人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

【イエはてな】“イエ・ルポ 2” #038

THEME:「自分を育ててくれたアイツと友情…宿命のライバル物語」を教えて下さい

「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!


*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿下さいね!

「Welcome to イエはてな」

http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731

テーマ詳細とルポ例

http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20090703

プレゼント変更ご案内

http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080729


※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は7月9日(木)正午で終了させて頂きます。

1246596937
●拡大する

●質問者: ie-ha-te-na
●カテゴリ:コンピュータ 生活
✍キーワード:7月9日 theme あなた いね おすすめ
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 191/191件

▽最新の回答へ

[1]部活動のライバル fwap

人生で切磋琢磨できるときを大切にできるか?

充実した時間を振り返るとき、当時は一心不乱なもの。

それはライバルがいたから。ライバルがいたおかげでいまの自分がいる。

競わなかったら、必死にならなかったらいまの自分はどうだったのだろうか?


私は高校時代に書道部に所属しておりました。

両親の影響で丁寧に書く字というものを意識して、小中学校の頃からたびたび受賞してました。

高校受験ではもちろんそのときのことをアピール。

字が丁寧なことは学校を卒業した就職したいまでも役立っております。


書道部に入ったきっかけは、高校に入ったときふとしたきっかけ。

スポーツをやろうとバトミントンかテニスに決めていたのですが、

中学校の先輩が私を見つけるやいなや、半ば強制的に無理矢理入部させられてしました。

私の進学した高校は県大会はもちろん、全国大会で何度も金賞や特別賞を

何度も受賞した高校でしたので、書道部に入るにはかなり審査が厳しいらしいです。


書道部に入部するとさっそく合宿。

第一段では、まずは、姿勢の整え方。次に、呼吸法。そして、精神統一。

第二段では、漢字の基本を学びました。

当時は、理不尽と思われる先生の仕打ちや理解のない先輩のイヤミの数々。

いま思うと、自分を磨くための磨き石だったのです。

朱墨のにおいでいっぱいでボロボロな畳敷きの部屋がつらかったです。


高校2年の夏、書道の全国展があり、これを期に3年生の先輩は引退します。

私を誘ってくれた先輩とも離ればなれです。

毎日、学校が閉まるまで練習して、土日も必ず部外での練習に没入していました。

私はその先輩に触発され、少しでも近づこうという思いに駆り立てられ、

字が上手くなろうという以上に、その先輩に心酔していた状態でした。

夏はいまのようにクーラーもなく、蒸し暑い部室。

そこで、必死になってコンテスト用に字を一心不乱に書き続けました。

どの字を出展するか決めるとき、手が震えたものです。


夏休みも終わる前、私の書いたものが金賞(2位)に輝きました。

そして、私の先輩の書いたものは審査員特別賞(1位)!

先輩の努力の成果が認められたこと、私の成長が確かなものとなったことがうれしかったです。

普段、落ち着いた先輩が強く私の両手を握ってくれて、

「○○のおかげだよ」と言ってくれたこと。私は思わず涙しました。

自分の受賞よりも先輩が私と一緒になって受賞できた喜び、

そして、先輩との別れが確実にやってくることの悲しみ、

この2つが私を泣かせました。


いまでもこのときの受賞は私の大切な思い出です。賞状は高校の部室にあります。

そして、その先輩は現在では仕事を辞め、書道の先生として地域に貢献しています。

先輩は私の才能を引き出してくれた恩人であり、尊敬できるライバルでもあります。

ライバルの存在は人生に決定的な変化をもたらすと共に、

自らの才能を伸ばすには最高の存在だと自覚しております。

私もそのような存在に少しでも近づきたいです。


[2]叱ってくれた r-zone

大失恋をした時に、一日中一緒にいてくれて慰めてくれた。

同性の友達は甘い友情が多く、失恋しても毎回同情されるだけだったけど、その子は一緒に泣いてくれた後、私が落ち着いてから

私のダメだった部分もちゃんと叱ってくれて

良いことは良いと、悪いことは悪いときちんと言ってくれた友達。

こんな濃い友情はなかなか出来ないなと思うと

心底ありがたいと思いました。


[3]>1 部活動のライバル kinnoji7

部活は日本人の通過儀礼でもありますね。部活を通じて大人になることが多いでしょう。技術はもちろん、友情、ライバル、先輩、血と汗と涙、根性、人生で必要なことは学ぶことができるからだと思います。ライバルは多いほど生活に張りがでるんじゃないかと思います。これからも無駄に対抗心を抱いて人生を豊かなものにしていきたいですね。


[4]>3 部活動のライバル twillco

私にもいましたね。

練習嫌いな私と違って真面目な子だったんですが

私は練習しなくても技術的には上手かったので

よく練習もサボってたし、自分が一番上手いってのが

仲間も自分でもよく分かってました。


でもある時、キャプテンを外されてしまいました。

理由はもちろん練習を真面目にしていなかったから。

技術では誰よりも上なのに!と当時はそればかりで

練習をする事の大切さを知りませんでした。

よくあるウサギとカメですね。


そして真面目にコツコツ練習していた彼女がキャプテンに

その時、始めてコツコツ努力する事の大切さを学びました。

結局私は再びキャプテンになれないままでしたが

この出来事があって人間として成長出来たし

これが無かったら天狗のままだったろうなと思います。


[5]母という名のライバル nakki1342

なんて言ってみましたが私が負けっぱなしなんですけどね

自分ができる家事を手伝ってみても何かとダメだしを

されてしまいます

彼女の性格と私の性格がまるっきし逆だからなのかもしれませんが

むっか・・と感じながらも

いつかは、そうならないように思ってるんですけどね


[6]>4 部活動のライバル koume-1124

私は吹奏楽部に憧れて入ったものの

全国大会で優勝するほどの実力のある学校だったので

そこまでお音楽経験の無い私はかなり苦労しました。

友人とよく夜中まで練習して寝て学校。

というのが毎日続き、それ以外にも学生なのでテストもある中、練習は辛い時もあったけど

一緒に頑張ってる仲間がいたから3年間も頑張って来れたんだなと思ってます。


結局、私たちの学年の時には準優勝でしたが

あの時の努力は社会人になった今では絶対に味わえないものだし、大切な宝物です。

そして今はそんな仲間と一緒に社会人での音楽サークルで週に一度集まって練習しています。

たまにイベントやデパートで演奏したりと

私の趣味として今でも繋がっています。

あの時投げ出していたら知らなかった世界。

3年頑張った清秋を私は誇りに感じています。


[7]>2 叱ってくれた kinnoji7

受け入れたくないような事を厳しく言ってくれる友人や私の脇の甘さを見てこっぴどく叱ってくれた友人。泣きたい時に優しく包んでくれる友人もいれば、一晩中ストレス発散に付き合ってくれた友人。そんな仲間からの一声が私を少しずつ成長させてくれましたね。今いる友人との関係を深めながら、新たな出会いを楽しみに過ごしていきたいです。


[8]吹奏楽:隣の市の指揮者 wacm

私もハザマさんと同じく音楽の思い出があります。

スポーツではタイムや採点など、はっきりとした評価の基準があります。

一方、音楽は一様に評価が難しいものであり、なかなか納得のいかないときもありました。


私の楽しかった思い出は、吹奏楽部にいた中学時代。

隣の市の高校がとても演奏が上手で、県大会では賞を総なめ。

地域大会で3位以内に入らないと県大会に出場できないので、

事実上、残りの2枠を残りの学校で争っていました。


演奏に魅せられたわけではありませんが、その中学校の指揮者が美しい。

指揮によって場が作られ、観客も演奏という空間に引きずり込まれていたように思えました。

私もその中の一人で、演奏の要は指揮だということを感じました。

私も指揮を始めたい。そんな思いが胸を熱くさせ、指揮の勉強を始めることにしました。


指揮をするにあたって、おおいに驚いたことがありました。

それは、指揮は楽譜だけでなく、楽曲の成立の経緯など歴史を勉強することが必要。

曲の歴史的文脈を勉強するほかに、全てのパートの楽譜も確認しなくてはいけない。

当然全てのパートについて頭に叩き込まなければ、指揮者は務まらない。

指揮を勉強するには相当ハードだということをやってから感じました。


あるコンクールの日、思い切ってその中学校の指揮者に聞いてみました。

指揮をするには何が一番大切か?と。

そうすると、その指揮者の男性は優しく微笑みながら、

「全体を見守る、作品をそっと包むような配慮かな」と言いました。

私は指揮を練習するにあたって、レパートリーや理論的背景ばかり

技術的なことばかりを重視していました。

あることに熱中していると、問題の本質を見失いがち。

問題の本質を捉えられないといつまでも次の段階へ進めません。


次の段階には何が必要か感じさせてくれる人が同じ中学生だと思うと情けない気持ちで一杯でした。

自宅に戻ると落ち込んだ姿を母に見られてしまいました。

母にそのことを話すと、どうもその指揮者の家族は音楽一家。敵うはずもありません。

それなら、少しでもいまある現状を完全にしようと努めるようにしました。


演奏の練習もハードですし、全体を気遣いながらの進行に努める。

そして、指揮の勉強はその後。なかなか勉強も進まず成績も悪かったです。

模試の成績も、その指揮をしている人の名前を見るとやる気が出てきたものです。

心の中のライバルの存在・・・自分にとってずっと先を走る人でしたが、

誰もが同じ道を歩むなら、きっとこの困難はいつか解決できる日が来ると信じました。


夏休みの大会。地区コンクールでその指揮者の中学校と再会しました。

あまりにも上出来な演奏、一つの作品として完結してました。

対する私の中学校は、ところどころほころびが分かる。

私が分かるということはあの指揮者も分かっている・・・演奏後は疲れ果ててしまいました。

いよいよ結果発表のとき、期待して第1位は当然ながらその指揮者のいる中学校。

2位は・・・私のいる中学校の名前が呼ばれた瞬間、椅子から立ち上がって周りの仲間たちと

喜び合いましたね。少し行儀が悪かったかもしれないでしたが、気持ちが爆発したんですね。


結果発表が終わった後、あいさつにその指揮者のいるところに行きました。

その指揮者は「そっちが勝つかもしれなかった」と言ってくれました。

お世辞でも、社交辞令でも、うれしかったですね。

県大会まで行けて、人間的にも少しは成長できた吹奏楽、指揮に感謝したいです。

そして、同じ指揮者として頑張ることのできた隣の市の中学校の指揮者に出逢えてうれしかったです。

久しぶりの同窓会でのうわさによると、いまでも楽曲家して活躍されているようです。

吹奏楽という出逢い、ライバルとの出逢い、部員との出逢い、全てに感謝したいです。


[9]>6 部活動 wacm

部活動にライバルがいましたね。

私が音楽をいまでもたしなんでいられるのも、ある指揮者との出会い。

指揮を勉強することがどんなに大変だったか、

指揮を通じて学ぶ音楽がどれだけ多面的で、考えの幅を広げてくれたか!

吹奏楽部は運動部と違い、インドアでじめじめした印象で日陰の印象。

そういうところでも、毎日音楽室で練習した日々はいまでも思い起こせます。

部活動を中学校でも高校でもどちらでも体験しておくと、きっと人生が変わると思います。

何かに打ち込んだ時期があるからこそ、いまの問題、これからの困難に立ち向かえるのだと信じています。


[10]>7 叱ってくれた koume-1124

私は甘く育てられた為か人に対してワガママで自由気ままなところがあり、しょっちゅう友人と喧嘩したりして

でもそれでも私には友達は沢山いるし一人二人いなくても平気と思ってました。

でもある時に、すごく私と同じような子が現れ

趣味や背格好、休日の過ごし方や、恋愛経験、生活スタイルとまるで一緒で双子のような子に出会いました。


始めてウマが合うという友人にであって

この子だけは一生友人でいたい!と思った出会いでした。

でも、そんな子でもやはり一度大げんかをした事があって

その時に私の悪い所をズバズバ叱ってくれて

ムカッとしましたが、改めて思うと

今までそんな事無かったな〜と考え、逆にありがたかったです。

悪い所ほど、よほど仲良くないと言えません。

喧嘩もするけど、仲良くいられる友人は私にとって宝物です。


[11]>10 叱ってくれる tibitora

叱ってくれる友達、いけないところはいけないと言ってくれる友達は素敵ですよね。

叱るほうも勇気がいると思います、「こんなことを言うと嫌われてしまうかも」と叱るほうも不安だと思います。

それでもきちんと叱ってくれる友達は相手のことをしっかり見て相手も事大切に思える優しい人だと思います。

私は「叱る」は出来ないんですが「意見」という形で相手に言葉を送ったりしています。

意見でもやっぱり少し言ってもいいのかと不安なことがあります。


[12]>11 平手打ち aekie

叱ってくれるのは、自分のことを何かと気にかけてくれていること。

私も学校では時間にルーズだったので、たびたびメンバーに迷惑をかけてきました。

高校のとき、先生に平手打ちを喰らったおかげで目が醒めたような気がします。

あれ以来、ほとんど予定に遅れるということもなく、相手を気遣える余裕が出てきました。


[13]>9 双子の兄弟 aekie

部活動でのライバルは確かにいましたね。

帰宅部の自分がかすんでしまうくらい、陸上部や水泳部のみんなが頑張っていました。

中でも印象的だったのが、双子のいるテニス。

シングルでは同じくらいの強さ、ダブルスだと県大会でも上位入賞のほどの実力。

ライバルは身近な存在な方が、張り合いもあるんですかね?

うまれがほとんど同じなら、努力で差が付くと感じるんでしょうかね?

ライバル心を燃やすのは何も上達したいだけではないことを感じました。


[14]>12 気持ちの噴火 wacm

しかってくれる友人がいるなんてうらやましいです。

自分を育ててくれるのは何も年上や目上の人間だけではないのです。

同級生や後輩にもいろいろ私は学ばされることが多かったです。

だから、私も自分と同じような失敗をして欲しくないので、

諭すのではなく、強く主張してしまうこともあります。

相手の受け入れざるを得ない状況をそっと感じ取れると

今後につなげられる上手な「しかり方」になるんでしょうね。


[15]兄弟姉妹は一番最初のライバル tibitora

産まれてから一番最初のライバルは兄弟や姉妹でした。

年がそんなに離れていないこともあるのですが、どっちがきれいに片付けられるか、犬の散歩はどっちがいくか、どっちが先にゲームをするか(笑)などいろいろな競争がありました。

ほんとに小さい頃はケンカになっていたようですが、大きくなってくるとやりたいことがあっても順番を待ったり、譲ったり、相手と一緒に「これで遊ぼう」と決めて一緒に遊んだり、それぞれ一人で遊んだり、大人相手とは違うコミュニケーションのとり方を学んだのは兄弟とが最初でした。

今は競争はしませんが電話とかで話を聴いたり言ったりしあっています。


[16]>14 親愛の情 fwap

両親に叱られっぱなしだった小学生のとき。

何度も同じ失敗を繰り返してしまったり、悪いことを・・・

先生から何度も、両親からも怒られました。

ご飯を抜かれたり、押し入れに詰め込まれたのも懐かしい思い出です。

私が親になったとき、両親と同じことをしようと子どもが産まれたとき感じました。

子どもができて、始めて両親の子どもへの気持ちをなぞることができました。

繰り返されるのは失敗だけでなく、親愛の情の伝達なんですね。


[17]>16 叱ってくれる twillco

叱ってくれる友人がいるって女の子では中々いないと思います。

女の子の話は、何を聞いても表ではうんうんとうなずく事が多いし、また自分の話に賛同して欲しいという意見も多いです。

そんな中でも自分の事をしっかりココは良いけどココはダメと叱ってくれる友情は

一生大事にしていかなくちゃと思います。

私にもそんな友人が2人います。

学生時代の友人は結婚したら疎遠になりましたが、この友人だけは今でもずっと仲良しです。


[18]闘魂三銃士(武藤・蝶野・橋本) fwap

私はプロレスが大好きな主婦。

憧れのライバルは闘魂三銃士ですね。

華麗な武藤、テクニックの蝶野、強い橋本。

3人とも異なる個性の持ち主が、それぞれの個性を発揮し、

試合はいつも盛り上がる。90年代当時の会場は常に満員でした。

毎年のプロレス名鑑にはそれぞれがライバルを異なる2人の名を書いていて、

うれしい気持ちになったものです。理想のライバルですね。

3人が闘うシーンをリアルタイムで見ることができた私は幸せです。

橋本選手は新日本プロレスから離れ、そして亡くなってしまった。

残された三銃士は武藤選手と蝶野選手の2人だけです。

その武藤選手もいまではかつてのライバル全日本プロレスの社長です。

ライバルに恵まれてこそ輝ける一番の典型例じゃないでしょうか?

3人とも明るく、どことなくスキのあるところ大好きです。


[19]>13 部活動のライバル r-zone

私はテニスやってました。

もちろんライバルも多かったです。

一緒に汗を流して頑張った仲間は楽しい事も苦しい事も一緒に味わっているので

卒業しても繋がりがあります。

全国大会にも出たので、そうなればライバルも相当な練習を積んで負けられない闘志がかなりあるので、すごく刺激的でした。

毎回大会に出ている仲間も同じようなメンツだったので

徐々に仲良くなり、テニスを通じて県外の友人とも知り合う事ができ、違う土地で育った人との交流は人として、世界が広がりテニス以外の部分でも、とても成長出来た3年間でした。


[20]>15 兄弟姉妹 fwap

年の近い兄弟がライバルというのはおおいにうなづけます。

私にも弟がおりまして、その弟は私よりも当時は勉強ができず、

多少バカにしていたところもありました。

しかし、コツコツと少しずつ努力していたので、いまでは会社を興して働いています。

いまの私にそんな責任ある立場で働くことは不可能です。

兄弟・姉妹の頑張りに励まされることってありますよね。

今度は自分の番かな。


[21]>20 弟がいてくれたおかげで aekie

弟がいたおかげでずいぶんと励みになりました。

弟のちょっと稚拙で短絡的な意見もときには的をついている。

悩んだり、苦しいときも、両親に相談できないことも

さながら自分のことのようにに聞いてくれましたね。

兄弟がいてくれたおかげでいまの自分がいる。

どちらの人格も両親だけでなく、兄弟の影響が必ずあると思います。

一人っ子よりも兄弟がいた方がにぎやかでたのしいですよね。


[22]>21 兄弟姉妹 kinnoji7

兄弟姉妹は身近で頼りになりますが、同じスポーツで競い合っているとなれば一番身近な「良きライバル」にもなりますね。兄弟姉妹がいてよかったと思える点はたくさんあります。兄弟は最初のライバルであり、助け合う友だちでもあります。何といっても、一生付き合える仲間です。性差があればまだしも、同性となると段々ライバル心も芽生えてくる。 一番身近なライバル。 それが兄弟姉妹ですね。


[23]ライバルは父 aekie

多くのマンガでもあるように、私のライバルは父です。

マンガのように、体力や知力といったので競っていません。

競っているのは人格や人間性といった性格そのものです。


父が幼い頃からの目標でした。父のように何でも実直で温厚でありたい。

父のようにいつか周りの人に安心感を与えられる人になりたいというのが目標でした。

父のように仕事がどんなに忙しくても、定時には帰ってきてくれて、

ご飯を食べるときも家族を第一に。食卓は賑やかであり、充実した時間でした。

休日は仕事で疲れているはずにもかかわらず、ドライブに連れて行ってくれたり、

塾の送り迎え、レジャーに行ったり、大忙しです。


父をライバルに感じるようになったのは就職してから。

自分を大学まで送り出してくれて、遠慮無く家に帰ってこい、と言える優しさ。

了見の狭いいまの自分にはとうてい及ばない父です。

いま、「ともだち親子」などという言葉が流行っていますが、

気さくに何事も話すこと、尊敬することをきっちり分けるべきだと思います。

尊敬することは押しつける必要もなく、自然と子どもは感じるものなのです。

私の場合はだいぶ遅れて感じたように思えますが。


目指す理想像、あるいは尊敬する人がいたら両親(特に、父)と答えています。

少しでも両親のように、父のようになれたら・・・と思います。

そんな父も「立派になる頃にはこの世にいないよ」と横で軽口を叩いています(笑)

家族が私を育ててくれた。特に、私にとっては父の存在は越えがたい壁です。


[24]>22 従姉妹 koume-1124

私のライバルは従姉妹でしたね。

同い年で家も近所だったので当然学校も同じ

なので常に成績など比べられていました。

何をするにも比べられ

大人になってからでも、就職はどちらがいい会社に就くか

そして結婚はどちらが先かなど

当の本人達はあまり気にしていないしライバル心は無いのですが

母親達の間ではあるみたいです。

子供からしたら結構なプレッシャーでしたね。


[25]>24twillco

ライバルは姉でした。

といっても向こうはまったくライバル視してはいないんですが

小さい頃は早く姉に近づきたくて

ちょとでもお姉さん気分になれるように化粧をしたり、聞く音楽も背伸びしてみたり

目指す所は常に姉でした。

姉妹ケンカも多いですが、今では一番頼れる存在です。


[26]>23 不況で絆も深まる wacm

「ライバルは父」いいですね。

私は女だったものの確かに、父のような男性と結婚したいと常々感じていました。

父のような優しく、明るく、家族を大切にしてくれる人が理想だと、

いつのまにやら、自分に刷り込まれていました。

家族って、子どもが決めるわけでもなく、両親が決めるわけでもありませんよね。

イヤだと思うときもあったけれど、これも天運だと思うと、幸せですよね。

家族から何かを感じ、励もうとする努力が、家族の絆なんでしょうね。

かえって、不景気でいいかもし

れませんね。

この不況で、家族と過ごす時間が増えて、幸せと実感できる人が増えているらしいです。

http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060901000434.html

家族のきずな深まる? 不況の影響で生活時間変化


[27]>25 いとこ r-zone

私のライバルもイトコです。

兄弟は歳が離れてるせいかライバルではなかったんですが、イトコは同じ年齢だったので

色々比べられてました。

でもすべてにおいてイトコよりも劣っていた私は、比べられるのが嫌で嫌で

自分は自分であればいいと思ってましたが

負けず嫌いなため、勉強は出来ないけど他の事で!と自分探しを始め、今では負けないものもいくつか出てきました。

勉強だけが全てじゃない。

人に負けないものが1つでもあれば良いと

気づけるようになってからは凄く楽になれました。

今ではイトコに感謝しています。


[28]>27 賢弟愚姉 wacm

兄弟の存在は励みになります。

弟が私の小学生時代にできなかった絵画のコンクールで賞を受賞したときには、

自分ができることを一生懸命に頑張ろう!と感じるものです。

世の中には「賢兄愚弟」という言葉がありますが、私たち姉弟の場合には「賢弟愚姉」でした(泣)

弟ができすぎてしまうと比較される私もツラかったですが、

弟も出来の悪い姉を持ったことで苦労したことだろうと思うときもあります。

でも、しっかりした弟がいたおかげでいまの自分がいることは確かです。

人間的に揉まれ、苦労することで育っていくんでしょうね。


[29]>28 弟2人。 nakki1342

私の場合は、弟2人なのですが・・

それぞれ性格が違ってて

どちらかと言ったらより年の離れた

弟は、私に似てて話がしやすく

上の方は、話はしにくいけどしっかりしてるそんな奴です

自分のすきな物が男性的なものが多いので

兄弟と遊ぶもので先を争う事も

子供の頃はありました

(例えばゲームね)

でも今は、弟2人とそこまで”争う”事は

無くなりましたけどね(苦笑)


[30]隣に住んでた幼馴染 choco-latte

私が小学4年のときに隣の家に同じ年の女の子が引っ越してきました。

ショートカットで、目が大きく、ハーフのような顔立ちの可愛いAちゃん。話してみると、とてもいい子で、仲良くなるまでにそう時間はかかりませんでした。

学校でも一緒、帰ってきても一緒、寝るとき以外は別々。

ってくらい毎日一緒にいるのが当たり前の存在でした。

小学6年になったある日、

Aちゃんから「もう遊びたくない」とひとこと言われました。

理由を聞くと、「お母さんに、choco-latteちゃんみたいに

いい点を取りなさいと言われたからと」

当時の私は今と違って、勉強ができる子でした。

Aちゃんはスポーツが得意で、勉強が苦手なタイプでした。

でも私も私で、「隣のAちゃんは料理もできて、お裁縫も

上手で…あんたも少しみならいなさい」と言われていたので、

「Aちゃんだって料理作れたり、家庭科が上手だから

私だって毎日おかあさんに怒られるんだよ!あたしの

方こそもう遊ばない!」

と言い返してしまいました。

それからひとことも口をきかないまま中学へあがり、

中学になってからますますお互いライバル意識

するようになりました。

高校は私は公立、Aちゃんは家から1時間半かかる

私立に通っていたので、あまり会うことはありませんでした。

高校3年になり、卒業間近になったある日、

他の学校に通う友達から

卒業記念のクラブイベントに誘われました。

もちろん高校生なので、ジュースのみ、

開催時間も夕方です。

私は同じ学校の友達一緒に行きました。

あらゆる学校の子が来ていて、

その中になんと、隣に住んでるAちゃんの姿が!

そのとき、そのイベントを主催した男の子が、

Aちゃんを私の前に呼び寄せ、

「こちらAちゃん、こちらchoco-latteちゃん。

たしか二人の住んでるとこ近くだと思うけど、

同じ学校じゃなかった?」と。

それをきいて

わたしとAちゃんは

「同じもなにもお隣さんですけど」と

主催者の男の子はものすごいビックリした顔して

私もAちゃんも笑ってしまいました。

イベントも終わって、そろそろ家に帰ろうとしたときに

Aちゃんから「一緒に帰ろう」

と誘ってくれました。

一緒に帰るのをOKしたのはいいけど、しばらく二人とも

無言でした。6年間、間があいていたのに

何を話ししていいのかわからず…。

そしたらその無言に耐えかねた

Aちゃんが、

「あのね、choco-latteちゃん。ずっといいたかったんだけどさ。

あの時はごめんね。まだ子供だったからついつい思ってた事口に

出しちゃって…。choco-latteちゃんも遊ばないって

言ってたから意地になっちゃって」

と言ってきました。

「わたしもあれからひとこともAちゃんと話を

しようともせず、なにかと嫌な態度を取ったりしていたので、ごめんね」と謝りました。

学校を卒業してから数年、わたしは家にあんまり帰らなくなってしまい、

その間にAちゃん一家はおじさんの仕事の都合で

引越ししていく事になりました。

引越ししていくときさよならを言えなかったのが

今でも残念ですが、

競争が嫌いで、すぐ投げ出すタイプだった私が、

初めて負けたくないって思う存在に出会い、

頑張ることを知りました。

Aちゃんは結婚もして2児の母。

完璧負けてしまっていますけどねww


[31]>5 私もです choco-latte

女としても、人としてもすべてにおいて負けています。

母は子供ができれば変わるよ。

っていうけど、きっと私は子供ができても

自分が一番なような気がします。

一生超えることのできない存在だと思うので

ライバル意識はないけど、少しでも近づけるように

なれればいいなぁと思っています。


[32]>29 兄弟 powdersnow

なんだかんだで最も身近であり、比べられる存在でしたね。

近所の人からは、特にそういう感じの言葉をかけられることも多く、嫌でも意識していた記憶があります。

あんまり嬉しいことではないんですけどね……


[33]>26 父親に対抗 powdersnow

反抗期の時期などは、そういった気持ちを持つ傾向が強かった気がしますね。

特に男ですと、父親を越してやるという気持ちは、一度は持つように思います。

そして、それから年齢を重ねるたびに、その存在の大きさを思い知るわけです。


[34]恋のライバル twillco

学生時代、すっごく大好きな片思いの彼がいたんですが

友人に話してみた所、まったく同じ人を友人も好きだという事が判明。

それ以来、どっちが先に告白するかで揉め

結局、2人同時にバレンタインデーに告白しよう!と決めました。


バレンタインデーまでの間、少しでも彼に見てもらえるように

オシャレしたり、気にしてもらえるように沢山話しかけてみたり

ライバルに負けたくないから、それはそれは必死で(笑)


結果は2人ともダメでしたね・・・

でもそれが良かったのか?今でも友情は壊れる事無く

あの頃の話を笑って話してます。

友情は永遠とはいいますが、あの時どちらかが彼と付き合っていたら

現在のこの友情は無かったかもしれませんね。。。

今ではフッてくれて感謝です。


[35]同じ社宅に住む同学年の面々 powdersnow

社宅では、親同士が同じ会社に勤める仲間であり、自然と子供同士が接する機会も多いです。

ところが、お互いに親を詳細に知っているような形もあってか、互いに比較される傾向が強かったと思います。

まあ、同じ会社に勤めているということは、親同士も競い合っている関係とも言えるわけですが……

親同士の出世競争で負けているから、子供の学力や運動の競争では勝たせようというような、嫌な感じの風潮も見かけた記憶があります。

勝たせようとするなら、まだ前向きでしょうが、あら探しや陰口状態になってくると、子供ながらに嫌な気分でしたね。

子供が誰でも持つような大人への反抗心も重なって、そういった嫌な視線に対しては、負けるかみたいな意識をとても強く持ちましたね。

最も比較されたのは、部活動だった記憶があります。

部活は、通知票を見なければ確実にはわからない学力とは違い、レギュラーという形で一目で優劣がはっきりしてしまいます。

同じ部活の面々の中には、あからさまに親からプレッシャーをかけられていた人もいましたし、

子供ながらに親の面子もかかっているというような、誇りみたいなものもあった気がします。

近所に住む同学年というだけで、ライバルとしての存在には十分ですが、親同士の繋がりがあると、さらに深くなるものではないかと思い出されます。


[36]正月の親戚の集まりで、従兄弟同士は比べられる powdersnow

お正月などに親戚が集まると、子供に話が及ぶことは毎度のことですが……

兄弟でも互いの子供を誇りたいのか、自慢合戦のような比較が行われていることが多いですね。

もちろん、親戚だけにやんわりという感じですが、子供ながらに比べられているなぁという会話をよく耳にした記憶があります。

マイナス思考で考えなければ、お互いに子育ての情報交換のようにも受け取れるかも知れませんが。

子供からすると、何だかんだでいい顔をしたいわけで、プレッシャーみたいになっていましたね。

誰々が同じ年の頃は?といった会話を聞くと、どこか負けるかという気持ちを持ったことがある記憶も何度かありますし。

もっとも、親戚同士の子供自慢は、半永久的に続くものなのでしょうね。

子供の頃は学力やスポーツ、大人になれば仕事や結婚。

親戚同士で交わされる話題は、何歳になっても変わっていないなぁと思います。


[37]>19 レギュラー争い powdersnow

部活動では、学力と違いランクがはっきりします。

基本、レギュラーをとった人が勝ちで、補欠は負け。

それだけに負けたくない相手との競争は必死でしたね。

背番号の発表では、毎回とてもみんなそろってざわついていた記憶があります。


[38]>37 部活 adgt

すごいマジで競ってた


[39]>32adgt

確かにライバルだったなぁ。勉強のできは特に比較されたし。


[40]>34 恋のライバル kinnoji7

やっぱり、恋のライバルと戦うときは、相手を陥れる方式ではなく、相手を立てて、自分の株を上げる方法のほうがいい。そのほうが、女性の目からは、好青年というふうに見えるものです。「くそー、あいつはいつもおいしいところを持っていきやがる」と思っている相手でも、グッとこらえてフッと笑ってやりすごすほうが絶対にかっこいいのです。ライバルを蹴落とすより、まずはかっこいい自分、やさしい自分になることのほうが大切だと、私は思います。


[41]>17 はっきりモノを言う友人 adgt

ひねくれている自分は、大抵物事を率直に言ってくれる人を敬遠してしまったりしがちなんだけれど、気付くと付き合いが長くなるのはそういう人が多い。大学のときに同じ研究室だった友人とはイロイロなところで競い合いながら、意見しあい、喧嘩もたくさんしたんだけれど、お互いに成長できたと思う。いてくれてよかったと思える相手だ。


[42]>33 反抗期 adgt

には確かにそんな感じがあったかも?意外と早くに終息したなぁ。


[43]>40 恋のライバル adgt

学生の時など、妙に気にしてしまったり、自意識過剰になったりで、恋のライバルと上手いこと過ごすことはできなかったなぁ。今だったら、酒でも飲みながら昔話でもしたいもんだなぁ。


[44]30過ぎて初めてライバル otayori

なぜだか人に譲るのが美徳と小さいころから思ってた私は

競うことが大嫌いでした。実際不器用で何やっても負けることが多く

ライバルとかムキになるの好きじゃない、ってカッコつけてました。

30過ぎて、ある分野に出会って、たまたま成長が自分でわかって

同じ場所で競ってる人たちの大切さを知りました。

嫉妬したり、悔しがったり、そういう感情がきらいで

自分で認めてなかったんです。

でも素直に嫉妬したり悔しがる自分と向き合ったら

試合?そのシーズンが終わり、自分が悔いないくらいやったと思えたら

優勝した人を尊敬できて、またその人や他に競った人たちとは

言い表せない絆ができました!

ああ、これがライバルが美しいってやつなんだな、と

ハンカチ王子とマーくんが仲良くなれる気持ちがわかりました。

あんなにすごくないけれど(笑)


[45]>31 母は強い! otayori

若いころは母とは違う生き方する!って思ってたような。

でも母の方がチャーミングで強い!

母は女としても、人間としても上ですなぁ?。

私は子供いないけど、出産、子育てしてる人はスゴイよ☆


[46]>45sidewalk01

しっかりキチンと生きる。という点においては母はライバルですね。


[47]>30 幼なじみ sidewalk01

よく知っているからこそ負けたくないという気持ちはありましたね。部活動などは違っていたのですが、徒競走や勉強などでは良く競ってました。


[48]大人になってからのライバル sidewalk01

社会に出ると学生とは違ったシビアさで評価をされるので、同期入社の同僚には常に負けないように頑張っていました。そのお陰で自分のスキルが高まった側面もあるので今では感謝しています。


[49]ライバル校 sidewalk01

中学生の時に駅伝をやっていたのですが、近くのコノ中学には負けたくないという学校がありました。「あそこには負けられないよな」と皆で頑張っていたのが思い出されます。今思えば近かったことだけが原因ではないかとも思うのですが、競う相手が出来て目標になるのは良いですね。


[50]>43 恋のライバル sidewalk01

好きな人とライバルが話してたりすると、すごくヤキモキしますよね。あぁ、懐かしい感覚。。


[51]>48 同期のライバル kinnoji7

同期や入社年度の近い同僚というのは、仲間でありながらライバルでもあります。 私もそうでしたが、会社から自分がどう評価されているか、また同期や同僚の評価はどうなのかを、 とても気にしていたと想います。おそらく他の人も、同じではなかったかと思います。特に同じフロアーに配属になったような場合は、同期ではあるが、ライバルという感覚のほうが強かったと思います。


[52]>50 知ってる人がライバルだと choco-latte

辛いですね。

友達と同じ人を好きになったことは中学生んときにありましたが、

友達の方が早く言いだしたので、「私も好きなんだ」とは言い出せませんでした。

でも結局その好きな先輩には彼女がいたので、友達も付き合う事がなかったので、

ホッとしたのを覚えています。

相手が見えない相手だと頑張るぞー!

って思うけど、知り合いだったらどっちかがうまくいったら

関係が崩れるので、友達を取ってしまいます…。


[53]ギャグのライバル atomatom

高校生のころ、モテるには運動ができるか、頭がいいか、あるいは話が面白いか、この3点が大事な要素だと思っていました。

あ、もちろん、見た目が麗しいというのも大きなポイントではありましたが。

で、ぼくがなんとか磨くことができそうなのは、話を面白くする、その1点だけだったんですが、クラスにトークの名人がいました。

そんじょそこらのお笑い芸人よりもずっとずっと面白いヤツって、ときどきいますよね。

おういう男がクラスに1人いました。

他のヤツが話してもどうってことない話を、彼が喋るとどういうわけか笑える話になっていくんです。

それがうらやましくて、悔しくて、秘かに彼の話芸を分析しました。

結果、彼はセリフを多く引用しているってことがわかったのです。

話のところどころ、そのセリフを言った当事者になりきって、落語のように当事者になりきってセリフを言うんですね。

それが面白い。

気付いてからは彼の話法をパクらせてもらい、ぼくの話も以前よりは受けるようになりました。

大人になって社会に出てからも、話のうまい人は尊敬してしまいます。


[54]>52 恋のライバル koume-1124

恋のライバル、私も好きな人にアタックしてたけど

結局ライバルに先を越されて付き合えなかったという事がありました。

多分、待たずに自分から言っていたら今とは違う未来があったと思います。

恋は早い者勝ち!と改めて思い直したので

それからは好きになったら自分からどんどんアタックするようにしています。


[55]>51 同期のライバル meizhizi87

とても仕事熱心な同期がいます。同期といっても出向していた時の同期で今は別の職場にいるのですが、その彼が、全国に散らばっている同業者を集めて、職場の現状や未来について語り合おうといったような会合を企画しました。その案内が来たとき、私には彼のように大きなことはできない…と軽く落ち込んだのですが、考え直してみると、私は彼がとてもうらやましかったのです。充実して仕事しているのだなぁと感心しました。そして、私もその会合に参加したいと立候補しました。参加申込書に自分の意気込みを書いたり、報告書も書いたりしなくてはいけないので、これから大変ですが、私も彼についていけるように頑張ろうと思います。


[56]>47 幼なじみ meizhizi87

私が幼稚園の頃に、隣の隣の家に同じ年の女の子が引っ越して来ました。一緒に幼稚園に通い、小学校1年生まで通いました。毎日のように遊んでいました。とっくみあいのケンカもしました。その後私が引っ越してしまったので離ればなれになったのですが、高校で偶然にも同じクラスになりました。入学した当初、クラスの友達は中学校も違うのにどうして友達なの?というような不思議な顔をしていましたが、私たちは何も言わなくても通じるね、という仲でした。


[57]>38 部活動のライバル meizhizi87

私はバドミントンをしていました。同じ学年が5人だったこともあり、全員がレギュラーでした。それでも、みんな少しでも強くなりたいと一生懸命練習しました。しかし、5人でも色んなことがありました。もめることも多かったです。でも、ケンカしながらもお互いの競争心を高めていき、県大会に出ることができました。試合では一回戦で負けてしまったけどみんなで泣いたのはあの時が初めてでした。この5人でバドミントンがやれてよかったと思いました。


[58]試験勉強!同級生のライバル meizhizi87

私はこの人だけには絶対勉強は負けたくない!と思っている人がいました。全然その人には及ばなかったのですが、分からない問題をその人に聞いて、何時間も復習しました。その人はやさしく、試験日に緊張する私を気遣ってか、試験場まで一緒に行こうと言ってくれたり、前の日は早く寝るようにとアドバイスをくれたりしました。そのおかげで無事に試験に2人とも合格することができました。ありがとう!


[59]自分自身というライバル peach-i

いつも自分の中で戦っています。

相手は自分。

え?なんで?って思う人もいるのかな。

でも同じように共感してくれる人も居る気がしています。

自分ほどどうにもならない、どうにもできない、でも出来るはず、でも出来ない。

そんな厄介ものなのが自分です。

最大のライバルであり、最大の敵であり、最大の味方であり、最大の愛するべき存在であるのが自分だと思います。

悩んで悩んでいるときも、対外その一番の中心核は自分自身。

自分のことが一番わかっているようで解っていない。だからこそ、自分を理解し難い部分にぶち当たり、自分と戦うことになる。

しかし、その自分との問いかけを終えると、そこには大きな自分との友情が芽生えていて、一歩前に出ることが出来ると感じています。

皆さんは自分自身のこと、本当に理解していますか?

自分の本当の心と向き合っていますか?逃げていませんか?

本当のライバルは外側ではなく、内側にいるのかもしれません。

一番身近にいるのかもしれません。

ライバルというと言葉が悪く聞こえるかもしれませんが、ライバルこそが真の大切な存在です。


[60]>57 部活 peach-i

汗水流して一緒に練習していても、同じ時間練習しても勝てない相手が居たものです。

何が違うのか、自分の中で葛藤しました。

人それぞれの花があることを知ったのはその後です。


[61]>56 幼馴染 peach-i

共に張り合い、喧嘩し、そして一緒に成長した相手。

張り合いながらも、その存在が自分を大きくしてくれました。


[62]>54 恋のライバル peach-i

ライバルに負けること多く。

涙を流した日々は沢山あります。

恋愛は、何もかも目の前のものしか見えなくなり、同じように同じ気持ちを持つもの同士がぶつかり合うことも多いです。


[63]>55 同期 peach-i

同時期に入りながらも、昇格していく姿を見送るのは辛いものです。

仲良くしながらも、ライバルでもありますね。

同じ時間を過ごしながらも、成長の度合いはそれぞれ違うわけです

でも大切な人ですよ。

その心が大切です


[64]>62 恋のライバル tunamushi

中学校の頃に好きだった人が、高校になって私の友達も好きだったことが分かりました。結局その友達はその人にアタックして付き合ったのですが、私にはそれを遠くで聞いていることしかできないし、その人が好きだったことも言いませんでした。すごくせつなかった思い出です。


[65]>58 勉強のライバル tunamushi

私も同級生で勉強だけは負けたくない人がいました。というか常に自分が一番になりたいという気が強かった私。がむしゃらに頑張れたのはライバルがいたからなんだろうなぁ。


[66]>63 同期と言っても Lady_Cinnamon

同期と言っても、年齢・学年が同じとはいかない例もありますよね。男性の場合、あまり気にしないようですが、女性の場合はときおりシビアなシーンも。

浪人して大学卒業が遅れたり、大学院に進学してから社会人になった人も、一緒に入れば皆同期。。。

1年ちょっとくらい違うだけで、オシャレやスイーツの話題など、ちょっとついていけない場面もみられます。そんな時に、誰かが浮かないようにと、心配りして皆で楽しめる職場づくりに勤しみます。

自分が間に入ることで、なんとなく距離があった人たちが、一緒に働き、楽しみ、時にライバルとして立ちはだかったり・・・こういうコミュニケーションが成り立つと、嬉しいものです。


[67]>46 母は強し Lady_Cinnamon

やっぱり、母の存在って大きいですね(いや、父の存在も大きいですし、母のおっちょこちょいぶりは破天荒なんですが)。

女の子として生まれ、年頃になって、いざ結婚となったら。。。掃除や洗濯、お裁縫から生け花やらやら、挙げていくと女性として妻として母として生きようとすると、いろんな話題で頭が噴火しそうです。

私は母に比べたら、いちおう料理の腕は自慢できる・・・つもりですが、母のように朝から晩まで料理もして他の家事もこなすとなると、私では体力が持たないです(家事って仕事とは、使っている気力・体力が違う気分)。

うちの母の場合、専業主婦でずっときたものですから、世間知らずな所がやっかいなのですが、社交辞令の挨拶(冠婚葬祭)などあった時は、母に頼ってしまう所があります。それに嫁入り修行もある程度、経験しているあたりは、修行をさぼりがちの私から見たら偉い!と思います。

ライバルと言えば大げさですが、ささやかにいつか追い抜けるように、マイペースで行こうと思います(笑)。


[68]>39 ライバルと呼べる兄弟が欲しかった VEGALEON

私は「一人っ子」です。今でもそうですが兄弟が欲しかったと思っています。

人間と言うものは「ふたり」以上いて初めて「社会」が成り立ちます。

幼い頃に兄弟がいないと社会が成立しないのです。

親は別社会ですから・・・

例えば、食事にしても自分の好みで決まるのです。

これが食べたい、と言えば決まりです。

テレビの番組にしても同じです。

これが観たい、と思えば決まりです。

しかし、兄弟がいれば話は別です。

同じ意見なら問題ありませんが、そんな上手くいくわけありません。

個性と個性の衝突ですね。

ここで「社会の掟」が生まれます。

それが競争ですね。

「強い者が勝つ」というルール。

これを学習するのです。

私は、そのチャンスを逃した・・・残念

最大のライバルがいなかった・・・

そのせいか、他人と比較するとか争うなどということには興味が無くなりました。

プラスのようでマイナスのような気がします。

兄弟というライバルは必要だと思います。


[69]>66 理由は異なるが同じ学年になった3人 iijiman

ライバル、と言えるかどうか微妙ですが・・・

私が高校1年留年、友人Aが大学1浪、友人Bが大学1年留年で、めでたく「大学4年生で再び同期」になりました。(学校は別ですが。)

そこに高校・大学・就職ともストレートで進んだ友人Cが遊びに来て「ええなあ、おまえら」と嘆いていました・・・。


[70]クラスの二大勢力「阪神タイガースファン」「阪急ブレーブスファン」 iijiman

小学校の時、それは1970年代のことになりますが、兵庫県西宮市に住んでいました。

その頃、男の子に人気のスポーツといえばまず野球でした。で、ほとんどの子供が何かしらのチームの野球帽をかぶっていました。

では、どこの球団が人気だったかというと、そこで「当時の兵庫県西宮市」の特徴が現れておりました。というのも当時は、市内に2つの球団が本拠を構えていたからです。

阪神タイガースの本拠である阪神甲子園球場と、阪急ブレーブスの本拠である阪急西宮球場がありました。(甲子園球場は今でもありますよね。)

で、クラスの男の子は、半分弱くらいが阪神タイガースの帽子、半分弱くらいが阪急ブレーブスの帽子をかぶっていました。つまり、阪神派と阪急派があった訳ですね。ある意味でライバル心のようなものはあったような。

郷里が広島や名古屋にあるなどの理由でカープやドラゴンズの帽子をかぶっている子供も居ましたが、「ジャイアンツと同じくらい少数派」でした。

2つの球場は自転車で往復できるくらいの距離でしたし、当時は阪急ブレーブスが結構強くて日本一になったりしていました。だから、一度くらいは「阪急vs阪神、西宮市内で完結する日本シリーズ」というのを見てみたいなあと思っていましたが・・・

阪急ブレーブスも西宮球場もなくなってしまった今となっては、永遠の夢となってしまいました。


[71]>69 同期 aekie

事情があって大学を2度出ていますが、

4浪した人、働き終えてから来たおじいさん、

とてもバラエティ豊かな人が集まりました。

プレゼンコンテストに出場したときには、

あまりにも場違いな集団が「大学生」として出場しました。

人材にそれぞれのバックグラウンドや経験があると、

大きな成果が得られることを実感しました。

これからの大学はもっとお年寄りを受け入れた方がいいのかも・・・

とおじいさん大学生と貴重な学生生活を過ごしてみての経験です。


[72]>71 進路が同じ fwap

私にも同期のライバルAがいます。

いまでは大学のボスとなっていて、たびたび国の施策決定に参加しています。

学生時代は遊んでいて、バイトをしていても成績は常に1番。

どんな頭をしているのか、まったく敵わずにいました。

そんなAと偶然にも同じ研究室になったときには必死でしたね。

Aはどんどん業績を残して留学し、あっという間にアメリカの有名大学の助教授に。

私はその頃、研究室で必死に勉強していました。

同じ進路を取ったのもAへの憧れがあったかもしれません。

Aとはレベルは違うものの、教えることの大切さを教えている身分です。


[73]ライバル意識皆無 some1

自分は自分、他人は他人。

人生いろいろ、隣の芝生を比べること自体に意味が無いと思ってるので、ライバル意識というものを持ったことがありません。


でも、逆にライバル視されたりとかは結構あったけど、自分側はマイペースで。


[74]>73 マイペース akilanoikinuki

私も「この人がライバル!」なんて意識した事はほとんどありません。

趣味も音楽で、人と競うような必要のないものですし、常にマイペースを心がけています。


[75]>70 阪神ファン対近鉄ファン atomatom

うちは大阪市内の下町でしたので、阪神ファンと近鉄ファンのせめぎあいでした。

公園で野球をするときも、雨の日、野球盤というゲームをするときも阪神ファンと近鉄ファンの2派に別れるのが常でした。

ただ、阪神のホーム、甲子園球場に行くのには電車に乗る必要があったのですが、近鉄のホーム、日生球場へはチャリンコで十分いけるんですよね。

しかも近鉄子ども会というファンクラブに年会費3千円ほどで入会すれば、ホームでの試合は外野席は毎試合タダで観戦できるです。

そんなわけで若干、近鉄ファンの方が優勢でした。

日生球場もなくなりました。寂しいものです。


[76]>59 自分がライバル atomatom

これ、わかります。

たとえば筋力トレーニングしているとき、限界まで筋肉に負荷をかけて、そこでトレーニングを終了するか、あともう1セットだけトレーニングを続けるか。

決めるのは自分なわけです。

もう十分やった、という自分と、もう1セットだけ頑張ろうという自分。

それから過去の自分がライバルということだってありますよね。

過去の記録を塗り替えることができるはずだと、スポーツにしろ勉強にしろ挑むことがあります。

ぼくは英語のTOEICという試験の点数をなんとか学生のころに近づけたい、いや、塗り替えたいと努力しています。

あ、体重も学生時代の自分に近づけたいです。


[77]>76 自分がライバル tibitora

私もわかります。

趣味でしていることがあるのですが、1度目でうまく出来なくて1回目3回目と何度もやり直していてそれでもうまく出来ないときに「もうあきらめようか」「もうこれでいいか」と思う気持ちと「なっとくのいくまでやり直す」という気持ちが戦うことがあります。

一度あきらめるとそれからもっとあきらめていきそうで、なんとか自分でなっとくのできるところまで3桁単位でやり直したりすることもあります。

・・・自分はちょっとまけずぎらいな性格みたいです(笑)

atomatomさんのおっしょるように、過去の自分より少しずつでもよくなれるようにして聴きたいと思っています。

苦手なところを克服していきたいです。

続けていれば少しづつでも前に進めるかなと、そう思います。


[78]>72 同期 m425

いつまでもおなじ年なのでライバルでいるのが当たり前に思えます


[79]>77 自分との戦い to-ching

勝つのは大変、強敵です・・・


[80]>79 自分との戦い koume-1124

スポーツジムに行っているので、運動中は自分との戦いですね。

自分で時間や回数を決めて、ココまでやったらやめようと

それまではどんなに辛くなっても頑張ります。

ほんとにくじけそうになる時もあるんですが

ここは自分との戦い。

諦めたら自分に負けた気がして悔しいのでやり遂げたときは嬉しいです。


[81]>78 同期 twillco

私も同期がいますが、部署が違うのでライバルというわけではないですが、やはり同期には先輩にはいえない悩みも話せるし

友人では、仕事のことまで詳しく分からないし

同期の存在はとても励みになります。

困った時や落ち込んだときは同期を誘ってランチに行きます。

今まで何度も仕事を辞めたいとお互いに相談してますが

そんな私たちも就職して8年目になりました。

ここまでこれたのも同期の存在なくしてはなかったと思ってます。


[82]>79 自分との戦い ttz

自分の中のだらしない部分との戦い・・・悲しくも。


[83]>81 同期に ttz

敬語使いたくないですね。まだそういう年になっていませんが、将来的に格差が出てくるのかなと思うと考えることもあります。出世レースにそんなに興味はないものの、負けるのは嫌ですね。


[84]>68 子供のころは ttz

そうだったかも。勉強の成績とか、モテ具合まで。今ではもちろんそんなことないですけどね!


[85]>64 恋のライバル ttz

これまで負けてばかりでしたけど、最後の最後、結婚相手争奪レースには勝ちました。これだけで十分。


[86]>60 部活 ttz

確かに、レギュラー争いが一番の競争だったかも。。監督に媚売ってる人いたな?


[87]>75 電車は to-ching

阪急の方が上品とのこと?沿線も??


[88]>74 私もですね to-ching

長生きした者が勝ち(寝たきりは嫌だが・・・)と考える様になりました。


[89]>67 母が料理のライバル atomatom

うちの母親は料理がそれほど得意ではなかったのです。

食い意地の張っていたぼくは、母親の作る料理にはイマイチ納得できなかった時期もあったのです。

まあ、それも無理のない話しで、祖父祖母とも同居していたので、高野豆腐の煮物、ひじきの炊いたん、フキとカマボコの煮物、そういったメニューを子供が喜んで食べるはずもないのです。

カレーやハンバーグといったものをどうしても食べたかった。

そこで、自分で作るようになったんですね。

それがぼくが料理に目覚めたきっかけでした。

今ではぼくも40歳を越え、カレーやハンバーグよりもヒジキやフキのほうがずっと好きになりました。まさに歴史は繰り返すです。

最近になって母親にフキの下処理の方法を教わったりして、あるいはこちらが干しエビの戻し方を教えてあげたりして、いい意味のライバル関係になっています。


[90]>18 憧れですか・・・ to-ching

プロレスも今は昔、確かにそんな時代もありました。沢山の裏話やユーチューブの画面で楽しませてもらってます。もう20年ですか・・・


[91]>42 息子は to-ching

どう私の事思っていたやら・・・。最近こっちの体調悪くキャッチボールもあまりしてないな。私の豪速球を受けてみたまえ!


[92]>49 ライバル校 atomatom

ライバル校だった学校に、ぼくの母校が吸収合併されてしまいました。

これ、とても悲しいです。

何が悲しいって、吸収合併されたことを喜んでいる生徒もいることです。

たしかに向こうの学校の方が全国的に知名度もあって、喜ぶ気持ちもわからないではないのですが。

それでも歴史があるんです。

ぼくが学生のころは、ライバルだと思っていたのはこちらだけで、向こうの学校はこちらを歯牙にもかけていない余裕の態度。

家庭教師の口も向こうはすぐに見つかるのに、こちらにはなかなか仕事が回ってこなかったり。

女の子にも向こうの学校の生徒の方がモテたり。

とにかく強烈にライバル視していたのに。

せめて、同窓会で校歌を歌い続けていかねばなりません。


[93]>8 演奏 eiyan

音楽は人を融和にする。

心の融和。

人の心を打つ音楽は良いですね。


[94]>35 同学年 eiyan

同じ年頃の仲間は懐かしいものです。

それがどんな形であろうと思い出として残りますね。

スポーツと競争はある意味心の結びつきですね。


[95]>36 比較 eiyan

兄弟家族親族の背比べはありますね。

何の意味もないのに。

人は個人の個性ですから。


[96]>44 30過ぎ eiyan

人生の方向は30歳までに決めなければなりません。

普通は決められない人が多いですね。

60歳を超えても決められないものもいますね。


[97]>53 ギャグ eiyan

子供の頃はヤンチャが良い。

ギャグの使えるものはもてますね。

大人になっても順風満歩が多いですね。


[98]>88 マイペース fumie15

大病をしてからライバルを作らなくなりました。


[99]>85 恋のライバル jozetora

争奪戦ではほとんど勝てたことがないですね。切ない。。


[100]>99 恋のライバル fumie15

私のライバルは距離なんですよね…。いい感じになると必ず遠くに行ってしまいます。なんでだろ?


[101]>41 叱ってくれる友人 jozetora

自己満足じゃなくて、こちらのことを考えてしかってくれる友人は貴重。


[102]>89fumie15

幼いころから母のようになりたいと思っていました。複数のボランティアを掛け持ちしている母。ライバルであると同時に自慢の母です。


[103]>80 自分 fumie15

なりたい私になるために必死で努力をしてきました。そんな私を支えてくれた家族に感謝です。


[104]>84fumie15

姉がいるからここまで頑張ってこられました。病弱で友人もいなかった私には一つ違いの姉が誰よりライバルでした。同時に最大の親友です。


[105]>94 同学年 qwer-asdf

社宅に住んでいるとどうしてもライバル関係になりやすいですよね。親の見栄もあって…。


[106]>103 自分との戦い powdersnow

暇な時間を過ごしていると、どうしても何かをしていないと落ち着かない自分と、怠け者の自分とが戦っている気がしますね。


[107]>102 父親より powdersnow

母親の方が圧倒的に接する時間が長いわけで、ある意味で父親の大きさよりも大きな存在ではありましたね。

成績表を最初に見せるのも母親、面談に行くのも母親、というのが、大方の家だと思うので。


[108]>65 試験 powdersnow

自然とライバルみたいに扱われることもありますよね。

そういう相手には、どうしても負けたくないと思ってしまいます。

また、同じ部活の仲間などは、勉強においてもライバルだった気がします。


[109]>92 練習試合 powdersnow

部活動で近隣の学校とは練習試合をよくやるので、自然とライバルのような感じにはなっていましたね。

練習試合の勝ち負けはともかく、どちらが本番で上位に行けるか……自然と気にしていた気はします。


[110]>87 野球ファンVSサッカーファン powdersnow

ちょうどJリーグがブームになっていた時期の学校では、すごかった記憶がありますね。

変にサッカー部を中心に沸き立っているのと、以前から野球を見慣れて知っている面々と……温度差が激しかった記憶が。


[111]>100 恋のライバル r-zone

恋のライバルっているんだろうけど、学生の時と違って今は相手が分からない事が多いので

知らない相手にいちいち嫉妬したり、やきもきしてます。

もどかしいですが、これがまた恋を楽しくさせる1つなんですよね。


[112]>106 自分との戦い r-zone

趣味で、たまに夜にジョギングをしていますが

歩いたら負け!と思っているので手を抜かずに走っています。

最後のほうは本当に自分との戦いなんですが、やり遂げた後は爽やかな気持ちになります。

自分に勝つというのは成長出来た証拠でもあると思うので、いいですよね。


[113]>107 母と競い合い! koume-1124

私は母親と一緒にジムに通ってます。

どっちが先にどれだけ痩せるか勝負してます!

年齢的に母は難しいかもしれませんが、ライバルがいるとジムも飽きずに通う事が出来ますし

嫌いな運動も楽しく出来てます。

一緒に通えてよかったと思ってます。


[114]>110 サッカー横浜対決 wacm

私の地元横浜でもフリューゲルスとマリノスの応援で真っ二つでした。

フリューゲルスは淡々と、マリノスは活動的なファンでした。

フリューゲルスの経営難でマリノスに統合されるときにはサポーターは心中複雑だったでしょう。

いまでは、「F・マリノス」と略されている「F」の意味を再考するいい機会でした。


[115]>114 野球ファンVSサッカーファン koume-1124

私のマチでは野球は強くて有名ですが

サッカーはJ1で活躍はしているものの

優勝経験も無く、マチ全体としても盛り上がってもおらず、スポーツ専門店でも野球グッズは多くてもサッカーグッズは一角にしかあらず・・・

もうちょっとサッカーにも光を当ててくれても良いのにと思います。


[116]>113 母は憧れ wacm

母はいまでも私の憧れであり尊敬できる対象です。

身体がどんなに疲れていても、子育てに忙しいときでも仕事をして、家族に不安一つも感じさせませんでした。

家にずっといる母親像が当時はありましたが、いまを振り返ると母の献身さに感心するばかりです。

家族のことにひたむきな母はいまの私を形作ったと言えます。


[117]>112 限界へのチャレンジ wacm

自分の限界へのチャレンジがありますね。

私は特別スポーツが好きではなかったのですが、大人になってから始めたランニング。

住んでいる地区の大会で入賞できるまでになりました。

毎日10Km程度のランニング、晴れの日は必ず行うようになってからおよそ20年。

目標とライバルは自分自身です。


[118]>109 ボート対決 wacm

母校でボート対決というのがありました。

全校で母校を応援しに行く、エールの交換をするのに当時は一生懸命だったものです。

他県の高校とふれあう機会はボート対決。毎年毎年、どちらが勝つのか不安になったものです。

ですが、どちらが勝ってもさわやかなノーサイドで清々しい気持ちになれました。


[119]>115 静岡ダービー fwap

私の地元ではサッカーの静岡ダービーです。

清水ファンと磐田ファンは地域分けされているので、県東部と西部で分けることができますが、

それでも息子のクラスはサッカーの話題でも2つに分かれるそうです。

かくいう私の家族も私と夫がそれぞれ清水、磐田ファンです。

大阪のガンバとセレッソのような例でも起こりそうですね。


[120]>91 家族の時間 fwap

私の憧れでもある父は仕事に一生懸命、それでも仕事を早く切り上げて家族と食卓を囲む。

家族で食卓を囲むことの大切さを感じたのはちょうど私が親になってから。

家族で食卓を取りたくなるとき、「あのときの父は…」と父を思い浮かべてしまいます。

共働きで家族に費やす時間が減りつつあるいま、家族との時間を大切にできたらいいですね。


[121]>116 人生のお手本は母 fwap

家事の手際のよい母。仕事が終わるとあっさり昼寝です。

それでも母は塵一つ無く、いつも部屋はきれいで整然になっています。

いまでもときどき母の手を借りて掃除をしてもらっているときがあります。

年を取っても元気で、家事に一生懸命になれるそんな母は人生のお手本です。


[122]>118 学生スポーツ fwap

私の母校はちょうどスポーツ校でしたので対外試合になると応援団としてかり出されることもしばしば。

特に夏場の応援は過酷でしたが、試合が終わったときの開放感は代え難いものでした。

高校時代に触れたスポーツ観戦の影響で、いまでも学生スポーツを観戦するようになっています。

いましかない必死さがプロスポーツよりもひしひしと伝わってくる。

お金を稼ぐわけではないのに、勝つことへのまっしぐらな姿勢が私が好きな理由です。


[123]>119 クラスの二大勢力といえば miyupie777

ちょっとスポーツから外れますが…。

小学3年のとき、クラスの中にリーダー的な存在の人が2人いて、1人は「銀河鉄道999」ファン、もう1人は「がんばれベアーズ(海外の少年野球ものドラマ)」のファンでした。

で、野球大会などの学校のイベント事が近づくとこの2人が衝突。チーム名を決めるたびに、2人は「999」と「ベアーズ」を主張しあいお互い譲ろうとしません。他のみんなは「またやってるわ」と呆れ顔。結局先生が間に入って多数決または「前の時はそっちだったから今度はこっちにしたら」で解決させていました。

ちなみに、この2人に対抗して他のアイデアを出したりすると後々ややこしくなるので、いらんことはしないこと、という暗黙の了解ができていました。今思うと、めんどくさいガキどもやなあ…


[124]>117 自分との戦い miyupie777

別名「いつも前向きな気持ちと、いつもだらけたがりな体との戦い」です。最近は年のせいかだんだん「やる気はあるけど体がついてこぬ」という状態になってきました…


[125]>122 ライバル校 miyupie777

スポーツから離れますが…

高校(公立・男女共学)に入ってからしばらく経った頃、歩いて10分ほどの場所に女子校(私立)が移転してきました。

大喜びしたのはうちの高校の男子。「お金持ちの家の可愛いお嬢様たちがわんさかいる」という妄想にかられてしまいました。女子はアホかと思いながらも「好きな人が女子校の女にとられたら…」という危機を感じ、ライバル視しておりました。

その後、男子と女子校の子のカップルが次々と誕生し、ますます女子たちのライバル視がヒートアップしたのでありました。


[126]>111 恋のライバル miyupie777

小学校の頃、クラスのほとんどの女子から一方的にライバル視されたことがありました。

何でも私が、学年一のイケメンK君の家をよく出入りしているということだそうな。

おいおい、単に家が隣で回覧板まわしに行ってただけじゃん(T_T)


[127]>125 ライバル校と県大会決勝 aekie

ライバル校って、私が生まれるはるか前からあるの高校らしく

水泳や野球は対抗戦を毎年行っていました。

対抗戦になると負けるのは悔しい。いつも応援に熱を入れていました。

勝っても負けても、次は・・と思わせる溌剌とした雰囲気までも思い起こすことができます。

甲子園の県大会決勝のテレビ中継を見ると当時のことを思い出してしまいます。


[128]>124 昨日よりも少しでも成長 aekie

「自分がライバル」とは言い言葉ですね。

プロゴルファーの宮里藍選手もかつて、「機能の自分よりもよく」と言っていたのを聞いたことがあります。

いつも前向きな気持ちで、自分に何か目標を達成することが必要のようですね。

毎日の達成感は小さいとしても、年月を重ねると大きな意味があると思います。


[129]>123 川崎 aekie

川崎に住んだことのある私はサッカーを巡って応援が難しいときになることがあります。

地元のフロンターレ、かつてのヴェルディ。現在の強豪と古豪。

Jリーグが発足したばかりのヴェルディに愛着があった私にとって、いまのヴェルディを応援することはつらいことでもあります。それに、川崎から稲城に移りましたし。。

応援していたチームが地元から出て行くと悲しいですね。

そんな私もいまでは、フロンターレを応援していますが。


[130]>61 心の許せる間柄 aekie

幼い頃、一緒に遊んでいたUくんは元気で運動をさせたらなにをさせても学校で一番。

私と家が近所だったので、いつも仲良しグループ。

かけっこでも勝ったことはなかったです。それに、塾も一緒で成績優秀。

幼稚園からの仲だといつでも心の許せる間柄なんでしょうね。


[131]>121 母孝行 aekie

母の愛情を一身に受け成長した私はいつか母のに親孝行をしたいと考えるようになったのも母が病気になってからでした。

いつも私の行動を見透かしていた母、いつまでも勝てない存在でした。

母が怖いと感じなくなったとき、ちょっとさみしくなりました。

自分が今度は親にならなくちゃいけないのか…と。

いまでも母は健在です。私を精神的に育てて欲しいです。


[132]>129 野球VSサッカー r-zone

小学生の頃に休み時間になると

運動場を野球っこVSサッカーっこで運動場の取り合いでした。

どちらも運動場を広々と使いたいので、授業終了の鐘と同時にダッシュして場所取り!

結局は半分づつということで先生に区切られてましたが

ちょっとでも広く使いたいことから、サッカーの好きな私からは野球の好きな子はライバルでしたね。


[133]>83 同期のライバル r-zone

仕事を始めた頃は営業職だったので、同期がライバルでした。

どちらがどれだけいい成績を残すかで、口にはしないものの、お互いにかなり気にしていました。

そんな存在がいてこそ、仕事面では成長するんですよね。

同期がいなかったらきっと成績とかさほど気にしなかったと思うし、成長もしなかったでしょうね。

同期ってほんといいライバルです。


[134]>131 憧れは母 twillco

うちの母親はもうすぐ60歳ですが、かなり元気で趣味も多いし、友人も多くて年に一度は海外にも行ってます。

そんなパワフルな生き方が私もしたいと思っています。

私も母と同じ歳になった時にそんな元気で明るくいられたらイイナと思っています。


[135]>132 野球VSサッカー kinnoji7

私が子供の頃は、まだ断然野球してる子の方が多かったです。確かに今の小学生などは野球よりサッカーをしている子供のほうが多いようですね。かたや野球人気は退潮傾向にあるようです。サッカーには是非W杯で優勝が狙えるほどレベルアップしてほしいものですが、プロ野球も衰えないで欲しいですね。


[136]>108 受験 kinnoji7

支えあう友達の存在は受験においてすごく大きくて重要だと感じました。できれば志望校が違う友達の方がいいかもしれませんね。その方が変なライバル心が芽生えずにいいので。レベルが近くて志望校が違う友達が一番心強い心の支えになると思います。私は友達の支えのおかげで苦しい受験勉強も乗り越えられたと思っています。


[137]>105 同学年 kinnoji7

同い年の友達しかいない学生時代、同級生に抱くライバル心というのは尋常じゃなかったです。同じ成功でも相手が年上なら拍手できるのに、同い年だと嫉妬に悶え苦しまなきゃならない。同い年ってのは自分にとっては特別な存在で、彼らの活躍はやっぱり気になるし、自分がライバルとして意識するのもやっぱり同い年です。同学年のライバルというのは自分にとってもプラスになることが多いですね。


[138]>127 ライバル校 kinnoji7

早稲田の永遠のライバルと言えば慶応。すでに1世紀以上もの長きにわたる両校の、野球部やボート部の熱き戦いは歴史の一部でありますね。早稲田大学の各競技部は、創意工夫をもって試合に臨み、スポーツの歴史に名を刻んできました。その歴史の中で、数々の名勝負を繰り広げています。創意工夫も、名勝負も、好敵手となる存在あればこそである。


[139]>120 父親に対抗 kinnoji7

息子が父親に対抗しようとしたり、娘が母親に対抗しようとして、家族の均衡はバラバラになったりします。無視され、尊重されなかった過去の親のパートナーが認識され、尊重されるまで、子どもたちはがんばり続けます。物事が必ずしも見かけ通りではないということはご存じでしょう。男の子って、父親に対抗心を持って「こんな風にならない」と思う物かもしれませんね。私もそうでした。そして、あるとき父親にそっくりな大人になったことに気がついて、愕然とする。これが男の成長過程なのかもしれません。


[140]>138 ライバル校 peach-i

青春を思い出しますね。

レギュラーではなく、応援側でしたが、陸上大会などは盛り上がりました。

応援団同士でも張り合うような熱血の時間。

凄く楽しかったです。

声も枯れるほど応援した若き日が懐かしいです


[141]>104 兄弟 peach-i

一番最初のライバルですね。

嫉妬した日もありました。

羨んだ日もありました。

寂しい思いをした日もあったし。

だけどやっぱり大事な兄弟。

愛すべき愛する兄弟です。


[142]ディベート peach-i

小学校のころ、社会科の授業で、ディベートをしました。

2つの考えにクラスが分かれ、お互いがそれに対して論じ合う時間でした。

自分と違う意見を戦わせるっていうのは本当奥が深いものです。

相手はライバルであり、意見を募らせる大事な相手でしたね


[143]男と女 peach-i

同じ人間ながら違う性質を持つもの同士。

これは地球において神様が置いた最大のライバルかもしれません。

お互い譲れない部分ありながらも、協力し合って、この地上ですごしてるわけです。

このライバル無しでは世の中成り立ちません


[144]>95 従兄弟同士 peach-i

能力の違い、性格の違い、歩み方の違い。

これらを親戚に比べられることは多いですよね。

血のつながり一つで比較されてしまう寂しさがあります


[145]>139 工夫して wacm

父親は優しく接してくれた理想的な男性像です。

片づけや掃除が得意で、いまでいう家庭パパでした。

父の掃除への工夫、いまでいう「松居棒」のような掃除に便利な器具を、身近な素材から集めて作っては子どもで試していました。

父のおかげで苦手な図工の授業も好きになれたんです。


[146]>128 担任教諭の言葉 offkey

学生時代、国語担当の担任が、常々「次に書く字は今書いたものより丁寧に書くようにしなさい」といっていたのを思い出しました。

過去の自分が、今の自分のライバルとなる、

身近にライバルとなる良き人が見つからなくても、こうやって、克己していくことで、人は美しく生活してゆけるのかもしれませんね。


[147]>140 ライバル校 toukadatteba

思い出しますね?。吹奏楽の部活に入っていましたが、やっぱりライバル校はありました。今でも名前を覚えています。競い合う相手がいるとおのずと力が入るもので、練習も苦になりませんでした。


[148]>141 姉妹 toukadatteba

妹たちととても仲がよいのですが、同時にライバルでもあります。

学校の成績等、良くも悪くも競い合った覚えがあります^^


[149]>137 同学年 toukadatteba

同じ部活の同じ学年の仲間たちは、親友であると同時に最大のライバルでした。

同じ大会に出るということで、やっぱり競い合う競争心みたいなものは激しかったです。


[150]>142 ディベート toukadatteba

ディベート、面白いですよね。私は中学生の頃でした。相手の意見は、貴重な自分と違う意見であり、また、競うべき意見でもあるというのは、興味深い発見でした。懐かしいです。


[151]>126 恋!のライバル toukadatteba

大体学校とかだと、皆同じ人が好きですよね・・・W

人気のある人は、本当に皆から好かれるように思います。羨ましい。


[152]>136 勉強のライバル adgt

自分の中でこっそり決めてた。


[153]>133 同期 adgt

こっそり業績を比べて一人で満足してる


[154]>130 幼馴染 adgt

わりと出来すぎ君だったから、負けてばっかだったなぁ。


[155]>147 ライバル校 adgt

早慶戦は昔ほどではないけど面白いし、因縁があったほうがスポーツは良い


[156]同い年の有名人 adgt

同い年のスポーツ選手や芸能人を見て、負けてられるかって気持になる。


[157]>156 ビックリ to-ching

するほどの歳です、中日の落合なんてコドモみたい 笑


[158]>146 丁寧な文字 to-ching

書く時は心確かに穏やか


[159]>144 嫌だった to-ching

出来の悪いがきでしたから・・・親戚の子供と比べられちゃ・・・


[160]>150 苦手 to-ching

頭の回転悪いからです・・・


[161]>155 伝統の一戦 to-ching

正にこれなんでしょう。羨ましいです。


[162]>157 同い年の有名人 koume-1124

同い年の女優さんは、見ていて憧れの対象です。

同い年なのにあんなにキレイなんだ〜とか

肌の状態やオシャレの参考になります。

特にお肌は日々の努力で少しは近づけるものですから

同い年の有名人は参考になります。


[163]>158 昨日よりも良い自分に twillco

日々成長!という意味では

昨日の自分にはいつも勝っていたいですね。

何か1つでも成長出来れば小さな事でも、こつこつと続けていけは昨日の自分よりも成長出来てると思います。


[164]>149 近所の同学年 twillco

近所の同学年は親同士も皆仲がいいのでよく比べられてましたね。

飛び抜けて劣等生な私は怒られる事ばかりで

テストの結果が嫌で嫌で。

いまでも、誰が結婚してとかありますが

成長する上で多少の比べられる対象がいるのは刺激になりますね。


[165]>164 町内の同学年 r-zone

町内の仲間はイベントや行事が同じグループになる事が多かったので

当然親同士の情報網も敏感。

あそこの子はああで、そこの子はどうでと

家に変えると毎日のように比べられ。

小さい頃はうんざりでしたが

競争心を持たないと人は成長しませんもんね。


[166]私に音楽を続けさせてくれたあいつ TomCat

その頃私は、左手の腱をひどく痛めてしまっていました。ギターを弾くことが出来ません。バンド活動ができなくなり、表現手段を断たれた私は、もう人生の全てが断たれたみたいに悲嘆にくれるしかありませんでした。

たかが左手一本。しかしギターに全てを賭けていた私にとって、それは音楽生命が断たれたことと同義であり、音楽に全てを賭けていた私にとって、それは人生その物が断たれたのと同義だったのです。少なくともその当時は、本当にそう思うしかない状況でした。

病院の帰り。友が私を迎えてくれました。真っ赤な髪をして、ほぽ上半身裸。道端でしゃがんでタバコをくわえています。うひゃ?、ガラ悪ィい。道行く人達が避けて通っています。真夏の炎天下。明るい光の中でしたが、ライブハウスそのままの友の姿に、私の心は少し曇りました。ギターの弾けない私にはもう、そんな彼の姿が遠い存在に思えてしまったのです。

「よう、どうだ、手は」

「・・・・」

彼は別のバンドのギターでした。ポジションがかぶりますから一緒のバンドになったことはありませんが、よくセッションなどで楽しんだ仲でした。しかし、彼は私より何倍も高度なテクニックに長け、いつプロになってもおかしくないと思われていた存在だったんです。

私はいくら練習をしても、彼のギターにはかないませんでした。彼も私も愛用のギターは同じモデルです。しかし、同じギターなのに。彼が持つと、なぜか小さく見えるんです。そのくらい彼はギターを、自由自在に扱いこなしているということです。私はそんな彼を目標に、毎日暇さえあればギターを抱えて練習に励み続けていました。その矢先の障害の発生でした。

そんな彼が私に言いました。

「セッションやろうぜ」

は、はぁ? ギターの弾けない私に何と言うことをと、一瞬その無神経さにカチンと来ましたが、彼は道端にしゃがんだまま私を見上げて、「俺はお前が羨ましいんだよ」と言うのです。

「なんだよそれは」

「もし俺がお前みたいに手を痛めてしまったら、もう何も表現することが出来なくなる。俺にはギターしかないから」

「・・・・」

「だがよ、お前にはボーカルがある、作曲も出来る、俺とは持ち物の数が違う」

ありがとう。こんなふうに励ましてくれる友の心に、私は感動を覚えました。でも、人間って、何か一つを断たれてしまうと、それと連動して全てが停滞してしまうんです。私だってこれを機会にギターが弾けない時間をボーカルトレーニングに当てようとか、これからは曲作りに力を入れていこうと、そんなふうに前向きに考えたこともありました。でも、ギターが弾けないという障害が、全ての物の前に立ちはだかってしまうんです。私の心はもう、完全に折れていました。

「セッションやろうぜ、今ここで」

彼は再びそう言うと、小さなハーモニカを取り出しました。別名ブルースハープ。ロックやブルースの演奏に適した特殊な音階のハーモニカです。

「病院近いからソフトな曲な」

彼が吹きはじめたのは、なんとブルースではなく、文部省唱歌「ふるさと」でした。

ド?ド?ド?レ??ミレ? ミ?ミ?ファ?ソ???・・・・

哀愁のある音色が響き渡ります。ああ、これなら病院前通りでもOKです。もっとも人々は、この風変わりなパフォーマンスを避けて通りますが。

ハーモニカの演奏がメロディから和音に変わりました。私に歌えということです。

兎追ひし かの山

小鮒釣りし かの川

夢は今も めぐりて

忘れがたき ふるさと

促されるままに、私は一番を歌いました。ハーモニカがリズムを刻み始め、ブルースに変化していきました。普段ならここで彼は「O-kay、○×ちゃん」と私のニックネームを叫びますが、今日はハーモニカで口が塞がっているので、視線で私を促しています。普段なら私はここでギターを取って、即座にブルースの常套句と言えるフレーズを弾きはじめますが、今日はギターがありません。彼の視線が、そのフレーズを歌えと促しています。私はスキャットでギターのフレーズを歌いました。

いつもならここから、二人のギターの掛け合いが始まります。短いフレーズを交互にぶつけて挑発し合い、返ってくるフレーズをまた相手に新しいフレーズにして投げかけていく。そんなスリリングなやりとりです。これがギター同士のセッションの花。それと同じことを、ハーモニカと肉声で行います。彼のハーモニカは素晴らしく、私は道端であることも忘れて、このセッションに酔いしれてしまいました。

終わって顔を上げると、なんと周囲に人だかりが出来ています。うはは、拍手なんかもらっちゃいました。あ、ども、ども、お騒がせしました、ばびゅ??ん!!(その場を逃げる音w)

「あははははは」

「うわはははは」

私達は離れた場所に腰を下ろして、お腹を抱えて笑い転げました。ひとしきり笑った後、彼が言ってくれました。

「俺のハープは人を避けて通らせた、だがお前のボーカルが入ると人は足を止めた」

「・・・・」

「お前の歌はロックに縁もゆかりもないような人の足さえ止められる、ギターが弾けないくらいで音楽を諦めるなよ」

そう言って彼は、私の痛めた左手を握ってくれました。

ギターでは超えることが出来なかったライバル。人間の器も、こんなふうにデカイ奴です。そんな彼のおかげで、私は失いかけていた音楽の喜びを取り戻すことが出来ました。こうして今も、アマチュアながら音楽と共に歩んでいける私がいます。彼も私よりずっと先の所で、今も音楽と共に歩み続けています。


[167]>145sidewalk01

しっかりコツコツ働いてきた父は、ある意味生活のライバルですね。


[168]>86 部活のライバル sidewalk01

長距離走や、試合形式の練習など負けたくない相手がいることで頑張れた場面が多かったように思います。


[169]>148 姉が sidewalk01

陸上でよい成績を残していたりしたので、まけるものかとがんばりましたね。


[170]>135 野球VSサッカー sidewalk01

サッカー派でした。今ではどちらも好きです。


[171]>163 自分との戦い sidewalk01

これが一番大変ですよね、きつい時も、サボったときもスグに自分では分かってしまいますし。


[172]>170 野球VSサッカー twillco

ちょうどJリーグブームの時代だったのでサッカーをやる男の子がとても多くて

野球はほんの数人。

ちょっと可哀想でしたね。。。


[173]生徒会長選挙を競ったライバル C2H5OH

どこも同じようなものかもしれませんが、私が通っていた学校は特に無関心層が多く、生徒会役員選挙は毎回無投票が恒例でした。対立候補どころか、全く立候補者がいない役職も珍しくありませんでした。

私はそこを変えたい、生徒の生徒による生徒のための活動ができる生徒会を作りたいと思いました。私が立候補を検討しているという噂が流れると、さっそく対立して立候補を考える生徒が現れました。成績優秀、スポーツ万能、おまけに顔が良く女子から人気という、絵に描いたような優等生タイプの男です。彼を便宜的に出来杉君と呼ぶことにします。

出来杉君の立候補表明は、あっという間に校内を駆けめぐりました。先生方の信任も厚い出来杉君は、立候補の受付も始まっていない段階からもう当選したも同然の扱いです。私は瞳の中にメラメラと炎を燃やし、打倒出来杉君の決意を固めることになりました。

立候補の届け出を済ませると、双方政策発表です。出来杉君陣営は、風紀の確立、学業・クラブ双方の成績の向上といった、私に言わせればク○食らえの目標ばかりを掲げています。

私はスローガンとして「仲間」の二文字を選びました。志望校の滑り止めとしてここを受けた、そして志望校に蹴られてここにやってきた、だからこんな学校好きになれない、ここで出会う友も好きになれない、ここにはそういうやつが多い、俺もそうだった、でもよく見ろ、ここだって捨てたもんじゃない、ここを今支配しているのは無気力だ、無気力ということは俺達が自由に気力を注ぎ込んでいいということだ、ここを俺達の自由な真っ白いキャンバスと考えよう、そこにみんなの色をぶつけていこう、そしてただの隣人から仲間になっていこう。そんな今考えるとこっぱずかしい政策をまとめ、発表しました。

ポスターを貼り、ビラを配りと、近年になかった選挙風景が校内で繰り広げられました。出来杉君のクラブ活動成績向上政策は各運動部に支持を広げ、運動部はほとんど出来杉君の地盤になりました。元から文化部に顔が利く出来杉君ですから、クラブはほぼ掌握の状況です。ポスター貼りもビラ配りもボランティアだらけで、とりわけ女子の活動が盛んです。

そこにいくと私の方は数人の男子が嫌々付き合ってくれている程度。もう勝負は見えていました。

ところがです。蓋を開けてみると、かなり大差で私が当選してしまいました。出来杉君がやってきて、おめでとうと言ってくれました。そして、ここの生徒会は毎年、前年の会長が次期会長を事実上指名していくのが慣例になっていたこと、出来杉君が前年度の会長から後継指名を受けていたこと、しかし今回の選挙戦の盛り上がりを見た三年生たちが古い慣習を捨てようと私の支持にシフトしたことなどを教えてくれました。(うちの学校では三年生は役員から引退することになっていましたので、当時私達は二年生でした)

そしてさらに出来杉君は、もし自分が当選しても今までのような生徒会にはしたくないと思っていた、建前上前会長の路線を引き継ぐ選挙活動をやったが、当選したら君(私のこと)の政策で活動しようと思っていた、と言ってくれたのです。

今回の選挙は会長以外立候補者無し。他の役員は会長が指名して生徒総会で承認という手続きになりましたので、私は出来杉君を副会長に指名し、二人でタッグを組んでやっていくことにしました。それからの私達は二人で一人のような絶妙のコンビになって、生徒会活動に取り組んでいきました。特に文化祭や体育祭は忘れられない思い出になりました。

勉強は、会長が副会長に負けっ放しでは格好が付かないからと必死に張り合いましたが、こればかりは全く歯が立ちませんでした。二人で学校帰りに食べた立ち食い蕎麦も忘れられない思い出です。二人とも小遣いが足りないのは一緒で、一つの天ぷらを分け合って食べました。

こんなライバルから始まってかけがえのない親友になっていった出来杉君は、今でも私の大親友です。


[174]書き初め大会を競い合った生涯初のライバル MINT

私は小学生の時、学校の習字クラブに入っていました。筆で字を書くのが好きで、自分から進んで入ったクラブです。指導してくれる先生も優しくて大好きでした。私は毎週、クラブのある日が待ち遠しくてたまりませんでした。

クラスにもう一人、私と同じように、習字と習字クラブが大好きな子がいました。私たちは以前から仲良しでしたが、習字クラブに入ってからは、同じ趣味を通してさらに仲良くなっていきました。

私たちは学校が終わってからもよく一緒に遊びました。二人で土手に座ってアイスを食べます。でも二人揃うとすぐに字の話。アイスの棒を筆に見立てて、空を半紙にして、二人で大きな字を書きます。

習字って面白いんです。慣れてくると手の動きを見て、どんな文字が書き上がるのかだいたい想像できるんです。だからアイスの棒で空に字を書いても、二人、どんな文字が書き上がるのか、とてもよく想像できました。食べかけのアイスで空に字を書いて、せっかくのアイスをボトッと落としてしまったこともありました。そのくらい、二人、字を書くことに夢中でした。

季節が巡り、冬になり、年の暮れが近付いたころ、その子が私に言いました。書き初め大会、ライバルだからねと。

ライバル?それじゃ私たち、戦いが終わるまで仲良くしちゃいけないの?

そうだね、ライバルが仲良くしてたらちょっと変だね。

それじゃぁ書き初め大会が終わるまで遊ばない。

うん、その時間は二人、習字の練習をすることにしよう。

負けないからね!!

私だって!!

こうして二人は、言葉の意味もよくわからないままライバルになりました。

毎日のように仲良く過ごしていた相手と別々なのは調子が狂います。一人の時間がとても寂しく感じられました。書き初め大会なんか負けてもいいからまた仲良く遊びたいなと思いました。でもライバル宣言をしたからには、仲良しだからこそ負けられません。早くから家に帰って習字の練習をして過ごしました。半紙に真っ黒になるまで、何度も何度も重ねてその子の名前を書きました。

年賀状はライバルでも出していいだろうと、心を込めて墨で書きました。でもちょっと対抗意識が燃えたかなw

私たちの学校の書き初め大会とは、家で書いたものを学校に持っていって、全校生徒の作品を体育館に並べて飾る、冬休み宿題大会のようなものです。新年最初の始業式に提出して、15日ごろ、各学年ごとの金賞、銀賞、銅賞が決まります。作品は賞の発表と同時に返却されますが、受賞作のみ職員室の前の廊下に飾られます。

私たちはライバルですから、この発表の日までバチバチ火花を飛ばしていました。でも、二人頑張った甲斐があって、みごと二人とも学年の金賞に輝きました。金賞が二人は異例だそうですが、この二人は順位が付けられないと、二人とも同じ賞にしてくれたそうです。

このうれしい結果発表に二人大喜び。金賞をもらったことよりも、二人が同じ賞を分け合えたことの方がうれしくて、職員室の前に並んで張り出された書き初めを見ながら、手を握り合って喜び合いました。そして、今日からはまた自由に遊べるよね、ライバルは終わって仲良しに戻ったねと二人で言い合って、泣いてしまいました。手を握り合って泣いている二人を見て、担任の先生が、そんなに金賞がうれしかったのかとびっくりしていました。

ライバルは仲良くしてはいけないなんて、変な思い込みをしていたものですが、人と切磋琢磨しあっていくことのすばらしさを知った、かけがえのない経験になりました。


[175]無線のライバル momokuri3

一時私はかなりアマチュア無線に凝っていました。同じクラスにやはり無線好きな友がいて、休み時間はいつも無線の話で盛り上がっていました。お互い無線で会話が出来ますから、家に帰ってからも無線機を前に、あれこれと無駄話に花を咲かせました。

そんな仲の良い友人同士でしたが、私たちはライバルでもありました。当時私たちは4級という一番下の無線の免許しか持っていなかったので、どちらが先に3級になるかを私たちは競っていたんです。最近は国家試験の内容が簡略化され、3級にはトンツーのモールスの試験が無くなったようですが、私たちのころはまだモールスの試験がありました。私はこのモールスが苦手で、なかなか習得が進みませんでしたが、友人はもう当時の2級レベルのモールスも楽々受信できるくらいに上達しています。私も必死で練習して、一緒に受験申請書を出し、一緒に受験に臨みました。友人は2級相当の実力、私はぎりぎり3級の実力で、どうにか二人一緒に合格通知を手にすることが出来ました。

しかし無線の楽しみの一つに、無線機の自作があります。こちらでは私も負けてはいませんでした。雑誌の製作記事を参考に二人で同じ無線機の自作を手がけたことがありました。二人で秋葉にパーツを買いに出かけ、二人同時に製作に取りかかりましたが、友人の方はいくら調整しても、なかなか目標とする性能が引き出せません。電子機器には実装技術のようなものがあって、ちょっとした線の引き回し方ひとつで、ずいぶん動作が変わってしまうんです。国家試験では後れを取りましたが、こういう職人技系なら負けません。頼む見てくれと呼ばれて行って、ちょちょいといじってみごと問題解決。ちょっと鼻高々な私でした(やなやつw)。

こんなふうにそれぞれの得意分野で楽しく競い合ってきた私たちでしたが、今はどちらも無線からは遠ざかってしまいました。これも時代の流れなのでしょうか。

しかし友人はあれからもずっと無線の世界に向けた探求心を絶やさず、大学もそれ系に進み、大学院にも進んで、なんと博士号まで手にしています。それでも一緒に飲むと、君はすごいよ、僕は科学の方に進んだ、でも技術は君の方がずっと上だ、俺たちは今も二人揃って一人前の科学技術コンビだな、なんて言ってくれます。コノヤロウお世辞がうまくなりやがって。若き日の好敵手はいつまでたっても好敵手ですね。


[176]世界の首都 vs 県庁所在地 watena

小学生というのは変なことに凝るものです。クラスメイトの一人がなぜか世界の首都を憶えるのにこり始め、次々と憶えては、みんなの前でそれを披露しはじめました。それも小学生の段階では名前すらも知らないような国がどんどん出てきます。

図書室から世界の国名が載っている辞典を借りてきて、片っ端から国名を言って首都を当てさせるという「試練」も与えてみましたが、国名すらも知らない国については答えられなくて当たり前としても、それ以外はほぼ百発百中の正答率でした。これはすごいと担任の先生も大絶賛です。

そこでライバル心を燃やしたのが私でした。何とかこのクラスメイトに匹敵する物を身につけたい、同じ物では駄目だ、何がいいだろうと考えた結果、選んだのが日本の県庁所在地憶えでした。実際に挑戦してみると、小学生には知らない県もたくさんあり、なかなかやり甲斐があります。やっと百発百中で答えられるようになり、クラスで披露してみましたが…

世界の首都に比べて県庁所在地は地味すぎました。それに県名と県庁所在地名が一緒の所が多すぎ!

「青森県」「青森市」

「じゃ秋田県は?」「秋田市」

「なんだよ、それじゃ山形県」「山形市…」

「福島県」「ごめん、これも福島市…」

ごめん…て、私が悪いわけではないのですが。

でもこういうことで世界や日本の地理に興味を持ち始め、それから世界の首都憶えのクラスメイトと二人同好会みたいな感じで、世界の国旗から山手線の駅名まで、片っ端から憶えることに熱中しました。テーマを決めて、いつもどちらが早く憶えられるか競争です。

向学心なんてものとは無縁の子供の遊びでしたが、でもいいライバルに恵まれたお陰で、物を憶えることの楽しさ素晴らしさを知ることが出来、今思うと、その後の知的好奇心を養う土台を作ってくれたなぁと思います。

そのクラスメイトとはなぜか高校までずっと同じ腐れ縁で、○○文庫百冊挑戦など、色々な所で競い合いました。この良きライバルから得た物は、私の人生の中で、今も大きなウエイトを占めています。


[177]>156 うんうん Elliee

わかるわかる。

ネット上じゃ年バレするから名前言いたく無いけどアノ人がんばってるよなぁ、とか

本当に思う人がいます。

まだまだ私もがんばれる!


[178]名も知らぬライバル・私に紳士道を教えてくれる人 Fuel

その人と最初に会ったのは、終電近くの電車の中でした。ひどく酔った女性が車内で嘔吐しました。乗客は一斉に後ずさりです。しかし一人の男性がサッと歩み出て介抱。女性は再度嘔吐して男性の服を汚していましたが、彼は全く意に介する素振りも見せずに、次の駅で女性を伴って降りていきました。

よくできた人だなぁ、ああいうことがサッと出来るのはかっこいいなぁとしばし感動。何もできなかった私はとりあえず最後部の車両まで行って、車掌さんにあったことを報告。車内の処理をお願いしてみました。

次にその人と会ったのはある駅前の広場でした。その人はなんと、植え込みの間に捨てられているゴミを拾って回っていました。初老の女性が何かのボランティアですかと声をかけると、彼は、いや、待ち合わせの相手が遅れているので時間つぶしですよと笑っています。普通、そんな合間にこういう隠れた社会奉仕など、なかなかできることではありません。はぁ?、世の中には出来た人がいるもんだと再度感心してしまいました。

そういえばイエはてなでも様々な自主的な活動でマチを明るくしていくような取り組みが紹介されていたなと思い出し、私も何かをやってみようと考え始めました。とりあえず百均でトングを買い、マチのゴミ拾いに出てみましたが、いやぁ、実際にやろうとすると、これは勇気が要りますね。初日はどうしても勇気が出せずに、ただマチをうろついただけで挫折でした。

後日再び意を決して出動。今度は例の良くできた男性を思い浮かべ、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと自分に言い聞かせて駅前へ。今度はしっかり活動することができました。

一度こうして何かを一つ乗り越えると、色々勇気が出てきます。今までは、あの人何か困っていそうだなと思っても、一声掛ける勇気が持てませんでした。困っているように見えるのは気のせいで、本当は何でもないんだ、そうだ、そうに違いないなどと無理に思いこんで無視してしまうのが常でした。しかし一つ乗り越えると、すぐに声が出るようになります。

「失礼ですが、何かお困りですか?」

こんな勇気が持てるようになったのも、世の中にはああいう人もいるんだから負けちゃいられないぞと、自分を奮い立たせることができたおかげです。彼はそんなふうに私を育ててくれた、名も知らぬライバルと言えるでしょう。

世の中には、他人に迷惑をかける行為や、自分のことは棚に上げて他人を非難するためなら、おどろくほど積極的に行動できてしまう人が少なくありません。しかし善意や思いやりに基づく行動は、勇気が持てずに躊躇してしまいがちだと思います。それを堂々と、しかもかっこよくやって見せてくれた彼は、どこの誰なのでしょう。あれから数回電車の中で見かけました。特に何か特別なことがあったわけではありませんが、鞄や傘の持ち方ひとつにも配慮が行き届いている雰囲気が伝わってきます。ああいう人を紳士と呼ぶのでしょう。これからも勝手にライバル視して、少しでも近付かせてもらいたいと思っています。


[179]猫のライバル Oregano

知り合いの家に、それは気だてのいい猫がいます。飼い主をとても信頼していて、普通なら嫌がる病気の時の投薬などもいい子でサッとさせますし、猫にありがちな人見知りもなく、来客にも愛想を振りまきながら、猫好きを増やすのに一役買っています。

それもそのはず、この猫はJAHA(日本動物病院福祉協会)の人と動物のふれあい活動(CAPP:Companion Animal Partnership Program)に参加しているボランティア猫ちゃんなんです。

この活動に参加するためには、飼い主も猫も共々に、JAHAが制定するかなり難しい認定テストにパスすることが要求されます。特に飼い主には、社会性やアニマルセラピー活動、動物の健康管理などに関するしっかりとした認識が求められ、認定に当たっては筆記試験も課されます。もちろん猫ちゃんも、病院などを訪問して活動するわけですから、それにふさわしい落ち着いた行動が取れることが必須です。

こちらがその認定基準ですが(pdfファイルです)、

http://www.jaha.or.jp/contents/modules/sect5/content/capp_therap...

これだけの条件を満たせる飼い主、そして猫は、ちょっと少ないのではないかと思います。

でも、この知り合いの猫ちゃんは、こうした難しい基準を全てクリアした「JAHA CAPP認定セラピー猫」なんです。もちろん過酷な訓練を経て調教された猫ではありません。知り合いは、元々この子にはそういう素質があったんだと言っています。その素質にプラスして、それを素直に伸ばしてやれる理想的な飼い主がいたから、こういう猫の鏡のような子に育ってきたんですね。

わが家の猫も、この認定セラピー猫ちゃんを目標に、いい猫になれるよう特訓中…ではなく(猫に訓練はできないことはありませんが、習性的に馴染みません)、飼い主である私が前述の認定基準を満たすような良き飼い主を目指すことで、飼い主の成長に連動して猫の鏡度が増していくような飼い方を目指したいと思っています。


[180]料理のライバル TinkerBell

最近ちょっとしたきっかけで、高校生の男の子と知り合いになりました。

この子がすごいんです。

とあるボランティア活動で一緒になった人なんですが、

活動のたびに自慢の料理を折り詰めにしてきてみんなに振る舞うんです。

それがすごくおいしい!!


私も料理好きですから、いろいろ料理について話し合いました。

そしたら高校生の男子なのに、並々ならぬ情熱を料理に傾けていることがわかって感動。

でもそれは将来プロの料理人を目指すとか、そういうことではないらしいんです。

ただ、自分が作った物をおいしいとたべてくれる人がいるとうれしいから。

ただそれだけで料理をしているのだそうです。


実際に料理をしている所はまだ一度も見たことはありませんが、

出来上がった料理を見れば、どんなにすごい腕前かわかります。

そして料理の一つ一つに工夫があります。

他人のレシピの再現ではなく、自分の料理としてのこだわりがこめられています。

何よりすばらしいのは素材を見極める目。

おいしさと安全にこだわって、食べる人の体を気遣う心が行き届いています。


最近私もこの子と張り合って、ボランティア活動のお昼に料理勝負を展開中。

事前にメニューを相談しあって、それぞれの料理がそれぞれの料理をどれだけ引き立てられるかを競います。

同じ料理をぶつけての対決ではなく、

お互いが引き立て合って一つの料理世界を完成させていく勝負ですから、すごく難しいです。

相手の料理を賞賛し尊敬しつつ、いかに自分の料理が主導権を握っていけるかというバトル。

まるで料理マンガのストーリーになりそうだと思いませんか?

もちろんこれは相手の提案です。

さすが高校生の男の子は発想が豊かですね。


今のところ、私は全戦全敗。

向こうは、そんなことないよ、今回はこっちの完敗だよ、なんて言ってくれることもありますが、

技術も出来上がりも私なんか足元にもおよびません。

思わぬ料理のライバルが出来て、今私は燃えています。ごごごごご(炎の音(笑))。


[181]>162 同い年の有名人 r-zone

スポーツ選手は体力とかの面で凄いので

同い年としてはもっと鍛えないとなと刺激になります。

まだまだ若い選手でも海外へ行ったりと世界が広いなと感心します。

それに比べて、まだまだ自分は小さいなと勉強させられます。

同い年の人が頑張っている姿は、励みになりますし

自分もこの世界で1番になりたい!と勇気づけられます。


[182]>134 母は強し! r-zone

母親ってホントに強いです。

精神的な強さはどう頑張っても勝てないだろうと思ってます。

なにがあっても動じない強さは家族に安心感を与えてくれます。


[183]>180 料理のライバル koume-1124

作った料理をブログにアップしています。

友人もみんな料理を載せているので、写真の撮り方、料理の見栄えなども気にしながら作っています。

誰よりも美味しい料理を作りたいので、段々と料理の腕も上がってきました!

競い合う仲間がいるのは上達の近道ですね。


[184]>153 同期のライバル koume-1124

同期には悩みも話せるので

良い相談相手でもあり、良いライバルです。


[185]>179eiyan

猫はわがままのもの。

猫の教育には手がかかる。

その猫が躾の鏡なら飼い主は誇りですね。


[186]>175 ライバル eiyan

ライバルはよい意味でも悪い意味でも自分の研鑽に磨きがかかりますね。

最近は無線よりパソコンネットが普及して久しいですが、無線とネットがドッキングした技術が重要です。

いつまでもライバルでいて下さいね。


[187]>176 特技 eiyan

小さな子供幼児から世界の国旗や首都そして県庁所在地等々覚えるのが得意な方がいますね。

鉄道駅の連呼や県の花や県のマーク等を覚える人もいますね。

これらはいずれも見事なものです。


[188]>143 男女ライバル eiyan

最近は男性が女性になったり、女性が男性になったりしますが、男女の特質は全く異なるものです。

それが又憧れ心を産むものです。

ライバルと見立てた男女の研鑽を後押しするのも良いですね。


[189]>178 勇気 eiyan

勇気はなかなか出ませんね。

人が見ている所では格好ばかり気にしてしまう。

それが出来るのは勇気多有ですね。


[190]>183 料理のライバル twillco

私の料理のライバルは母親です。

親しみ慣れた母の味を再現したくて我が家で1人、奮闘中です。

母の味には叶わないと思うんですが、少しでも近づけるように毎回努力はしてます。

たまにご飯を作った時には、褒めてくれるんですが、まだまだ勉強が足りないですね。

いつかは母を越したいです。


[191]>168 部活のライバル nakki1342

自分も一時期

部活動をしていましたが、ライバルというよりは憧れの存在の人がいて、頑張ってたものでした。

同じくらいのレベルの

同級生がいたらもう少し頑張って練習してたのかなと思うときがあります

関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ