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鉄路犠牲者供養塔の由来

南品川四丁目の8番地と7番地の間の東海道線の土手に木製の「鉄路犠牲者供養塔」があります。この由来について調べています。ご存知の方、おられますでしょうか。

具体的な典拠があれば幸いです。鉄道事故としての「碑文谷踏切事故」のことはあらかた承知しております。これ以外の事故があったのでしょうか?。


●質問者: aoikisha
●カテゴリ:旅行・地域情報 芸術・文化・歴史
✍キーワード:事故 品川 東海道線 犠牲者 碑文谷
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● meefla
●60ポイント

コメント欄が開いていれば、ブログ「東京荏原都市物語資料館」はご存じですか、から始める所ですが。


「碑文谷踏切事故」で事故の責任を痛感して自殺した二人の踏切番の供養塔ではないでしょうか。

品川区の 地域の昔話 26 には、二人が自殺した場所として「大井町駅寄りの線路上」とあります。

東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(1433)?武蔵野踏切物語5? では、当時の新聞から場所を「踏切を去る南四分の一哩の地点」と特定しています。

そして現地を探索し、「鉄道犠牲者供養」という板碑を見つけています(写真付き)。

この板碑がお尋ねの物であれば、かなりの確率で、二人の踏切番を供養するためのものでしょう。


なお、天龍寺の「碑文谷踏切責任地蔵尊」については、同ブログの 東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(1431)?武蔵野踏切物語3? に記事があります。


「武蔵野踏切物語5」の日付が今年の10月26日ですから、aoikisha さんがこのブログの作者という可能性もあるのかなー、と思いつつ。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。書き記しましたとおり、「碑文谷踏切」の事故についてはご指摘のあったブログを含めよく承知いたしております。その踏切番の自殺箇所ではない可能性が考えられたので質問をいたしました。比較的真新しいものなので別の事故ではないかと

推察していました。いずれにしてもありがとうございます。

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