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虹の色は、現代の日本では通常「七色」とされていますが、この起源はニュートンです。ニュートンは7音階に合わせて7色と規定したわけです。
では、ニュートンの考え方が伝わる以前の日本では、虹は何色と認識されていたのでしょう?


●質問者: 松永英明@ことのは
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 科学・統計資料
✍キーワード:ニュートン 認識 起源 音階
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 6/6件

▽最新の回答へ

1 ● MEI-ZA-YU
●15ポイント

http://mametisiki.net/TIE/26.php

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9

日本でも古くは五色、沖縄地方では二色(赤、黒または赤、青)とされていた。



http://www.nihon-kankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=ShowBukken&ID=0532...

滝のしぶきが五色の虹をつくることから名付けられた,美しい滝。

◎質問者からの返答

琉球王国では二色なんですね。

五色それぞれのネーミングはないんでしょうかね。


2 ● suppadv
●15ポイント

日本も昔は5色だったって知ってました?

中国では万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行思想に基づいており、虹も当然のごとく5色でした。それに習って日本でもその昔、虹は5色だったのです。

明治時代に入り、海外の学校教育を見習うようになると、虹の色は7色と教えるようになりました。明治8年に出版された「小学色図解」の中で、富士越金之助という人が「太陽の色は七色」と書いたのが最初のようです。

http://www.cocoknots.co.jp/blog/?p=52

◎質問者からの返答

ここで疑問です。

五行説の色は、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒となります。白や黒が虹の色に含まれると認識されていたのでしょうか?


3 ● afurokun
●15ポイント

日本は昔から中国の文化に影響されています。日本では昔は虹の

色は5色と考えていたようです。これは中国の万物は木・火・土

・金・水の5種類の元素からできているという五行思想という考

え方に由来していると言われています。

明治時代に入ると欧米を見習った学校の教育が行われるようにな

りました。このときから虹の色は7色と教えるようになりました。

http://sci.la.coocan.jp/fchem/log/rika/13056.html

◎質問者からの返答

上記と同じ疑問があります。それとも、単に「五色」という色の数だけが規定されて、具体的な五色については言及がないのでしょうか?


4 ● kanan5100
●30ポイント

http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/tenbu/frame/f000310.html

江戸時代以前の諸文献を引用して明治時代に編纂された百科事典「古事類苑」のデータベースが公開されています。

この事典には「虹」の項目があり、和漢三才圖會や日本書紀などの記述が引用されているのですが、不思議なことに色数についての記述は見あたりませんね。

「青赤或白色陰气也」とか「據此似青赤爲虹、白色爲霓」「虹映日光之色爲紅緑也」とあるところをみると、「赤青」あるいは「赤緑」の二色と考えられていたのかも知れません。

◎質問者からの返答

古事類苑はだいすきなのですが、地部しか持ってません。

さて、白というのは「白虹」のことでしょうね。

この続きの和漢三歳図絵の項に「虹映二日光一之色爲二紅緑一也、紅者火、緑者水氣、而爲二水火之交」とあり、「紅緑」の二色(すなわち火と水の交わり)と考えられていたように思われます。とすると、五色ではなく二色だったのではないかと思われますね。


5 ● nozomi_private
●40ポイント ベストアンサー

こちらにまとまっています。

http://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/pdf/tz_009.pdf

吾妻鏡はこちらの記述です。

http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop2.htm

「十一日△辛亥陰、△卯尅、西方見五色虹、上一重黄。次五尺餘隔赤色、次青。次紅梅也。其中間、又赤色、甚廣厚兮、其色映天地、小時銷、則雨降。」

五色ですが、黄色、赤、青、紅梅、赤、と、赤系統に集中しています。

虹の記述は古事記からありますが、確かに色彩について言及したものは少ないようです。

古事記では天橋立は虹だという説もありますし、沼で寝ていた女の性器に虹のような光線が差し込み、アメノヒボコが誕生したという話もありますが、色彩についての記述はありません。

http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki2.html

万葉集でもこの一首しかなく、色彩ではなく「目立つこと」が主眼となっています。

http://www5.wind.ne.jp/fukuzumi/manyou/3414.html

万葉の時代には色彩は考慮されなかったかといえばそうではなく、非常に豊かな色彩感覚を持っていたようです。

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/color/home.html

こちらは虹についての記述を集めています

http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/ni.htm

これを見る限り、日本では中国の言い伝えで戦乱、変革の象徴「白虹」、やはり中国の言い伝えである「龍、蛇の化身」、「何かを導く道、橋」として見られていたようで、色としてあらわされたことはまれのようです。

西行法師も「橋」としての虹を歌っています。

「さらにまたそり橋渡す心地してをふさかかれる葛城の峰」

ここでも架け橋としての虹が主眼であって、色彩は表れません。



鮮やかな色彩の描写がでてくるのは常陸国風土記です。

http://www3.ocn.ne.jp/~x484kok8/hitati1.html

http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm

「黒坂の命、陸奥の蝦夷を征討ち、事了へて凱旋り、多歌の郡の角枯の山に及りて、黒坂の命、病に遇りて身故りき。ここに角枯を改めて、黒前の山と号けき。黒坂の命の輸轜車(霊柩車)、黒前の山より発ちて、日高見の国に到る。葬具儀の赤旗青幡、交雑りひるがへりて、雲のごとく飛び虹のごとく張り、野を瑩らし路を耀かしき。時の人、赤幡の垂の国といひしを、後の世の言に、すなはち信太の国といふ。」

ここでは赤と青の旗が虹に例えられています。、主に中国の白虹に由来して虹を不吉な兆しと見る風潮とはなれ、純粋に「鮮やかな色が天を流れる」というイメージでとらえられている例かと思います。が虹そのものを描写したものではないので、当時の人々が虹をどういう色彩で認識していたかはわかりません。赤と青はイメージにあった、というくらいでしょうか。



また日本霊異記によれば、極楽に行った大部屋栖野古が「5色の雲が虹のように北に伸びており」と極楽を描写しています。

http://www.araki-labo.jp/shiso53.htm

虹は空に伸びるもの、というイメージですが、色彩についても近いイメージだったのかもしれません。



まだいろいろ見ていますが、虹の色彩が明確にでたのはやはり吾妻鏡の五色のようです。


<おまけ>

こちらは世界の虹の色について考察なさったページです。ご参考に

http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/iro.html

なお、最初の資料によれば「中央気象台, 海洋気象台(編)『日本の気象史料』(2). 原書房, 1976, p.655-665: 第11 編第1 章「虹」【754:33:2 参考】という書籍が、虹の記録を日付順に7 世紀から明治9(1876)年9 月24 日まで列挙し」ているようです。更に詳しくお知りになりたい場合に。

◎質問者からの返答

ありがとうございます!最初のまとめページはわかりやすいですね。ちなみにその出典→平成17年度一橋大学附属図書館企画展示もよい資料です。

「五色の虹」というのは慣用句的なものであって、「五色」は「多くの色」を意味する言葉ではないかと思えてきます。


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