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【資本主義の発展について】エンゲルス「空想より科学へ」(岩波文庫P70)「(工場等の発達により、それまでは個々人のものであった)生産手段と生産は社会的なものになった。が、それらを規制する取得形態は個人的な私的生産を前提とする」の後段の意味がわかりません。規制するとは? 取得形態とは? 結局ミクロに見ると“作ってる”のは個人だということ? それからそのつづき、「すなわち各人は自らの生産物を所有し、」なくないですか? 工場を所有する会社のものでは?「それを自分で市場に運んだのである。」???「かくして生産方法は、このような取得形態の前提をなくしたにもかかわらず、」前提とは?「依然としてこれまでどおりの取得形態に規制されている」?????●●●平易でわかりやすい解説をお願いします。


●質問者: neyorawa
●カテゴリ:学習・教育 経済・金融・保険
✍キーワード:それから エンゲルス ミクロ 会社 岩波文庫
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● archi-holic
●27ポイント

自分の労働にもとづき、自分が所有する生産 → 大勢が分業して労働し、工場主が所有する生産

という変化を説明する箇所です。タイプの違う生産物が、同じ市場に存在しているときですよね。


用語のニュアンスと、だいたいの内容は以下です。

・生産物は、市場で売ることを目的につくられる訳だけど、(=取得形態による規制)

・その市場は、生産物が自分の手でつくられていることを前提にして成り立っていた。(=取得形態の前提)

・そこに、工場生産みたいな自分の手でつくられていないもの(=前提をなくしているもの)が出現したけれど、

・相変わらず、旧来どおりの同じ市場に向けて生産されている。


というわけで、平易に書き換えると、

生産手段と生産は社会的なものになった。でも、生産が目指すところの市場は、私的生産を前提としたままだ。

つまり、「各人が自分で生産したものを所有し、それを自分で市場に運んでいる」ということになっている。

こうして、生産方法は、市場が前提としていた私的生産ではなくなったのに、

依然として、これまでと同じ市場を目指してつくられている。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。


2 ● きょくせん
●27ポイント

えと、共産系の本はぜんぜん読んでないので前後関係がわからないのですが、以下の様に解釈します。

たしかエンゲルスは共産主義の方ですよね?


モノはそれまで個人が作って個人に販売していた。(村の鍛冶屋さんはせっせと鍬を作って農家の方に売ってた≒鍬を作るのは鍛冶屋さんの個人的技能。つまり私的なもの)

それに対して現在は工場が出来、生産が社会的になった。(鍬を工業的に生産可能になった。≒この場合個人的な技能は必要としない。乱暴な話だとは思うのですが、共産主義ではそう考えたはずです)

でも、工場で作られた製品は個人に販売されている。(工場で生産された鍬は流通経路を通って売られている。≒農家の方は鍬を従来通り買っている)

つまり、ご質問の文章はこういう意味だと思うのです。んで、社会的に生産されたものは社会的に販売というか、配給されるべきだ、という話になるのだと思います。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。


3 ● meefla
●26ポイント

エンゲルスの原文はそれほど難しいことを言っているわけではありません。

理解しずらいのであれば、読解力の問題ではなく、訳文の問題であると考えたいです。


一番良いのは原文を読んでいただく事だと思いますが、そうもいかないかもですので、念の為に

Socialism: Utopian and Scientific (Chpt. 3) から、該当する節を私訳してみます。


次に、大規模な工場における生産手段と生産者たちの集中が行われた。これによって、生産物および生産者たちは事実上、社会的な存在となった。しかし、社会的となった生産者・生産手段・生産物は、この変化の後でも依然として昔と同様に扱われていた。――すなわち、個人のための生産手段および生産物として、である。これまでは、労働のための道具を所有している者が、自分自身で生産物を占有していた。なぜなら、一般論として、それは彼自身が作り出したものであり、他人が手伝うのは例外的なことだったからである。今や、労働のための道具を所有している者が生産物を占有していることは変わらないが、その生産物は道具の所有者が生産したものではなく、他者の労働によって生産されたものなのである。これによって、社会的に生産された生産物は、生産手段を実際に動作させ、それを作り出した人々には所有されず、資本家のものとなっている。生産手段と生産物自体は、本質的には社会的なものとなった。しかし、これらを占有する形態は、個人が自分のために生産するという前提に基づいているものだ。つまり、誰もが自分の生産物を自分で市場に運んでいく時代のままなのである。生産の方式それ自体がこの占有形態を破壊したにもかかわらず、依然としてこの占有形態が残存しているのだ。


個人的にはもう少し改善の余地のある訳文だとは思いますが、私の訳の方が少しでもわかりやすければ、岩波文庫の訳文が悪いという事になります。

私の訳でもわかりにくければ、私の力不足ですので、原文(Socialism: Utopian and Scientific)をお読みになるか、岩波文庫以外の訳本を入手される事をお勧めします。

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