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【思考実験】もし、人間の記憶を使わないとしたら、どのようにすれば仕事ができるでしょうか?
WEBなどのツールは何でも使用可能だとします。


映画「博士の愛した数式」では1日しか記憶が持たない病気になっていますが、
このままネットで情報が増え続けると誰もそれを脳で「記憶」しておくことが不可能になるような気がします。
(処理する情報が多すぎて脳で保持できなくなる)
そんな時に人間の記憶を使わずに、(例えば特定の時間の約束の記憶はWEBカレンダーのリマインダーに任せて、登録後忘れる)仕事をすることは可能でしょうか?

●質問者: garyo
●カテゴリ:コンピュータ インターネット
✍キーワード:Web カレンダー ネット リマ 人間
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● idetky
●20ポイント

現在でも仕事は当然のようにスケジューラーで全て管理するようにしています。

増えすぎると自分の記憶に頼っていられなくなります。

特に複雑な案件の場合。

これは、たとえ自分が急にいなくなっても、

誰かが作業を続ける必要があるため当然のことになって、、、

いる、、はずです^^;

http://yahoo.co.jp

◎質問者からの返答

ありがとうございます。


人間の頭脳をCPUと見なして、外部記憶(RAM、ROM)をWEBのストレージ、

タスクスケジュールをリマインドメールなどを使うことで

「人間用のOS(オペレーティングシステム)」ができないかなと思います。

(この場合、人間の記憶はCPUのレジスタに相当するわけです)


定型処理はワークフローなどを使えばシステム化できるかと。

ほぼ自動で動くタスク管理システムですね。


>これは、たとえ自分が急にいなくなっても、

ソフト屋ですが、社外に問い合わせた時「担当者がいなくなった(やめた)ため不明です」というのはよくありますね。


2 ● pkoiri
●20ポイント

自転車の乗り方を忘れない様に、動きを体が記憶する事はあります。

なので、単純な流れ作業はある程度できそうな気がしますね。

(食品のパック詰めは経験があるのですが、本当にほぼ思考などしませんでした)


ただ、それ以外については難しいでしょうね。

どの程度記憶できるかにもよると思いますが。

○○をしなきゃいけない→ではどうやるのか?


○○に行かなきゃならない→どう行くのか?→地図を見る

→地図を見る事を忘れたり、地図の見方を忘れれば?


ちょっと、「記憶が無くなる」という言葉を拡大解釈しすぎかもしれませんね。

でも、やっぱり記憶って相当重要だと思います。

例として出した映画の様に、能力はある程度保持すると考えても、新しい事は覚えられないし、後継者も育ちません。

大げさじゃ無しに、そうなったら現代社会は崩壊するのではないでしょうか。


http://q.hatena.ne.jp/

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

日常生活でやらないといけないこととか、覚えておかないといけないことがどんどん増えていったときに、最後に覚えきれなくなるとどうなるかなと思いました。

たぶん、連想記憶(どうやって記録を引っ張り出すか)がカギになりそうな気がします。


3 ● JULY
●20ポイント

思考実験、というよりは実例ですが、

NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体II 脳と心 DVD-BOX

NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体II 脳と心 DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
  • 発売日: 2008-12-26
  • メディア: DVD

もう 15 年も前の番組になりますが、NHK スペシャル「驚異の小宇宙・人体2 脳と心」の第3集で、長期記憶の機能を失ったイギリス人の実話が紹介されています。

で、この人は、とにかく自分がしたことをとにかくメモに書き、ありとあらゆるところに貼り付けていました。そうしないと、自分が食事を取ったかどうかも忘れてしまう、ということで、インタビューの最中でも、突然、何について話していたかを忘れてしまうぐらいです。

壁に張るメモ以外にも、とにかくノートにありとあらゆることを記録していました。

PC では無いですが、人間の記憶の大部分を脳の外に置いて実際に生活している人の話です。何とか普段の生活はできるようですが、やはり、「仕事をする」ということは難しいようでした。

その人は、「運動に関する記憶は、主に小脳が働く」ことから、家具職人で生計を立てられるように訓練中だったと思います。

確か、もう一人、日本人の方も紹介されていて、この方がどのように生計を立てていたかは覚えていませんが、そもそも、「自分が新たな記憶が出来なくなった」ということが覚えられず、毎朝、そのことにショックを覚える日々が続いた、という話が印象に残っています。

で、ちょっと思考実験的なことを書くと、記憶を辿るための情報すら欠落してしまうと、日常生活にすら支障が出ますから、単純な仕事でなければ難しいと思います。

「この情報はここを探せば見つかる」という部分の記憶の有無の影響は大きいと思います。ただ、「思考の過程」を脳の外に置けるかどうかで、効率は大きく違ってくると思います。実際、昔自分で作ったプログラムで、その時にそういうロジックになった「思考の過程」が思い出せず、一から作り直そうとしてみて、「あっ、このためにこうしたんだ」って思い出し、「昔の自分は賢かったなぁ」などと思ったり...。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

今、人は記憶で仕事とかやっていますが、気のせいか情報量がどんどん日々増えていってるような気がします。

このまま情報が増えていくと、記憶だけではやっていけなくなるような気がしました。


4 ● aki1960
●20ポイント

GTDという考え方があります。


「GTDの基本はなすべき仕事のリストを何かに記録しておくことで、頭の中からなすべき仕事のことを追い出してしまうというものである。これで頭の中はすべき仕事全部を覚えなくてもよくなりすっきりとし、リストに基づき実際の仕事をこなすことに集中できる。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/Getting_Things_Done


私はこれを実践するための道具としてoutlookを使っています。




余談ですが、

映画「博士の愛した数式」では1日しか記憶が持たない病気 ?> 4時間でした。

1日しか記憶が持たないのは「50回目のファーストキス:50 first date」です。

◎質問者からの返答

>映画「博士の愛した数式」では1日しか記憶が持たない病気 ?> 4時間でした。

>1日しか記憶が持たないのは「50回目のファーストキス:50 first date」です。

ありがとうございます。

GTDに近いですね。

>「GTDの基本はなすべき仕事のリストを何かに記録しておくことで、頭の中からなすべき仕事のことを追い出してしまうというものである。これで頭の中はすべき仕事全部を覚えなくてもよくなりすっきりとし、リストに基づき実際の仕事をこなすことに集中できる。」

元ネタはGTDの判定フローを見て、「タスク管理」→「OS?」…人間用のOSができないものだろうか と考え始めたのが最初です。


5 ● jo_30
●20ポイント

結論から言えば、現在のソフト・ハードではまだまだ無理だと思います。以下理由を述べます。


そもそも「記憶」というのは単なるTodoリストの羅列や知識の集積に終わる物ではなく、それらを統括し利用する方法に至るまでのノウハウ、そしてなぜそのノウハウを用いるべきかという過去の事例やそこから受けた肉体的な感覚の記憶(後悔とか愛情とか)に基づく価値判断・思想、さらにそれらを統括する「性格(キャラクター)」に至る全ての部分の有機的な結合体です。肝心なのはそれが一体となって成形されかつ日々更新されているということであり、それは一般的なPCの構造とは大きく違います。たとえて言えばCPU自体がメモリ上にある仮想CPUで、だからこそCPUそれ自体すら日々の入出力作業に併せて自動で更新されるというシステム設計をしており、従って「メモリを使用しないで仕事すること」が可能になるためには、例にあげられた『外部メモリ』自体がそういう仮想CPUを載せることに対応できるほど複雑でかつ有機的に出来上がってていなくてはなりません。


たとえば日本語変換ソフトの学習機能は、貧弱ながらいくらかそのイメージに近いです。とある人の日本語変換ソフトの辞書はその人のキャラクターをある程度写したものになっていることが予想されますが、それでも「その辞書を使用すればあたかもその人が書いているかのような文章が書ける」レベルに到達するためにはソフト的にもハード的にもまだまだ何世代もの進化を遂げないと無理でしょう。「外部のメモリ自体に人格という仮想CPUが載る」というのはたとえばそういうイメージです。(逆に、そういう『仮想CPU』の乗っかったワードプロセッサが一般発売されて…というのが神林長平のSF「言壺」でした。

言壺 (中公文庫)

言壺 (中公文庫)

  • 作者: 神林 長平
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • メディア: 文庫

)


もちろん非常に流れ作業的な「仕事」であれば、不完全ながら現在のPCでも対応可能でしょう。つまり、そもそも一個の個人という性格(キャラクター)が必要でない仕事であればという意味で。しかしそれならそもそも「人間が・記憶を使わずに・仕事する」でなく「人間は仕事しない・記憶を使わない機械が仕事する」で良いわけで、そんな例は世の中に沢山ありますよね。自動販売機、工場のライン上の組み立てロボット、航空機操縦におけるオートパイロット、etc。従って、ご質問の件はもっと「個人のキャラクター」を必要とするジャンル(営業や企画・開発、サービスなど)の仕事についてと理解しました。それらについては、上記の通りまだまだ現在のツールがソフト的にもハード的にも複雑多岐な「『人格』という記憶」を載せることに対応できていない以上、難しい、と判断します。


ただ、場合によってはソフト・ハードの変化とともに人間自体が変化し、この間の事情が変化する可能性はあります。


たとえばギリシャ時代に「賢人」とは自らの頭をよく活用できる人間だったわけですが、現在の世界で「賢人」たる資格を持つ人とは「図書館」や「ネット」などの外部記憶ツールを最大限効率的に利用できる人間のことを指すでしょう。前者の「知」が人間の五感、場合によっては神秘的な六感に関わるようなものだったのに比べて、後者の「知」は多分に「書物に書かれ得る・記号化された知とその操作法」に変化しました。ならば将来的には、現在のソフト・ハードの水準に合わせて人間それ自体がより機械に親和し、人間の「知」自体が「ネットに載るような、フラットでグリッド/クラウドで断片的で、純粋に0か1かに分類されるもののみをハイパーリンク的に取り扱うこと」を指すようになるのではないか(というか既になりつつあるのではないか)という予測も可能です。そうなると、人間の「性格」それ自体が複雑多岐なものではなくなり、その結果まるっと情報機器などに載るものになってしまう時代が来るのかもしれません。(これは非現実的に聞こえるかもしれませんが、「本」が一般的でなかった時代の人が現代人を見たとしたら感じるであろう非現実性も同じくらいではないかと思います。)


そうなるとやがてくる時代における我々の姿は、garyoさんのイメージされる「人間がCPU化して外部OSを利用」でなく、むしろ人間そのものが積極的に外部OSの一部として機能するようになるイメージなのではないでしょうか。一人一人の人間はシンプルなチップとして機能するようになり、そしてそういった人間が集団としてそれぞれ「CPUセクション」、「ROMセクション」、「I/Oセクション」…etcを担当する、と。そういう時代には、仰るように「チップのようになった」人間は、自分の記憶を完全に外部化することも可能になるかもしれません(それは要するにコンピューターが我々の人格を代行するということです。たとえば優秀な航海士・操縦士・艦長のキャラクターを内蔵したPCが宇宙戦艦を自動操縦するようなイメージ。)まあそういう時代になると、それはそれなりに人類は優秀なアウトプットを叩き出す気もしますが……そんな時代まで生きていて何をする?という気もしてきますね、逆に(苦笑)。


生きるということはもっとシンプルなことであって良いような気がするので。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0609/05/news016.html

上記に書いてありましたが、

>「GTDはOSに似ている」

> GTDの著者、デビッド・アレンさんの話にはコンピュータのメタファーが数多く登場します。

>

> * 「頭はHDDではない(頭に気になることを保存するのはやめよう!)」

> * 「週次レビューではメモリーダンプをしよう(週に一度、気になることを紙にダウンロードしよう!)」

> * 「心のメモリをうまく使おう(限られたメモリをうまく使うには今作業すべきものでないものはどこかに書き留めて忘れよう)」

この考えの通りです。

情報技術の発達により日々処理する情報量が多くなって、人間用のOSが必要になるのではないか。

この、「情報を処理しきれない」の一部は「(情報が多くて)覚えられない」に相当します。

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