが、征服しようというよりは、南宋と日本の関係を断とうとするために(離間策)、国交を結ぼうと考えていただけかも知れません。

それから、「逆説の日本史」をお読みになることをお勧めします。本当に面白いですよ。

http://www.amazon.co.jp/%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%...


2 ● urf77
●35ポイント

「もう一度脅せば、もしかすると闘わずに日本は降伏するかも?」と考えて、再び日本に杜世忠(とせいちゅう)らを使者をとして送り、「降伏しろ」と要求します。

http://www.uraken.net/rekishi/reki-jp25.html

関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ