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ハプスブルク家の代表作3点を集めた皇帝それぞれの名前とその経緯などがわかれば教えてください。

?「草原の聖母」ラファエロ 1505年頃
?「ゴリアテの首を持つダビデ」カラヴァッジョ 1606年頃
?「青いドレスのマルガリータ王女」ベラスケス 1659年


●質問者: nishiya9
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:ゴリアテ ダビデ ドレス ハプスブルク家 ベラスケス
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/2件

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1 ● ayame2001
●79ポイント ベストアンサー

オーストリア・ハプスブルグのコレクションはハプスブルグが長年統治したヨーロッパ諸国の作品がメインです。ボローニャ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネチア。そしてカトリック圏のドイツ、南ネーデルランド。他方フランスやイギリス、中世末期イタリアの都市国家は含まれません。

さらに完成度の高く、キリスト教的教義を含む狂信的ではない神への『敬虔さ』を著すもの、王侯貴族たる証の肖像画を収集する傾向がみうけられます。

収集は主に4期に分類され

(1)1612年に亡くなったルドルフ2世のコレクション。本来は彼の弟のコレクションだったブリューゲル、デューラーに自身の嗜好であるコレッジォ、パルミジャニーノ等イタリア・マニエリスムを加えて蒐集。1648年、30年戦争でスウェーデン軍の略奪に遭い一部プラハから散逸。

(2)フェルディナンド3世の弟、レオポルド・ウィルフェルム大公<1614?1662>がネーデルランド総督を勤めた1647?56年に清教徒革命の財産没収、競売を利用して蒐集したもの。スウェーデン軍が持ち出した作品をプラハで買い戻したともいわれています。15?16世紀のヴェネチア&北イタリア絵画、15?17世紀のフランドル派絵画など1400点が1656年にウィーンへ送られ目録に記帳された記録があります。ラファエロはそれでも手に入らず死の直前にようやく入手できたそうです。1662年公の死去に伴いレオポルド1世に相続され現在のメインとなっています。

(3)カール6世。1720年頃コレクションの改変。一部売却と新たな購入で目録を作成しなおす。

(4)1770?80年頃のマリア・テレジアと息子フランツヨーゼフ2世。修道院・教会閉鎖によりフランドル・イタリアの大型祭壇画を中心に蒐集した。


結論として

1)はレオポルド・ウィルフェルム大公が購入。彼はルーベンスやファン・ダイクのアトリエに直接出向き、欲しい作品を片っ端から買いあさった逸話も残っています。

2)についてですが、キャンパスでなく板に油絵の具。教会の祭壇画の可能性があります。 ボルゲーゼにあるキャンバス地の最晩年に描かれた『ゴリアテの首を持つダヴィデ』(1610年)は自身をゴリアテにして描いてます。これをローマ法王庁に送って『(殺人罪の)死刑を取り消してください!』と反省の道具に使いましたが。なぜ板絵なのか、なぜこのテーマを何度も取り上げたのか、各種論争あり。

http://www.artbible.info/art/large/435.html


同時期に板絵に描かれた彼の作品『ロザリオの聖母』がナポリで製作され1620年にルーベンスらが所属した芸術家協会からアントワープのドミニクス派教会へ寄贈された後、1781年にハプスブルグ家がコレクションとしてお買い上げしていることから、フランツヨーゼフ2世が購入した可能性が高い。その辺をクリアにできませんでした。


3)プラドの『ラス・メニーナス』と関連付けて

マルガリータ・テレサ<1651?1673>の絵は従兄で叔父でもあるオーストリア・ハプスブルグ家のレオポルド1世(1640?1705)との結婚(1666年)を前提とした見合い用に定期的に送られてきたもの。ウィーン美術史美術館には『薔薇色のインファンティン・マルガリータ・テレサ(1653?4年作)』(2?3歳)から始まり『3歳のマルガリータ』

http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Diego_Vel%C3%A1zquez_028...

そして『青いドレス』と3段階の成長が見られます。その他、『4歳のマルガリータ』はルーブル、『8歳のマルガリータ』とベラスケスの娘婿が描いた『喪服のマルガリータ(15歳)』はプラドにあります。

『ブルーのドレスのインファンティン・マルガリータ・テレサ(1659年作)』(8歳)はベラスケスが亡くなる1年前の作ですが、この時マルガリータの弟に当たる『フィリッペ・プロスパー(1659年作)』<1657?1661>当時2歳でスペイン・ハプスブルグ家の跡取り・希望の星の肖像画も一緒に送られました。嫁にやる愛娘と跡取り息子の豪華な2枚の絵でスペインの未来永劫の安泰を知らしめたかったのでしょう。彼は4歳で夭逝しましたけれど。

気になるのは目録番号です。薔薇色はNO.321、フィリッペはNo319に対してブルーはNo.2130。一時期流出して取り戻したか、目録作成ミスか番号が飛んでいます。その辺が謎ですが、スペインからオーストリアへ贈られた定期的なお見合い写真(絵)とみなすのが定説です。結婚をせかす、政略結婚を確認する、単なる季節の挨拶代わり、、諸説ありますが、『ハプスブルグよ、汝は結婚せよ』という家訓を考えると、結婚による絆の再確認と思えます。

http://commons.wikimedia.org/wiki/Margarita_Teresa_of_Spain?usel...


こちらの方が良くまとめてあります。

http://www.geocities.jp/sekaishi1998/gallery4.html

◎質問者からの返答

ほんとうにありがとうございます!

いろいろまとめていただき、大変感謝しております。

これからもまたよろしくお願いします。

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