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坂本龍馬は「土佐藩を脱藩した」といいますが、実際に「藩」という言葉が一般に使われるようになったのは明治維新後の「府藩県三治制」が採用されてからのことのはずです。では、龍馬の「脱藩」という行為は、その当時、一体何と表現されていたのでしょうか。

※司馬遼太郎などの小説における記載は除外して、実際の文献や歴史学的に裏付けのある表現を求めています。よろしくお願いいたします。

●質問者: 松永英明@ことのは
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
✍キーワード:司馬遼太郎 土佐藩 坂本龍馬 小説 採用
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 6/6件

▽最新の回答へ

1 ● SALINGER
●30ポイント

確かに、wikipediaの藩を見る限り、

江戸時代から藩という言葉はあったが、一般的に使われるようになったのは明治以降、府藩県三治制以降ということになるでしょうか。


この当時の書簡で脱藩というのはどう言っていたかがわかる書簡があります。

宮迫、じゃなくて平井収二郎が加尾にあてた書簡で脱藩ではなく「亡命」という言葉を使っています。

http://bakumatu.blog82.fc2.com/blog-entry-518.html

◎質問者からの返答

なるほど、実際の書簡は説得力がありますね。


2 ● owada
●30ポイント

とても興味深いテーマで答えを知りたくなり自分でも調べてみました。

確かに、ご指摘のようにずいぶん誤った考えが横行しているようです。

こちらのような考えが一般的だったと思いますが、これは考えを改めねばなりません。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/845779.html

こちらは比較的当時の用語などが出ている例だと思います。

http://homepage2.nifty.com/ryomado/Sakaryo/SRanec/saryo_anec04-1...

見る限りでは「脱国」「亡命」という言い方をしているようです。

◎質問者からの返答

「脱国」も当時の文献に載っていればいいのですが……。


3 ● rsc
●30ポイント ベストアンサー

「国抜け」のようです。

●神戸新聞 編集局から 読者から

こうした記述を総合すれば、今日言う「藩士の脱藩」は、「逐電」または「出奔」と称していたようで、実際、幕末の手紙などの私文書に、脱藩の意味で出奔や亡命と記したものを見かけますが、坂本竜馬研究家の土居晴夫さんによると、竜馬が脱藩した際、高知では「国脱(ぬ)け」と呼んだと言います。

http://club.kobe-np.co.jp/mint/blog/hen20081219.html

●龍馬堂>>考龍馬伝>>安政五年?文久二年>>国脱け

http://homepage2.nifty.com/ryomado/Sakaryo/SRanec/saryo_anec04-1...

◎質問者からの返答

上のページには「「初出」を意識的に拾っている日本国語大辞典などでは、明治6年刊の「近世紀聞」にある「我が輩は水府の脱藩にて」との例文を挙げるにとどまっていて、江戸期にはさかのぼれません。」とありますね。

亡命、脱国、国脱け、出奔あたりが実際に使われていた言葉の可能性が高いですね。


4 ● D-M-S
●5ポイント

社会の授業中、先生は脱藩とは言わずに、国を抜けた、国抜けしたと言いましたよ。

先生に脱藩って言わないのか聞いてみたら、「うーん、微妙だなー。」と言われました。

国抜けだと思います。

http://q.hatena.ne.jp/answer

◎質問者からの返答

たぶんその社会の先生と問題意識は同じように思われます。

ただ、ここではその社会の先生が「なぜ」そう考えたのかという根拠を示していただければと思います。


5 ● edokko23
●25ポイント

「脱藩」ではないが「藩中」という言葉が文政、天保年間に使われています。

http://dokugen.web.fc2.com/top/nempu/21sai.html の下段部に、

「今通った侍は飛脚でもないが藩中でもなし、なんだろう」


勝夢酔(海舟の父)が書き残したもので、箱根の関所を無手形なのに

通して貰った時の役人の言葉。藩という言葉が使われていた証拠です。


又、剣術の「道場」とは言わず「稽古場」と言ったとの説がありますが、

夢酔は両方を使っていますし、その他にも当時の話言葉がたくさん残る

貴重な読物と思います。


ついでに、某大河ドラマで勝安房守に「おいら」とか言わせていますが、

親子共に普通に「おれ」と話しています。「おいら」なんてありません。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。これは天保十四年(1843)の文献ですね。

今回の質問では、藩という言葉がなかったとは一度も述べていません。

ただ、それが行政区画の正式名称として使われたのは明治以降で、また「脱藩」という言葉を龍馬が発したという証拠は今のところ見つからないという事実を確認しています。


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