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戦時中に読むべきとされていた100冊の本について知りたいです。

現在70代の方からお聞きしたことです。
「戦時中は、学校でもまともに授業を受けることができなかったから、
これだけは読んでおけ、という100冊があって、
それを読むことが勉強だとされていた」
これに対して、同い年の奥さまも
「そうそう、○○の△△とかねえ」
と懐かしそうに同意されていました。
(ここでたとえに出された本のタイトルも作者も私は全く知らなかったため、覚えていません)

終戦以前の教育において、そのような形で推奨されていた本100冊のリストというのは、存在するのでしょうか?
もし存在するなら、その詳細(本のタイトルと作者名のリスト)を教えてください。
また、そのリストを作ったり推奨したりした人・組織などの元ネタもわかれば教えてください。


●質問者: skyk
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:うそ タイトル リスト 元ネタ 勉強
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● kanan5100
●35ポイント

まず戦時中は本の入手自体が容易ではないことから、学生が百冊もの本を読むことができたとは思えないので、ブックリスト形式ではないでしょう。

戦時中の昭和18年に木村健康編『教養文献解説』(日本評論社)という教養図書総解説本が出ているので、この本のことかもしれません。

この本は、戦争中、知識欲を満たされなかった学生たちに喜ばれ、隠れたベストセラーになったとのことです。

↓のオークションサイトに写真あり。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n65071255

なお、角川書店創業者の角川源義が、戦後間もないころに荻窪の古本屋でこの本を見つけてパラパラとめくっていたときに、最後のページの「目がつぶれるほど、本を読みたい」という書き込みに心打たれたのが、角川文庫誕生のきっかけになったそうです。

http://ax-1549-ax.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_1bc0.html

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

かなり真相に近いご回答のように感じます。

図書館で内容を確認し、可能であればご夫婦にも確認してみたいと思います。


2 ● adlib
●35ポイント

推論 ? 一生の教養を岩波文庫に託す ?

ひとつの目安は、最年少戦死者15歳、学徒出陣の最高齢26歳です。

現在70?79歳だと、終戦時は6?15歳なので、実際は80代で

終戦時16?25歳ではないでしょうか。

岩波文庫の創刊(19270710)とともに生れた人なら、ことし82歳、

終戦時18歳ですが、敗色濃厚で死を覚悟していたので、百冊もの本を

読むには、開戦時14歳(19411208)以上とみられます。

もうひとつの目安は、平均単価一円が、大卒初任給の2%であったと

すると、現代に換算すれば、約5000円に相当します。

生涯予算では50万円(インフレ換算すれば500万円)に達します。

── 『円本』の呼び名は(略)1925年大阪、1927年東京に登場した市

内1円均一の『円タク』から、派生したと言われる。1円は当時、大学

出の初任給の約2%に相当した(略)1927年前後から月に一冊ずつ配本

して、1930年過ぎに円本ブームは鎮静化した。── (Wikipedia)

1.戦前・円本と文庫

── 岩波茂雄(32)が漱石(46)に「出版事業を始めたい」といった。

http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19270710

岩波文化 ? 華麗なる人脈 ?

── ドイッのレクラム版にならって岩波文庫を創設した時のことは、

特に忘れられません。この時には非常に反響が大きかったのであります。

何百通という感謝状、激励文が未知の読者から寄せられ、その中には

「わが一生の教養を岩波文庫に託す」というような言葉さえもあって、

私は、非常に感動いたしました。

http://csx.jp/~amizako/iwanami30aisatsu.txt

岩波 茂雄《回顧三十年感謝晩餐会の挨拶 194212‥ 図書》

2.戦後・文芸復興

── わたしの中学時代の恩師は、岩波新書一日一冊を目標としました。

http://q.hatena.ne.jp/1104564449#a234883

3.現代・出版ビジネス

http://www.iwanami.co.jp/bun100/

読者が選んだ〈私の好きな岩波文庫100〉フェア 200209‥

1 :吾輩は名無しである:2003/08/22 08:13

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1061507624/

『岩波文庫 100冊』を読破するスレ

── 佐高 信《わたしを変えた百冊の本 20050515 講談社文庫》

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2750732

── 学生生活の間にぜひとも読んでおいてほしい図書を「京都文教大

学の100冊」として選定(略)また、図書館に「京都文教大学の100冊」

コーナーを設置し、学生のみなさんが利用しやすいようになっています。

http://www.kbu.ac.jp/kbu/gakugaimuke/07-100satsu/2007_100satsu.h...

京都文教大学 200707‥ 選定

4.類型・亜流

── ユーザー登録すると、ネット上に自分専用の本棚が! 一冊読む

ごとにYonda? 君が本を並べてくれるよ。33年間の100冊の歴史やあなた

の[新潮文庫の100冊]度を試せる100冊検定も!

http://100satsu.com/

新潮文庫の100冊 1976?2008‥‥ 新潮社

ちょっと本気な千夜千冊虎の巻 ― 読書術免許皆伝

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/

松岡 正剛の千夜千冊

◎質問者からの返答

そうですね……年齢を正確に聞くことの重要さがわかりました。

ありがとうございます。

ご本人は「当時は20才まで生きられるなんて思ってもいなかった」と言っておられ、

終戦時20才に届かなかったのは確かです。

お寺のご長男さんで、

「そこに進んだらその地域の『インテリ』として進むってことになっている学校に進んで」

いたそうですが、詳しい学校の種類はわかりません。

「ゆくゆくは『国のインテリ』になりたいと思っても、何も勉強できないし、どうしようもなかった」

とのこと。

一風変わった先生がいて、犬を連れて教壇に立ち、

「『この戦争は絶対に負ける。勝てっこない』なんて言うんだから、まいっちゃってさあ」

なんてことも言っておられました。

わりと田舎の方の学校だったということでしょうか……

紀伊半島の先っぽに住んでいて、

海からB29がまっすぐ向かってきて、グンと上昇してから、東か西へ分かれて飛んでいくのを、

きれいだからと高台からよく見ていたそうです。

時々、ごあいさつとばかりにダダダッと撃たれることがあり、

一緒に見に行っていた弟分が、落ちてきた薬莢が当たったのを撃たれたと勘違いして、

「目を回して気をうしなっちまってさあ」と笑ってらっしゃいました。

「でも、ああいうときは、絶対俺が撃たれる、俺に当たる、と思うもんだよ」てなことも。

正確な年齢が確認ができたら、コメント等で報告いたします。

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