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心の英語訳としては、heart, mind, spiritなどがあります。
また、意識の英語訳としては、consciousness, sensorium, conscious mindなどがあります。

私としては、心はすべての動物、あるいは植物を含むすべての生命体がもっているものであり、生命の維持を続けるにあたって快不快を感じて、生き延びるために行動するためのものと考えています。

一方で、意識は、デジタルな言語活動によって、生後に構築され、人類だけがもっているものであると定義します。過去の経験、言語体験、計算・功利主義などをベースにして、人間が自分の知能で判断して行動するための基盤です。

したがって、人間だけが、心では思っていることを、意識が裏切って、心にもない嘘をつくことがありえます。

1)このように定義を行った場合に、不都合なことがありますか。この定義よりも、もっとうまく心の現象や意識の作用を説明する定義が存在しますか。教えてください。

2)また、英語でpsyche, mentality, feeling, soulなどの単語はどこに位置づけるのが適当でしょうか。教えてください。

●質問者: ShinRai
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:Heart Psyche SPIRIT けが デジタル
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 27/27件

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[1]エジプトのカーとバー Mathusala

バーとカーは、どちらも魂みたいな物ですが、

バーは、意思、手足を動かす力みたいな感じ。

カーは、心臓や内臓を動かす力、熱い物を触った時に手を引っ込める力みたいな感じです。


[2]デジタルな言語活動 hiko3karasu

「デジタルな言語活動」は一般的な言葉ではないので、説明しないとよく分からんですよ?

人間だけが、心では思っていることを、意識が裏切って、心にもない嘘をつくことがありえます。

これは動物は嘘をつかないといっていますか?

意識は自分と他者を認識してその関係に対処することではないでしょうか?

私は、

動物も意識を持っているし、嘘つきだと思っています。


[3]>2 デジタルには違和感があります ls_10_5

言語を扱うことを含めた人間の活動はあいまいさを含んだもので、

単細胞生物の「餌があったらそれを取り込む」といった反射だけの行動の方がデジタルに見えます。

この文脈では言語活動にデジタルとか言わなくてもいいのではないでしょうか?


[4]>2 動物は言葉をしゃべらないので嘘はつきません ShinRai

動物の嘘をつくのを聞いたことがありますか?

言葉がなければ、嘘もありえませんよ


[5]>4 チンパンジーは嘘をつくそうです ls_10_5

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4821060833

この本に、チンパンジーが嘘をつく事例が載っていますよ。


[6]>1 随意筋と不随意筋てな感じでしょうか ShinRai

それは随意筋と不随意筋てな感じでしょうか。

外部情報を感覚器官で受け止めたりすることも含まれていますか。


[7]>5 面白い本をご紹介ありがとう、でも意識と心の定義が混乱している ShinRai

本から関連したところを少しばかり引用させていただきます。:

人がそれぞれに考えていること、思っていること、信じていること、そして現実とは必ずしも一致しないもの、それを私たちは「心」とよんでいる。お母さんやマミちゃんが心をもっていることを知って初めて「私にも心がある。それは他の誰の心とも違う私だけのもの」ということが理解される。このようにして私たちは心を発見する。言い換えれば、私たちはそれぞれに2歳半から4歳くらいの間に心を発見したのである。(子安、2000)そしてちょうどこの頃、子供は「思う」とか「考える」とかいう単語を会話の中に頻発するようになる。

(ここで心といっているのは、私のいう意識のことだと思います。)

心を発見できるのは人間だけであろうか。プリマック(Premack, 1988)は次のような逸話を紹介している。チンパンジーのオリの前に箱が2つあって片方に餌が入っているけれど、チンパンジー自身はどちらにも手が届かなくて、飼育人にとってもらわなければならないとき、チンパンジーは身振りでどちらに餌が入っているかを飼育人に教えようとする。これだけなら誰も驚かないけれど、「悪役」の飼育人がいて、教えられた餌を自分でとってしまってチンパンジーに渡さないでいると話が違ってくる。他の飼育人のときは正しい箱を教えるチンパンジーが、悪役が来ると知らぬ顔をして教えない。それどころか、1匹のチンパンジーは悪役には空の箱を指すようになった。嘘をつくチンパンジーは飼育人に心があることを知っていると結論せざるをえない。

(チンパンジーは嘘をついてはいません。餌を手元においておくように学習しただけです。彼は最初は「この箱を持ってきて」と飼育係に伝えて、成功したから、それを続けていたら、悪役がもっていってしまうから、悪役に対しては、シカトするか、空をもっていくように指示しただけだと思います。これは嘘ではありません。)


(以下でも、「心」といいながら、「意識」についての議論が行われています。あくまで私の定義ですが)


心を発見していない子は嘘がつけない。花瓶を倒して割ってしまったのは「僕じゃない」というのは、誰が割ったか僕は知っているけれども母親は知らない、という前提に基づいている。

子供が嘘をつけるようになるのはたいせつな知的発達である。嘘が何かを知らない子は、嘘をつくなと言われても何のことかわからない。反対に自分で嘘をつける子は、嘘をつかれたために現実と違うことを信じて困る人があるのを理解するなら、なぜ嘘をついてはいけないのかが分かる。


(チンパンジーには心があります。当然です。そして知力があるので、学習ができ、知的思考も可能です。しかし、チンパンジーには意識がないので、嘘はつきません。つまり、心にもないことは言いません。)


[8]>7 定義が混乱していると言うかShinRaiさんの定義と違うってだけ? hiko3karasu

この本では書いてあるように心と意識をとらえていて、ShinRaiさんの定義と違う。

私の感覚でも心=意識 と捉えてもおかしくはない感じがします。

意識 は動物でも持っている(脊椎動物以上なのかな?)自分とそれ以外と言う区別から生まれる「自分」という感覚。

心 外界からの刺激に対して応答する脳内の処理。(これも動物でももっているか。)

としても、それほどおかしくない感じがします。

どちらにも、言語が関係する必要がないような・・・・。

心って何ですか?って難しいですね。

言葉がなければ、嘘もありえませんよ

嘘とは何でしょう?って話になっちゃいますね。

ShinRaiさんは言葉で言うかどうかがポイントなのかな?「嘘を言う」と言った方がいいかも。

犬を飼っていて、食卓の焼きそばを誰も見ていない時に食べてしまう。

「こら、ポチ焼きそば食べただろう?」というと

ポチはぼくじゃありません。といわんばかりによそを向く。

このとき私はポチが嘘をついた。と感じます。

チンパンジーの例でも同じですが「自分に有利になるように、態度を変える」というのは「嘘をついた」と感じます。

あ、違うかな?ShinRaiさんは

「心にもない嘘をいう」かどうかが、嘘の定義?

私やls_10_52ptさんは

「他者をだます行為」を嘘ととらえているのでは?

しかし、チンパンジーには意識がないので、嘘はつきません。つまり、心にもないことは言いません。

心は「生命の維持を続けるにあたって快不快を感じて、生き延びるために行動するためのものと考えています。」

ならば「生き延びる為」に反することを「言う」と嘘になる?

では、「生き延びる為」に反することを「行う」と嘘にならないでしょうか?あくまでも「言う」かどうかですか?


[9]>8 トートロジーですね。 sidewalk01

定義といってもどの様に定義したかが重要になります。操作的に定義できないもので、論理を進めようとしても反証のしようもありませんね。科学的な原則を学ばれたほうが良いかと思います。


[10]>9 ShinRaiサンへの意見でした。 sidewalk01

hiko3karasuサンに対して記述したものではありません。


[11]心は存在しないという説も webees

心は、脳神経のつながり方の表現であり、故にどこにも存在しないという人たちもいます。コネクショニズムというそうです。色即是空、空即是色ですな。


[12]>10 心の定義は何でしょう? Gay_Yahng

意識の定義はありますが、心の定義は?

ShinRaiさんの考えも入れて置き換えてみると

したがって、人間だけが、「生き延びるために行動するためのもの」では思っていることを、「判断して行動するための基盤」が裏切って、心にもない嘘をつくことがありえます。

・・・・・よくわからん。

心は本能?

意識は思考?


[13]>11 心の存在について ShinRai

孟子の性善説のたとえで、幼児がまちがって井戸の中に落ちそうになるときに、「あ、危ない、助けなくちゃ」という感情がみんなに自然に湧いてくる。これが恕(仁、まっすぐな心)だという話があります。

具体的存在を持たないものの、存在非存在を議論するのは、非常に難しいことですが、自然にわきあがってくる感情があるのなら、それを心と呼んでもよいのではないでしょうか。


[14]>12 心は本能、意識は言語活動を前提とした思考 ShinRai

ここのところの切り分けが非常に大切です。

言葉がなくても、動物でもやっていることと、

人間しかやらないこと

この区別が、心と意識の区別と多く重なると思います


[15]>14 意識の定義にはまだ科学が追いついていないのでは Psychologer

皆さんこんにちは。

非常に興味深い議論で勉強させていただいております。

「意識」の問題を現代科学的に解明しようと始まったのはここ10年くらいのことだと思われます。意識の定義は研究者によっても全く異なることがあり、非常に困難を極める問題です。意識研究者の主な考えに、現在の状況で意識を定義することはせず、意識を構成していると思われる様々な人間の心の働きを科学的に探求し、それによって得られた知見を網羅したものが意識の定義となるというものがあります。

意識と心の違いですが、意識はまさに「意識に上っている」というように、つまりワーキングメモリー上の心の働きではないかと思われます。心は、意識(顕在的)、無意識(潜在的)、またその間があるかも知れませんが、それら全てを包み込む概念ではないでしょうか。動物に意識があるかどうかですが、あくまで私個人の意見ですけれども、人間と同じような意識があるかどうか、おそらくないと思いますが、しかし、それぞれの生物固有の意識状態が存在するのではないかと考えます。それはおそらく人間には想像のつかないものだと思います。


[16]抽象的なものに対して、概念を立てることの意味 ShinRai

皆様、議論へのご参加ありがとうございます。

1 一般論としてこの質問の意義

「心」と「意識」という、誰もが使っていながら、明確な定義のない言葉を取り上げて、あえて定義し、その概念の使い勝手を確かめるというのが、この質問の目指すことです。

仏教、とくに禅では、言葉を棄てなさいということが言われます。「不立文字」といいます。それに近いことを、はてなという空間で目指すのは、大変なことです。

なぜならば、記号論者のいうように、「言葉には意味がない。」、「みんな自分の言語体験によってしか、言語の意味をもてない」からです。相互理解は実に大変です。

でも、言葉の使い方の難しさ、相互理解の難しさを乗り越えても、到達すべき地平がある。つまり、仏教や禅に目指していることがある以上、我々もそれをここで目指したいと思うのです。

2 言語の本質、人間存在の本質、そして生命の本質

具体的な問題としては、ここで「心」と「意識」という概念をうまく切り分けることによって、言語とは、人間とは、そして生命とは何かということを明らかにしたいと思います。

我々人間も動物であり、その奥底には、純粋で、まっすぐで、宇宙と一体化している輝ける生命が宿っている。

それを曇らせているのが、言語や意識である。

そう思うのです。

ここのところの理解をきちんと行わないと、言語や人間の本当の姿は見えてこないでしょう。


[17]>15 回答制限があるのでいろいろ詰め込んじゃいましたが。 Gay_Yahng

ShinRaiさんへ

◎問題提議

定義:

・意識は、デジタルな言語活動によって、生後に構築され、人類だけがもっているものであると定義します。


補足:

・意識は過去の経験、言語体験、計算・功利主義などをベースにして、人間が自分の知能で判断して行動するための基盤です。

・意識は言語活動を前提とした思考

定義から展開:

・人間だけが、心では思っていることを、意識が裏切って、心にもない嘘をつくことがありえます。

・チンパンジーには心があります。当然です。そして知力があるので、学習ができ、知的思考も可能です。しかし、チンパンジーには意識がないので、嘘はつきません。つまり、心にもないことは言いません。

さて、ここで問題提議。

「言語を使わない知的思考は意識ではないのか?」

--------------------

◎議論の進め方なんですが。

「チンパンジーが嘘をつく(人間以外も嘘をつくので人間以外も意識がある。)」

と言う主張に対して、

「チンパンジーには意識がないので、嘘はつきません。」

では説明になりません。

「xxなので定義が間違っている」 に対して、

「定義に反するのでXXが間違っている」と反論しても議論が進みません。

「言語を持っていないから嘘をついていない」と言うのはShinRaiさんの定義から導かれています。いま元の定義に疑問があるので、ShinRaiさんは定義以外の理由で「人間以外は嘘をつかない」ことを説明しないと定義を証明できません。

(今は「動物は嘘を言わない」 という、ShinRaiさんの説明に対して、「言葉で言わなくても嘘ついているのではないか?」で、止まっていますね。)

--------------------

◎辞書の解釈

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%84%8F%E8%AD%98&dt...

4 心理学・哲学の用語。

自分自身の精神状態の直観。

自分の精神のうちに起こることの知覚。

知覚・判断・感情・欲求など、すべての志向的な体験。

5 《(梵)mano-vijnaの訳》仏語。六識・八識の一。目や耳などの感覚器官が、色や声など、それぞれ別々に認識するのに対し、対象を総括して判断し分別する心の働き。第六識。

今回関係あるのはこの辺でしょうか。

やはり言語は関係ないのでは?


[18]>17 言葉を使わない思考活動は意識であるのか ShinRai

よく整理された書き込みをありがとうございます。

1)現象分析

「言葉を使わない思考活動は意識とよぶのか」について、まず、ここでおきた現象について考えたいと思います。

チンパンジーは、明らかに、箱の中のバナナを「意識」しています。(興味をもっています)

しかし、それは、現実のバナナであって、バナナの絵でも、引換券でもありません。

それを自分の手元にもってきたい、あるいは、誰かにもっていかれたくない。だから彼は、知恵を使う。

最初は、飼育係に頼んでもってきてもらった。

次も、そうしようとしたら、飼育係だと思っていた人が悪い人で、バナナをどこかに持っていかれた。

だから、悪い人がきたときには、無視するか、バナナの入っていない箱を指差す。

2)

ここでは、すべてが、そこにあるものを前提としています。

バナナを食べたいチンパンジーがいて、バナナの入った箱があって、そこに飼育係りあるいは悪い人が登場します。

抽象的なもの、概念的なものはなくて、バナナ、いい人、悪い人といった具合に、チンパンジーにとって、○、○、×と色分けされた物や人がいます。

チンパンジーは、経験に学んだから、悪い人は無視するか、空の箱を指差した。

3)所見

ここには嘘がないと思うのですが、いかがでしょうか。

チンパンジーは経験に学んで、態度を改めましたが、すべて具体的な経験であった、どこにも抽象的なもの、想像上のものは入っていません。あるいは、言語の要素は入っていません。

叱られたくないから、お母さんに嘘をついた子供の例とは違いますよね。

4)

言語を使わない思考は、意識ではないのかという問いには、それは思考ではあるが、意識の作用ではないと、答えてみます。


[19]生きるための意欲と知恵と、意識の作用(名誉欲、金銭欲など)を分けることができるだろうか ShinRai

以下のように問うことはどうでしょうか。



生命体には、生き延びようとするまっすぐな感情がある。

それは、生命であるかぎり、誰もがもつ、命の輝きである。

そのような感情を「心」と呼ぼう。

しかし、人間の場合には、

お金とか、名誉や地位への欲望とか、

人を騙してでも、人を裏切ってでも、自分だけいい思いをしたいという感情が働く。

これらは、頭の中で出来上がった価値観にひきづられているものであり、デジタル言語を用いる人間のみが抱く抽象的な価値である。

これを「意識」と呼ぼう。

このような形で、「心」と「意識」を分けて考えることは可能だろうか。

このような形で、言語の作用を動物と人を区別するものとして捉えることに意味はあるだろうか。


[20]「嘘」ならびに「概念」の定義について ShinRai

「概念」の定義:「ことば(記号語、符号語、シニフィアン)と、その意味内容(シニフィエ、それと結びついたイメージや行動・状態など)がセットになったもの」

「嘘」の定義:「話者が意図的に発する、心に存在していること・心に描かれていることと反することば」

このように定義すると、「概念」も「嘘」も、記号言語を用いる人類だけのものになります。

1)概念について

たとえば、チンパンジーは、バナナの引換券とことばで書いてあったとしても、興味を示さないでしょう。バナナはバナナそのものとしてのみ、チンパンジーに語りかけるのであって、バナナという言葉を、見ても、聴いても、興味はない。

しかし、もしかすると、人間と長く暮らしていると、人間のつかっている言葉を理解するようになるのでしょうか。

10や20の言葉(ごはん、ダメ!、静かに!、お風呂、、、)程度なら、音とイメージを結びつけることができるのでしょうか。

たとえばチンパンジーのアイちゃんやアユム君は、飼育係が、「今日は、シャケ弁当がいいかい、それとも海苔弁当がいいかい」と口頭で話しかけたときに、選ぶことができるでしょうか。

2)嘘について

嘘の定義をこのようにすると、たとえば、ニューヨークに自由の女神の像があることを知っている人が、「自由の女神の像はロンドンにあるよ」というのは、嘘になります。

しかし、もし、彼が「自由の女神の像はパリにあるよ」といった場合、どうでしょうか。

実際に、パリのリュクサンブール公園には、自由の女神像があります。でも、彼は、それを知らずに、嘘をついている。これはやはり嘘であり、たまたま「嘘から出たまこと」なのだといえるでしょう。


3) チンパンジーの例で、「「箱の中のバナナ」も抽象的・想像上の物なのでは?」という場合、これは概念化かといえば、概念にはなっていないといえます。

4)「心」と「意識」の共通認識はない。

( 一応普通に使われる「心」と「意識」という既存の言葉をShinRaiさんが定義しなおす意味が分りません。「この後の議論では「心」と「意識」はこういう定義です。」と言うなら、定義に文句をつけるのはおかしいのかもしれません。でも、私を含め皆さん、ShinRaiさんの「意識」の定義に違和感を持っているのではないでしょうか。

折角の言語による人間間の認識の共有を壊す必要がありますか? )

この「一応普通に使われている」というは、定義もあいまい、使い分けもきちんと行われていないので、議論が深まらないのだと考えています。あいまいなままで、認識の共有がまだできていないから、定義が難しいのでしょう。

5) 「嘘」ではなくて、「勘違い」、「認識の誤り」

以下の例は、「嘘」ではなく、「勘違い」、「認識の誤り」ととらえるべきだと思います。

(例えば、仕事が多くて凄く疲れている時に「手伝おうか?」って聞かれたのに、自分は休まなければいけないほど疲れていると自覚できずに「大丈夫」と答える、とか)


[21]リバース・エンジニアリング ShinRai

リバース・エンジニアリングという言い方が正しいかどうか、ちょっと不安ですが。

質問を以下のように変えてみると、どうなるでしょうか。

人間には、「言語以前の感情や判断力があり、それはすべての動物に共通する、生き延びるための本能のようなものである。まっすぐな感情、純粋な生の輝き、大宇宙と一体化した精神的な現象」

この言語以前の感情、野生動物や植物とも共通な生への意欲や知恵というものとは別に、人間には、人間だけがもつ「デジタル記号言語によって生まれ来る感情がある。人並みに出世したいとか、お金が使い切れないほどほしいとか、株式投資で儲けたいとか、法律で禁じられていることをやりたいとか。嘘をついて相手を騙したいとか。」

野生動物と同じ次元で生まれ来る感情と、言語活動をする人間だけがもつ感情とを、分けて名づけたいとしたら、それは可能でしょうか。それに意味はあるでしょうか。それにはどのような言葉が適切でしょうか。


[22]mindは「心」ではなく、「頭」(意識?)の方です o-ya

2)だけお答えしますが、mentalityは「頭」、feeling, soulは「心」。

Psycheは、定義に"soul"と"mind"の両方が入っているので、ウーン。

元々のギリシャ語の"psukhe"は"soul"の意味ですが、英語では"The mind functioning as the center of thought, emotion, and behavior and consciously or unconsciously adjusting or mediating the body's responses to the social and physical environment"という定義があるので、あえて分けるなら「頭」の方でしょうか。


[23]>18 ところで、 nasi-goreng

結局、

デジタルな言語活動

デジタル記号言語

とはなんでしたでしょうか?

コンピュータを使用するコミュニケーションでいいのでしょうか?


[24]>22 ありがとうございます ShinRai

mindは意識なのですね。

mind your step. (足元に注意して)


mental lexiconを心内辞書といっているのは、混乱しますね。

意識内辞書といったほうがよくはないでしょうか。


[25]>24 "heart" v "mind" o-ya

名曲の"I left my heart in San Francisco"がありますが、"I left my mind"とは言わないですね。"I lost my mind"といえば「気が狂った、頭がおかしくなった」という意。でも「心変わり」は"change of heart"ですが、"I had a change of heart"("I changed my heart"ではない)というと、 "I changed my mind"と同様、「気が変わった」という意味で区別がないのですよね。


[26]>23 音素が離散ということでしたか。 nasi-goreng

前の質問読み直しました。音素が離散的だというデジタル言語でしたか。

意識がデジタル言語で作られるならば、それ以前のアナログ言語は心にかかわると考えられますか?


[27]>26 デジタルとアナログ ShinRai

言葉以前のアナログ符号は、より心を反映していたと思います。鳴き声とかしかなかったのだから。

デジタルというのは、その通りです。音素(音節)ベースで符号語を組立てて、お互いの脳内にデジタル処理のための神経回路をもち、共通の辞書と文法書をもってコミュニケーションをする、実にハイテクなコミュニケーション手段です。

これは人類だけがもっています。

これまで、人間の言語は、効率がいいとか、複雑だとか、語彙数が多いとか、いろいろなことが言われてきましたが、一言「デジタル通信」といってしまえば、すべて説明がつくことのように思っています。

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