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生きることの意味は何ですか?5年生存率が25%の人間が生きる意味は何だと思いますか?治療ばかりが続く生活で、生きていることの意味は何ですか?

いろいろな方の意見を聞けたらと思っています。生きること、死ぬこと、病気や健康について、みなさんの考えていることを教えてください。

●質問者: sakrambom
●カテゴリ:医療・健康 人生相談
✍キーワード:ぬこ 人間 健康 意見 治療
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 66/66件

▽最新の回答へ

[1]意味なんて無いよ garyo

後付でもいいから自分でつけるしかないだろ


[2]>1 なぜ生きるか garyo

ではなくて、

「どう生きるか」しかないだろ


[3]意味も義務も役割も無い kaz

何かあるから生きているなんて事はない。

ただ、生きているだけ。

オレが生きているのは

たまに読む本が面白いとか、美味いもの食って嬉しいとか、

考えてたアイディアが仕事で活かせて嬉しいとか、そんなこと。

他の人にとっては意味と呼べないような事ばっかりだろうし、

自分自身も「これがあるから、これをやりたいから」ってのも無い。

でも、飽きるまでは生きていたい。


[4]可能性 ushigara

気持ちの振れ幅をもてあましつつ、治療を受けずにきている

慢性的な空虚感を抱えている個人的な意見ですが。

生きることは「可能性を捨てないこと」なのだと近年思っています。

意味は考えずとも生きたいのなら、生きていればいい。

意味は考えずとも死にたいのなら、ちょっと考えてからの方がいい。

じっくり考えて、それでも死にたいときは

自分の中に残された可能性を拾い上げていきます。

「自分が出来ることは?」

「やってみたいことは?」

それら全てを捨てる覚悟するのが、死ぬことです。

もちろん死んだ後に自分の残された可能性に気づいたとしても

身体がなければどうにもならない。。。

死ぬ時には、残されていたことに気づかないで失ってしまった

「可能性」というリスクもあることは覚悟の上で。


5年生存率が25%の人間が生きる意味は、

その5年間をどのように考え、感じていくかということ?

治療ばかりが続くことで、可能性が見えなくなることもあるだろうし

治療を見つめることで、その先の可能性を信じ続ける人もいるだろう。

可能性が見えなくなり、信じられなくなったりした時には

意味もなく死に向かう気持ちになることもあるだろうけれど

それが永遠に続くことなのか?変わらないか?誰も分からない。

ただ確実に言えるのは、

死に至ってしまえば、可能性はなくなりやり直しもきかないこと。


最後の言葉を噛みしめて、

何度か踏みこたえたことがありました。


[5]他の人の希望になる iikai

あなたと一緒に過ごしている人があれば、

あなたが生きておられることが、お互いの存在を認め合うことになる。

あなたと一緒の時期に通院していた方から見れば、

あなたが生きておられることが自分の希望にもなる。

あなたが生きようと頑張っておられるのを見て、

自分の時間の大切さに気付く方もある。

締め切りがあるから原稿が書けるように、

「限られた命だから輝く」と言うことは簡単だけれど、

あなたが「意味も無く生きている」と思っておられる毎日であっても

他の人から見たらそのままで十分に価値はあるんだと思いますよ。

お疲れの時には治療をお休みされるのも良いと思います。

どうぞご無理はなさいませんように。

穏やかに日々を過ごされます様お祈りしています。


[6]親孝行 sainokami

親より先に死ぬのは親不孝


[7]>6 ちょっとでも sainokami

ちょっとでも長く生きるのが親孝行


[8]>7 家族の支え tnkunn

家族を支えるためですね


[9]>8 かなしませたらあかん sainokami

家族を支えるためというか、親を悲しませたらあかんという感じです。


[10]連綿と haibara557

なぜ、自分がここにいて、いま、ここに生きているのか。

それは、父母、祖父母、曽祖父母……と、連綿と、生が、遺伝子が受け継がれてきたからです。

それ以上でも、それ以下でもないと思います。

将来のことなど、誰にもわかりません。健常者にだってわかりません。当然です。その上で、みんな生きています。

何もしなくてもみんなやがて亡くなります。それが生です。

一生のうちに、何を考え、何をおこない、何をしでかして生きるか、それは人の勝手ですが、賢明な生き方というのもがあるとは思います。

何に価値を見出し、何に重きを置くか……。

しかし、それを見出すのも自分次第です。


[11]与えられたもの y_u_n_o

であって、逆らえない事 だと思います。奇跡的でも治るものは治るし、その逆もあるはずですし… 何年生きるかではなく、どう生きるかなのだと時々思うことがあります。


[12]>2 難しい話ですよね。いや、まったく。 kyokusen

『生きる』事そのものには価値はないと思います。逆に言えば、価値がないからこそ価値があるともいえるのかな、とも。

『生きている』という事そのものはやはりかけがえのない事ではあります。でも、ただ『生きている』のではやっぱり意味は無いですよね。

どう生きるか。やっぱりそれが重大事だとは思います。

その為にはやはり生きている必要がある訳で、その為にも必要な治療というものはあると思います。もちろん、やりたい事をやる為の治療というものもあるな、とも。疼痛管理とかそうですよね。

現在私もがんじがらめで身動きが出来ない状況で、ギギギギという気分ではあるのですが、まぁ、生きている訳だし、生きていかなきゃならない訳だしと思いながら日々を送っております。


[13]増えること IlO10l0Il

人間に限らずすべての生命は増えることを目的とし、そのための進化を遂げています。

子供を作ることだけではなく、死なないだけでも数の総数として増えることに貢献しているわけですから、治療することに生物学的な意味はあると思います。


[14]あなたは生きることに意味が無い世界が怖いですか? I11

へぇ25%も生存率があるのか。そりゃすごいや。それでは100年後の生存率0%の私が、読んで良かったと思った『よのなかのルール』宮台真司著「意味なき世界をどう生きるか?」より抜粋。

あなたは、「この世界に意味はあるのか」とか、「人生って何のためにあるの」とか思ったことがあるでしょうか。ここでは、自殺した一人の青年ののこしたノートを通して、「生きる意味」について考えてみたいと思います。

世界が無意味なら自殺するのか

何が2人を分けたのか

1997年5月、僕の本の愛読者だったという自殺した青年、A君の取材のため新潟へ行ってきました。

《略》

A君は中学生になると、B君に「すべては無意味じゃないか」と問い掛けるようになります。どんな会話も先が読める。こう言えばこう返すと分かる。何をすればどうなるのか分かる。そういうふうに言うと、友だちの多くは「そんなことはない、意味はちゃんとある」と答えますが、B君だけは「当たり前さ、世界に意味なんかない」と答えます。そのことが理由で、それから以降2人は親友同士になります。

A君は少女みたいなカワイイ外見ですが、B君はまっ金々の髪にピアスのストリート風。2人とも見栄えも頭もいいので、つるんでナンパをすると成功しまくったようです。はたから見ると欠けたところがなく、しかし「世界は無意味だ」と納得するという共通項をもった2人ですが、高校を卒業して、A君は上京して大学に進学する道を選び、B君は大学に行かないで地元で就職する道を選びます。この時点で初めて2人の違いが明らかになりました。

A君は「東京に『実験』しにいく。確かめたいことがある」と言うのに対し、B君は「地元でできないことが東京でできるとは思わん」と返します。そんなB君に、A君は「どうしておまえは伸びきっとゴムのようでいられるんだ」と呟いたといいます。2人の違いはこんなふうに言うとわかりやすい。A君は「人生はそこそこ楽しい、でも世界は無意味だ」と言うのに、B君は「世界は無意味だ、でも人生はそこそこ楽しい」と言う。2人は似ているようで、決定的に違うのです。

東京に出てきたA君は、路上ナンパやテレクラや風俗を通じて、数多くの女性たちと匿名的に(名前を隠して)出会い、交流して、各女性たちの「カルテ」を記録していました。会話のノリ、相手の自尊心や劣等感など、いろいろ記していますが、面白いのは、相手からもらったものと自分が与えたものととの「収支決算」が書いてあること。つまり、自分の方が楽しめたと思った場合は黒字、相手の方が楽しんだと思った場合は赤字、ということです。いつも赤字でした。相手を楽しませる割には、自分自身が楽しめない苦悩が滲んでいるようです。

自殺する2週間前、A君はテレクラを通じて、Cさんという同じ年頃の女性と出会います。リストカットなどを含めて自傷癖(自分を傷つけて自分の存在を確かめる傾向)のある子で、決して「軽い」子ではありませんでしたが、A君は、Cさんの豊かな感情の幅や、肩書きや身分とは無関係に、相手の本質と向き合ってコミュニケーションする力に驚嘆し、「自分は理想的な女性に出会った」とノートに記しています。しかしその直後、A君は自殺するのです。

知り合いの心理学者に「理想的な人間に出会って死にたくなる、などということがありうるのか」と尋ねました。答えは「ある」。単に理想を思い描いていた段階から、理想が現実に存在することを知る段階に進むと、かえって自分が理想から遠いことが深い絶望を引き起こすことがあると言うのです。A君はおそらくCさんに「無意味な世界をそこそこ楽しく生きられる」理想的存在を見出し、自分を振り返って絶望したのではないかと言うのです。

A君は、目標に向かって突き進んでいて、それが挫折したのではありません。つまり「意味を求めて得られなかった」のではない。彼は小さいころから、無意味を納得しています。むしろ彼は「意味の無い世界を、どう生きたらいいか分からずに」苦しんだのだと思います。A君の悩みは、実はかつての僕自身の悩みでもありました。だから人が無意味な世界をどう生きていくのか知りたくて、A君と同様にテレクラにはまった過去があるのです。

「人生はそこそこ楽しい、でも世界は無意味」というA君。「世界は無意味、でも人生はそこそこ楽しい」というB君とCさん。実は似たような違いを、僕は別な場所で経験してきています。僕は、いろいろなところで講演するのですが、そこで意味にすがって生きる者たちはの「意味の空洞ぶり」を指摘して叩きのめすようなことを、続けてきています。すると、女の子の多くは「やっぱり自分が思っていた通りだったんですね」となるのに、男の子の大半は「僕はどうやって生きればいいんですか」なるのです。

その理由を、僕はこんなふうに考えています。男は以前から、天下国家のため、立身出世のため、世のため人のために生きることになっていました。意味追求的な生き方が推奨されていました。でも右肩上がりの近代過渡期(重化学工業が急展開し、都市化が進んでいく時期)になると、そういう生き方は難しくなっていきます。

頑張れば、国も地域も会社も家族も自分も豊かになるという時代は終わりました。これ以上豊かになる(ために頑張る)ことよりも、コミュニケーションを今ここで楽しめるような生き方が重要になってきます。もしもし女の子は、天下国家や立身出世から見放されていたこともあって、「今ここ」のコミュニケーションを楽しんで生きることの達人です。ところが男の子は「意味のゲタ」の歯が折れて、右往左往せずにいられません。

《略》

こうして比較してみると、成熟社会を生きるために男の子が学ぶべき課題がはっきりしてきます。遠い未来のために現在を、不透明な社会のために自分を、犠牲にするのはヤメて、「今ここ」を楽しく充実して生きるべきこと。「今ここ」で世界と自分の折り合いをつけるために??世界とシンクロするために??いろいろと試行錯誤するべきこと。そういう努力を積み重ねることで、男の子は、ようやく女の子に追いつくことができます。

「意味」の充実とは別の種類の濃密さを「強度」と言います。これはポスト構造主義という哲学の概念で、フランス語でアンタシンテ、英語でいうとインテンシティ(intensity)の訳語です。「密度」とか「濃密さ」と訳したほうが分かりやすいかもしれません。もっと簡単に言えば、意味とは〈物語〉、強度とは〈体感〉に相当しています。なぜなら、〈物語〉は過去から未来につながる時間の展開が重要ですが、〈体感〉は「今ここ」が重要だからです。

これはもともとは、19世紀の哲学者ニーチェの「生の歓喜」という概念にルーツがあります。ニーチェは、「意味が見つからないから良き生を送れないのではなく、逆に、良き生を送れていないから意味にすがろうとするのだ」と言いました。そういう生き方は、2000年前に出現したキリスト教が「生きることの意味を考えはじめた」ところから始まると考え、そういう生き方しかできない人間たちのことを「弱者」と呼んで、軽蔑しました。

たしかに僕たち自身を振り返ってみても、僕たちの歓びの大半は、意味とは関係ありません。レシピ(うんちく)に意味があるからこのラーメンは美味しい、という人がいたら可笑しいでしょう。踊って気持ちがいいのも、意味があるからではありません。ゲームで興奮するのも、スリルやスピードが気持ちいいのも、意味とは関係ありません。ただひたすらに楽しく、気持ちよく、充実しているわけです。

《略》

昔は、「意味を求めても得られない」人が追いつめられました。今は、自殺したA君のように、「強度を求めても得られない」人が追いつめられます。今の若い人たち、とりわけ激しい受験をして一流校に進学する人たちを見ると、A君のように追いつめられないのは、強度を獲得できたからではなく、逆に、単に問題を「先延ばし」しているからです。もしかすると意味が無いのではないかと思いながら、勉強で時間をつぶして、先延ばしする。

僕から見ると、先延ばしするのは非常に危険です。先延ばししても何もありません。何かあるという状態に到達できる人は、一握りだけです。受験戦争の勝者が一握りなのもありますが、ダウントレンドの成熟社会では「いい学校・いい会社・いい人生」という安全な道が必ずしも期待できないからです。先送りせず、若い時分から試行錯誤して、世界とうまくシンクロして強度を引き出すやり方を身につけないと、将来確実につらいことになります。

《以下略》

人生の教科書 よのなかのルール

http://d.hatena.ne.jp/asin/4480420851


[15]細く長く、太く短く kuroyuli

私自身は余命を宣告されたことがないので伝聞でしかありませんが、余命を宣告された方の中でその後の生き方・考え方ががらりと変わったという方は多くいらっしゃると思います(映画では黒澤明の「生きる」などが有名かと思います)。

そしてそれも多くの場合、「細く→太く」「浅く→深く」という変化だと思われます。生きることの意味など深く考えずに生きていた方が、「生とは何なんだろう」と考え始めることも「太く生きる・考える」方向への変化だと思います。

治療が続く中 体を動かしての活動は難しいかも知れませんが、「考えを深める」「話すこと、書くことを通じてその考えを他の人に表現する」という頭脳活動は以前より太く行えるのではないかと推測します。

その考えがご家族、ご友人、また一般の方に影響を与えることがあれば、それもまた「太く生きる・考える」方向への変化なのではないかと考えます。


[16]自分がそうなると、、、 rafting

自分がそうなると、毎日考えて考えて、うんざりするかもしれませんね。


[17]人間も動物 JAJ_12454

意味があるとしたら,動物と同じように種を絶やさない事じゃないでしょうか.

生まれる,生きる,子孫を残す,死ぬ.

その繰り返しの中で進化していく,というのが生物のありのままの姿でしょう.

ただ人間は頭が良すぎるので,考えすぎるんですね.

そういった観点からすると,自分は生きた印を何か世に残せれば満足です.著書なりアートなり子孫なり.


[18]幸せを感じる事をする or/and 生きる意味を探すこと TREEG

生きる意味は大きく分けて2つあると思います。

1つは、直近の自己満足。

1つは、哲学的な意味の追求。

深く考えれば、どちらも後者に集約されそうですが・・・

直近の自己満足。

これも今生きている事を実感でき幸せを感じられるのでありだと思います。

死ぬまでに一度は見ておきたい、やっておきたいことなど生きている事に意味を見つけられるかもしれません。

例えば、どうしても見たかった景色や映画を見る。徒競争でXXmxx秒で走り切るという目標を達成する。子供や養子をもうけたり、財団を作り自分の意思を継がす。死ぬ気にならないと出来ない事をする(全財産を社会貢献へなど)。

上記で満足できなければ、やはり、こちらでしょうか?



哲学的な意味の追求。

具体的に言えば、なぜこんな質問をしたのか?なぜ、そんな疑問を思いついたのか?そんな事が分かれば解決する問題です。

例えば、

なぜ、そんな(生きる意味は何?という)疑問を思いついたのか?>病気になったから

なぜ、病気になった?>DNAが損傷した

なぜ、DNAが損傷した?>紫外線に当たった

なぜ、紫外線にあたる必要があった?>仕事・レジャーの為仕方なく

なぜ、仕事・レジャーをした?>生きるため・愉しむため

なぜ、生きる・愉しむ?>脳がそれを欲しているから

なぜ、脳がそれを欲した?>シナプスや分子の相互作用

なぜ、分子やシナプスはそう振る舞う?>

なぜ、原子は存在してる?>

なぜ、エネルギーはこの世の中に存在してる?>

なぜの答えになぜを問いかけ、全てに答えが出ればすっきりするでしょうが、これの答えはまだ出ていないと思います。

その意味を見つける事ができれば、生きる意味が見つかると思います。

直近の目標としては、これらの生きる意味を見つけるまでの過程は長い期間が必要と予想されます※ので、超長寿命(所謂、不老不死)の実現に役立つ事がとりあえず、生きる意味だと思います。

まずは土台作り(時間の確保)をして、これが実現されてから、なぜの意味を探し始める方が見つかる可能性が上がる気がします。

なお、その答えが見つかると楽しくないという人がいますが、そこから先の生きる意味は、これらに答えを上手に活用して、今までにない面白い目標なり意味を見つけられるのではないかと思っています。

※私や貴方を含め、歴史上多くの哲人が探し、誰もが共有し合える、これだ!という答えはまだ見つかって無いわけですから、つまり、過去数千年程度では見つからない難問だと思います。つまり、百年程度寿命が延びても見つからない可能性が高い。

故に、超長寿命(所謂、不老不死)を実現する必要がある。

http://pia.skr.jp/hp/what_do_you_live_for/


[19]確率・統計に惑わされてはいけません gekikawa

5年生存率はあくまでもこれまでの統計結果ですからこの数字に振り回されるのはナンセンスです。

5生が90%だとしてもその疾病で亡くなる方もいらっしゃる訳ですし。

自暴自棄になるのではなく、やはり自分がやりたい事をするというのが一番だと思います。

またこういったケースでの治療というと、つらく苦しいというイメージが付きまといますが主治医とよく相談・もしくはセカンドオピニオンを求めて自分が求めているものにより近い治療を提供してもらうのが良いと思います。


[20]楽しんだもん勝ち ATSUSHI-03

死ぬことを恐れて生きてる人生が楽しいか?食う飯がうまいか?希望が持てるか?

生まれたということはいつか死ぬこと。

ならその死ぬまでの時間にどれだけ自分は輝けるか?それが人生であると信じている。


[21]>14 「教育」がそう「教えて」ますからね。 myogab

「教育」の世界では、永続・不変の「真実」にしか価値を認めないよね。それ以外はバツであり零点。


その価値観の元では、例え100年後生存率が0%であることを認めていても、感覚的には永遠に死なない前提のまま、動物的実感の中でしか生きていゆけない。


以下は不穏当な喩えだけれども、軍事的には、特攻隊も戦略的価値がある。この価値観の元では、寿命の短さは無駄の判定基準にはならない。アンビバレントながらも、今はこの価値観が失われているからこそ、寿命の短さを短絡的に生きる価値の無さと直結しちゃうんだろうと私には思われる。十字架を背負って歩いたキリストは、どうせすぐ死ぬから価値がない…とはならないでしょう。二千年の後にもその意味と価値は薄れていません。


残り寿命が五年でも、生活が充実していれば楽しめるし、その存在が周囲に対し役立っていれば、その価値は承認される。そして死んでも、その恩恵は残る(故に人は、故人に対しても、時に「まだ生きている」と表現する)。

残り寿命が50年残っていても、100年あっても、生活が充実していなければ苦しいし、生きる意味を見出せないだろうし、何の役にも立てていなければ、その存在価値は社会から承認されはしない。だから、今、死ななくても、すでに死んでいるも同然というか、死人以下の存在として扱われる。



生きることへの意味を立てるのに「治療ばかりが続く生活」がキーになっているところを見ると、こう考えているのではないでしょうか? 「病が治り健康にならなければ、有意義なことは何もできない」…と。

それはこんな価値観とも通じている「子供は勉強だけしていればいい。すべては社会に出てからだ。」とか。「昔で言えば女・子供…病人や障害者を含め…健常で一般的な基礎体力を持ち合わせていなければ…、意味あることは何事も任せることはできない。」…そう考えているのに、どこか似ています。


「○○しなきゃ、××できない。」

「□□でなきゃ、△△できない。」


そういった暗黙の前提が、強くあるのではないかと伺えます。

本当に「○○しなきゃ」「□□でなきゃ」は不可分な事なのでしょうか?

治療中であったとしても、やれば案外できることも、結構あるのではないでしょうか?


[22]>20 まぁ、そうなんだろうけれども…、 myogab

そうは考えられなくなってしまった者に対しては、

勝ちも負けもない。楽しむことを勝ちだなどとは

まず思えやしない。と思う。


周囲がそのような価値観を振りかざすことは、

むしろ、生きる事への執着を萎えさせる結果に

なるのではないか…と、私は考える。


自らを輝かせたい者は、往々にしてその輝きの対比としての

陰を周囲に求める。そのように配された陰は、より陰を強く

強調されることになる。滅入る。

これは、虐める者が自らの行為をイジメだと感じないのに

どこか似てもいますね。


[23]未来のことを知るために生きる gfh01137

生きる意味とはちょっと違うかも知れないけど、自分の場合は未来に何が起きるかを知るために生きてます。

1年前に死んでたら民主党政権になったこともわからないし(別に知ってどうだってこともないんだけど)。

明日はどんなことが起きるのかなぁ、本当に高速道路は無料になるのかなぁ、ドルは90円割れるのかなぁ、うちの子供はどんなおとなになるんだろ。

長く生きると未来が過去になるので、そんな知りたかったことがわかります。


[24]70ぐらいのおじいさんが sarumi

「夜寝る前に、ああ今日も生き延びたなあって

確認するのが日課になってる」と言ってるのを聞きました。

私はまだ20代なのでその言葉にぴんとくるものはなかったのですが

深い・・・かもしれない と思います。


[25]ライフイズフリー S-L-Masaki

声優の新谷良子ちゃんの「ライフイズフリー」という歌に、こんな歌詞がありましたので掲載します。

「いきてるだけでいい いきてるだけでいいんだよ」

また、TBSラジオの荒川強啓さんの番組でこんな川柳がありました。

「ちょっと待て 今すぐ死ぬな いつか死ぬ」


[26]>25 そうですよね sakrambom

生きてるだけでいいんですよね。それは分かります。でも改めて「いいんだよ」と言われると安心しますね。川柳のほうは面白いですね。微笑んでしまいました。


[27]>24 わかります sakrambom

私も毎朝起きると、今日も生きてるなぁって思います。


[28]>23 未来にあまり興味がない?? sakrambom

このコメントを読んで、自分に「未来を知りたい」という欲望があまりないことに気づきました。未来を知るために生きる、、、なるほど。子供がいる方はなおさら未来が気になりますね。


[29]>22 輝き sakrambom

「死ぬまでの時間にどれだけ自分は輝けるか」には同感です。私も、死ばかりを怖れた人生ではつまらないと思います。ただ、病気で身体の自由がきかなくなったとき、もう自分の力では起き上がれなくなったとき、どんな希望をもてるのか、どんな風に輝けるのか、そんな疑問があるのです。


[30]>21 命の問題 sakrambom

「病が治り健康にならなければ、有意義なことは何もできない」…と。

それはこんな価値観とも通じている「子供は勉強だけしていればいい。すべては社会に出てからだ。」とか。「昔で言えば女・子供…病人や障害者を含め…健常で一般的な基礎体力を持ち合わせていなければ…、意味あることは何事も任せることはできない。」…そう考えているのに、どこか似ています。


>へぇ25%も生存率があるのか。そりゃすごいや。

そうなんです、自分自身のことではないと、誰でもそうやって冗談にできますよね。

みんな人生80年、死ぬのはずっと後だと思ってるんです。

ましてや病床で管につながれる日が、明日だなんて思っていない。

命の問題を先延ばしにしていると、病気になってから苦悩すると思うのです。

>「○○しなきゃ、××できない。」

病気でもできることはたくさんありますが、諦めることもたくさんあります。

生きていなきゃ、呼吸できない。

生きていなきゃ、家族と話せない。

生きていなきゃ、何もしてあげられない。

生きてこそ、健康だからこそ、ということはたくさんあるような気がします。


[31]>9 自殺じゃなくて、病気の話です sakrambom

病気になって、家族の面倒が見られなくなって苦しんでいる患者が、さらに親不孝をするために自殺をするようなことはありません。


[32]>3 やっぱり意味なんてない sakrambom

予想以上に「意味なんてない」と考えている人が多いことにびっくりしました。そしてなんだか安心しました。飽きるまで生きる、っていうのはいいですね。


[33]>5 ありがとうございます。 sakrambom

私も母の看病をしているとき、たくさんのことを学びました。

最期まで頑張って生きようとする姿に、まさに「輝き」をみた気がします。

最期は、支えてくれた人のために生きる、それが人生なのかもしれません。

温かい回答、どうもありがとうございました。


[34]>4 可能性を無駄にしない sakrambom

「可能性を捨てないこと」という考え方は響きました。「自分が出来ることは?」「やってみたいことは?」そう考えて、つぎつぎにアイディアが浮かんでくるうちは、生きているということなのかもしれません。

まだまだ、やりたいことも出来ることもたくさんある、それなのにその「可能性」を捨てなくてはならない病気というものが、、、なかなか受け止められません。死にたい、と思っている人に対してかける言葉はわりと多いのに、死にたくない、と生にしがみついている人には、あまりピンとくる言葉がないような気がします。やはり仏教などの「悟り」になってしまうのかもしれませんね。


[35]>16 その通りで、、、 sakrambom

他人の病気と自分の病気は全くちがいますよね。

親でも子でも、余命宣告は自分のものでない限り、なかなか実感がわきません。


[36]>10 自分次第、ですね sakrambom

やがて亡くなる、、、そうですよね。みんな死んでいくんですよね。だけどなぜか「生の意味」が気になってしまったのです。なんで生きるんだろう=なんで死んでいくんだろう、という疑問なのかもしれません。


[37]>31 病気でも sainokami

病気でも同じ。いるだけで家族にとっていは良いのですから。


[38]生きる価値 amatwoo

自分が死ぬと悲しむ人がいるなら生きる価値はあると思います。

もしそんな人がいなくても私は悲しくなります。


[39]なぜ治療してくれるのか haibara557

自戒を込めて言わせていただきますが……、

なぜ、手間をかけて、時間を割いて、治療をしてくれるのでしょう?

それは、あなたを、あなたの命を大切に思ってくれているから。

あなたに手をさしのべる人がいたら、

あなたに声をかける人がいたら、

これも同じく、あなたを大切に思っているからですよね。

私も質問者さんのような疑問を抱いたことがあります。悶々として、苦しかったですね。

自分の周りの人の言葉や行為の温かさに、気付いていなかった(心が疲れていて、気付けなかった)、と今は思います。

もし、あなたを叱る人がいても、同じです。あなたを大切に思っているから。


[40]お風呂に入ってるとなんか幸せだから kata-kata

ネットができるし、はてなに質問したら暖かい回答がたくさんくるし、

ご飯はゆっくり味わうと一品一品がうまいし。

秋の朝の日差しは気持ち良いし、晴れた夜は星が意外ときれいだったり。

お風呂に入ってるとなんか幸せ。

そんなんで良いんじゃないですか。

将来なんて病気のこと以外でも予想外のことがたくさん起こるし、

気にしすぎてもしかたないかなあ。今日一日幸せでいいのかも。


ところで、病院には大勢のスタッフがいます。あなたの直接会った方以外にも、裏方まで含めると何十人ものスタッフが、あなたのために頑張ってらっしゃると思います。

その一人としては、あなたが病気によるハンディをできるだけ感じる事なく、幸せに生きて行ってほしいなと思います。


[41]屁理屈かもしれませんが dabloger

この世界には似たものはあっても、まったく同じ場所で同じ時間を共有する同一のものというのは存在しないのではないかと自分では思ってます。

すなわち、全てが違う条件で存在してると考えられます。無数の別存在それぞれにに生きる意味があるかないかを問うことは非常に大雑把で無数にある色を白なのか黒なのか分けることに等しいのではないでしょうか。

それに、生きる意味といっても、誰にとっての意味かということで答えは変わってくるでしょう。

親密な人にしてみれば、病気をされていても生きていることの意味は大いにあります。たとえ意志疎通のできない状態であっても、生きていることと死んでしまっていることには大きな違いがあります。

ただし、病気をしている人自身についてはご本人が考えるしかありません。その人の人生はその人しか責任がとれないのですから。


[42]>24 2連投すみません汗 sarumi

わたしの好きな歌です。


最後の歌 radwimps

http://www.youtube.com/watch?v=6iDbtI187Pc


[43]まずは、笑いましょう! to-ching

出来れば心から、出来なければ笑う真似でもいいです、兎に角笑いましょう!面白いDVDやテレビを観て(ばかばかしいと思っても)、出来れば寄席等に行きましょう。疑わしいと思っておいででしょうが、これは比較的簡単に出来る治療ですす。5年のものが6年に、7年になるチャンスはあり!今の貴方は笑うなんて・・・と思っているかも?でも笑うのです。私は宗教家でも癌専門の医師でもありませんが、是非やってみて欲しい!そのうちに心から笑える日が来るのを待っています!

何事も頑張らなくて良い、笑ってみましょう!そして、可能ならご飯食べましょう。好きなものだけで良いです。笑って、食べるこれですよ!騙されたと思ってやって見て!この二つ!


[44]>43 それから・・・ to-ching

これを書いている私も、他に書いている人も、まず必ず同じ状態になると思います。貴方だけでは無いと言う事もちょっと思っていてください。みんなそうなんです、そうなります。ちょっとの時間のずれがあったと思いましょう。まずは笑う!これだよ!!


[45]自分の時間 ebz

私の好きな言葉に『与えられた人生を、ただ黙って受け入れる』という言葉があります。

生存率とか、限られた時間がわかっているだけで皆一緒だと思います。

わかっていても、わからなくても決まっている自分の時間。

それをどう生きていくか ただ、それだけだといます。


[46]自然発生的に誕生した人間に生きる意味はないが、社会秩序を保つために意味付けするべきだと思う。 hiro_kun

宇宙が誕生して、地球ができ、ピカイア(人間を含めた脊椎動物の先祖らしい)や恐竜などの生物が生まれ、誕生、進化、絶滅と繰り返す中で人間が生まれ、、というようにすべて意味などない自然の流れだと思いますので、何か意味があって人間が生まれたのではないとおもいます、したがって人間に生きる意味はないと思います。しかし、生きてる意味がないならみんな殺してしまえ、とならないように、つまり社会秩序を保つために、子供(一人の人間)は、自分と配偶者の命の続きで、自分より大切な配偶者よりも大切に思わなければならない、というような普遍的な意味付けをするというか、そういう法律をつくる必要があると思います、、、、個人的に。


[47]生きることに意味を求めない。生きる意味を作っていく。 fumie15

私の経験で恐縮なのですが12歳で体が曲がる病気(命には係わらない)を発症し、26歳で2回の手術でペースメーカーを埋め込み、調整に3年かかって29歳でなんとかパートで働いています。

私は読書や勉強しかできなかったのでベッドの中に参考書を持ち込み、参考書をノートにまる写しし、勉強していました。大学で学びたいという気持ちからでした。幸いにも大学でもいい先生方に恵まれ、勉強することができました。

そのほかにも調子がいいときには障害者施設にボランティアに行ったり、毎週大学では子供たちと遊ぶボランティアをしていました。これは一番重い時に助けてくれた人たち(主に養護学校の先生たち)の気持ちを少しでも知りたいと思ったからです。しかし最後には私の方が障害をもった人たちや子供たちに助けられていました。


これらの経験から生きることに意味などないと思っています。しかし生きる意味を作っていくことはできると思います。

5年生存率25%の病の経験がない私には簡単には言えませんが、今生きる意味を作っていくことを考えてください。


えらそうなことばかり言って申し訳ありません。


[48]>46 人生の途中がどんなに悪かったとしても希望をすてず、死ぬ前に、生まれてきて良かったと思えることを目指して生きる hiro_kun

死ぬということは、『無』になるということで、霊やらあの世なんてものは存在しないと思っております。霊やあの世を商売に利用している個人や集団がもしあったとしたら、それは詐欺罪に該当するのではないかなぁとも思っております。


[49]>48 病気の最先端治療ではなく最先端医学で病気を防ぐ hiro_kun

病気だから薬だ手術だというよりも、病気にならないよう普段から気をつかう方が良いと思っておりまして、医食同源ともいいますので、日頃の食事と運動に気をつけるようにしております。


[50]>49 未病、という考え方ですね sakrambom

医食同源、まったくその通りだと思います。治療するよりも、予防するほうが何倍も効果的だと思います。いちど出来てしまった癌を治すのは難しいけれど、予防する方法はいくらでもあるんですよね。ただ、多くの人は、癌になってしまってから予防の大切さに気づくのだと思います。


[51]>47 ありがとうございました。 sakrambom

貴重なご意見、体験談をありがとうございました。「今生きる意味をつくっていく」という温かいメッセージに励まされました。与えられた意味なんて無いんですよね。みんな、自分で生きる意味をつくっているんですね。病気になってしまうと、混乱してしまって当たり前のことが分からなくなってしまいます。この質問も、自分では整理のつかないことを、あえて誰かに言葉にしてもらいたい、という気持ちがあったのかもしれません。

fumie15さんは、今はお元気で生活していらっしゃるようですが、手術や治療は大変なものだったとお察しします。お仕事もされているようですが、無理せず、ゆっくりがんばってくださいね。今回はどうもありがとうございました。


[52]>45 制限時間 sakrambom

そうなんですよね、誰にでも余命や寿命はあるんですよね。ただ、「生存率○○%」と具体的に数字になってしまうと、妙に焦ってしまうのが人間なのだと思います。どこかで、「人生80年」と思っている自分がいて、20代、30代、もしくはそれよりもっと若い時に自分が病死するなんて想像もしていないからです。


『与えられた人生を、ただ黙って受け入れる』

そうできたら、強いですね。私もいつかすべてを受け入れられるような強さを持ちたいです。限られた時間をどう生きるか、、、 そんなことを考える余裕があるだけでも有難いのかもしれないですね。


[53]>44 ありがとうございます sakrambom

実は笑っています!笑うと免疫力が高まりますし、なぜか病気でも心の底から笑えるのです。病気のことばかり考えて暗くなることもないですし、「生きる意味とは何か」を考えだしたのも、前向きに生きていくためです。

いっぱい笑って、いっぱい食べる。おっしゃるとおり、いちばん大切なことですね。それから「あなただけではない」という言葉にも励まされました。笑わなきゃいけないのに泣いちゃいそう 笑

笑います!いっぱい食べます!ありがとうございました。


[54]>41 本人にとっての生の意味 sakrambom

母が病気をして亡くなっていったとき、最期の最期まで生きていて欲しいと思いました。母を苦しい思いから解放してあげたいと思う反面、「解放」という「死」をどうしても受け入れられなかったのです。本人も生きたがっていました。奇跡という言葉を使っていました。家族も、みなが母に生きてほしかった。最期は意識不明になりましたが、それでも息をしていて、身体は温かくて、、、 あのとき母には「生きざま」を見せてもらったような気がして、生きることの意味を分かったようなつもりでいました。でも、死にゆく人にとっての意味は、残される人にとっても意味とはまったく違うものなんですよね。病気をしている本人が考える「生きることの意味」、、、これからもう少し考えてみようと思います。、、、最期はやっぱり、家族のために生きるのかな。


[55]一瞬でも鼓動がしたなら、それは大変なこと jozetora

高校生のときに良く考えてました。

殺人者の命の意味は?堕胎された命の意味は?レイプ魔、社長、裕福な人。。

結局わたしの頭が辿り着くのは、命が芽生えて鼓動が一瞬でもしたなら、すごい確率の産物で、それだけで十分なのではないかということです。


[56]>40 生きているだけで幸せ sakrambom

はてなの温かい回答には感動してしまいました。

みなさん、こんなにも心のこもった回答をしてくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。


「なんか幸せ」→「そんなんで良い」


そうですね。そんなんで良いんですよね。気にしないことが一番ですよね。

今は、ネットもできるし元気だし、気にせずにいられる状態なのですが、いずれ寝たきりになったり、自分自身を失ってしまうのかと思うと、ついつい質問したようなことを考えてしまったのです。


病院のスタッフさんにも本当に感謝しています。先生たちももちろんですが、看護士さんにも頭があがりません。そんな皆さんのためにも、というと恩着せがましいですが、病室ではいつも楽しい雰囲気で過ごさせていただいています。


[57]>39 ありがとうございます。 sakrambom

目が覚めました。


手をのべてくれる人がいるのに、

声をかけてくれる人がいるのに、

叱ってくれる人がいるのに、

そして何よりも愛してくれる家族がいるのに、

まだ「生きることの意味」を探していました。


周りの人が自分のことを思ってくれている限り、

生きる意味など考える必要はないのかもしれません。


たしかに、自分が愛している人に、

「僕の生きている意味って何だろう?」と聞かれたら悲しいです。

、、、この悲しみはどこからくるんでしょう?

人は一人では生きていない、ということですね。

思考がまとまらず、支離滅裂な返信ですみません。


[58]>38 人のために生きる sakrambom

生まれたときも死ぬときも、もしかしたら「人のために」そうしているのかもしれないですね。親に望まれて生まれる、愛する人を悲しませないために生きる、、、 周りの人を抜きにした「生きる意味」なんてないんですね、きっと。


[59]>37 人の最期 sakrambom

病気で苦しんで亡くなっていく人をみたことがありますか?愛する人が苦しんで、意識を失って、息をひきとる姿をみたことがありますか?


「いるだけで家族にとっては良い」というのは、その通りだと思いますが、人生は、「生きる」と「死ぬ」の二元論ではありません。最期には悶え苦しむ人もいるのです。私はもし自分が壮絶な闘病生活を送るとしたら、その姿を親には見て欲しくありません。「生きてるだけて良い」というのは、家族の本音だと思いますが、もし自分が意識不明で生きている側だったら?と考えると安易に肯定できなくなります。


[60]>19 ありがとうございます。 sakrambom

私も「余命」や「生存率」はあくまで統計だと割り切っています。ただ、やはりデータに基づいた数字なので、活字にすると重みがあるというか、笑い飛ばせないというか、、、 それであえて質問のなかに記してみました。なかには「そんなに生きられる可能性があるんだ!」と冗談にしてくれる人もいて、いろいろな意見が聞けてよかったと思います。セカンドオピニオンも聞いて、今は自分が納得のいく治療を受けさせてもらっています!


[61]>18 意味さがし sakrambom

そうですね。今まで「なぜ人は生きるのか」について、万人が納得する答えを出した人なんていないんですよね。

私も、ここにこの質問をしてから、「なぜ生きるのか」ということについて再度考えてみました。そこで気づいたのは、「病気になってから生きることの意味が分からなくなった」と思っていたのですが、実は以前から、生きることの意味なんて分からなかったじゃないか、ということです。はたして今まで、生きることの意味が「これだ!」と分かっていた時期があっただろうか??なんて考えてみたら、今まではただ単に、命の問題から目をそらして、思考を後回しにしていただけでした。

生きていることの意味を探す、「意味さがし」をするのが人生なのかもしれないですね。


[62]>11 どう生きるか sakrambom

理由を考える必要はないんですね。当たり前のこと?がわかっていませんでした。みなさんに意見を聞いてよかったです。


[63]>13 生物学的な意味 sakrambom

生物学的な意味ですか、、、 こういう考え方好きです。小さな蝶の羽ばたきが、やがて大きな風となる、というような理論みたいです。目に見えない「力の連鎖」「貢献」「個々の存在と全体」など、考えさせられることが沢山あります。


[64]>17 生きた証 sakrambom

「子孫を残す」は大切ですよね。私は病気でそれを諦めなくてはならなかったので、ますます「生きる意味」や「この世に生まれていきた意味」を考えるようになりました。いつかは子孫を残して死んでいくものだと思っていたので。子孫(遺伝子)も残せずに死んでいく自分を考えたとき、私の命の意味って何だろう?と考えるようになったのです。でも子供以外にも「生きた証」は残せますもんね!


[65]>15 太く、深く sakrambom

「考えを深める、太く生きる」という考え方、とてもためになりました。たしかに、物理的に出来ることが限られてきても、思考回路は自由ですよね。たとえばベットの上で身を動かさずとも考えは深められます。これまでとは違う視野が開けました。どうもありがとうございます! ※『生きる』は「深い」映画ですよね。病気になった今、もう一度観てみようと思います。


[66]>12 どう生きるか sakrambom

「意味なんてない」とバッサリ斬っていただいて、すっきりしました。もっと「自分はこんな意味だと思って生きている」という回答が多くなるのかと思いきや、あっさりと「意味なんてないよ」という方が多くて驚きました。

これからは「どう生きるか」について考えます。こちらは回答が出てくるので迷路に迷い込まずに済みそうです。

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