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神戸の旧居留地について教えて下さい。居留地の周囲には柵のようなもので囲ってあったのでしょうか?(京町筋の新クレセントビル付近には北ゲートがあったとのことですから囲いもあったと考えるのが妥当と思いますが。)

●質問者: wakaizohide7
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
✍キーワード:セント ビル 神戸
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● pasoposo
●27ポイント

柵で囲ってあったようです

そうして人っ子一人いないところに柵を設けて外国人の居場所を設けた...それが「居留地」と呼ばれるもの ... ここ神戸では、それが番号の若い順につくられていきまして、今日ゴショーカイする「旧居留地15号館」は、15番目につくられた洋風デザインのケンチクさんです。 ...

http://blogs.yahoo.co.jp/t_marufuzy/32202261.html

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


2 ● taka27a
●27ポイント

参考まで。

http://www.kobe-kyoryuchi.com/kobe_kyoryuchi/miserarete/index_re...

柵はなかったようにみえますね。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


3 ● MEI-ZA-YU
●26ポイント

★特に囲いはなかったようです。

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/year/140syuunen.html

>居留地というのは、貿易を行うために一定の境界をもうけて

外国人の居住や営業を許可する地域で、日本政府が外国人に貸与するものです。

東は生田川(現在のフラワーロード)、

南は海、西側は鯉川

(今は鯉川筋という商店街ですが、もとは小さな細い川で、これを暗渠にして道路にしています)、

そして北は西国街道と、三方を水で囲まれています。

ここにも、日常できるだけ日本人と接触しないように外国人を隔離していこうという

発想のあらわれだといわれています。

・・・・・・


>神戸には居留地のほかに、居留地の外側に雑居地とよばれる地域がありました。

・・・・・・

範囲は、東は生田川、西は宇治川、北は山辺、南は海岸を限りとして、

外国人がその範囲で居住することを認め、日本人が外国人に対して土地あるいは家屋を貸してもよいこと、

また外国人が家屋を買って普請することも自由となりました。





★『居留地内』ではこんなレンガ塀があったようですが ↓

http://kobe-mari.maxs.jp/kobe/kyoryuchi_monument.htm

>居留地15番区画と16番区画の境界のレンガ塀と石柱

◎質問者からの返答

ありがとうございました。

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