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【イエはてな】“イエ・ルポ 2” #023

THEME:「家族だからこその心…イエでうれし泣きしたあの日」を教えて下さい

「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!


*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!

「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731

テーマ詳細とルポ例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20081107

プレゼント変更ご案内
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729


※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は11月13日(木)正午で終了させて頂きます。

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●質問者: ie-ha-te-na
●カテゴリ:コンピュータ 生活
✍キーワード:11月13日 theme あなた いね おすすめ
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 208/208件

▽最新の回答へ

[1]初めて父親と酒を酌み交わした日 powdersnow

二十歳まで健康に育ってくれたこと、しっかりとした人間に育ったことなど感慨深げに話されて、お酒で感情が高ぶったのもあってか、部屋に戻った後にぐっときました。

自分の方からも当然、感謝の気持ちを伝えましたが、大人になってから両親の偉大さや苦労が本当にわかるようになってくると思います。


[2]子どもの誕生 akauo

一人目は立会出産をしましたが、やはり感動モンです(皆さんにも是非お勧めします)。知らず知らずのうちに泣けてきました。


[3]>2 立会い出産 tso973

私も立会い出産をしました。

当日だけではなくあらかじめ何度か講習を嫁さんと一緒に受けて呼吸法や励まし方など色々と準備してからの本番立会いでした。立会いなので夜中に産気づいてからいきなり呼び出されて間に合わないかと思いましたが何とか間に合いました。

生まれてすぐの我が子を見た時は本当に感動ものでした。


[4]>3 子どもの誕生 kaka777

赤ちゃんの誕生の瞬間に立ち会えることは本当に幸せですね。その瞬間は自然と涙が溢れてきますね。


[5]>1 父親と酒 kaka777

10代のときは反抗期で父親とは一切口をきかない時期が多々ありました。大人になって家で父親と酒を交わす機会があっていろんな話をするようになってからは父親への感謝の気持ちを持てるようになり目を潤ませたこともありましたね


[6]>5 父親と酒 oute

父親と酒を交せるときが来るなんて夢にも思いませんでした。うれしくて涙をグッとこらえました。


[7]>6 父親とお酒 fwap

父はお酒に非常に弱い方ですが、私が就職して初めて一緒にお酒を飲みました。初任給で父と一緒に近くの居酒屋で近海物の魚を食べながら、「健康でいてくれてよかった」と言ってくれたのが印象的です。自分も子どもに言えるようになれたらと憧れます。


[8]>4 子どもが生まれた! fwap

親になったと実感したのは、生まれたての子どもを抱いたときです。まだ、おなかの中にいたときの名残の臭いや、赤ちゃん特有の体温と声、これらが合わさったとき私もとうとう責任ある立場になったんだと感じましたね。うれしいですよ、もちろん。


[9]>8 出産 wacm

へその緒がからまり、なおかつ未熟児での出産だったので、本当に生きているのか最後まで不安でした。私の両親も心配で駆けつけてくれて、安心しました。本当に出産は怖くて不安になりますが、自分が生んだときの悦びは何にも買えがたいものがあります。自分の子ども、両親を含め周りのみんなに感謝の気持ちでうれしいです。


[10]>7 父とお酒 wacm

父が会社内で辛い立場に置かれていたのですが、どうしてもクビ・廃止にしなければいけない部署があったそうです。父は厳格で、しつけにも厳しかったのですが、解雇される側にも家庭や子どものことがあると思うとなかなか決断できなかったようです。お酒を飲むことで知り得た内容だと思います。私は思わず泣いてしまいました。


[11]志望校に合格 fwap

中学、高校、大学と全て第一志望の学校に落ちていた私は、大学院だけは第一志望の研究室に入れるように勉強しました。途中の一年間、腎臓の病気で休学せざるを得なくなりましたが、そこでの問題意識も働いて、労働経済学のいい論文が書けました。合格も病気での経験と論文が活きていたと担当の教授に言われ、うれしかったです。そして、何よりも志望校に合格したとき母親が泣いて喜んでくれたのがうれしかったです。


[12]>11 高校受験に合格した日 kaka777

人生初めての受験で高校に合格した日はうれしくて涙がでたのを覚えています。自分以上に母親が喜んでくれて涙していたときは幸せな気持ちになりもらい泣きしましたね。


[13]>12 受験 wacm

確かに合格した周りの人は泣いていましたよね。私はなかなか泣けなかったのですが、合格した安心感からか涙がこみ上げてきました。両親が喜んでくれたのが一番うれしかったですね。それで、部屋に帰って泣けました。


[14]>9 子供の誕生 tibitora

赤ちゃんの誕生に立ち会えるのは素敵なことですよね。

人間も、ほかの動物の赤ちゃんの誕生も素敵で幸せなことだと思います^^

産まれてきてくれた小さな命を大切にしていきたいですよね^^


[15]>14 妹の誕生♪ toukadatteba

新しい家族が増える瞬間にいあわせられるというのは幸せですよね^^

うちで妹が生まれたときも感動でした。


[16]>13 受験! toukadatteba

自分だけじゃなく、家族一同、合格を喜んでくれたのがうれしかったです。

今は指導する立場ですけれど、やっぱり受かるとわがことのようにうれしいですよ?。


[17]母の退院 toukadatteba

子宮筋腫で、数日入院した母が無事に帰ってきたときは、本当にうれしかったです。

妹と母はちょっと泣いていました。もしかしたらがんかもしれない、というところから始まり、とってみるまでなんともいえない日々が続いて、ようやく手術、そして無事帰ってきてくれたときはほっとして私も泣いてしまいそうでした。

家族が元気なのが、一番幸せなことですよね。


[18]姉の結婚式前夜 kaka777

姉とは小さい頃から兄弟喧嘩ばかりで仲のいい兄弟ではありませんでした。そんな姉が結婚することになりその前日の夜に自分の部屋に来て「今までお世話になりました」と一言。さりげない一言でしたが急に寂しくなり、姉が結婚して家をでる寂しさとともに喜びでうれし泣きをしたのを思い出しました。


[19]>17 母親の退院 fwap

私も同じで、母の子宮筋腫で入院しました。小学4年生でしたか?!突然、父と母方の祖母が家に来て、面倒を見てくれるようになったので、離婚したのかと思っていましたが、実は手術したと後ほど聞かされて、妹と泣いた記憶があります。やっぱり、母親は欠かせない存在ですよね。


[20]>18 結婚式前日 fwap

あり得るシチュエーションですよね。娘と父親の関係なら特に。私には上の兄姉がいませんが、そんな気持ちを感じさせる投稿ですね。確か、ドラえもんでもそんな話があった記憶があります。お嫁入りの前日の最後の家族の団らん。。やはり結婚は人生の大きな転換期の一つなんでしょうね。


[21]>20 結婚式か? toukadatteba

兄弟は多いのですが、どの子もまだ縁がないので、想像するしかないのですが、やっぱりさびしいでしょうね?。

とかいっていないで、私が一番年上なので結婚しろよ、という話なのですが(笑)

父母は、早くわたしが結婚する姿を見てなきたいんだけど…。と恨めしそうです。


[22] 仲直りしたとき azaburecipes

ささいなことで喧嘩になって険悪な感じになって…好きで結婚した2人なのに辛くなってしまうときがあります。でもその喧嘩が大変だったときほど、仲直りできたときは嬉しくて、うれし泣き。大事に思ってくれていたのだな、とお互いの気持ちが繋がったときは悲しさと嬉しさの入り交じった不思議な気分です。


[23]>16 自分の番号を見たときに omotimotitto

高校の合格発表の時、たぶん泣かないかな?と思っていたのに、

番号を見たときにじわーっと涙がでてきました。

友達も一緒にうるうるしてたのを覚えてます。

うれしくて泣けるっていうのはなかなかないんですけど、素敵な事ですね!


[24]家を増築した時 momokuri3

私の家は元はとても手狭な作りでした。それを増築しようという計画が持ち上がりましたが、それは大変な資金のかかることでした。当時私はまだ子どもでしたのでその時の具体的な苦労の中身は知らされませんでしたが、父も母もほぼ新築のマイホームを目指すのと同じくらいの努力でお金を貯めていたと思います。

私には、小遣いくらい世間並みに保証するよ、勉強に使いたい本は別枠で買ってやるよと言ってもらいましたが、父母は子どもに見せない所で、節約に節約を重ねていました。

そしていよいよ工事に取りかかる直前まで来ました。父と母は毎晩のように方眼紙を取り出しては、ああでもないこうでもないと間取りの検討をしていました。父はドアノブから照明器具に至るまでのカタログを色々集めまくってきましたし、母は古本屋から一年分の住宅雑誌を買い込んできて、生活の動線がどうの、理想のキッチンはこうのと研究に余念がありませんでした。

そんな下準備の末に取りかかった増築工事。わが家の工事は残す部分に住みながら新たな部分を継ぎ足していくやり方で行われましたので、住んでいる者の目から、工事の様子が手に取るようにわかります。父は毎晩仕事が終わって帰ってくると、工事中の部分を丹念に見て回っていました。

そんな強い思い入れの後に迎えた完成の日。真新しい増築部分の1階に作られた居間で、家族揃っての完成記念パーティーが行われました。寿司の出前が取られましたが、なんと父と私の分は二人前です。

「一世一代の家作りの記念日だから、普段やらないことをして思い出に刻みたいんだよ」

とはその時の父の弁です。

寿司が届き、みんなでおめでとうと乾杯して食べ始めましたが、まず最初に母が泣き出しました。続いて父が目をつぶって静かに涙を流しました。夢を形にすることが出来た感激。途方もない計画をやり遂げた喜び。そんな感情が、子どもだった私にも伝わってきました。この家には隅々にまで父と母の願いが反映されているんだ、毎晩方眼紙に向かって夢を語り合っていた二人の心の結晶がこの家なんだと思うと、私も熱い物が込み上げてきました。あとはみんな泣いてしまって、とても食事どころではありませんでした。もう感激で胸がいっぱいで、二人前もの寿司が喉を通る状態ではありません。全て食べ尽くすまでに何時間かかったでしょうか。うれし泣きというと、まずこの日のことが思い出されます。


[25]>19 母親の退院 kaka777

うちの母親も不整脈で緊急入院したことがあります。母親が病院に運ばれたのを聞いたときは驚いて急いで病院に向かいました。不整脈は生命の危険を伴っており突然死の原因とも成りうるということで心配しました。それから何日か入院しましたが無事回復し退院する日は母親が良くなってくれて本当にうれしくて涙が出るほどでした。


[26]>15 子供の誕生 ba111

新しい命が誕生するときは本当にうれしいものでえすね。家族でうれし泣きすることが多い瞬間ですね。


[27]>25 家族の病気 toukadatteba

皆さんも結構お母様のご病気で…というのがあるんですね?。

あんまりいないかな?と思っていたので、ちょっとびっくりです。同じ病名の人もいますね!

母に限らず、家族の誰かが病気になってしまったり、入院したりしてしまうと、本当に心配ですよね…!

日ごろ助け合って一緒にいるだけに、いなくなるとさびしさや悲しみもひとしおな気がします。


[28]>27 家族が大病 wacm

私の叔母に当たる者が、心臓病の手術をするときには看病するために仕事を一時休職して一緒にいました。叔母夫婦には子どもができなかったため、幼い頃両親よりもかわいがってもらった思い出がたくさんあります。ですので、叔母が一大事とあっては助けなければ行けないと思い、病院へ急いでいきました。なんとか手術成功という報告を聞いたときは、ほっとしてうれし泣きをしてしまいました。


[29]>23 受験 akauo

親にしてみれば、「まだまだ子供」の子供に対する試練ですし、神頼み的な要素も多分にありますので、本人よりも、ひょっとして親の方が「泣けるほど」嬉しいかも知れません。息子の高校受験の時にそう実感しました。


[30]>26 こども sidewalk01

これに勝るものはないですね!


[31]>21 結婚式 sidewalk01

娘の結婚式などはお父さんはたまんないでしょうね。


[32]初めて息子と酒を酌み交わした日(酌み交わす日) akauo

まだその時期がきていませんが、「初めて父親と酒を酌み交わした日」に対抗しまして。

親としては、嬉しいような、照れくさいような、その親子関係なりの複雑な気持ちがしそうですね。先日カイシャで雑談していまして、「成人したらすぐにでも一緒に飲みに行きたい!」派と、「息子なんか酒に誘う気もないし誘っても付き合わないに決まってる!(実は照れくさい?)」派がいたのが可笑しかったです。


[33]>10 父親と酒 akauo

これ、羨ましいです。父親が下戸で全く「呑むこと」に興味がありません。また、行ったとしても、お酒を飲みながらゆっくり語るという行動パターンを全然持ち合わせていないようで、場持ちがしない気がします。


[34]>29 受験 sidewalk01

高校受験の時には相当嬉しかったですね。


[35]退院のその日に… TinkerBell

私はしばらく入院生活を送っていました。

ちょっとややこしい病気で、もしかしたらずっと入院したままかもしれないと思われていたんです。

だからその時、父母はとても辛い思いをしていたと思います。

母なんか、こらえきれなくて私の前で泣いちゃって…。

私は自分の病気のことより、そんなふうに両親の重荷になってしまっていることの方が辛かったです。

早く治って元気になりたいというより、治らないなら治らないでもいいから、

父母の負担になりたくないというのがその当時の私の願いでした。

だから、このまま治る見込みがないのならいっそのこと…、

みたいに口を滑らせてしまったことがあるんです。

その時は、すごく激しく母に泣かれてしまいました。

私も、そういう考え方こそ両親の負担になってしまうんだと気付かされて、

それからは、この父母のためにも何としても元気になりたいと思う気持ちに切り替えました。

そしてそれから、ちょっと長い入院生活が続きましたが、

治療の甲斐あって、無事退院できる日を迎えました。

その日は父も仕事を早く切り上げて帰ってきてくれました。

家に入ると、夢にまで見た家の姿と、懐かしい家の匂い。

何もかも、入院する前と同じです。

父も母も私が入院している間、家の様子を変えないようにと、

それこそスリッパの置き方一つにまで気を配っていてくれたそうです。

そしてキッチンからはシチューの香り。

そう、入院前夜の食事が、クリームシチューだったんです。

さらにお帰りと家で待ってくれていた父が着ていたのは、入院した日と同じ服。

もう季節外れなのに…、です。

こんなふうに、何もかも入院前と同じにして迎えたいという、

父と母の愛情いっぱいの心遣いに感激して、私は泣きました。

もう、涙が止まりませんでした。

退院できた喜びというより、この父と母の所に帰ってこられた喜び。

人って本当に感激すると涙が出るんだって、自分で自分にびっくりするくらい泣きました。

この日のことを思い出すと、また涙が出てしまいそうになります。


[36]>33 息子と酒 adgt

の方が感動するかも?ここまで育てたって。


[37]>28 祖父の退院 adgt

完治ではなかったけれど、また、家に戻れたことは嬉しかった


[38]>31 結婚式前日のおやじ utoku99

うちのも姉がいます。その姉がけっこんする前日の夜はうれしいような寂しいようなしんみりとした夜でした。姉がおやじに挨拶をしてからはおやじの背中は喜びと寂しさでうれし泣きしていたように見えました。


[39]>38 姉の結婚式 kafuka01

父親は自分の結婚式では泣かなかったけど、姉の結婚式では泣いてましたね。

やっぱり父親にとっては娘の結婚式は特別なんでしょうね。


[40]>34 大学合格 kafuka01

自分のときは合格を知ったときは、クールにそうって感じで普通を装ってましたが、

部屋に戻って1人になったら、1浪だったんでちょっと感無量になりましたね。


[41]>30 自分も泣きました kafuka01

なんでかよく分からないけど、自分の子供を見たときに涙が出ました。

生物的に子孫を残すと、自分の存在が肯定されたように思えるからなのかな。


[42]手術の後に kafuka01

母が脳梗塞で倒れたときに、無事に手術が終わって、包帯でぐるぐる巻きの頭を見て涙が出ました。

手術の前に持たない可能性があると医者に言われてたので、手術が終わってほっとしたからでしょうか。

その後、心配された後遺症も無くてほとんど昔のままに戻れてほんと良かった。


[43]子供の頃に迷子になった後に kafuka01

子供の頃、買い物に行ったときに親とはぐれてしまい、1時間以上町の中を歩き回ったことがあります。

へとへとになって、なぜかこのまま死んでしまうんじゃないかと思ったら母親が見つけてくれました。

そのときは子供ながらにうれしいやら、怒られるやらで泣きましたね。


[44]>39 結婚式 wacm

結婚式で父は泣き、母は泣かず。娘は泣き、息子は泣かないってのが相場ですね。もう一緒に過ごすことがないことを自覚したときに初めて、家族の大切さを知るのでしょうかね?!私も理想の家族が両親ですので、感無量でした。


[45]結婚を申し込みに行った日 atomatom

もう10年以上も前の話ですが、家内の実家に結婚を申し込みに行きました。

ぼくはどうも照れ臭いのが苦手で、家内と交際している間も、まあ電話を取り次いでもらうときにお母さんと2言3言、挨拶をしたことはありましたが、会うのはうまいこと避けていたわけです。

ですから結婚を申し込みに行くその当日まで、家内の両親と会ったことはなかったわけです。

いやあ、緊張しました。

家が近づいてくると、今日はもうやめて、また日を改めて、なんていう弱気な気持ちになったりもしたものです。

度胸を決めて家に入らせてもらうと、向こうも緊張しています。そりゃそうです。初対面の男が「お嬢さんをぼくにください」みたいなことを言いに来た、ということは家内からの事前の根回しというか、情報が届いていたわけですから。

普通に挨拶をして、食事時でもないのにビールとかつまみとか出してもらい、家内の妹とかも出てきて、それでも話はそれほど弾まず気まずい空気。

こうなったら、もう、早いとこ済ませてしまおうと、座布団から降りて、まあ実際になんと言ったか忘れましたけど「結婚させてください」とお願いしました。

一瞬の沈黙があって、まず家内のお母さんが涙を拭いて、それを見て家内もハンカチを出して。

お父さんは黙ったままで。

黙ったままなのは了承の合図だと勝手に解釈して、ぼくは逃げ出すように辞したのでした。

後から家内を通じてお父さんも認めてくれているとの話を聞き、ホッともしました。

結局、ぼくは泣きませんでしたが、あのときのお母さんと家内の涙は「うれし泣き」に数えてもいいんじゃないかなと思ってます。


[46]父と大げんかした後… YuzuPON

3年ちょっと前の出来事だったでしょうか。もういい大人の私が、こともあろうに父親と大げんかをしてしまったんです。きっかけは些細なことでしたが、ちょっとした言葉のあやが感情の行き違いを増幅して、ついに私は切れて、とても口汚く父親を罵ってしまいました。もちろん父も負けてはいません。お互い有り得ないくらいに互いを罵倒し合って、完全に感情対立が硬直化してしまいました。

「もうテメェなんぞ家族とは思わない」と私が言うと、父も「同じ言葉を返してやる」。これで完全に和解の糸口はなくなりました。父はプイと私に背を向けて、扉に八つ当たりするかのように激しい音を立てて、部屋を出て行きました。

おかしなもので、こういうケンカの時には、ケンカして激高している自分とは別に、こんなことを言ったら取り返しが付かなくなるぞとか、謝るなら今しかないぞといった冷静な状況判断をしている自分がいるんですよね。そのもう一人の自分が、もう手遅れだと判定を下してしまいました。私はガックリと力が抜けた気がしました。その日はまだそんなに遅い時間ではありませんでしたが、自室に籠もって出て行きませんでした。

翌日、わざと父と時間をずらして朝食を済ませ、無言で家を出ていきました。帰宅も、父と顔を合わせるのを避けて、わざと遅くに帰りました。そんな日がしばらく続きました。

こうした日々が積み重なっていくと、どんどん和解のチャンスが消えていきます。私たち親子はこのまま家庭内他人になっていくのかという予感が、だんだん濃厚になってきました。もう大人なんだし、このまま家を出て独立しようかとも考えましたが、そんなことを考え続けている間に、幼いころに父と遊んだ楽しい思い出がたくさん蘇ってきて、たまらなくなってきてしまいました。たとえ今後独立するにしても、父と仲直りしてからにしたい。そういう気持ちがどんどん強くなっていきました。でも、妙な意地が邪魔をして、自分から謝るということが出来ません。

そんなことを悶々と考えながら家に帰り着きました。玄関が見えてきます。私が小さかったころ、父はこのドアを元気良く開けて帰ってきては、おみやげがあるぞと私を呼んでくれました。あのころの私は、おみやげより、それを買ってきてくれる父の愛情が嬉しかったんです。おみやげを手渡してくれる父は、全身で私が好きだと言ってくれているようでした。

あのころに帰りたいと、本当に心からそう思いながらドアのノブに手を掛けると…、背後に人の気配を感じたんです。振り返ってみると、父が立っていました。どうやら私の帰りを待って、ずっと外にいてくれたらしいのです。父は、振り返った私の目の前に紙袋を差し出して、照れくさそうに「おみやげがあるぞ」と言ってくれやがりました!

この瞬間、私の涙腺は崩壊しました。なんという父。まるで私の心を読んだかのような…。あぁ、この人は本当に私の父なのだ、言葉で語る前から私の全てを知り尽くしている世界でただ一人の父親なのだ、その愛情は私が大人になってからも、どこも変わっていなかったのだ…と、そのことを知って、感激に涙が溢れました。

ちょっと普通の「うれし涙」とはニュアンスが違うかもしれませんが、私は「うれし涙」というテーマで、咄嗟にこのことを思い出してしまいました。


[47]姿を消した猫が帰って来た時 iijiman

その日、突然大家さんが工事を発注してしまいました。

住んでいるアパートの屋根が古くなったとかで、屋根を剥がして張り替え工事。

トタン葺きの屋根を剥がす音がもの凄く、朔(猫)が外に逃げ出してしまいました。

元々、時々外に出る猫ではあったけれど、外出してもせいぜい数十分もすれば帰ってきます。

ところがその日は、1時間経っても2時間経っても帰ってきません。

半径50mの近所は路地までくまなく探しました。

半径200mくらいまでは、自転車を使って探しました。

名前を呼びました。何度も繰り返し。

平日の昼間に何事かと思った人もいたかもしれないけれど、そんなことは関係ありません。

仕事も中断して猫を探しました。

でも、見つかりません。猫の気配すらありませんでした。

ついに私は、どこからともなく「うめえん」という幻聴まで聞こえるようになってきた、と思い始めていたところ、どこからともなく朔が現れました。

屋根の工事は昼休みに入っていました。

「どこへ行っていただよぉ、心配しただよぉ!」と、朔を抱きしめました。

その時、少しうれし涙がにじんだような気がします。


[48]>44 妻の父親 intetu

自分の結婚式で妻の父親が泣いたので、もらい泣きをしました。

妻は一人っ子だったのでしょうがないですが。


[49]>40 第2希望の高校だったけど nakki1342

自分は、高校合格を最初同じ中学出身の同級生に"○○(自分の名前)合格してるよ?”と

言われてしまったんですけどね

高校の合格発表を知らせるボードを

自分で確かめに行き、見たんですけど

(いくら合格してるよ?といわれても

自分の目で見たかったもんで)

その合格者の名前が書かれている中に

自分の名前を見て涙は少ししか出なかったけど

嬉しかったのを覚えています

科目によって好き嫌いが激しくて

第一希望の高校をあきらめ志望校を

変更したのですが

乗り越えたのがほんとに嬉しかったから・・


[50]就職決まった日 peach-i

仕事が決まり、将来に向かうその門出で・・・


[51]感動するスポーツ intetu

基本的に涙もろいので、いろんなシーンで泣いてしまうのですが、

数多いスポーツを見て号泣した中で最もすごいうれし泣きだったのは、、

長野オリンピックの原田選手のジャンプです。

本番前でもリップサービスやおどけたりする原田選手ですが、

プレッシャーに弱くここ一番で失敗ジャンプをするのではないかと言われてました。

長野オリンピックの団体で、跳んだ瞬間日本の勝利を確信するようなジャンプに

涙腺が緩み、その後の原田選手の号泣でもう涙が決壊してました。

と今も思い出しただけで泣けてくるのです。


[52]>50 最近では to-ching

子供の就職が決まった事でしたね?この就職難、大変でした、大学は出たけれど・・・ですもの。しかも田舎に帰って就職したいなんて言い出す始末。親としてヤッパリ苦労しました・・・もう決まってから一年がたとうとしています、今は何年も勤めているような顔してますが・・・。私達親は泣いたり、笑ったりでした。


[53]>52 そういえば to-ching

勤めの初日、手を振って、嬉しそうに勤め先に向かっていった息子をみて女房と泣きました。


[54]私達の結婚披露宴で to-ching

両親が歌を歌ってくれたことでした、普段は旨いのにすっかり上がったらしく「下手」でした。かえって泣けました、親はそのビデオを見ると悶絶しますが。


[55]>36 いやー to-ching

良く飲んだものです、私が帰省するとビール箱が沢山空になったものでした、夕食時と夜10時くらいから飲んだものです。もう親爺はいないんだね。


[56]>51 弱いチーム、お金が無いチーム to-ching

これが優勝すれば感激ひとしお!最近では日本ハムだったです、ファンクラブに入ってしまったデス。巨人?13ゲームひっくり返して優勝?本当は13ゲーム差をつけ優勝でしょうが!


[57]自分を待っていてくれる家族 sidewalk01

もう亡くなってしまいましたが、祖母は私が帰省する度に、「良く帰ってきたね」と大量の食事をこさえてくれたり、熱心に話しかけてくれていました。癌の治療中で相当に辛くても、その様子が変わらなくて、胸がいっぱいになり、病院の廊下で思わず泣いてしまいました。無償の愛情ってすごい!感謝感謝です。


[58]>37 退院 oute

私にはまだ経験がありませんが、やっぱり家族が病気やケガから良くなって退院するときは格別な思いがあるんでしょうね。


[59]>55 酒飲み juic

の家系に生まれ、すっかりその血を受け継いだものですから、実家に帰った時は毎晩楽しく飲んでいます。

初めて飲んだ時は…あまり記憶にないですが(笑)、感慨深いものはあったと思います。確か。


[60]>58 父親の退院 ba111

幼いときに一家の大黒柱である父親が入院したときはそれはもう不安でいっぱいでした。父親の無事を祈っていたことを覚えています。回復して退院のときは喜びのあまり泣いてたことも覚えています。


[61]>57 家族 eiyan

家族はいつも心配してくれ待っていてくれますね。

特に父親でなく母親の愛情は強いものがありますね。

子の為なら母親は強しです!


[62]>22 喧嘩 eiyan

喧嘩した後の仲直りは一寸したきっかけが必要。

そのきっかけはひょんな所にあるもの。

そんな事でといつも感謝したいですね。

どんな大喧嘩でも感謝の気持ちがあれば仲直り出来るのですね。


[63]>24 家の事 eiyan

どんな子細な事でも心が篭れば輝いて見えますね。

家族のまとまりはある事態の解決。

最も嬉しい時でもありますね。


[64]>35 退院 eiyan

入院時は心細いものですね。

見舞い人が来る時、退院時はとっても嬉しい時ですね。

感謝と喜びを共に分かち合いましょうよ!


[65]>42 手術 eiyan

手術は怖くて不安なものです。

手術してもう帰れないのではないかと信じるものです。

そんな不安な気持ちで手術から復帰出来たら最高!って気分ですね!


[66]>63 うちも増築しました。 taknt

といっても、一部屋だけ残して、新築したみたいな感じでしたとげね。

父が大工さんたちに お寿司とかふるまっていたような記憶しか残っていないですね。

できたからといって、家族でお祝いとかは なかったような気がします。

みんなで祝うのもいいもんですね。


[67]>56 サッカーワールドカップ初出場を決めた nandedesune

日本にJリーグができて盛り上がってましたが、ドーハの悲劇で日本のサッカーのレベルが低いことを思い知らされましたよね。

その後、ワールドカップ初出場を決めた岡野のゴールの瞬間は泣きましたよ。


[68]>65 自分の事故のときに SALINGER

自分が泣いたんではないですが、自分が来るまで事故を起こしたときに、手術の後に駆けつけてきた親が泣いてましたね。思ってたよりも元気だったんでほっとしたんじゃないでしょうか。


[69]>49 自分のときよりも nandedesune

弟の大学合格が決まったときはうれし泣きしましたよ。

自分のときは泣かなかったのですが、他の人特に身内のときはなぜかすごくうれしかったです。


[70]>67 ああ、原田選手! atomatom

あの日は朝からテレビを見ていて、どうしても結果が気になって会社休んだんですよ。いや、朝は普通に仕事に行くつもりで準備をしていたんですが、試合を観ているうちに「いや、もう、これは仕事どころではない」という気持ちになって。家内と2人で見ていて、確かに泣きましたよ2人とも。あれはよかったなあ。


[71]>43 迷子経験アリです atomatom

ぼく自身は記憶がないのですが、親から聞いた話。

大阪万博、ですから、もう40年近く前ですね、おばあちゃんと2人で行ったんだそうです。

で、あまりの人の多さにぼくは迷子になったそうで。おばあちゃんは責任重大ですよね。必死に探してくれたんだけど見つからなくって。どうやってぼくが見つかったのかはよくわからなくて、多分、迷子係がなんとかしてくれたんでしょうけど、おばあちゃん、安堵とありがたさで泣いたそうです。


[72]>68 手術 sidewalk01

待つ時間の不安は言いあらわせないですね。あんな心配な思いはしたくありません。


[73]>72 母の手術後 iijiman

母が胆石でお腹を切った時、もうぐったりしていて「こりゃあダメだ」と思ってしまうくらい弱っていました。本人は「やられたぁ」とかいってふざけていましたが。

しばらくして、点滴の管を刺しながらもやっといつもの母に戻ったには、安心して、ちょっとじんわりしました。


[74]>41 こればっかりは q11

私も立会いしましたが、こればっかりは女性にはかなわないと思いましたね。

なかなか経験できないことだし、そういう場に立ち会えるのは幸せだと思います。

どうするか迷っている人はぜひ立会いしてみて下さい。


[75]>73 手術 tibitora

手術は不安ですよね。

私も1度したことがあるんですが、日帰りの簡単なものですたがすごくどきどきしました。

家に帰ってきたらいつもそっけないにゃんこも心配そうに様子を見に来てくれました^^


[76]>71 迷子 tibitora

子供の頃は親に引っ付いて歩いていたのか迷子の記憶は無いのですが、

私は方向音痴なので知らない場所に行ったり入り込んでしまったときは迷うことがあります;;

日が暮れてくると不安が倍増ですよね、場所のわかる道まで戻ってくれたらほっとします。

自転車で行って、道がわからなくなって家に帰れないんじゃないかと本気で不安になったこともあります;;そのときは携帯電話も持ってなくて、公衆電話も見当たらなかったので連絡の仕様が無くどうしようと思いました。


[77]>47 朔ちゃん無事帰ってきてよかったです! tibitora

猫は大きな音が嫌い(怖くて)環境の変化に敏感ですもんね、朔ちゃんもそれでびっくりして逃げ出してしまったんだと思います。

長い時間外にいたことの無い朔ちゃんがそんなたくさんの時間外にいて、危ないことに合わなかったみたいで、無事に戻ってきてよかったです!

朔ちゃんも無事におうちに帰ってこれて、iijimanさんに抱きしめてもらって、とても安心できたと思います^^


[78]>54 うちの父親も atomatom

ぼくたちの披露宴で「瀬戸の花嫁」を歌ってくれました。あの歌、新婦の友人なんかが歌う方が普通ですよね。新郎の父親が歌っても。。。はい、うちの父親も普段は上手なのにヘタでしたねえ。緊張なんでしょうねえ。

ところで、よく披露宴のビデオなんて見ようという気になれますねえ。ぼくなんか恥ずかしすぎて絶対に見れません。披露宴自体恥ずかしくて、ガンガンアルコール飲んでましたもん。


[79]>74 出産 canorps

先月二十日に三人目の子供を出産してきました。

ひとりめの時は、夫は夜勤でしたので夜中中の陣痛を一人で越えて、いざ出産のときには夫が立ち会うことができました。

二人目はまた夫は夜勤で間に合わず、一人で出産しました。

三人目は、また夜中でしたが夫が家にいるときに破水から始まり、夫と子供二人に、初めから最後まで立ち会ってもらうことができました。

子供二人が「ままがんばれ」「ままがんばれ」とずっといってくれていて、無事に生むことができました。

ひとりめは、初めての体験で感動ばかりで泣いたけど、二人めは無事に生めたことで泣いて、三人目は、子供たちの応援と三人目の子供にやっと会えたうれしさでやっぱり泣いてしまいました。

三人ともそれぞれちがう出産でしたが

すばらしい経験を三度もできて私は幸せだと思いました。


[80]>45 素敵です! canorps

奥様がうらやましい!

うちの夫ははるばる私の実家まで高速で4時間もかけていったのに

結局、口に出して結婚の話をできなかったのです。

もうみんな了承済み・・・みたいなトコはあったのですが。

せっかくそういう場をわざわざ作ったのになあなあで終ってしまったのです。

素敵な思い出ですね。


[81]>70 人の涙はつられますね kyonkyon-8

人の涙って一番つられます。

原田選手の涙にもつられましたが、北朝鮮の拉致被害者が日本に帰ってきたときの家族の涙にはつられて号泣してしまいました。

感情移入しちゃうからでしょうかね。


[82]>76 夜店で kyonkyon-8

長男がお祭りの夜店でいなくなって、1時間以上も探したでしょうか。

家が歩いて行ける距離なんでもしやと思って帰ってみると、家にいるじゃないですか。

腹が立つやら、ほっとするやらであの時は涙が出ました。


[83]>79 家族の出産。 ttz

ずっと出来なかった夫婦に出来たときは、本当に良かったなあと思えました。男性の精子がとても少なかったらしく、結局体外受精のような形で出産することが出来ました。費用もとってもかかっていたし、本当に良かったなと思えましたね。


[84]>60 隠れて泣いたかな。 ttz

やっぱり思いっきり泣くのも恥ずかしくって、影でこっそりホッとして泣いたかもしれません。。


[85]>48 結婚式。 ttz

結婚式自体は涙がつき物ですね。結婚式の涙は嬉し涙であり、ちょっとかなし涙でもあるかもしれません。あの涙自体は、家族と別れることにあるような気もします。


[86]>59 よく聞くシチュエーションですが。 ttz

我が家はお酒を飲まない血筋なのか、自宅では全く飲みません。下戸とかそういうことではないんですけどね。家ではほとんど飲まないのです。酒を飲んで本音で話す、みたいな経験は実はうらやましかったりもします。


[87]>69 中学受験。 ttz

大学の付属中学校に受験し、それっきり受験という経験はありません。中学の入学の時、第一志望じゃなかったのもあって、涙とは縁が無かったかなあ。。


[88]>53 初めての給料日 peach-i

両親にプレゼント・・・

皆さんもしている方多いかな。


[89]>86 照れくさい gden

父親と酒を交わすのはうれし泣きするというよりかは照れくさいですね。


[90]>85 結婚式 gden

そうですね。「今まで育ててくれてありがとう」で涙もんですね。


[91]>84 隠れて fusuwa

そうですね。トイレとかに行ってこっそり涙を拭きました。


[92]辛いことがあった日 pir

小学生か中学生の頃、学校で辛いことがあって、でも耐えていたのに、家に帰って母の顔を見たとたん号泣した記憶があります。うれし泣きっていうより、ほっとしたのでしょうが。


[93]>81 小心者なんですが・・。 nakki1342

高校野球で自分の住む県の代表が

全国制覇した試合の最後には泣きましたね

正直小心者で

自分が試合を見ると負けてしまうと思ってしまい

最初から最後まで見ることが出来ないんですけど(苦笑)

その試合は大差になり

少しは落ち着いて見ることが出来たんですけど

やっぱ最後は泣きましたね

大泣きってわけじゃないんですが


[94]>92 まさに同じ経験しました!!! peach-i

いじめに あっていたとき。

家に帰って、母の顔を見ると、心が休まり、唯一の癒しでした

でも、母の前では泣きませんでした。

泣くのは一人になったときだけ。

心配させたくなかった。


[95]>88 初めての給料 rsc96074

はい、しました。すごく喜んでいました。あまり親孝行などしたことありませんが、これだけは親孝行になるのかな。


[96]お姉ちゃん、おいしい staples54

県外へ就職した弟が勤めてその数年後、体調を崩して入院。

父はすぐさま飛行機に乗って弟を迎えにいき、地元へと連れ帰って自宅療養が始まりました。

久しぶりに対面した弟は、体は痩せこけて顔は青白く精神的にもズタボロになっており

本人が声を出そうとしても出ない状態に。


家族一団となって、○○君を助けよう! 父は家族に呼びかけ、それに私達は必死に答えました。


自殺の危険性がある、といって両親は日中夜間と交代で付き添って

姉も私もそれぞれ仕事と家事を済ませて、実家へと通う日々が続きました。


私は自分を責めていました。弟が仕事を辞めたいと相談されたときに当時は就職難で地元に戻っても就職口はないし最低3年は石にかじりついて頑張りなさい、と言ったのです。


弟はそれから5年間勤めました。こんな姿になってしまったのは自分のせいではないのか。

自分を責めずにはいられませんでした。


朝から夕方まで働いた後、家に戻り洗濯と掃除と夕飯の支度を済ませて実家へ向かう途中に

弟が何か喜ぶものをと 差し入れを持って自宅へ。


食も細くなってあまり食べない、話さない弟。

箸を持てず、スプーンで口元へ運んでも口を開けてくれなかったのに

手に持ってパンを食べてくれた。

それだけで驚いて嬉しくて涙がにじみました。ぱっとみると母も少し泣いているように見えました。

”お姉ちゃん、おいしい。ありがとう”、と片言で繰り返すのです。

その場にいた両親も、私もそれを聞いて大喜び。

”また買ってくるね。”

久しぶりに会話が成立したことを噛みしめていました。

あの時は本当に嬉しかった。


あれから月日は流れて弟はすっかり元気を取り戻しています。

朝の5時からほぼ毎日釣りに出掛けるのが彼の日課ですっかり日焼けして

釣りバカな日記をブログに書いて友達と交流しているみたいです。

そんな姿を、いまとても喜んでいます。


[97]>90 結婚式 otayori

素直な気持ちじゃないけど、泣けた瞬間がありました。

むしろ姉の結婚式の方が本気で泣きましたー


[98]主人と二人の普通な瞬間 otayori

ずっと私がわずらってるので、苦労かけてるので

眠ってる主人を見たら、時々感謝で泣けてきます。


[99]>80 うちの主人も言えませんでした! otayori

「どうして言わなかったのかな」と思いましたが、そういうことも多いんですね☆

うちも了承済みみたいな感じでしたから、まぁ?伝わったって感じで。

口に出せたatomatomさんは、勇気がある方ですね。


[100]結納の日 otayori

結納が終わったあと、今の主人と喫茶店でコーヒー飲んでるとき

私が「どうしよう、これから相手がいる」とか言いながらボロボロ泣きました。

お付き合いと違う何かを感じた瞬間でした。安心感かな。

相手探し苦労したもんで(笑)


[101]>93 原田選手? otayori

確かにスポーツは他人事ながら泣きますよね。

オリンピックとかすぐ泣くんですけど、

一番泣いたのは原田選手だったなぁ??

世界中に自分の失敗を見られ、4年かけて取り戻すってスゴイですよね。


[102]愛犬の話 certanxp

昔、実家の愛犬が喉に痰を詰まらせてしまい、呼吸困難になって意識不明になりました。

すぐ動物病院に連れて行き、獣医さんに応急処置をしてもらい、何とか痰は取り除けたのですが、長い時間呼吸が出来なかったために危険な状態だと告げられました。

愛犬は動物病院に入院して、私は実家に戻り愛犬との想い出などを思い返しつつ、もう愛犬がこの世からいなくなってしまうのではと不安が脳裏を掠めました。

次の日、動物病院に行き、受付の女性に愛犬の安否を尋ねると、愛犬は回復し大丈夫だということでした。無事を聞いて安堵し、嬉し涙がとまりませんでした。

愛犬を助けて下さった動物病院の皆さんには今でも感謝でいっぱいです。


[103]マラソン大会 rojew

小学生の時に毎年1回学校でマラソン大会がありました。

私は運動が苦手でいつも47人中30位前後とかでした。

毎回マラソン大会が終わるたび、自分の不甲斐なさに悔しくて悔しくて泣きたくなりました。

無謀にも小学6年生最後のマラソン大会では絶対10位以内に入ってやると決心し本番の2ヶ月前から毎日夜1人で走りました。

毎日走っているとだんだん疲れなくなっていき、本番の1週間前くらいの時には自分がマラソン大会で活躍している姿を妄想してたくらいです。

いざマラソン大会本番の日、朝からドキドキでした。

スタートラインに立ってスタートの合図が鳴らされるまでの間、その場から逃げ出したいくらいの緊張でした。

スタートし先頭集団に必死でついていき、必死に走りました。

途中足が重くなり何度もあきらめようとしたんですが、練習して頑張ったのにこんなことくらいで負けてたまるかの一心で最後まで走りぬきました。

結果は9位でした。

無理をしたのか喉が凄いカラカラで足の震えが止まりませんでした。9位のカードをもらい、それを見つめていたら嬉しさがこみ上げてきて泣きそうになりました。

家に帰り母親に結果を報告すると凄い喜んでくれました。

自分の部屋で9位のカードを見つめながら練習を頑張った事など色々想い出していたら涙が溢れてきました。


[104]>82 うちも みんな 気ままなので taknt

ひとりひとり 勝手にあっちこっち行ってしまい、バラバラに・・・

迷子というか、なんというか・・・。

探し回って やっと家族がそろったときは、うれしかったですね。

で、電車に乗って 帰れました。


[105]悪夢 zgthogo

ある夜の悪夢。

それは家族が大口論の末、私以外の親、兄弟が家を飛び出して出て行ってしまうという悪夢です。

残された私はまだ小学生なのでどうすれば良いのかわからずに泣いているのです。

1日たっても誰も帰ってこず、私は誰か帰って来てと祈るだけ。

そして呼び鈴が鳴り家族の誰かが帰ってきたのだと思い走って玄関に行きドアを開けるとフランケンシュタインみたいな大柄のおじさんが立っていて大きな奇声を上げたので恐怖のあまり逃げようとした時に目が覚めました。

酷い悪夢だったので家に本当に家族がいるか不安になってしまい、急いでリビングに行くと、母親が朝飯の準備をしていて、父親が新聞を読んでいるいつもどおりの朝でした。

母親からおはようと言われた時に嬉しさのあまり半泣き状態で震えた声でおはようと返事したのを憶えています。

家族がいるのはあたりまえだと思ってたのが悪夢によって家族がいる事のありがたみを再認識させてくれました。


[106]>99 「娘さんを僕にください」 sidewalk01

結婚はマダマダですが、挨拶の時にはヤッパリ言った方が良いですよね。あー勇気が必要・・・。


[107]>104 迷子 sidewalk01

一度、幼稚園のときに旅行中に駅で迷子になりましたが、家族と再会したときは不安から開放されたのと嬉しさで泣きました。


[108]>105 悪夢がさめて sidewalk01

家族が死んでしまう夢を見ちゃった時、夢だったことがわかって、家族の顔を見ると非常に安心しますね。


[109]>98 普通な瞬間 sidewalk01

ふと、暖かくやわらかい幸福感に包まれることがありますね。中々、口には出せませんが幸せを実感します。


[110]>94 いじめを支えてくれる家族 sidewalk01

理由無しに味方でいてくれる人って大切ですよね。


[111]>95 初任給 adgt

もらっただけで感動した


[112]>61 迎えてくれる家族 adgt

には支えられてる感があって嬉しいよね


[113]>107 迷子 wacm

幼い頃、遊園地で迷子になってしまいました。園内にアナウンスが流れ、近くの警備員さんのところへ駆け寄りました。その後、両親と再会できたときは思わず、泣いてしまいました。両親もあきれてしまっていましたが、後々この迷子事件を振り返って話をしてくれたときうれしい気持ちになりました。


[114]>111 初任給で両親と祖母に wacm

初任給は両親と祖母へのお礼に使いました。両親には食器と輪島塗の箸を、祖母2人には薩摩切子を送りました。両親から喜んでもらえて、かつ祖母から電話をもらったとき、泣けてしまいました。同時に、会社への感謝と責任を痛感しました。


[115]>101 大怪我した選手の復帰 adgt

は見ててジンと来る。古いけどグランパスの小倉が帰ってきたときは感動した。


[116]>109 普通な瞬間 adgt

これを大切に出来れば怖いもんなし!


[117]>108 リアルな悪夢 adgt

はマジで怖い。醒めると安心するね。


[118]>115 オリンピック wacm

いま、柔道から総合格闘技へ転向した石井慧選手の師匠でもある斎藤仁監督がソウルオリンピックで金メダルを取ったときに泣いていた姿を見て、感動しましたね。不可解は判定や不公正な判定が相次ぎ、最後の最後まで柔道は金メダルが取れず、日本の期待と責任を果たした斎藤選手の表彰式で感涙する姿はいまでも思い起こされます。


[119]>75 手術 wacm

腰に水が溜まってしまう謎の病気にかかってしまい、仕事を1ヶ月以上休んでしまいました。できるだけ早く仕事に復帰したいという思いと、同僚や上司、部に迷惑をかけている辛さで胸がいっぱいでした。ですので、手術が終わったときは、やっと日常生活に戻ることができる安心感と、周りに支えられていたことを実感できたうれしさがこみあげてきました。


[120]>106 結婚か wacm

atomatomさんはとても勇気ある方ですね。自分の考えをここ一番でキチンと伝えることができる男性は立派だと思いますし、同時に結婚された奥様もうらやましいです。あまり悩まずに結婚を決めた私にとっては、そんな切迫した緊張感ある状況とは無縁ですが。


[121]>119 手術 fwap

高校時代に左脚の腱を痛めてしまい、好きだった運動をあきらめてしまう事態に直面しました。簡単な手術ですぐに回復すると言われていましたが、万一に失敗すると腱が動かなくなってしまうとお医者さんに指摘され、手術をなかなか決断できなかったです。ですが、家族の後押しもあって手術に臨み、なんと回復することができました。運動に師匠がないと自覚できたときのうれしさはたまらないものがあります。


[122]>118 長野五輪 fwap

スキージャンプのときは原田選手の気持ちに共感できました。4年前のアルベールビルでは、最後の最後で大失敗してしまった思いを胸に4年間耐えてきたわけですから。。しかも、自国開催でプレッシャーもあったと思いますが、勝利を決定づける大ジャンプを決めたとき叫んでしまいましたね。


[123]>114 初任給の思い出 fwap

初任給で祖父母にお返しをしました。祖父母は両親以上に愛情を注いでくれ、私はいつもかわいがってもらっていました。ですので、初任給は祖父母にお礼ができるようにと心に誓っていました。4月の8日に給料が先に振り込まれていたので、すぐにデパートへ行って必死に選んだものです。会社が先にお給料をくれるところで本当に助かりました。


[124]>112 家族 fwap

仕事を終えて、くたくたになって帰っても子どもがいるからうれしいです。自分が何のために仕事をしているのか、ときどき自問自答をすることがありますが、やはり何よりも子どものためなんだと感じます。たとえ、子どもに反抗されても。。かつて自分が両親にそうであったように。。


[125]>120 結婚 fwap

奥様も奥様のお母様も理解ある方でよかったですね。結婚するときの挨拶は本当に大変ですよね。


[126]>100 結納 eiyan

結納は意外と忘れられますね。

これでようやく決定という安堵感が感激を呼ばれたのだと思います。

ここからが幸せになれる人と不幸せになれる人との分かれ道なんですね。


[127]>103 感動の輪 eiyan

どんな事でもやり遂げた時の感激は一生忘れないものです。

多数人競技ではそれぞれのドラマが待っています。

各自の違ったそれぞれのドラマ構成はそれぞれの感動品ですね。


[128]>96eiyan

家族の絆は強いものですね。

苦しい時の回顧も今は思い出。

いつしか分かれられる運命の家族を大切にしたい。

立派な感動の記録を録っておきたいものですね。


[129]>46 密通 eiyan

家族は喧嘩してもいつしか心は通じあっているもの。

事件を起こしてしまっても家族の心は通じているもの。

通じない人は人権を放棄した人。

それでも優しい心のシャワーは浴びせ続けましょう!


[130]>32 酌み交わし eiyan

実際に酌み交わしが出来なくても心と心の酌み交わしは出来るもの。

いつしか理解しあえる日が訪れるもの。

気付かないまでも必ずそんな日は訪れる。

そんな好機を見逃さないで!


[131]>122 原田選手 futanbo

泣きましたね?。一日中あの場面がテレビで流れてて何回見ても泣けました。スケート女子の荒川静香も、早朝だったけど、生で見て、ほんと演技中鳥肌たって、終わった直後一人で「よかった???」ってテレビに向かって拍手して泣いてましたね。思い出します。。


[132]>121 手術 futanbo

私が小5の時、父が突然くも膜下出血で倒れ、重体になりました。キセキ的に一命はとりとめましたが、術後も再手術やら大変でずっと親戚が交代で子供たち(3人)の面倒を見に来てくれ、私たちは、そのまま夏休み父母の田舎でお世話になりました。9月になって戻ってきて、父が倒れてから初めて父と対面させてもらいました。その時父は泣いてました。私も会うまでは父が倒れた実感がなくて緊急性もよくわかってなかったのですが、父が泣くので子供たちも、こっそり泣いてしまいました。あれはうれし泣きだったのかな?なんかいろんな想いの詰まった涙でした。


[133]>102 愛猫 futanbo

うちは愛猫の話になりますが、イエねこで、外に出してないのですが、キャリーに入れて移動中に自宅近くでキャリーをあけて逃げてしまい、迷子猫になってしまいました。ちらしをはったり、いろいろ探しましたがなかなか見つからずほんとに心配でした。2日後に逃げ出した場所のすぐ側で見つけたときは涙がとまりませんでした。ほんとに無事でなによりでした。


[134]>91 退院 futanbo

うちも父が長い退院を終えて帰ってきたとき、うれし涙でしたね。。


[135]>83 友達の出産 futanbo

大親友が、なかなか子供が骨盤まで下りてこなくて2日促進剤打ってがんばって、結局帝王切開で産んだんですが、出産に同席(立会いではないけど)したのが生まれて初めてで、しかも兄弟くらい大事な友人だったので赤ちゃんが手術室から出てきたときうれし泣きしてしまいました。


[136]組み体操 futanbo

先日、特別支援学級のお手伝いをさせてもらってる小学校の運動会でうれし泣きしました。そのこは六年生で最後の運動会。でも、じっとするのが苦手なので、組み体操の練習が嫌で嫌でずっと泣きながら練習していました。当日、私はその子の付き添い担当でした。先生は「たぶんずっと席に座れないと思うんで教室と行ったりきたりになると思います」と言ってました。でも、リレーなどもちゃんと走ってそのこが走っているとき、学校中で○○ちゃんコールが始まって・・そこでも感動してしまいました。リレー中もにこにこしながら走ってて帰ってきてからも、嬉しくてずっと一緒に走ったり踊ったりしていました。奇跡的に一日席ですごすことができました。そして、ラストの組体操。祈る私の前で、そのこは、ニコニコしながら組み体操をやっていました。もちろん先生がついていて、してることは簡単なことなんだけど、そのこが笑顔でやっているってゆうことがとても嬉しくて嬉しくて涙をぼろぼろ流しながら見ました。本当にキセキのようでした。去年は途中で泣き出して座り込んで大変だったのに。

先生の努力が伝わったんでしょうか?席に戻ってそのこに「すごいなあ・・」よかったよって続けようとしたらまた泣けて言葉が出ませんでした。


[137]>97 結婚式 futanbo

友達の結婚式でも感動泣きすぐしちゃいます。妹の結婚式も泣きましたね?。わたしのときも妹のときも父はいなくて・・父の代わりのぶんまで泣いたのかな?でも妹が幸せそうで、嬉しくて泣いたんだと思います。


[138]>128 弟さん futanbo

元気になられて良かったですね。私も兄が同じ様な感じの体験をしました。仕事やめて何年もひきこもってて・・家族は必死でした。何年がたったのか・・7年ぶりくらいに兄が笑顔を見せてくれたときは、ほんとに嬉しかったです・・。ただ笑ってくれることが、こんなに嬉しいこととは知りませんでした。隠れて泣きました。母も泣いていました。思い出しても泣けてきます。うちの兄も今は病院に通院しながら、ぼちぼち安定した毎日を過ごしています。


[139]ラジオ futanbo

大好きなミュージシャンのラジオ番組に生まれて初めて投稿しました。自分の投稿が読まれたとき、一人の部屋で「う・・・・うそ・・・」きゃ?っと大興奮してしまいました。私の大ファンの人が私が書いたものを読んでくれてる・・。興奮のあと、感動・・・そして嬉しくて嬉しくて涙が・・。今まで結構辛い人生やったけど神様がくれたご褒美のように思いました。


[140]>125 結婚申し込み futanbo

迎える親のほうも緊張するでしょうね。わたしは、子供がいないので心配はないですが、新しい家族を迎えるほうの側も大変だよなあ・・って思いました。


[141]>87 妹の受験で笑い泣き toukadatteba

そういえば、私ではなく、妹の受験でおもしろいことがありました。

妹は勉強はほどほどにできるという程度で、それほどできがよいわけではないのですが、生活態度がよく、イベントの陣頭指揮をとったりもするような子で、とても内申がよく、妹の学力だけでは受験するのはかなり難しい学校に、推薦受験できることになりました。

推薦なので、勉強よりも面接と内申重視のため、本人は面接にどきどきしており、夜遅くまで付き合った記憶があります。

また、小論文もあったのですが、それも私が12本くらい書くための指導をしました。面接も小論文も、私が見た限りとてもいいできで、きっと大丈夫、受かるよ!と受験前の日にいうも、妹は真っ暗な顔をしていいました。

「そんなのわからないよ。受からないかもしれない。どんなコが受けにくるかわからないし、そもそも私じゃ本当は学力は足りてない学校だし」

そういえば豪快な私に比べて、妹は超ナーバスな子でした。昔から。

「大丈夫だって、面接も小論も、この学年のレベルではすごくいいと思うよ。受かると思って受けないと落ちるかもしれないし、もっと自信もって!」

「・・・」

「大丈夫だって!」

というわけで妹は受験に行きました。

結果は本人曰く、「よくわかんないけど、小論はちゃんとかいたし面接は普通に受けた」ということ。

そして発表日になりました。妹は学校があるので見にいけません。(本来普通の受験ならみんなで見に行ったりしますが、推薦の子は日程が早いので見にいけません。なので、先生か家族がみにいくことになっていました)

というわけで、家族を代表して私が見に行くことに。

受かってたらメールで連絡するよ!

と意気込んで妹にいいましたら、「お姉ちゃん、じゃあ、もし受かってたら、運がつくようにう○こって一言メールしてくれればいいから」と返事が。

一瞬あっけにとられましたが、受験でつかれているに違いないし、きっとおもうところあるんだろうな?本人なりに。

とおもっておっけーしました。

で、見に行ったら、定員10名の枠に受かっていました。

ええ、送信しましたよ、うん○!って。すっごく馬鹿らしい気持ちになりましたけど、すっごく嬉しくてすっごく泣きそうになったのですが、メールの文面はやっぱりうん○でした。

そんな思い出をさっき思い出しました。


[142]>132 手術 toukadatteba

母の手術のときは本当に心配しました。

急な病気だったりすると、心配で家族は大変ですよね。ずっと前のことですが、いまでも鮮明に覚えています。


[143]>135 帝王切開 toukadatteba

だと、子どもさんの誕生と手術が一緒で、なんだか嬉しいような心配なような不思議な気持ちですよね。


[144]>131 原田選手 toukadatteba

私も泣きました^^一緒に見てた家族ももらい泣きです。

4年間、長かったでしょうね?。それを取り返したのは、本当に感動でした。


[145]>134 いつもは、仲が悪いけれど・・。 nakki1342

母親が一度入院し、手術をして

帰ってきたときはやっぱ嬉しかったですね

涙は出なかったんですが

普段は、口げんかとか多くて言い争いが多い関係なんですが

やっぱり母親ですからね

大事な人ですもの


[146]>142 手術 kaka777

うちはまだ誰も経験してないので手術となると心配でしょうがないでしょうね。手術が終わった瞬間はホッとして目に涙を浮かべてしまうことを想像できます。


[147]>124 家族 kaka777

家族はどんなときでも自分を待っててくれますよね。自分を本当に心配してくれるのは家族だけですから。


[148]>113 迷子 kaka777

自分もデパートで迷子になったことがあります。そのときは怖くて怖くてしょうがなかったけど、心配してた母親に会えたときほどうれし泣きしたことはありませんね。


[149]>123 初任給 kaka777

初任給をもらったときは自分だけでなく母親も一緒に喜んでくれましたね。いまでも忘れられません。


[150]>140 結婚申し込み kaka777

いい話ですよね。お互いの人生を決める瞬間ですからね。感動するんでしょうね。


[151]>126 やらなかった・・・ to-ching

すまん!嫁!!


[152]>129 うーん to-ching

何となくウマが合ったのか幸いその様なことはなかった。でも、亡くなるときもっと頻回に会えば良かった・・・


[153]>150 えー to-ching

二日酔いの酷い時に行きまして・・・料理を作っていただいた義理の姉に失礼なことをしたと反省、緊張も酷かったけど。


[154]>149 息子よ! to-ching

俺は何にも貰ってね?ぞ!一番苦労したのは俺なんだけど・・・涙


[155]>147 ただいま!お帰りなさい! to-ching

と言う一言がどんなに幸せか・・・つい忘れてしまうんです。


[156]>110 愛情 peach-i

いじめで苦痛を受けていても、自分を愛してくれている人が、そばに居てくれたら一番心強かったです。

その笑顔だけで安心しました


[157]>154 育ててくれてありがとう peach-i

その感謝の想い。

自分で食べていけるまで育つことが出来たこと。

全てに感謝の日ですね。


[158]>155 ただいま!お帰りなさい! fusuwa

この言葉だけで家族の温かさが伝わります。


[159]>153 結婚を申し込み fusuwa

私にとって結婚の申し込みは人生最大のお願い事です。


[160]>148 迷子 fusuwa

迷子になったときの母親の心配顔ほどやさしさを感じますね。


[161]>157 就職が決まった日 toukadatteba

家族みんなで喜んでくれました^^懐かしい思い出です。


[162]>159 お義母さまと奥さまの涙 Lady_Cinnamon

atomatomさんらしい(?)淡々と、でもテンポよく語られたお話、読むたびにじんわり来ました。

お義父さまのお気持ちは、その時どうだったのかは分かりませんが、お義父さまと奥さまの気持ちというか、涙が出てくるのは何んとな?く(未婚の私でも)分かる気がするんです。

山口百恵さんの秋桜という歌。お嫁に行く娘さんとお母さんとのやり取りを歌ったものなのですが、その曲を聞くと目頭が熱くなるんですよ。

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND1937/index.html より引用

秋桜 - 山口百恵

作詩:さだまさし 作曲:さだまさし

明日への荷造りに手を借りて

しばらくは楽し気にいたけれど

突然涙こぼし元気でと

何度も何度もくり返す母

ありがとうの言葉をかみしめながら

生きてみます私なりに

こんな小春日和の穏やかな日は

もう少しあなたの子供で

いさせてください

メロディーなど悲しげなんですが、これからの人生を送りだす母娘の情愛も込められてると思うのです。母と娘って、父と娘とはまた違った思いがあると・・・そんな風に思ってます。

atomatomさんの奥さまとお義母さまの涙。無言を貫くお義父さま。お嫁に行く日が来たんだねって涙は、熱い嬉し涙に他ありませんよ。


[163]>64 親のありがたみ・・・ Lady_Cinnamon

私も大病の経験があります・・・。

今でも再発を気にする事があります。

でも、父や母が支えてくれているから、生きています。

そう思うと、二人への感謝の気持ちと、

父母の下に生まれてきてよかったという、嬉しい気持ちで、

目から涙が溢れるのであります。


[164]>138 片言の喜び Lady_Cinnamon

人間、憔悴しきってしまうと、言葉を発することも、

感情を出すことすら、稀有になってしまう事があります・・・。

家庭や仕事、複雑な人間関係、大切な人との離別・・・。

理由も人それぞれなのでしょうが、人生を送る長い道のりで、

その全てが絶望的と思ってしまう事も稀では無くなりました。

ヒトは、とても脆い生き物でもあります。

哲学者のキルケゴールは、『死に至る病』で

「死に至る病とは絶望のことである」と述べています。

staples54さんの弟さんが、絶望の淵から生還されたことが、

何より喜ばしいことだと思いました。


[165]>146 一病息災の涙 Lady_Cinnamon

齢60と70を超えた両親ですが、父が70を超えてからは、毎年1回は手術の話が出ます。

もともと心臓に持病があった父で、私が生まれた時に大手術で治しましたが、現在も高血圧予防と定期健診に通っています。

頼りの母が事故にあい、2度の長時間にわたる手術。しかも生活習慣病が発覚して、入院生活は難儀しました。私と70歳の父とで、母の介護生活をしたあの夏は忘れられない日々でした。

そんな疲弊した夏を過ぎたあたりから、父にヘルニアだったり白内障であったりと、何かと手術の話が出るようになりました。

比較的簡単な手術で、高齢であっても成功率が高いということもあり手術を決めるのですが、高血圧やかつての心臓病の事もあり、日帰りでなく入院を選びます。

『一病息災っていうじゃないか』

そういって、病院に3日ほど入院・手術して帰ってくる父。

手術回数から言ったら、『一病』どころではないんですがね(苦笑)。

私としては入院中、イエを預かる身。父が術後無事に帰って来た時には、気丈に出迎えますが、その日の晩はベッドで「帰ってきてくれて良かった」と涙します。


[166]全ての入学式と卒業式を Lady_Cinnamon

うちの父は他所のお宅のお父さんたちに比べ、実年齢はだいぶ歳をとっています。

私が中学生の時、まだ定年が60歳までという頃でもあり、父は退職しました。

私としては、どうしてそこまでこだわるのだろうか、と最初は思っていたのです。

父は大学、大学院の時も、はるばる遠方まで入学式や卒業式に出席してくれました。

時には学内を一緒に散策したり、ちょっとした見学もしていきました。

当時の私にとって、さらに博士課程に進学するのが希望でした・・・。

しかし、あらゆる事情から断念し、急きょ卒業という道を選びました。

卒業式当日、私はあらゆる事に対して悲しみの涙で迎えました。

そんな場所に、父も同席してくれることに、疑問もあり尋ねました。

「私は今とても嘆き悲しんで、この会場に涙しながら立っているの。

父さんまで無理をして、この場にいなくてもいいんだよ・・・」

「・・・お前にとってはそうかもしれない。

だが、父さんにとっては娘の人生の記念日を、共に迎えている大事な日なんだよ。

この歳になるまで、高校の時も大学の時も大学院の時も、教室を見せてくれたこと、

何よりも入学式と卒業式に、生きて一緒に迎えられたのが嬉しいんだよ・・・」

もうすぐ70歳を迎える父の言葉で、何にこだわっていたのか分かった気がしました。

生きているうちに、我が子が元気にやっているか目に収めたい・・・。

難しいことは考えず、父にとってはそれだけが願いだったのかもしれません。

卒業式に一緒に撮った写真を見ながら、微笑んでいる父を見るたび、

父と母とこのイエで、同じ時を過ごすより喜びの涙が、顔中に溢れます。


[167]>78 いいなぁ?こういうの(^^) Lady_Cinnamon

いやぁ?、こういう嬉し泣きっていいですね。親御さんの普段と違う一面が映像に残っているって、凄くいいなぁ。それを笑って、悶絶しながら、みんなで見ている光景が、またいいなぁ?(^^)


[168]>127 家族が一番応援してくれた peach-i

一番応援してくれていたのは家族でした。


[169]>62 本音で向かい合える唯一の存在 peach-i

だからこそ、喧嘩も愛おしく感じます


[170]>117 一番失くしたくないものだから peach-i

夢で、リアルに感じると、凄く不安になります


[171]>162 いやー、どうも照れます。。。 atomatom

なんというか照れますねえ。もういっぺん、あんな勇気を振り絞って結婚を申し込むなんてことはしたくないです、はい。だから離婚はしないと思います。

なるほど離婚の抑止力としても役に立ちますね、結婚の申し込みは。

Lady_Cinnamonさんが、さだまさし(ぼくはファンなので「まっさん」と呼んでいますが)彼の歌を取り上げてくださったんですが、山口百恵の歌もまっさんも歌もどちらもいいですよー。


[172]>136 頑張る子供には泣けます atomatom

子供って本当に大人の心を動かしてくれますねえ。ぼくは基本的には子供は苦手なんですが、それでもときどき、例えば乗り合わせた電車の中の子供の、ちょっとした言葉や仕草に感動することがあります。

ましてやお手伝いが必要な特別支援学級の子供さんの頑張りなんかを目にしたら、泣けるでしょうね。

おっさんのぼくは泣いている姿を人に見られてはまずいので、最後まで見ないで立ち去るかもしれません。


[173]>166 目の中に入れても痛くない atomatom

Lady_Cinnamonさんはきっとお父さんご自慢の娘さんなのでしょう。

お父さんは娘の入学式、卒業式のために仕事を休む、辞めるという発想ではなく、式に出席するためにこそ仕事をする、してきた、っていう発想をお持ちなんでしょうね。

「愛の反対は憎しみではなく無関心である」という言葉がありますが、そこまで子供に関心を持ち、行事に参加されるお父さんは素敵なお方だと思います。


[174]一種の迷子? nakki1342

母親のショッピングに付き合うことがあるのですが

私は、、ウィーンド?ズショッピングが大の苦手で

母親のそれに付き合いきれずに

店内をうろついてしまう事が多々あります

母親の元に行こうと思って探し始めてすぐに見つかる事が

殆どなんですが

たまに、すぐに見つからない場合もあるんです

必死に探して見つけたときには

ちょっと泣きそうになってしまいますね(苦笑)


[175]>173 いいお話ですね cherry-pie

お父さんはずっとあなたのことを見てきたのですね。

しっかり、子供の成長をみつめ、その成長と共に自分も頑張ってきたということなのでしょう。


[176]>171 口に出す cherry-pie

口に出して勇気をだしていえた人もいえなかった人も

思いは一緒

ちゃんと相手の両親に伝わっているはず。

結婚っていいものですねぇ?


[177]>171 口に出す cherry-pie

口に出して勇気をだしていえた人もいえなかった人も

思いは一緒

ちゃんと相手の両親に伝わっているはず。

結婚っていいものですねぇ?


[178]>169 けんか cherry-pie

ケンカをしても愛情があるからすぐ仲直り

うちはどんなに怒っていても一度部屋にはいって戻ってくればもう元通りです。


[179]>168 いいですね cherry-pie

しっかり練習を頑張った結果ですね

結果はどうであれ、完走したというのがいいのかも。

おかあさんもうれしかったでしょうねぇ


[180]>167cherry-pie

たぶん、緊張やいろんな思いのせいで

下手になってしまったのかも

それも、愛情の深さゆえダと思えば

なんだかハッピーですね^^


[181]>164 途中 cherry-pie

読むのが怖くなってしまいましたが

最後がハッピーエンドでよかった^^

最愛の家族の病気は本当に辛いですよね。

克服して元気にされているとのことで、本当によかったです。


[182]>163 同じく cherry-pie

入院経験がありますが

あのときの辛さといったら。

見舞いに来てくれる家族のありがたみもそうですが

家に帰ったときの家の温かみ

なんともいえませんでしたね。


[183]>161 就職 cherry-pie

決まったときはめちゃくちゃ喜んでくれましたね

私より喜んでくれて私より驚いていました

なので自分の驚きはどこかへ(笑)


[184]いじめを告白した日 cherry-pie

覚えているのは幼稚園の頃。

その頃からずっといじめられていて、ようやく思いあまって母親に告白

それが中学生のとき

ずっとこんな風にいじめられていたとか、言うことが出来て私の荷は少しとけたけれど

それは母親に移っただけだった

びっくりしながらも最後まで話を聞いてくれて

辛かったねといってもう大きいのにその日は隣で寝てくれた

ひさしぶりに人の温かみを知った瞬間だった

家族っていいなぁと思いながら眠りにつき、夜中にふと目が覚めると

なんであの子が・・・と普段誰にも頼ることのなに母が父に泣きながら話をしていた

それを聞いて布団の中で涙をこらえるので精一杯だった

それからずっと家族や親戚でどうしたらいいのか話をしてくれた

おかげで今までよりずっと幸せに過ごすことができるようになった

あの夜の母の涙声

泣きながら私を心配してくれた母や父のありがたみ

それが嬉しくて泣いた日を一生忘れないと思う・・・。


[185]>152 仲直り atomatom

喧嘩のあとの仲直りは時間が経てば経つほど難しくなるんですよねえ。こっちが折れてあやまっても許してもらえないんじゃないかな、とか思っちゃって。なんて言ってあやまっていいのかもわからないようになっちゃったり。


[186]>143 出産 adgt

は感動でしょうね!


[187]家族と食卓を囲めるようになったあの夜・・・・ TomCat

一時期私は、極めて暴力的な世界にいました。やっとそこから立ち直りましたが、悪い仲間と手が切れた瞬間、私はひとりぼっちになってしまったんです。

落ちる所まで落ちていた心は、そんなに簡単に親の元には戻れませんよね。体は戻っても。私は孤独感と不安に苛まれている内に、精神的にとても不安定になってしまいました。今までの行為が激しい自責の念となって襲ってきます。それだけじゃありません。たとえ良くない付き合いだったとしても、共に泣き笑ってきた大切な仲間を裏切って自分だけ立ち直ろうとしている、そんな自責の念も重なります。

さらに、自分は立ち直ったと思っていても、一歩家を出れば近所の人は変な目で見るし、学校だって同じだろうし、だいいち対立していたグループの奴らと鉢合わせでもすればすぐに大げんかは必至で、そうなればまた元の世界に逆戻りです。私は狭い部屋に引きこもりました。ドアを開ければ元の世界に逆戻りという恐れが高じて、家族と顔を合わせることも出来なくなってしまいました。

しかし、閉じこもって貝になっていればそれで安心かというと、全然そうではありません。今度は、ひきこもりの毎日が、そんなことをしていればお前の未来は無くなるぞと牙を剥いてくるんですよね。もう、どうしようもありません。全く逃げ場が無いんです。私は、ある覚悟を決めました。ここから逃れて楽になるには、もう方法は一つしかないと・・・・。そう思い詰めてしまったんです。

私はドアのノブに手を掛けました。幼いころからの思い出の詰まった大好きな家で、大好きな親のいる場所では、めったなことは出来ませんから、とにかく外に出ようと思ったわけです。久し振りの屋外は、今思うと、驚くほど眩しい日差しで輝いていたように思われます。しかしその時の私に、そんなことを感じる余裕はありませんでした。ただうつむきながらあてもなく歩き、最後に相応しい場所と方法を探す。それだけでした。

と、その時、凄まじい勢いで車が飛び出してきたんです。いや、正確には、ぼーっと歩いていた私が飛び出していたのかもしれません。瞬間、私は全力で飛び込んでくる車を避けました。もう必至に逃げました。間一髪。私は助かりました。

・・・・助かった? ちょっと待て。俺は今の今まで、死に場所を探してうろついていたんじゃないか? 死にたいと思い詰めていた人間が、何逃げてんだよ。俺は、そんなに必至になって逃れようとするほど、生きたいと願ってたのか? そうか、俺は本能では生きたがっていたんだ。生きよう、家に帰ろう!!

と、ここまでは以前、別のはてなの質問で書かせていただいたことがある話ですが、本題はここからです。家に帰った私は、自分の部屋に戻ってしまうとまた気持ちが元に戻ってしまいそうでしたので、ずっと居間で過ごしていたんです。かなりバツが悪かったですが、そんな私の気持ちを察してくれたのか、母はしばらく、何も話しかけず、そっとしておいてくれました。

そして夜。私はそのまま、居間に居続けました。父が帰ってきて、夕食になりました。その夜は、刺身でした。父も事前に、母から何か話を聞いていたのでしょう。何も言わず、普通に食卓に座りました。

実際、引きこもっていた息子が突然居間に出てくるようになったら、親は戸惑いますよね。親だって、どう接していいか分からないのが本音だろうと思います。私達はただ無言で刺身を食べていました。刺身は大皿に盛られていました。まるで何かの祝いの料理のように。

食べ終わって、母がお茶を入れようと立ち上がろうとすると、父が代わって立ち上がり、お茶を入れて来ました。私の前に湯飲みを置いて、父は一言、「お帰り」と行ってくれたんです。あとはもう、号泣です。ただいまと言いたかったけど、それは言葉になりませんでした。

いくら死にたいと思っていても、本能は生きることを望んでいる。その命は、この両親からもらった。今、私はその両親の元に帰ることが出来た。この喜び。幸福感。そこから私は、本当の意味で立ち直っていく第一歩を踏み出していくことが出来たように思います。

実際には元が悪すぎたので、完全に真っ当な世界に戻りきるにはまだ時間が掛かりましたが、でも、両親の前で素直に涙が流せた経験が、それまで頑なだった私の心を解きほぐしてくれたことは間違いありません。


[188]>137 新婦からの手紙 adgt

これはたまにぐっと来る


[189]>165 手術 adgt

家族の大手術は経験無いけど、不安になりそう。


[190]たんぽぽを守ってくれた父 CandyPot

市街地なのにカントウタンポポが生えているのを見つけました。とても珍しいできごとです。どこから種が飛んできたんだろう。ひっそりと一株だけ、人家の角のブロック塀の脇に咲いていました。カントウタンポポは自家受粉ができません。よその花から花粉を持ってこなければ、いくら花を咲かせても、種を付けることができません。一株だけのこのタンポポは、実のならない、寂しい花を咲かせていました。

その直後、私は体を壊して入院してしまいました。入院は一ヶ月近くに及びました。退院してしばらくして、やっと外に出られるようになったので、タンポポがどうなったかと、その場所に行ってみました。そして驚きました。家が取り壊され、塀も壊されて、タンポポは跡形もなくなっているんです。私は泣きたい気持ちで家に帰り、そして夕食の時間にその話をしました。そうしたら父が、そのタンポポならきっと来年、子孫がたくさん花を咲かせるはずだよ、と言ったんです。私はびっくりして、え?と聞き返しました。そうしたら…。

父は私の入院中に、一度だけ話題に出したことのあるこのタンポポを探しに行ったのだそうです。ちょうど家を取り壊している最中だったので、父は事情を話してタンポポを掘り、持ち帰ってきたそうです。しかし花の時期の移植は難しく、うまく根付きそうになかったので、花を一輪取って都内練馬区にあるカントウタンポポが群生している公園に行ったんだそうです。そして、そこのタンポポに人工授粉をしてきたと言うんです。

「お前が大事にしようとしていたタンポポの子孫がたくさん生まれれば、お前が早く元気になる気がしたんだよ」

と父は頭を掻いて恥ずかしそうな顔をしていました。

私はその気持ちがうれしくて、お茶碗を持ったまま泣いてしまいました。子供みたいに泣いてしまいました。父はちゃんと管理事務所に許可をもらって、時間をかけてていねいに受粉させてきたそうです。だからきっとあのタンポポの子孫が、種になって広がっています。今その公園にあるタンポポには、きっとあのポツンと一株だけ咲いていたタンポポの遺伝子が入っています。よかったね、タンポポさん。そしてお父さん、ありがとう!

なお、植物の人工授粉は勝手にやると遺伝子汚染を引き起こしますが、この場合はきっと大丈夫だろうと思います。父もだいぶ慎重に調べてから実行してくれたようですから、その点は心配ないと思います。


[191]>187 親はありがたいですねえ atomatom

親というものは本当にありがたいですねえ。無償の愛を与えてくれるんですねえ。いやあ、ぼくも親には迷惑をかけっぱなしです。親が元気な間にちょっとずつでも恩返ししなきゃとは思うんですが、これがなかなかに難しいんですねえ。

今月は父親の誕生日があるんですが、まずはその日、実家に帰ろうという気になりました。


[192]>183 喜んでくれたことにまた嬉しさ peach-i

喜んでくれた家族の笑顔にまた嬉しさがこみ上げてきますよね


[193]>179 結果よりも peach-i

そうですよね。結果よりも、それまでの頑張りですかね!


[194]>151 結納 lovelykuma

今では古いといわれそうですが、

結納をしなかった人は離婚率が高いとか

そういわれてから、私はきちんとしようと思いました。

多分、2人に結婚や他の家との結びつきを実感させて

本当にこの人でいいのか考えさせる時間なのかな、と思っています。


[195]>158 家族 lovelykuma

どんなに離れていても、一度そばによれば

もう元通りですよね

そんな当たり前の感覚が大事なのかも。


[196]>184 言えないんですよねえ atomatom

いじめられていることを他人に打ち明けるというのは難しいんですよねえ。

テレビで、なぜ打ち明けられないかというその原因を考えていました。親やまわりに心配をかけたくないから。それから自分がいじめられているという事実を打ち明けるのはプライドが傷つくから。いくつか理由が挙げられていました。

でも、自分1人で抱え込まなくってもいいんですよね。

時間が経ってからようやくわかってくるんですけどね。


[197]>160 記憶にないんですが・・ nakki1342

3歳くらいの頃

地元のお祭りに家族で出かけた時

迷子になった経験があります

手をつないでいた親の手を離して

駆け回って迷子になり・・

警察の車で当時住んでいた場所に

送ってもらった経験が・・

でも記憶がないんですよね

自分には

今では、笑い話になってしまうネタですけど


[198]>195 家族 tibitora

「ただいま」と家に帰って、「おかえり」と迎えてくれる人がいると嬉しいですよね^^

私も実家に帰省するとたくさんご好きな飯を作ってもらえます(^^)


[199]>196 言いにくいですよね tibitora

いじめられていることは、たとえ家族にでも言いにくいですよね。

心配をかけたくないものですが、よけいにいじめられたらどうしよう・・・とか。

cherry-pieさんも告白するのにとても勇気がいったと思います、幸せに過ごせるようになられよかったです^^


[200]>190 素敵なやさしいお父さまですね^^ tibitora

CandyPotさんのお体が治られてよかったです^^

CandyPotさんが早く元気になるかもと、1度だけお話をしたタンポポを探して、そしてそのタンポポの子供たちをたくさんうまれさせようといろいろがんばったお父さま、とてもやさしくて素敵ですね^^

そのタンポポさんたちも今ではその公園にたくさんいて、花の季節には可愛い花を咲かせるんだろうなと思います^^


[201]>199 よかったですね。 canorps

受け止めてくれる家族がいらっしゃってよかったです。

いじめというのは本当に怖いものです。

受け止めてくれるお母様や家族がいたから、きっといまがあるのでしょうね。

かくいう私は、自分がいじめられていたことを

すっかり、自分が悪いことばかりをしていた

なんてだめな人間なんだ。

に脳内変換されていて。

私ってだめな子供だったよね

て話を母にした時

あんたなにいってるの?そのときあんたがいじめられてたんだよ

といわれ、一方的に私が暴れん坊だったのではなかったことが発覚。

実際そのあたりの記憶は殆どない私。

自分で封印しちゃったんでしょうね。


[202]三人目の妊娠 canorps

私たち夫婦にはすでに娘が二人いて、エゴなのはわかっていましたが男の子もほしいという気持ちもあり、

もしまた女の子でもいいからもう一人子供がほしい。

という希望がありました。

上の二人は二歳差でぽんぽんと産んだのですが、ある時から私がおかしくなり二年前にひどい鬱になりました。

けれど、家族のおかげだとは思いますが、私はまた正しい世界に戻ってくることができました。

すると、やっぱり三人目がほしい気持ちが私にも夫にもあり、そのために私は断薬をして

薬の影響がもうないであろう半年がたってから、三人目に挑戦し始めました。

幸い、三ヶ月ほどたった時

、妊娠がわかりました。

その時夫が、男の子でも女の子でもいい。

おなかの子が自分たち家族をもう一度立て直してくれる気がする。

すごいたのしみだ。

といってくれたのがものすごくうれしかったです。

四人家族は落ち着いてきてはいたものの、狂った私が引き起こした数々のことで

失ったものも非常に多かったのです。

赤ちゃんが私たち家族を選んできてくれたこと。

本当にうれしく思っています。


[203]>197 迷子 canorps

自分自身ではなく、子供が迷子になってしまいはらはらした記憶があります。

親は、おろおろはらはらとしているのに子供はかくれんぼをしているつもりで

ものすごく楽しんでいたというものでしたが。

でも、見つかった時は本当にほっとしました。

あれは生きた心地がしませんね。


[204]>174 一緒の迷子ですね。 canorps

うちの場合は夫がそれですね。

自分からいなくなり、そして自分で私たちを探さないので困ったものです。

で、私たちが迷子になっていたことになっているのですw


[205]>66 家を建てる喜び TomCat

これはもう、一世一代の大事業ですから、大変な喜びですよね。特に、間取りから様々な部材に至るまでを、住む人が考え、選び、作っていった家であれば、その喜びは計り知れない物があると思います。

節約に節約を重ねて待望の完成を迎えた日に、一人二人前の寿司という贅沢も素敵です。この日を迎えたことがどんなに嬉しかったかが、こんなエピソードからも伝わってきます。超豪華に張り込んだ寿司が、胸がいっぱいで喉を通らない。そんな思いを、私もしてみたいものです。

昔から「一生一度の普請道楽」なんて言いますよね。私も憧れます。


[206]>133 動物には、色んな意味で泣かされてばかりですよね(^-^; TomCat

うちの猫も、窓を開けた瞬間外に出られてしまって、一週間行方が分からなかったことがありました。近所中を探し回り、街中に貼り紙を貼って、もうほんと、大騒ぎしたんです。そうしたら、なんとお向かいの家の玄関先で発見。

猫って、隠れるのが上手なんですよね。逃げてしばらくは猫も自分で自分のしたことにビックリしていますから、物陰に隠れてじっとしていることが多いと知りました。見つかるのは、環境に馴染んで隠れるのを辞めたあと。だからうちの猫、お向かいの家の玄関先で、もう、くつろぎまくっていました。

心配し続けていた緊張の糸が一気にほぐれたのと、見つかった喜びと、人の気も知らずにくつろいでいる様子のおかしさで、もうボロボロ泣いちゃいました。

ペットは家族の一員と言いますが、この家族は色んな意味で泣かせてくれちゃいますね。certanxpさんのわんちゃんも、futanboさんの猫ちゃんも、喜びの涙で何よりでした!!


[207]>77 うちの猫も TomCat

別ツリーに書かせていただきましたが、うちの猫も一瞬の隙に外に出られてしまい、一週間行方しれずということがありました。そんな時のために、マイクロチップ、普及が望まれますよね。

そして、全ての携帯電話に読み取り機が付いて、読み取ったデータが自動的にどこかに転送されるようになったらいいなあ、なんて思っているんです。GPSの位置データと共にデータが保管されるようになれば、何月何日何時何分にどこで発見されていたというのが一目瞭然で分かるようになります。

みんな、一人歩きの犬や猫を見たら、まず携帯を取り出してピピッと読み取り。そんな行動を社会の常識にするんです。そしたら、いなくなってしまったペットの発見率が飛躍的に向上して、みんなの心配の涙が、うれし泣きに変えられますよね。そういう世の中にならないかなあ。

朔ちゃん、無事に帰れて本当に何よりでした!!


[208]>182 この愛情に思わずもらい泣きです TomCat

何もかも入院する前と同じにして退院を迎えてあげようというこの心遣い。この愛情。ホロリとさせられてしまいました。

私も短期間ですが入院していたことがありますが、その時既に、両親はこの世にいませんでした。入院中は何も感じなかったのですが、退院して家に帰って心細かったこと・・・・。それまで一人暮らしを寂しいと思ったことはなかったのですが、その時初めて、一人の寂しさを知りました。

どんな時でも帰りを待ち、温かく迎えてくれる家族の存在。本当に大切な存在だと思います。

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