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日本航空(JAL)の経営支援に数千億かけるといったニュースを聞きます。
(個人的には日本に航空会社が複数あったほうが競争していいとは思います。とはいえ、日航が俺たちはいつも政府に守ってもらえると都市銀行みたいにタカくくったら無意味ですけど)

いつごろから、どんな理由で経営悪化してきたの(であろう)か、経営・営業策やエピソードを投稿頂けますでしょうか?

具体的な数字が無くてもOKです。「○○博の頃から地上サービスが疎かになってきた」とかでもOKです。
返信で、投稿されたエピソードへのご意見、同意・不同意などを頂ければと思います。

どうぞ、お待ちしています。

●質問者: pkb_wn
●カテゴリ:経済・金融・保険 旅行・地域情報
✍キーワード:JAL サービス タカ ニュース 意見
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 12/12件

▽最新の回答へ

[1]いまさら。 k3447h

私は昔、大手旅行会社に勤めていましたが、

入社当時は、日本航空は日本国営の航空会社であると思っていました。

これまで何度と無く繰り返された業績悪化があっても、会社を存続してこられたのは

ある意味、半民半官企業のそうした甘えがあったからです。


仕事で頻繁に日本航空のオフィスに行きましたが、驚きました!

そこに働いている女性達のほとんどが、「お局さま」と呼ばれるような

年齢の人ばかり。飛行機に乗ったときにお気付きになった方も

おられたかも知れませんが、客室乗務員もしかりです。

高額の給料と他の観光業界では考えられないようなボーナスの金額。

あれだけ湯水のように人件費を払っていたのですから、今回の事態には

驚きません。


国内の航空運賃にしろ、これまで日本航空がすべてコントロールしてきました。

世界にも稀をみる、信じがたい高額の航空運賃を日本の消費者は払わされて来たわけです。

国際航空運賃よりも、日本のような小さな島国の国内往復運賃が高いなど、常軌を逸していると

思いませんか?

その高額の運賃がどこへ行ったのかは言わずと知れていますよね。


[2]>1 3才の息子が「もう、おわりなの?」と言いました。ワタシもそう思います。 miminga

私の父は国鉄職員でした。

みなさまご存じのように内部にも労働組合がいくつもあり、政党とも結びついていました。当然物凄い内部闘争がある訳です。

その悪口やいじめの手口は大人げないなんてものじゃありませんでした。日航も労働組合の強いところだったと思いますが…今はどうなんでしょう?

結局国鉄は解体、父もそれと同時に退職しましたが、今民間企業に勤めている私から見たら、当時の父たちの「甘え」の構造がよく見えます。

もちろん労働組合は大切ですが、それに甘えて公共機関である電車を止めて仕事を放棄するなど、民間企業に取ったら死活問題です。半官半民の優遇に甘えてきたからこそ出来ることであって、普通の企業が出来ることではありません。仕事に誇りががあるなら、また経営的に企業の将来を考えて社員が行動するなら大企業といえど多くの人に迷惑がかけられるでしょうか?

先日、日経ビジネスの表紙を見た3才の次男が(彼は日経ビジネスが大好きです。車のCM写真が多いから。)、表紙にある日航のジャンボの機体を見て「もう、おわりなの?」と言いました。何にもわかっている訳ではありませんが、子どもの直感力は大人の常識を越えるところにあります。(怖いです)

この際、一度痛みを味わわないとダメだと思います。

(だからといってJRが大きく変わったかと言えば、組合がダメになったくらいで企業体質はお役人ですけどね。)


[3]1.もと国営で年金が足かせ、2.官僚主義、3.エアシステム併合 papavolvol

3点、述べさせていただきます。


1、

JALはもともと国営企業でした。

その頃の従業員は国家公務員並みの高給をもらっていました。その頃の従業員が今でも国家公務員の恩給に相当する年金を受け取っていて、その年金の支給がJALのキャッシュフローに致命的な足かせになっています。

2、

JALの管理職には、官僚主義がはびこっていて、前例重視、事なかれ主義、変化を嫌う風土があったと言われています。先日の日経新聞の春秋というコラムに、客室乗務員が機内販売でエプロンを販売しようと提案したところ、前例がないからと反対され、結果的に社長にお伺いをたてたという逸話が紹介されていました。

3、

JALが民間企業になると、海外の航空会社との競争のある国際線では収益を上げられなくなりました。そこで競争のあまりない閉鎖された市場である国内線に軸足を移す必要がありました。

実際、国内線中心のANAは収益を上げ、国際線中心のJALは経営が行き詰まりました。

JALは国内線を拡充するために日本エアシステムを統合しました。

しかし、都市間の人気路線中心のANAに比べて、日本エアシステムは地方の赤字路線をたくさん抱えていたのです。日本エアシステムの老朽化した機材と地方路線もJALの経営を圧迫しています。


[4]>3 日本エアシステムの統合は多分失敗 keino

薄利多売的な経営をしていたJASの路線を、高給取りのJALの人員で運行・管理することになるんだから赤字になって当然。

羽田⇔伊丹・関空や羽田⇔札幌といったドル箱路線は、統合することによって便数が多すぎると減便させられていいことは何もなかった。


[5]航空関連の国の予算が余りすぎで、地方空港を作りすぎ chuken_kenkou

採算の取れない地方空港への便を、運行せざるを得ない。搭乗率が何%かを切ると、自治体が補填するらしく、空港建設に関連する人だけが潤うのでしょうかね。


[6]>5 一日1往復しか来ない空港って結構ありますよね HISI

そういうところへJAL便を設定させられていたのか・・・。


国鉄だと、何度かまとめて赤字ローカル線は廃止になりましたね。

北海道の摩周湖近く、弟子屈飛行場は廃止になったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%9F%E5%AD%90%E5%B1%88%E9%A3%9...


[7]>4 国営時代のJAL、初めのころは国の威信を賭けて張り切っていたようですよね。 HISI

3社時代、羽田 - 伊丹・関空を何度か利用していました。

人のサービス・機材のサービスとも、JASが一番すぐれていた気がしていました。

ANAもまずまず。7時頃に出るANA便を特割で利用して、朝食ゲットしていました。


けど、JALは・・・

席は狭くて液晶モニタなどもなくて、地上・上空アテンダントの人も何となく公務員チックでそっけないし。

みんなイメージに踊ってJAL便に予約集中してるぜシメシメ・・・と思っていました。(もっとも、好き好きなので大したことではないのですけど)


[8]>2 平成生まれの子にはイメージできないであろう戦後日本の(昭和時代の)闘争が・・・ HISI

国鉄・労働組合というキーワードを見て、早速これが思い浮かびました。


youtube 『国電乗客暴動 - 1973』 上尾事件

http://www.youtube.com/watch?v=gsJGABoziAk


日経ビジネスが大好きなお子さん、すごいですね...


>「お局さま」

JALの女性に便の空席を問い合わせたとき

空いている便がJACか何かの便しかなくて、そのとき「グループ会社のは(彼らの便に乗っても)大した満足ないわよ」みたいな感じで返答されたのを記憶しています。

グループ会社なんだから、薦めたり励ましあうのがふつうの会社じゃないの?と思いました。

もちろんJALの人の全員ではないだろうけど、お客からすると何も関係のないことを鼻をかけていたりしますよね。

だいたいマニアじゃないんだからグループ間の格なんて知らないっつうの。。


[9]>6 え?? k3447h

この日本航空の問題で騒ぎ出してから知ったのですが、札幌には丘珠空港という小さな空港があります。丘珠といえば「たまねぎ畑」(地元の人はそう思っています)。小型プロペラ機やヘリコプターしか発着できない空港です。なのに丘珠空港はJALの所有物らしいのです。自分の会社の飛行機が使わないのに、他の小さい航空会社から離着陸料を取って」利益を上げているというのには びっくりしました!


[10]>8 びっくり! k3447h

この日本航空の問題で騒ぎ出してから知ったのですが、札幌には丘珠空港という小さな空港があります。丘珠といえば「たまねぎ畑」(地元の人はそう思っています)。小型プロペラ機やヘリコプターしか発着できない空港です。なのに丘珠空港はJALの所有物らしいのです。自分の会社の飛行機が使わないのに、他の小さい航空会社から離着陸料を取って」利益を上げているというのには びっくりしました!


[11]>7 日本を代表する航空会社でした。 papavolvol

むかしむかし、JALのニューヨーク行きは、機体の6割がビジネスクラスでした。日本企業ならば日本のために、日本製品を購入するのは当たり前、というわけで日本企業の出張はJALと決まっていたようですよ。インターネットも無く、Eメールも無くて、出張しないと会議も出来なかった時代の話です。

もっと昔は、JALのフライトアテンダントは、着物を着てサービスした事があったそうです。裏話で、ベルクロなどで簡単に着脱できる特性の着物だったと聞いたことがあります。


[12]1980年代・・・ db3010ss

1986年ANA国際線進出、1987年JAL民営化が転換点でしょうね。

1982年片桐機長逆噴射事件、1985年JAL123便墜落事件あたりから衰退の兆候はあったともいえるかもしれません。

1970年代以前は、国内線の目立つ墜落事故は全日空が多かったような印象があります。1966年羽田沖、1971年雫石、等。ロッキード事件も全日空だったしね。

ブランドイメージでは、断然「鶴丸」>>>「ダビンチ・ヘリ」だったですよ。

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