人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

火の国というと熊本県の肥後の国を指し、肥前は佐賀県・長崎県を指すようですが、なぜ肥前の一部、壱岐・対馬を入れて長崎県となったか、その経緯について書かれているサイト、史料などありましたらご紹介ください。
また、昔、火の国といっていた史料についても併せてご紹介いただけると助かります。

●質問者: owada
●カテゴリ:旅行・地域情報 芸術・文化・歴史
✍キーワード:サイト 佐賀県 史料 壱岐 対馬
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 6/6件

▽最新の回答へ

1 ● kaminarigorori
●19ポイント

「この国は火の国と呼ばれていた。」と古代史に書いてある。

長崎のことだ。普通、昔の名というと肥前と書く。肥後と合わせて「肥国(ひのくに)」と呼ばれていたのは周知の事である。「肥」の意味は土地がこえることであり、農耕民族からみれば実にありがたい名前であったのだろう。だがこの「肥」の文字は、昔の人がつけた当て字だったのだ。「肥」は実は「火」だったのである。火の国から肥の国になったのは、実は天皇の命令で、国の名前は好字で2文字にする事、いう命令があったので変わったのだが、これで皆さんがいだく長崎の古代のイメージが変わってくるだろう。

古代史にはこう書いてある。天皇が九州の視察の際、長崎方面に不思議な光を見て、「これは人間の火ではない。これで火の国という名前の由来がわかった。」と書いてある。つまり、かなり大昔から火の国と呼ばれていた事がわかる。不思議な「火」の可能性は2つある。1つは不知火(しらぬい)だ。熊本の八代海で見られる蜃気楼現象である。もう1つは雲仙の火山から吹き出す火炎だったのであろう。当時の記録は何もないので断言できないが、今よりも火山活動が活発だったであったろうと推測出来る。しかし「人間の火ではない。」という天皇の言葉はエピソードに過ぎない。異境としての「火の国」を表現していると解釈したほうが正しいだろう。

古代史から推測すると「火の国」の由来は雲仙岳がメインのように思われる。火山活動の事は勿論だが、その霊山ぶりが際立っているのだ。現在でも雲仙岳の周りの山には普賢岳、妙見岳と仏の名前が付けられている。普賢菩薩、妙見菩薩である。そうすると雲仙岳とは釈迦如来を意味している事になる。まさに霊山と呼んでもいいだろう。この「おやま信仰」は古代でも同じだったのだ。島原の雲仙岳を中心として長崎、佐賀、天草、熊本の一部が大和朝廷の力がおよばない異境「火の国」と認知されていたのだ。


それでは「火の国」は誰が統治していたのだろうか。雲仙岳は神の象徴だ。そこを統治出来る人物とは神に仕える者である。つまり「巫女(みこ)」である。ここまでは異論がないと思う。

たとえば雲仙が休火山であり、噴火もせず単なる神の象徴なら、その信仰を利用した強者が統治していただろう。だが雲仙は活火山だ。実際に火を吹き、地震を起こし被害をもたらす現実の脅威なのだ。その男性的な神に仕えるには女性つまり「巫女」しかいないのである。「火の国」の「巫女」が実際の統治者、つまり女王だったのである。

そんな人物が、古代史の世界にいただろうか。そう、あの有名な「卑弥呼」がそうだったのだ。「ひみこ」とは文字どおり「火の国」の「巫女」、すなわち「火巫女」だった。そうすると「火の国」とは「邪馬台国(やまたいこく)」となる。不思議な事に日本の古代史には「邪馬台国」のことは何の記述もない。御存じのように「魏志倭人伝」という中国側の古代の記録からわかった。現在もその場所は謎である。そしてブームと呼ばれる程過熱している邪馬台国論争は様々な事実をあばきだしている。その一つに「邪馬台(やまたい)国」と読まれているのは間違いだとの説だ。事実、「魏志倭人伝」には「邪馬台(やまたい)国」とは書いていない。「邪馬壱(やまいち)国」とかかれている。なぜ、やまたい国と呼んでいたかというと、「大和(やまと)」に読みが通じているからだ。だからこれまでの学者の説は「魏志倭人伝に書かれている「邪馬壱(やまいち)国」は中国側の文字の書き間違いで「邪馬台(やまたい)国」が正しい」と勝手に解釈を付けていた。呆れた話である。何としても「邪馬壱(やまいち)国」を「大和」までもっていかないと、日本の天皇支配の神話のつじつまがあわなくなるのだ。

そうするとこの「邪馬壱(やまいち)国」の名前の由来はなんだろうか。「邪馬」は「やま」であり、「山」である。「壱」は数字の「いち」だ。つまり「山が1つの国」となる。これはまさに「火の国」の形そのものだ。1つの山で成り立っている国を中国側は「邪馬壱(やまいち)国」と、見たままを国名にしたのだ。単純すぎるといわれるかも知れないが、五つの島だから「五島」と我々も呼んでいるではないか。

「邪馬壱(やまいち)国」のすなわち「火の国(長崎)」は信仰を1つにした宗教国である。そしてその国民は信者だ。力よりも信仰が優先する。「邪馬壱国」の強力さの秘密は信仰にあった。信仰の力がどれほど力強いかは、長崎人なら判るであろう。くしくも島原はキリスト教信者が集結した場所であり、天草四郎という不思議なリーダーを生み出した場所でもある。不思議なことだが歴史はくり返していたのだ。

歴史の中で、「邪馬壱(やまいち)国」は呆気なく消え去っている。それも謎である。推論だが1つだけその謎をとく鍵がある。それは雲仙岳の大噴火である。イタリア南部の古代都市ポンペイはヴェスヴィオ火山の大噴火で一夜で消え去ってしまった。

「邪馬壱(やまいち)国」も雲仙と供に生まれ、雲仙の大噴火で跡形もなく消え去ったに違いない。

そう信じている。

http://artworks-photo.sakura.ne.jp/book/nonf/densetu/den7/index....


2 ● lepremierpas
●8ポイント

http://www.pref.nagasaki.jp/soplan/html/18.html

長崎県の現状についての基本認識

こちらが参考になるかと思います

◎質問者からの返答

残念ながらどのように肥後の国が別れて、壱岐・対馬とあわせて長崎県となったのかは書かれていませんでした。


3 ● afurokun
●8ポイント

第5節 「肥国」と「火国」

1. 古事記の「肥国」を肥前・肥後以外の地域に比定したことについて

現在「肥」とは呼ばない日向・大隅・薩摩を、肥国(ひのくに)に比定するのはおかしいのではないか、とお考えになる方もいると思う。その理由を次に述べる。

「肥国(ひのくに)」が何故「肥(ひ)」と呼ばれるようになったのか、その理由は火を噴く活火山が多い為と思われる。

「肥」も「火」も、音は(乙ひ)である。

これは九州全土にいえる事である。九州は霧島火山帯に覆われている。

過去に大爆発をし、九州全土に想像を絶する影響を与えたと思われる火山として、阿蘇カルデラ・姶良カルデラ・指宿(いぶすき)カルデラ・鬼界(きかい)カルデラがある。

阿蘇カルデラはカルデラの大きさでは世界一の規模である。姶良カルデラは桜島を含むカルデラである。指宿カルデラは鹿児島湾出口の薩摩半島と大隅半島にまたがるカルデラである。鬼界カルデラは種子島西方の鬼界ヶ島(硫黄島)を含むカルデラである。

特に、鬼界カルデラは6,300年前に大爆発を起こし、噴煙や火山灰の為に九州南部は人が住めなくなったといわれる。この時を境にして、九州南部の縄文時代の遺跡は断絶している。

かつては九州全土が「火の国」と呼ばれ、現在に至るまでにそれぞれの国々が成立し、佐賀県・長崎県・熊本県の地域だけが「火国」転じて「肥国」の呼称として残ったのである。

2. 「図表4-4・筑紫島4国-その3」で肥国(濃色)が飛び地になっている理由

肥前の地域と日向・薩摩・大隅の地域が、「国」と呼ばれながら、離れて位置しているのは不自然であるとのかんがえもあろうが、必ずしもそうとは言えない。

先に、「肥国」は、かつて「火の国」と呼ばれた、と述べた。しかし、「火の国」の「国」と、「筑紫国・豊国・熊曽国」の「国」とは意味が違う。

前者の「国」は、支配者がいない、ただ、大まかな地域を指すだけの「国」である。後者3国の「国」は、支配者がいる国である。

現代での感覚でいうと、「故郷(くに)へ帰る」の使い方が前者であり、「日本国、韓国」などというのが、後者の使い方である。

別の例(たとえ)を挙げよう。

私の住む静岡県には志太(しだ)郡がある。志太郡には大井川町と岡部(おかべ)町という町があるが、大井川町と岡部町は地続きではない。そして志太郡は、今は行政区の呼称ではない。

明治には、この志太地域は、志太郡と益津(ましづ)郡があり、多くの町村に分れていた。

大正、昭和、平成と時代が進むにつれて町村が合併し、焼津市・藤枝市・島田市などが生まれた。市になると志太郡の呼称は付かない。市にならなかった大井川町と岡部町が志太郡として残ったというわけである。

市になった3地域は、それぞれ地続きの行政区であるが、行政区でない志太郡が、大井川町と岡部町という、地続きでなく離れた地域を持っていることも不自然ではないということになる。

つまり、本章冒頭に紹介した古事記の伝承が生まれた頃は、漠然とした「火の国」の中に、支配者のいる筑紫国・豊国・熊曽国の3国だけが「国」として認識されていた。

「火の国」の残された地域は、上記3国に匹敵するだけの支配者がいない地域であった。「国」という語句は使われていても、「その他の国々」としての使われ方で、「火国・肥国」と呼ばれた。

その後、「火の国」の内、日向・大隅・薩摩の地域を合わせて日向(ひむか)と呼ばれた時代があった。

薩摩国は大宝2年(702)年、大隅国は和銅6年(713年)、共に日向(ひむか)国から分離して成立している。

日向(ひむか)と呼ばれていたのは、日向(ひゅうが)と呼ばれる前であるが、日向(ひむか)国がいつ頃出来たか、あるいは日向(ひゅうが)と呼ばれるようになったのがいつ頃なのかは、よくわからない。

既に、日向(ひむか)という地名が生まれていたにしても、明確に国として認識されるまでは、「火の国」と「日向(ひむか)」の呼称は並存していたのではないかと思われる。

3. 熊曽国の国名が残らなかった理由

先に「熊曽国は狗奴国であり、肥後(熊本県)に比定する(無色の地域)」と述べた。

では何故、一度「国」として認識された「熊曽国」が、後世、「その他の火の国」意味する「肥後」となったのであろうか。言い換えれば、「熊曽国」の呼称は、何故残らなかったのであろうか。

「邪馬台国=筑紫説、狗奴国=球磨川付近説、邪馬台国東進説」を前提にして考えられることは、筑紫国・豊国・日向国は、親邪馬台国(親大和朝廷)の国々であり、熊曽国(狗奴国)は邪馬台国(大和朝廷)の宿敵である。

大和朝廷の力が、九州にまで及ぶようになってゆく過程で、親大和朝廷の筑紫国・豊国・日向国は国名として認知されていった。

それにひきかえ、熊曽国(狗奴国)は、国名としてよりも大和朝廷に従わぬ者の代名詞としての使われ方が主となり、国名としては残らず、「大和朝廷に叛く者・即ち熊襲(熊曽)」の呼び方だけが残った。『第4節 狭義の「熊襲」と広義「熊襲」』の景行天皇巡幸記述に見るとおりである。

大和朝廷による、国としての認知が一番遅れたのが、肥前・肥後の地域であったということになる。

http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono405.htm


4 ● lancer13
●23ポイント

県名の由来は、長い岬のある所とか、長崎港を開港した長崎勘左衛門の姓からとった名前という説がある。長崎港は江戸時代の鎖国政策のなかで、唯一外国との貿易を許された港だった。

現在の長崎県は九州の北西部に位置し、総面積の45%を占める島々が南北300キロメートルの範囲に広がり、全国第2位の海岸線延長をもつ風光明媚な海洋県。豊かな海を舞台に水産業が発達するとともに、現在では海洋資源を活かした、観光・海洋技術開発が進んでいる。また、わが国の西端に位置し大陸に最も近いため、古くから大陸文化の導入口、朝鮮半島との外交の舞台、鎖国時代には西欧や中国・朝鮮への唯一の窓口となり、今日でも国際性豊かな県として知られる。

もと火の国に属したが,律令時代に肥前・肥後に分かれる。『持統紀』10年条に肥後国とあるので,天武,持統朝のころには分立したと考えられる。『肥前国風土記』に基頴(きい)・養父(やぶ)・三根(みね)・神崎・佐嘉(さが)・小城・松浦(まつら)・杵嶋(きしま)・藤津・彼杵(そのき)・高来とあり,11郡よりなる。中世には留守所が,1114年(永久2)に置かれ,長期にわたって東大寺の知行国とされた。1197年(建久8)の「肥前国図田帳」断簡には総田数を1万4,332町とするが,勅免分の主なるものは院御領袖埼3,000町で,836年(承和3)の勅旨田に由来するという。のち関東御領となった。松浦郡には松浦党が,小城には千葉氏などが活躍したが,戦国期には龍造氏が肥前をおさえた。近世には鍋島氏をはじめ,唐津・大村・平戸・五島などの諸藩が置かれた。 1878年(明治11)には,松浦郡は東西南北の4郡に分かれ,高来郡は南北2郡,彼杵郡は東西2郡にそれぞれ分割された。

〔参考文献『長崎県史』〕

http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/nagasaki/index.html

◎質問者からの返答

肥後の国がなぜ、長崎県と佐賀県に別れて、長崎県は壱岐・対馬を併合して長崎県となったかという経緯を知りたいのですが、その郡に分割されたということのみしか書かれていなく、それらが長崎県と独立した(分立)したというこについて記述していることはありませんでしょうか?


5 ● ラフティング
●34ポイント

壱岐

江戸時代は松浦党の流れを汲む平戸松浦氏が治める平戸藩の一部でした。

廃藩置県の際には平戸県に属し、その年には再編により長崎県の一部となりました。

対馬

廃藩置県により厳原県となり、その後一時伊万里県へ編入された後すぐに長崎県へ編入されました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1374728...

◎質問者からの返答

どのような経緯があってというところを知りたいのですが。


1-5件表示/6件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ