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「脳死は、人の死である」

に賛成ですか?反対ですか?


●質問者: ヤマダ
●カテゴリ:政治・社会 医療・健康
✍キーワード:脳死
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 19/19件

▽最新の回答へ

[1]賛成です kia_44

脳が死んでしまうとパーソナリティがなくなるわけですから、悪い言い方ですが、人ではなく「物」になると思います。自分が脳死状態になったらそのまま廃棄してくれてかまわないと思います。家族や恋人がそうなったら悩むかもしれないけど。


[2]賛成 - ”死”の線引きの問題 totsuan

「生物の”死”とはどんな状態を指すか?」を考えた場合に、当方としては「自然な状態において(細胞単位ではなく)一個体としての生命活動の自発的な継続が決定的に見込めない状態」と考えます。したがって、”心臓死”同様”脳死”も同様の状態と判断し、人の死の一形態と考えます。ただ、この判断はヒトの状態を「生」「死」の二元論で説明せねばならない、という前提で考えた場合であるため、他のカテゴリが定義されればそれに含めるかもしれません。

現代医学の進歩によって人工臓器によるサポートが十分に受けられるようになった反面、生死の境界が曖昧かつ幅広いものになってきたために、対象者を取り囲む”生きている”人達の判断も難しくなってきたのは仕方ないと思います。今後、内蔵型の人工心臓や人工頭脳を有して生活している人達が出現してきたときに彼らの存在をどのように定義するか?(=ヒトとして生きているのか?あるいはハイブリッド生命体として別分類とするのか?)という問題もでてくるかと思いますが、当座はこのように考えます。


[3]>1 脳死に反対ではないが、疑問も残る。 nobnob3

私は、概ね脳死に賛成ですが、脳死とは何かというところに疑問が残ります。

いわゆる全脳死なのか、脳幹死なのか?とかですね。日本では全脳死ですよね。

パーソナリティがなくなるというのは一般的には受け入れやすいし、分かりやすいんですが、

無脳症児は、パーソナリティがないのか?そもそも生きていないのか?とかですね。


極論を言うと、将来技術が進んで、脳に蓄積された情報がコンピュータ上に再現出来る様になった場合は、

人は不死になるのでしょうか?


[4]反対です Carotene

移植用の臓器を確保するための死の定義の変更は極めて作為的で是認できません。


[5]賛成です taka27a

膨大する医療費の抑制にも一役買うと思います。人はどんな形であれ、死ぬのです。永遠の命などありません。モンスターペイシェントの抑制にもいいことかもしれません。もちろん「移植」を前提とした脳死判定には問題ありだと思います。


[6]脳死から生き返った方がおりますよね Reiaru

誤判定がある限り、両手を上げて賛成するという訳にはいかなさそうな気がします。


[7]昔はどうだったんでしょうね? drill256

たとえば見ず知らずの行き倒れを看病するようなこともありますよね。

寝ているのか、気を失っているのか、脳死なのか判断がつかないとしましょう。

時々うなったり動いたりするなら、看病を続けますよね。


さて、ピクリとも動かない場合はどうしますか?

身内でない人間が3週間も動かないようなら、

「もうこのまま死んでしまうかな?」

とあきらめるのではないでしょうか?

とはいっても、心臓が動いている人間を即火葬はしないでしょう。

口にお粥を流し入れても、咀嚼しないようであれば、

痩せほそって餓死するのを待ち、それから弔うのではないでしょうか?


介助しても食事がとれない状態は、目を覚まさない限り死と同等。

と言えるでしょう。


現在医学が進み、口以外からも栄養が摂取できるようになりました。

また脳死の判定もできるようになりました。

さて、なにをもって人の死としますか?


考えるに、

本人の生きたいという思い

周りの人がその人に生きていて欲しいという思い

いろいろな思いがあります。

昔は周りの人(看病する人)が、起き上がって欲しいという一念で看病しました。


本人の生きたいという思いは脳死ならもはや確かめようがありません。

ただ、昔の考えというものがからんでくるとまたややこしいですね。


ただ、昔の考えというものも、個人的にはあまり信用していません。

ドナーカードを持っている人が、車にはねなられながら、

「ドナーカード持ってなきゃよかったな」

と考えながら亡くなることも少なからず考えられます。

人間は考えが変わっていく動物ですから。


話がそれましたが、以前に

「脳死なら死んだものと考えてくれ」

と言っていたならそれを信じて受け入れるとしましょう。

「脳死でもなるべく生かしておいてくれ」

といっていたならそれも受け入れるとしましょう。

何の表明もなかった場合、もはや意志を主張できない人をどう扱えばいいのでしょう?


そのときは周りの考えを受け入れればいいと思うのですが、

周りの人って、いったい誰?ということになります。

家族の誰かが生かしておきたいと思うならそれでいいでしょう。

ただ、家族が全員死と認めましょうというときに愛人が出てきて、

「私がお金を出すので、生かしてあげて」

などといったら、それは認められるのでしょうか?

かといって家族だけと限定すると、天涯孤独だった人を

大親友ですら救えないというのも寂しい話です。


結局のところ、本人以外の意志は認めないというのが一番平等です。

以前になんの表明もなかった人は、

脳死の時点でさらに生き続けたいという意志を表明しないため、死と認める。

というふうに私は結論したいと思います。


これは個人的な意見であり、今回の法案に反対とか賛成とかを積極的にする

気持ちにはなっていません。

あえて法案としてわたしが提出するとすれば、


そのコミュニティ内で話し合い決定してよい。

脳死の人を死亡と認める判断を下すことも可能。


という文言がしっくりきます。なので、どちらかといえば反対かもしれません。

なお、最近のこの件に関する報道は、臓器移植とともに語られているため、

死を軽んじられているような気がしてあまり好きではありません。


長文失礼しました。


[8]>3 脳死=人格の死/ただし「物」ではなく「生物」だと思う lqdf

脳死を人の死とすることには賛成です。医療の上で、明確な線引きは必要だと思いますし、脳死をそのラインとするのも妥当だと思う。


ただ、植物が生きているのと同じく、脳死状態の人間も「生物」としては死んでいない。それを「物」と同じと考えるのは極論のような気がします。死んでいないからこそ移植できるのだし・・。


[9]>8 脳死にも種類を作るべき IlO10l0Il

クローン人間とかも現実化してきている昨今、準人間みたいな概念を作っても良いのでは。


[10]>4 微妙な問題ですね。 nekomanbo56

どちら側の家族にも納得できる面もあるので。

実際家族が該当すればそっち側に行くと思います。


[11]>8 自力で生きていけられなくなったら「死」 kazubokkuri

自力で生きていけない状態を生死のラインにするのがちょうどいいんではないかと思います。


[12]もう少し踏み込んでみる dev_zer0

「自力で生命活動の維持」が出来なくなった場合、「私は」死亡したと判断して欲しい。

ま、自己で心停止して放置されたら死ぬけど、それは例外として

回復の見込みが無いのに点滴で栄養補給して、

無理やり酸素を送り込まれて心臓が動かされて生かされているのはいやだ

意識の回復する見込みが少なく、機器に頼らないと生命活動が出来ない状態の場合

私を生という状態に繋ぎ止めている機器を止めて、安らかに逝かせて欲しいですね。

# ま、それを他人に強要は出来ませんが


[13]>4 反対です TeX

もちろん死んだ本人が臓器提供にあらかじめ同意しているなら、その定義でokということにはなるのだと思います。私個人としては、医療従事者や臓器提供を希望する患者の都合で、別の誰かの死の定義を決めるのはどうか、と思う。臓器が部品か何かのように扱われるのは、耐え難いことのように思います。提供を望む患者の方にしても、他人の臓器を手にいれてまで、生に執着するのもどうか、と思う。


[14]ドナーが危ない tisei

とりあえず死であるかどうかには賛成です。

けど、、ドナーの方の成仏が心配です。(成仏できないというのが有力な説。怖いです)


[15]>9 賛成 afurokun

むごい延命を続けるより、安らかに死なせてあげるほうがいいのではないか。脳死を人の死とすることに賛成。


[16]>15 絶対に復活しないのなら Lucifer777

脳が死んだ状態から回復することが100%ありえないのなら、それは死んだとみなしてよいと思います。

意思もなく、行動も出来ないという状態ならもうそこから先は本人の判断ではなく、周りの人間が判断することだと思います。

費用も場所もかかるわけですし、客観的に考えると死とみなして処分するのが良いような気がします。

ただし、自分の愛する人がそうなった場合は、私はお金をかけてでも少しでも長く一応生きている状態で置いておきたいと思うとは思います。

また、もしもこれから脳死状態から回復させる術が出来る完成する可能性があるのなら、それを待ちたいと思うのも当然だと思います。


[17]>13 息をしていて頬を赤らめて眠っている女の子を医者が分解して臓器を godric

与えることができるというのは非常によくないだろーねぇ

実際10歳以下くらいだったかの女の子が脳死で1年半生きていたんだけど、

健康的でふっくらした頬が赤らんで、髪や爪も伸びるし、

ただ静かに眠っているだけで、1年半後に亡くなった。

その子を親が承諾するだけで、

裸にしてメスを入れて分解して「殺してしまう」のは有り得ない。

母親は1年半ずっとつきそって、

眠っている娘の体を洗い、

髪をキレイにcutして、

誕生日には着物を着せたり、

写真を撮ってあげたりしていたそうで・・

誰が見ても、生きている女の子だったようだ。


親にしてみても当然、

脳死は死と同じなどとは戯言でしかないと判断したようで・・


これを法で一律に親の許可があれば、

この寝息も愛らしく頬がふっくら赤らんで

スヤスヤと眠っている女の子(子供)を

魚をさばくように殺してしまうことは許されない。


この点、児童虐待の場合に、

子供が親に証拠隠滅を目的に分解され殺されてしまうリスクが指摘されているけど・・


このような場合も考えると・・・

今成立した法律は、その対応が出来てない以上限りは、

存在が許されない法律なんじゃないかなぁ?


[18]>16 家族の拒否権 peach-i

勿論、家族には拒否権もあるわけで、なので賛成です。


[19]>18 単純に raywhite

賛成です

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