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卑弥呼のお墓は
結局どこなんですか!

●質問者: riobell777
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:卑弥呼
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● kinnoji7
●23ポイント

卑弥呼の墓は、宇佐八幡宮にある

http://www.sanwakogyo.com/SanwaEquity/html/usa.html


箸墓古墳が有力と言われてますね。

しかし、真相は闇の中・・・

◎質問者からの返答

真相は闇の中にあるからこそ

浪漫を感じますよね。

でもあたしは

あえてブラックホールに飛び込みたい衝動に駆られています。

ありがとうございました。


2 ● rsc
●23ポイント

ズバリ、箸墓です。間違いないっ!(長井秀和風(古))

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic26.html

よく、邪馬台国論争を読んでいると、「・・・ではないか」論法で語られますが、仮に、正しい確率を90%だとすれば、1つ1つが90%の確率でも、「・・・ではないか」が6個出てきたら、積の法則で、0.9の6乗≒約53%になって、コインを投げて表が出るか裏が出るかと同じ程度になってしまいます。いくら賢い人の文章でも、「・・・ではないか」論法だったら要注意。(汗;

また、1998年イミダスp.1079Lを引用すれば、

>歴史愛好者やマスコミの間では、邪馬台国の位置は北部九州か畿内かの問題が、依然として最大の関心事である。しかし、実証を重んじる現在の若い考古学研究者の間では、邪馬台国は機内にあったという立場で、畿内勢力と濃尾勢力さらには後方の東日本との関係の方に関心が移っていることを、一般の人も認識しておいた方がよいであろう。

実は、私も10年ぐらい前に、邪馬台国論争に凝っていましたが、イミダスを読んで熱が冷めました。何冊も本を買って読み漁っていました。時間とお金の無駄だった気もしますが、それはそれとして、すごく楽しかった気もします。

◎質問者からの返答

あたしも最終的には卑弥呼の霊が乗り移った人が書いた本まで読んでみました。

それはそれで楽しかったのですが

だんだん方向性がおかしくなってきたので凝るのはやめた次第です。


ありがとうございました。


3 ● 真島柚樹
●23ポイント

まだまだ諸説あるみたいですね。古事記とかを考えると、やはり天孫降臨のあった日向高千穂なんかがそれっぽいのでしょうが。遺跡発掘のニュースは九州北部と関西に偏っているから、どうしても、そのどっちかなんて思いがちですが。山陽説もあるんですね‥‥‥。(適当に検索した結果です、ごめんなさい)

http://www.webtelevi.com/sokuho/yamatai/041115.htm

いっそのこと、あなたが作ってはいかがでしょう?

◎質問者からの返答

いっそのこと、あたしが作ってみようと思いました。


ありがとうございます。


4 ● ryota11
●23ポイント

ご存知の通り卑弥呼の墓とされる遺跡の中で最も有力とされている2説は、「畿内説」と「九州説」です。


魏志倭人伝の記録より、卑弥呼が3世紀の女王であることは分かっています。

(※239年に魏の明帝へ使節を送った記録、247年付近に没したという記録などから)

従来この頃は弥生時代の末期だと考えられていましたが、「年代年輪法」「炭素14年代測定法」の発達により、

「弥生時代はもっとさかのぼるべき」であることが分かってきています。

その結果、卑弥呼の生きた3世紀前半も古墳時代の頭へ位置づけられるようになっているのです。

邪馬台国は古墳時代初頭の国家だと認識が改められたわけですね。


以上のことが邪馬台国は現在の九州だという説が誤りだとする根拠となると思います。

つまり、九州の邪馬台国とされる場所から出土したものが弥生時代のものであるためです。

(邪馬台国は古墳時代初頭なのであれば、九州の邪馬台国からも古墳時代のものが発掘されなければならないということ)



また、大型の前方後円墳はなんといっても畿内に集中して存在しています。

またご存知とは思いますが、桜井の箸墓がそのさきがけであることも分かっているようです。

(このためこの箸墓が卑弥呼の墳墓としてとりざたされるようになったわけです)


またここからは資料によるものではなく、若干個人的な意見も含まれますが、

従来から京都大学の歴史学や考古学は、邪馬台国=畿内説をとなえているようです。

逆に九州説は、民間の歴史好きに愛好者が多いとか。

この事実から、九州説は「地方が自立することへのロマン」も背後にあったのではないかと思います。

初めから大和が中心であったのではおもしろくない、歴史は分権的に考えた方がわくわくする・・・てな具合にです。

さらに、東京大学の古代史も、邪馬台国=九州説へ赴きやすい傾向があったことから、「畿内、畿内」と言いたがる京都大学への対抗心も含まれていたのではないでしょうか。


結局はっきりと答えは出てない感じになってますが、私としては畿内説を押します。

まぁそもそも邪馬台国という国自体が本当にあったのかどうかも怪しいもんです。

魏志倭人伝に記録があることから邪馬台国の存在が伺えるわけですが、

北九州あたりの酋長が、「我こそはヤマト」などと偽り、魏と外交関係を持っていた、というふうにも考えられますし、

(魏が騙されてそのまま邪馬台国の存在を記録に残した)

日本に関する海外の記録から邪馬台国の存在を断言すること自体難しいとは思います。


畿内、九州以外にも説はたくさんありますが、とりあえず歴史的根拠から最も有力な2説を比較すると

畿内説が正しいのではないかと思います。

私が思うのでほぼ間違いありません。


お粗末様でした。

◎質問者からの返答

先ほどあたし自身が卑弥呼の墓作りをしようと決めたのですが

いっそのこと邪馬台国を作ってみようと思います。

壮大なスケールで人生の目標ができました。


ありがとうございました^^^

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