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「神前結婚式」は、明治三十三年(1900年)の大正天皇の結婚式から作り出された、非常に歴史の浅い(たかだか100年程度の歴史しかない)、日本の伝統とは呼べない結婚式です。では、それ以前、一般の日本人は結婚においてどのような儀式等を行なっていたのでしょうか。本当の伝統的な結婚の風習について教えてください。なお、wikipediaの記載は必要ありません。


●質問者: 松永英明@ことのは
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:1900年 Wikipedia たかだか 三十三 伝統
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● rsc
●50ポイント

どうやら、挙式はなかったようです。宴会の中で、杯を交わすことが儀式といえば儀式といえるものだったようです。神前結婚式はヨーロッパの価値観に合わせて、ヨーロッパの仲間入りをしようとして日本流に導入されたもののようです。

>●日本の婚姻の儀式

では、ヨーロッパの人々から見ておかしな結婚とはどんなものだったのでしょうか。彼らは、日常生活の中に宗教が溶け込み、あらゆる場面で生活を規制しています。日常生活の始まりから床につくまで。人生では、誕生から死に至まで宗教=神の干渉を受けています。従って、神の許しを得ない結婚など考えられません。

しかし、日本ではそのような感覚はありません。ヨーロッパの人達が許しを得ようとしたような「神」がいなかったのです。したがって、許しを得るような必要など微塵も感じませんでした。いまの披露宴にあたる宴会の中で、杯を交わすことが儀式といえば儀式といえるものでした。ヨーロッパと比較して、挙式にあたる部分は存在していませんでした。

http://www3.ocn.ne.jp/~nw21/rekisi.konrei.html

◎質問者からの返答

このページは詳しいですね。参考になります。

「婚礼」は少なくとも非武士階級にはなかったように読み取れます。ただし、仲人や結納といった形はあったようですね。

三三九度が結婚儀式に取り入れられた経緯なども気になります。


2 ● adlib
●0ポイント

♪ 熊本民謡 ? 年代不詳ながら ?

三々九度の盃や、媒酌人、仲人(きもいりどん)が登場しています。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=-qHn60xxnQI

赤坂 小梅・唱《黒田節/おてもやん 1935‥‥ ビクター》(9:08)

── 地元のものとは節回しや方言の使用などで少し差が生じることに

なり、そのことで批判の声があがる場合もあったようである。小梅の場

合は特に「おてもやん」で地元から非難された。── (Wikipedia)

歌詞とその意味

http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/shoukai/k_uta_r2.html

「熊本の歌」参考資料2(おてもやん関係)

── 各地の花柳界などで歌われた騒唄(さわぎうた)だったが、肥後

熊本に運ばれて土地のことばの歌詞になり『熊本甚句』とよばれていた。

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%81%8A%E3%81%A6%E3%82%82%E3%82%...

Yahoo!百科事典トップ > 芸術 > 日本音楽 > 民謡

◎質問者からの返答

「”おても”というのは肥後の若い女性の通称で明治の終わりごろに実在した人物ともいわれているがさだかではない。」という情報もあるので、これはあまり参考になりませんね。


3 ● nozomi_private
●10ポイント

柳田國男が研究しているようです。(日本民族大辞典 下巻 (吉川弘文館))

孫引きになりますがこちらのページが紹介しています。

http://iidamizuhiki.jp/sahou/yuinou.html

民俗学者、柳田邦夫は、結納とはユイノモノ、すなわち家と家との新しく姻戚関係を結ぶために、共同で飲食する酒と肴とを意味する語で、聟(むこ)がこれを携えて聟入するのが本式であったと考えた。結納の日に聟が仲人、あるいは両親などを伴い嫁方を訪問する慣わしは各地で報告されており、この日に酒をくみかわすことにより婚約が成立したことになる。これを口固め(くちがため)、樽入れ(たるいれ)等と称している。



結婚はかなり自由だったという説もあるようですが、こちらのページによれば庶民でも妻側の書類を揃えるなどそれなりの手続きは必要だったようですから、それほどいいかげんな婚姻関係でなかったことは伺えるのではないでしょうか(三行半が再婚許可証になるようなゆるさもあったようですが)。儀式も、それに比例した意識だったのではないかと思います。

http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/houritu.htm




嫁入り婚についてもやはり柳田が研究しているようです。(こちらでは三々九度などの儀式の複雑化が嫁入り婚と同時に進んだとされているようです)

http://www.tabiken.com/history/doc/S/S361R200.HTM

婿入り婚については

http://www.tabiken.com/history/doc/S/S022C100.HTM

民間の婚姻習俗においては,戦前期くらいまでは西南日本の海岸部を中心に点々と存在していたことが知られており

とのことです。




なお、上記の資料で言及された村外婚ですが

青梅の近くの農村地帯でも,97%の人が村内婚

http://www2.kokken.go.jp/jalic/group5/96.7p23.pdf

という証言もあるのでそれが主流になったというのは言い過ぎかもしれないと思います。

◎質問者からの返答

二つめのリンク「婚姻は武士は許可された時点、庶民は結納が済んだ時点で成立したとし、それ以降は「人妻」として法律上扱われる。」が参考になるように思います。

柳田も調べてみますね。となると折口も見てみないといけないでしょうね。


4 ● azukiazu
●20ポイント

http://wishpafupafu.blog110.fc2.com/blog-entry-228.html

こちら参考になりそうです

◎質問者からの返答

これはよい資料です。婚礼の手順などが詳しいともっとよいのですが。


5 ● nozomi_private
●90ポイント ベストアンサー

すみません、上記の回答は不適切でした(ので、ポイントはけっこうです)。

日本の婚姻とその儀式につきましては、以下の3つのサイトでかなりよくわかると思います。


日本結婚史

http://www.town1.jp/dousuru/kankon/nihon/nihon1.htm

過去の結婚事情

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8188/kenkyu/98geppa-...

中山太郎の「日本婚姻史」から?共同婚?☆6☆いろんな結婚式がある!

http://bbs.jinruisi.net/blog/2009/03/000517.html



古代では庶民は共同婚で集団で性を享受する村内婚の形でした。それは男女間の掛け合いであったり、歌垣であったりで、さまざまな形式がありますが、それが儀式といえば儀式といえるかもしれません。

貴族は個人的な妻問い婚でした。平安期ではこれが儀式化し、三日夜餅や露顕(ところあらわし)、式三献(三々九度)などが登場しています。式三献は中国の礼法などが影響しているという説があるようです。


室町期に日本の礼法が確立します。以前から公家がやっていた平安期の礼法を更に体系化したもののようですが、そのうち小笠原家の礼法(儒教(礼法)を中心とし、神道、陰陽道、禅、道教を組み合わせたもの)がスタンダードになり、武家の共通作法になり、婚姻に深く関わります。

江戸期、水島卜也が小笠原家の礼法を庶民に広めてから裕福な庶民の間で小笠原家の礼法が生活全般に広がり、多くの都市圏の家でその形式で結納+祝言が行われました。(ので、儀式がなかったわけではないです)。id:azukiazuさんがご紹介なさった祝言の形式は小笠原礼法に則ったものではないかと思います(男女の並び方、女性=陰なので、夜に花嫁が来る、お色直しは婚礼で白=陰から色=陽に変わった、など)



天皇家については女御入内の儀という儀式があったそうです。

米田雄介 「天皇家の結婚の歴史」

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/yoneda-yusuke-tennoken...

大正天皇のご成婚の式次第は調べられなかったのですが、東京大神宮のウィキペディアの項にある模擬結婚式を見ると三日夜餅はなく(宮中儀式ではあるようです)、小笠原礼法の式三献などの儀式が入り込んでいます(こちらは宮中ではないようです)。

以下は一般的な神前式の式次第です。

http://kekkonbiyori.jp/shikishidai-shinzen.php

こちらは小笠原礼法の式次第です。

http://www.ogasawara-ryu.com/jp/om15.html

今の神前式は神道と小笠原礼法のチャンポン(宮中儀式の簡易版というよりむしろ小笠原礼法に近いかも)とも言えそうですが、もともと小笠原礼法でも床の間にいらっしゃるそのイエの神様の前で祝言をするので、神前式と言えなくもないとは思います。また、中山太郎が神前婚の原型に近いような今津村、三井村の例も挙げているようです。日本の神様は場さえ作ればどこにでも降りてきてくださる気前のいい神様のようなので神社でも家でも結婚式場でも(一応タマが分祀されているようです)いいようです。



なので、「日本の」伝統的な儀式として今の神前式は明治期に作られたインチキと言えばそうとも言えるし、そうでないとも言えるかもしれません。小笠原礼法の流れを汲んでいる、神の前での婚姻も以前からあった、という意味で言えばそうかもしれませんが、東京大神宮の模擬結婚式は確かに非常に政治臭いという気はします。

ですが小笠原礼法も中国の影響を色濃く受けて陰陽や禅などとの合成で元は政治適用性から作られた礼法のようですし、そういう意味では厳密には自然発生的なものとは言えないかも知れません。

そうすると柳田などが報告している結納が自然発生かと言えば、式三献に似た儀式があるので、礼法の影響があるのかな、とも。

結局折口信夫が報告している歌垣だったり、今津村の神社婚だったりが自然発生的な日本の婚姻の原型になるのかとも思いますが、ご質問に適切に答えられているかちょっとわかりません。すみません。歴史が長い、ということで言えば、都市部では小笠原礼法の祝言(室町から大正期くらいまで)、農村部では共同婚(古代から現代まで)と言えるかもしれませんが・・・

◎質問者からの返答

非常に詳しくありがとうございます!

日本古来のというよりは、大陸の影響を受けてできあがっていったのが日本の結婚儀礼ということになりそうですね。

「小笠原礼法」というキーワードを教えていただいたのが大きな収穫だと思います。

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