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「運命の赤い糸」伝説がありますが、日本での発祥元を探しています。
※個人サイトやウィキペディアなど確証のない情報ではなく、然るべきところでの情報をお願いします。


●質問者: ata11
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 生活
✍キーワード:ウィキペディア 伝説 個人サイト 赤い糸 運命
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● kaka777
●27ポイント

これは宋の時代の中国で書かれた「太平広記」にある「定婚店」という話に由来するもの。

http://s.freepe.com/std.cgi?id=united&pn=01


2 ● kanan5100
●27ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/運命の赤い糸

もともとは中国の故事に由来することはすでにご存知だと思いますが、この伝説が日本で人口に膾炙するきっかけとなったのは、太宰治であると思われます。

まず、小説「思ひ出」(1933年)(「津軽」にも同様の記述あり)には以下の文章があります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1574_15508.html

秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の棧橋へ出て、海峽を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い絲について話合つた。それはいつか學校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとひ往來で逢つても、その絲はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。

また、文筆家の青柳いづみ子さんは、太宰の心中相手である山崎富栄の評伝『玉川上水情死行』の書評の中で、太宰は富栄を「赤い糸で、むすばれてゐるような二人なんだ、お前でおしまひにするよ。 信じてね、死ぬ時は一緒だよ」(富栄の日記の引用)と口説いた、と書いています。

http://ondine-i.net/column/column017.html

そして実際に1948年、太宰治は山崎富栄と玉川上水で入水自殺。二人は抱き合ったままで、体は赤い糸で結ばれていたといいます。

http://yabusaka.moo.jp/jisatu48.htm

なお、太宰の小説にちなんで、来年青森市と函館市では「赤い糸プロジェクト」が行われます。

http://www.ehako.com/news/news2007a/2821_index_msg.shtml


3 ● jo_30
●26ポイント

まず、いわゆる『小指と小指を…云々』という「赤い糸伝説」自体は、中国は唐代の伝説が日本に伝わってきて知られたもので、日本発祥ではありません。一部に「古事記」の三輪山神婚譚が起源か、という説もありますが、「糸」は繋がっていてもそれにもとづく「赤い糸伝説」的な話が古典文学に見られない以上、眉唾です。


原典である中国の話(「続幽怪録」など。参考:http://211831.jp/blog3/?m=20080610)には、ズバリ「赤い(糸ならぬ)縄」で結ばれる、という話が出てきますし、「赤い糸」伝説自体はやはりそちらが発祥だと考えるのが良いでしょう。

ちなみに、これが日本で有名になったのはどうやら江戸時代あたりのことで、具体的にテキストとして確認できる用例では

既に聘礼を納めしうへ。かの赤縄に繋ぎては。仇ある家。異なる域なりとも易べからずと聞ものを。

吉備津の釜」(上田秋成「雨月物語」1776年刊 より)

などが一番早いものかと思われます。(参考:『日本国語大辞典』小学館)

ただし、これは「発祥」というより、当時常識として知られていたことをただ用いた、という印象です。おそらく、和文でなく漢文の知識のある人にはちょっと知られた話だったのではないでしょうか。これ以降1800年代に入ると、タイトルに「赤縄」の入った読本などもあり、一般にもちょっとした流行語のようになります。


近代に入ると、またしばらく忘れられたようになり、昭和13年に書かれた田中貢太郎の随筆に

…またその叢書の『続幽怪録(ぞくゆうかいろく)』の中にある定婚店(じょうこんてん)の話は、赤縄(せきじょう)の縁(えん)の伝説である。韋固(いこ)という者が結婚の事で人に逢う約束があって、…

「怪譚小説の話」田中貢太郎 昭和13年

…などと書かれています。


ただ気になるのは、これはいずれも「赤縄」とあるという点で、これを赤い「糸」と言い換えたのは誰か?というご質問だとすると、もう少し別の出典が必要になるかと思われます。


調べた限りでは、どうも太宰治の「津軽」あたりが古いような気がします。

…秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合つた。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである…

「津軽」太宰治 昭和19年

これも話はどう見ても赤縄の話なわけですが、「糸」となっています。太宰なら「縄より糸の方が可憐だ」とか言って勝手に変えるなどということもいかにもしそうですし、時期的にも古く、また多くの人に読まれている作品なので、どうもこの辺りが、現在一般に知られる「糸」の話の源流ではないかと推測します。


ただ、少しだけ気になったのは、もっと早く、夏目漱石「三四郎」の次の一節です。

寝台の上に敷いた蒲団(ふとん)を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜(はす)にはぐって、裾(すそ)のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着(むとんじゃく)でいるので控えた。

「三四郎」夏目漱石 明治41年

野々宮さんの妹を見舞うシーンですが、この「取り損ねた赤い糸」の話の直後に美禰子との再会が描かれます。非常に印象的で、どうやら漱石は赤縄の逸話をイメージしてこの部分を書いたのではないかと推測されます。その意味では、「糸」に話が変わったのを太宰の手柄とするほどのことも無いかもしれません。

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