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「きっこのブログ」3月5日の記事『西松建設事件は自民党の自作自演劇』に

「小沢一郎は政治資金規正法を作ったときの中心人物」という記述があります。

が、wikiによると政治資金規正法の成立は1948年ですから、「作ったとき」はありえない。しかしながら同法は何度も改正を繰り返されていますから、いずれかの改正に小沢が深く関わった可能性は否定できません。

というわけで、小沢一郎と政治資金改正法との関わりを示す資料を探しています。特に、「きっこのブログ」で示されている小沢擁護の文脈に沿う資料。

よろしくお願いします。

●質問者: gushoukuuron
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:1948年 Wiki きっこのブログ 小沢 小沢一郎
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● ラージアイ・イレブン
●100ポイント

ご指摘の「きっこの日記」は、3月5日ではなく、3月4日付のエントリーのことかと思いますが、

さるさる日記 - きっこの日記

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20090304

それ以前に、この「政治資金規正法」って、小沢一郎が中心になって作った法律なんだよね。小沢一郎は、自民党にいたころから、政治家が企業から献金を受け取って、その企業に便宜を図る体質に疑問を持ってたんだよね。それで、それまで当たり前のように行なわれてた企業から政治家個人への献金を禁止する法案に賛成したんだよ。それなのに、その法律を作った本人が、その法律を破るワケがないじゃん。それに、この法律を作った本人だからこそ、すべての会計の収支をオオヤケにして来たんじゃん。

「この「政治資金規正法」」の「この」はなにを指しているのかというと、日記では前段で

さるさる日記 - きっこの日記

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20090304

あたしは、昨日の日記で、「企業から党への献金はOK」で「政治団体から政治家個人への献金はOK」なのに、「企業から政治家個人への献金はNG」だってことをパチンコの換金システムに喩えた。民間がギャンブルをすると「賭博」で逮捕されちゃうのに、パチンコ屋さんでは、出玉を一度、景品に変えて、その景品を別の場所で現金に交換してもらうシステムが、暗黙の了解として、全国津々浦々のすべてのホールで行なわれてるからだ。で、今回の小沢一郎にかけられてる容疑をパチンコに喩えると、パチンコで大勝ちした小沢一郎は、出玉を一度、店内の景品カウンターで景品に交換してもらって、それを持って別の場所へ行けば、法律に触れずに現金を手にすることができるって知ってたのにもかかわらず、あえて、店内の景品カウンターで「現金に換えろ!」って騒いで、断るお姉さんにムリを言って現金に換えさせた。そして、それで、「賭博」の容疑で逮捕された‥‥ってことになる。

ま、正確に言えば、パチンコを打ってたのは秘書の大久保隆規ってことになるワケだけど、それにしたって、日頃、小沢一郎から会計の透明性について口が酸っぱくなるほど言われてた上に、マジメで多くの人から信頼されてた大久保隆規が、わざわざパチンコ屋さんの景品カウンターで逮捕覚悟で大騒ぎなんてするだろうか? 政治団体からの献金なら小沢一郎として受け取ればいいし、企業からの献金なら民主党として受け取ればいいだけの話で、これで何ひとつ問題はなかったのに、企業からの献金だと知ってた上で、わざわざ危険を冒してまで、政治資金収支報告書に虚偽の記載をするなんて、いったい何のメリットがあるって言うんだろう? 普通に考えたら、絶対にアリエナイザーな話だ。

と書いていますので、文脈的に考えて「企業から政治家個人への献金はNG」とした「政治資金規正法を改正する法律」が小沢一郎氏が関与した法律であるときっこ氏は考えている、と考えられます。

政治家に対する企業直接献金を禁じ、政党のみに企業政治資金の流れ限定した制度は、リクルート事件などの政治汚職をあらためるための政治改革として作られた、いわゆる「政治改革4法」の一つである「政治資金規正法を改正する法律」(平成六年二月四日法律第四号)でした。

政治改革4法 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%94%B9%E9%9D%A...

政治資金規正法(昭和二十三年七月二十九日法律第百九十四号)

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO194.html

政治改革4法の原型は、政治改革を掲げた海部内閣に遡りますが、政治改革を言い始めた海部内閣の与党自民党の当時の幹事長は、小沢一郎氏その人でした。

1992年の東京佐川急便事件による金丸信失脚後、旧竹下派に所属していた小沢一郎氏は、羽田孜氏ら「改革フォーラム21」のメンバーとともに、竹下派を離脱。宮澤内閣で再び政治改革が政治課題として大きくとりあげられることになりました。

宮澤改造内閣で宮澤総理が「政治改革をやる」といったん断言したものの、党内調整困難により頓挫。これを批判し自民党分裂のきっかけをつくったのが小沢一郎氏ら改革フォーラム21のメンバーでした。

改革フォーラム21 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%83%95%E3%82%A...

そして結局、政治改革に失敗した宮澤海造内閣は、野党+小沢一郎らによる内閣不信任決議を受け、総辞職。自由民主党は政権交代により下野することになり、宮澤不信任決議案に賛成した小沢一郎氏らは自民党を離脱。小沢氏らは、新生党を結党し、非自民7党1会派による38年ぶりの政権交代を主導し、細川内閣の中で政治的主導権を握りました。

細川内閣 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A...

こうして、小沢一郎氏の傀儡政権ともいえる細川内閣で、政治改革4法案は成立し、政治資金は政党に一本化され、日本は政党政治始まって以来はじめて「二大政党制への道」を歩み始めることになったのです。

こうした日本の政党政治の近代化、「二大政党制への道」の背後に常に小沢一郎氏がいたことは事実であり、その意味では、きっこ氏の小沢一郎氏に対する認識はまったく正しい、と思われます。

◎質問者からの返答

ご丁寧にありがとうございます。

返答いただいた内容と資料、読んでみます。

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