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富野由悠季さんに関する驚きのエピソードを教えてください。
(ブラック、下ネタでない誌面で紹介できるようなネタで)
ウィキペディアはもう熟読したのでそれ以外でお願いします。

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/tomino-densetu.htm

あと こちらも読みました。

●質問者: maki5111
●カテゴリ:趣味・スポーツ 書籍・音楽・映画
✍キーワード:ウィキペディア ネタ ブラック 下ネタ 富野由悠季
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● Sars5i
●35ポイント

●富野由悠季(とみの・よしゆき)

アニメ作家。言わずとしれた「ガンダム」の生みの親にして富野教の御大将。

1941年小田原生まれ。日芸の映画学科を出た後、映画会社には就職できずに虫プロへ(当時ありがちなパターン)

そこでどういう訳か演出になり、「鉄腕アトム」のコンテをもっとも多く切った演出家となる・・・が、それは決して大学出たての富野の力量が優れていたからではなく、「それだけアトムの製作情況は逼迫していただけ」のこと。

その後、自伝「だから、僕は」によると女絡み(「チョキ」という仇名だったらしい)で虫プロを辞め、彼女が勤めていたCM製作会社でディレクターをやるが、なかず飛ばずの間に社長が死んだりしてアニメ業界に「出戻り復帰」。

フリーの演出家として「たいして良くはないがとりあえず早く上がるコンテ」を作品を選ばず切りまくり、「絵コンテ千本切りの富野」の異名をとる。

この時期の富野の演出家としての評価は低いが、とにかくコンテばかり何本も切っていたため、当時のアニメ業界としては結構な高収入で、各スタジオには御大将となる前の富野「喜幸」に憧れた演出家がたくさんいたらしい。

富野の「演出家」としての認知は「ガンダム」のヒットと思われがちだが、業界的には72年(だったかな)の手塚原作・西崎プロデュースのTVアニメ版「海のトリトン」の監督。

このアニメ版「トリトン」は手塚原作がほとんど進んでいなかったために富野らスタッフがオリジナルストーりーを創っていた。

この「トリトン」の善悪が逆転する衝撃的なラストは現在でも伝説として語り継がれており、手塚治虫は自著で「アニメ版トリトン」は自分の創作ではないと断り書きをしているほどだ。

その数年後、富野は倒産した虫プロのスタッフが集まって設立した「日本サンライズ」(現サンライズ)に参加、第一回オリジナル企画作品・「無敵超人ザンボット3」の監督を務め、玩具をスマッシュヒットさせつつも、前作「トリトン」の方向性を更に煮詰めたシビアなストーリー展開を見せ、「ヤマト」以降(ちなみに富野は西崎とケンカ別れしてヤマトは一話のみ参加)アニメファンを驚愕させる。

更に後番組「無敵鋼人ダイターン3」で硬軟とりまぜた演出で高い評価を得た富野がその後番組として企画したのがあの「機動戦士ガンダム」・・・業界を塗り替えたのみならず、「TVまんが」を「アニメーション作品」にした一作である(と、言われている)

「企画会議のときにいきなり50枚以上の構成メモを出してきた」と安彦良和が述懐するように、富野がその作家性を前作、前々作以上に発揮したこの「ガンダム」は空前のヒットを生み、一躍富野を「時の人」にする。

この「ガンダム」ブームに乗る形で富野がその翌年監督した「伝説巨人イデオン」というまさに伝説の「宗教哲学アニメ」もそれなりにヒット。このまま「第二次アニメブーム」にのって富野時代は続くのか、と思いきや・・・・・・82年、本名の「喜幸」から「由悠季」に改名して監督したの「戦闘メカ・ザブングル」83年「聖戦士ダンバイン」84年「重戦機エルガイム」などはいずれも「損はしてない程度のヒット」に終わり、85年に禁じての「ガンダム」の続編「機動戦士Zガンダム」も賛否両論を呼ぶ結果となり、第二次アニメブームの失速ともに富野「由悠季」も徐々に失速して行くことになる。

以降10年近く、富野は「機動戦士ガンダムZZ」を皮切りに立て続けに「ガンダム」の続編をつくり続けてゆく。

88年の「逆襲のシャア」など、名作、傑作と呼ばれる作品を送り出しながらも、以前の勢いの衰えは隠しようもなく、ついに93年の「機動戦士Vガンダム」の低視聴率・プラモ売り上げ不振を理由に「ガンダム」シリーズを降板させられる。

富野降板後、「G」「W」といったガンダムはそれぞれプラモ商戦、やおい人気で健闘するが視聴率自体の低下は止められず、ついに96年の「ガンダムX」でテレビ朝日から三行半をつけられてしまう。

だが95年?97年におこったあの「エヴァブーム」が情況を一変させる。

「エヴァ」の元ネタとして、「ガンダム」などの富野作品がクローズアップされることが多くなり、更にエヴァが引き金になった「第三次アニメブーム」の影響で富野作品がレンタル店などで高回転をはじめるようになる(バンダイビジュアルのタイミングを見計らったビデオリリースも見事だった)

こうして再び世間の注目を多少なりとも浴びるようになった富野は98年WOWWOWの第一回オリジナルアニメ企画「ブレンパワード」をプチヒットさせ、翌年の「ガンダム生誕20周年企画」のTVアニメ作品「∀(ターンエー)ガンダム」もバンダイの大掛かりなガンダムキャンペーンも相まってそれなりの成功を収める。

この背景にはいわゆる「ガンダム世代」が30歳半ばを過ぎ、社会的に発言力を持つようになったため、富野の再評価の機運が高まったことがあるだろう。

現在「∀」の映画版が公開中である(まだ観に行ってない)が、その成否に関らず、「ガンダム」の名がある限り、90年代前半のように富野の名前が忘れ去られることはないだろう。

宮崎駿や押井守のように劇場版の大作を創っていないことや「ガンダム」の「ロボットもの」という悪いイメージのためにイマイチ素人受けが良くない富野だが、実力、経歴ともに業界の大御所であることは間違いない。

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-tomino.ht...


2 ● bmtdh133
●35ポイント

富野由悠季カントク日芸来襲

http://textalk.moe-nifty.com/trash/2006/11/post_9b87.html

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