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文学的センスとはどんなものだと思いますか?

●質問者: BLOG15
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:文学
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 33/33件

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[1]詩心がわかるってこと ShinRai

言葉という符号(記号)で描かれたことの背景に、悲しみや喜びなどの心の動きを感じる(感じ取る)ことができるセンス。これは詩心であり、文学的センスのひとつではないでしょうか。

あるいは、心の動きを、それが反映するように、言葉(符号、記号)を選ぶことのできる能力、センス。


[2]>1 共感する能力 ShinRai

詩心とも似ているかもしれませんが、人の人生や冒険や苦労話を、わがことのように共感できる能力があれば、文学的センスがあるといえないでしょうか。


[3]語彙の選択・感情 wacm

文学的センスを持つ人と一般の人の持つ語彙という者はほとんど差がありません。

ですが、文章にしてみると同じ単語にもかかわらず、与えられる意味や印象が全く異なります。

ですので、言葉の選択という要素が一番大きいのではないでしょうか?


[4]視点です yumisaiki

日常を切り取り、それをちょっと違う角度で表現する能力。


[5]説得力 tue1972

意味不明でもそのまま読ませるとか、

言葉のバランス感覚が鋭い事、

曖昧ですね。


知性の介在はさほど重要では無い気もします。

学習力はセンスであっても、

技術はセンスではないとおもいます。

ああでも、

何でも無い景色を淡々と描いても、

前後の文や全体に置ける位置で意味が変わってしまいますから、

構成力も含めて文才なのか。


[6]>5 音韻的なセンスといえるでしょうか ShinRai

意味にかかわりなく、音の力で読ませる、、、

詩人山本陽子の「遥るかする、するするながら III」みたいな詩

遥るかする

純みめ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく/りらっく ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ/まっ/じろ きき すき//きえ/あおあおすきとおみ とおり//しじゅんとおとおひらり//むじゅうしむすろしかつしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ|とおり、さっくる/さっく ちっく/るちっく すみ、とおりながら


http://www.asahi-net.or.jp/~md5s-kzo/youko.html


[7]美意識 seenone

文章によって表現する、美意識。


[8]>4 これだと思う。 sayonarasankaku

平凡な日常に思えることでも、

それを取り上げて興味深く綴る力。


[9]まぁ・・・読む方にとって to-ching

何回真面目に読んでも、あまり理解出来ないものと思ってます。


[10]文章を使って他人の感情を動かす能力 miharaseihyou

感動させられた小説などを後から読み返してみると、読み手に訴えかける様々な工夫が見て取れる。

最初は何も考えずに読み通しちゃうけどね。

テクニックもあるけど、何をどのように伝えたいのか、そういった「強い意志」を感じさせられる事が多い。


[11]文体、題材の選び方 atomatom

要するにうまい選択を出来るかどうか。それこそがセンスでは。


[12]いいビジネス文書が書ける人こそ文学的センスがある。 yamazakura

と、あえて言ってみます。

つまり、余計な修飾語句を削った、伝達事項が一目で分かる文書が書ける人。

たとえば日々のメールとか、プレゼンの資料とか、就職活動中の人なら職務経歴と自己PRとかが上手に書ける人。


[13]オリジナリティ ricochet

文学の存在意義は、オリジナリティ。今まであるものをきれいな言葉で言ったりするのが文学だったら、今のような地位を与えられてはいないはず。人間の新しい可能性、誰も気づかなかったものを言葉を通じて表現する。少なくともそういう予感がない創作物は、文学の名に値しないと思います。


[14]相手の妄想力を?き立てる文章、 doriaso

全てを活字にしてしまっては面白くない。それは報道。

ある程度の材料を提示して、

その裏を読者にいろいろと考えさせるのがセンス。


[15]時代への共感 uehaj

人々が世界に生きていて、その心や気持ち、人生観、を汲み取って、それを言葉の羅列を通じて、実感として感じ取らせるように表現できる力。あとは、それを「どのように表現するか」というテクニックの問題で、どのようなテクニックを選択すると効果的か、を判別する能力がセンス。そのセンスが仮に一般的に言えるものだとすると、新鮮さ削がれ、感応力がそがれるので、一概に言うことが定義上無理。


[16]上手な盗作 to-ching

これでしょう?


[17]表現しにくいものを言葉にできること offkey

人々が心の中では知っているのだけど、言葉にするのが難しい事象を文章に仕立てる力。


[18]感情を刺激する力 adgt

だと思う。具体的なスキルとしては言語化できないけれど、センスがあると感じるものには大きく揺さぶられる。


[19]>12 文章力と文学的センス adgt

どちらかというと文章力の話だと思う。文章力があっても文学的なセンスがない人は多い。


[20]>8 インプットする情報の幅、解釈の独自性、語彙力 adgt

といったものが関わるのですかね?


[21]>11 足し算より引き算が上手く出来る adgt

ということでしょうか。ムダのない文章は読みやすく、染みいる。


[22]>14 してやられた adgt

と思わせてくれる作家にはドキドキさせられるね。


[23]>20 視点には自分を客観視する能力が必要 yumisaiki

自己を客観視することで、インプットされる情報の幅が出て、解釈が違ってくる。

ちょっと引いた目で見て、美意識をもって表現できること。

文学はもっとも人間に必要な学問なのだと思います。


[24]ノーベル賞 to-ching

文学賞があるのが不思議。


[25]今回は真面目に・・・ to-ching

文盲の人が、他の人がその作品を読み上げ、その文章に感激してくれた(

色々な表現方法がありうる)作品ではないかな?


[26]隠喩と、読者に補完させる割合 honzuki

――隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない



と村上春樹は評されたそうです。メタファーに小説の神髄があるのではないでしょうか。

また、いわゆる描写や表現が詳しすぎても簡素すぎてもいけない。

読者に絶妙な割合で欠けている景色・心情を補完させるような小説が素晴らしいと思います。

読書というのは創造的(想像的)な行為でもあると思ってます。


[27]>16 そもそも honzuki

文章で表現する以上、まず日本語という言語を「盗作」というか、「マネ」してますものね。

自分が今まで読んできたものの影響を受けるのは仕方のないことだと思います。

無から有を生み出すことは不可能ですよね。


[28]>27 読む量 w03

文学的センスはまねることで養われると考えるとそれは読む量にも関係してきますね。

読む量が多ければ多いほどまねるべき素材が入力され取捨選択の幅も広がります。

少なくとも全く読まない人に文学的センスは備わらないと思います。


[29]現代文テストの4択で lame-delegate

どれも違うと思える人。かなあ。あまりに昔なので、たとえが微妙かもしれませんが。


[30]読んだ人にリアリティーを感じさせる文章を書ける人 ShinRai

純文学とは、現実感覚を提供することだという文芸評論(福田宏年「時が紡ぐ幻」)を読んだことがありました。

純文学においては、読んだ者がリアリティーを感じる作品が、よい作品なのだと思います。

一方、大衆文学は、おとぎ話や、冒険や夢物語だそうです。


[31]訳者の能力が to-ching

より一層引き出される作品を書いた人?


[32]>28 そりゃそうですね to-ching

読まなきゃ分からないもの・・・でも真相は謎だ。


[33]>24 美術賞 to-ching

文学賞があるならこれだってあっても良い

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