人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

太平洋戦争末期、大都市では防火用に市の中心部の住宅地帯を退けて広い空地を確保したりしましたが、
広島市の場合、市の中心部を東西8キロに幅100mの道路をぶち抜きました。こういった計画の立案、命令、実施またそれに伴う中学生中心の動員体制に、どういった省庁が関わっていたのか具体的、詳しくに分かる資料などを教えてください。
貫きました。

●質問者: axwgt
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:キロ 中学生 住宅地 大都市 太平洋戦争
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● ShinRai
●40ポイント

ご希望にどこまでかなっているかわかりませんが、広島の場合には、原爆を落とすことが昭和18年くらいに決まっていたという説があります。

そのためわざわざ陸軍が忌み嫌っていた粟屋仙吉を市長として東京から迎えたようです。彼は8月6日の朝、家族もろとも即死だったそうです。

その道路建設も、原爆投下を見越してのことだったかもしれません。

http://plaza.rakuten.co.jp/sawakai/diary/200809160001/

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

確かに調べ物とは少し脇にそれましたが、これはこれで

面白い証言をお教えいただき感謝しています。


2 ● Hyperion64
●40ポイント

所轄は、内務省ではないでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%8B%99%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

太平洋戦争中に、防空と国土計画を所管としています。

また、学校防空でも支配力を行使したようです。

http://www.geocities.jp/aobamil/kanchousitu/shuuhou/363.html

やはり、学生を市街地防空作業にかり出すには、文部省がからみます。

http://www.asaho.com/jpn/sansei/120.html

内務省が権力の中枢で文部省がそれに従うような構造があったのではないでしょうか。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

これを参考に調べてみましょう。

関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ