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次の意見に対するご意見を下さい。

「自由」=その気ならばお好みに何でも出来るって、
間違った解釈ですよね。
物理の「自由落下」って、数式で示せる位、明らかに縛られまくっています。
自律的でないし、不自由だらけです。

同じく、ヒトの「自由意志」って結構機械的じゃないですか?
(内容はヒトによるとして)嬉しいと気が大きくなったり
怖い思いをした直後は理性が鈍って安全すぎる選択肢を選らんだり
(怖さを忘れたらまた普段に戻る)。
で、意志の力による感情を抑制した判断基準も
過去の経験則によるもの。(他人の意見に沿っておこうという決定も、本人の過去の経験)
だから、その人の「経験」に縛られているとも言えるのでは?
経験が妥当でないと、妥当でない方向に持っていかされる。

お金と同じで、感情・立場・状況という持ち分以上に、ヒトは意志を自律的に行使できない。
・無限大の自由意志
なんてありえませんよね。必ず範囲がある。範囲があることも「自由」?

社会の随所で詭弁や逃げに使われる。

「自由」「自由意志」って、結局何が言いたいんでしょう?
「自由意志」のどのあたりが自由?
どのように捉えておられますか?

●質問者: pkb_wn
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:お金 意見 感情 抑制 機械
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

▽最新の回答へ

1 ● hathi
●16ポイント

インターネットを調べ物によく使います。

次の記載がありました。

wikipediaの自由

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1

wikipediaの自由意思

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%9...

「自由」「自由意志」って、結局何が言いたいんでしょう?

回答

「自由」「自由意志」と言う用語は、一般的にも多様・多義に使われています。

従って、「自由」「自由意志」という用語を使う場合には、その多義のママ使っているのではなくて、 発言者が特定の意味で使っているはずです。

「自由」「自由意志」の言葉だけを いくら眺めても、『何が言いたいのか』はわからないと思います。

発言者のそれまでの発言の経歴や、今回発言された前の状況や文脈(TPO)をみて判断すべきでしょう。


wikipediaの自由意思の最後に、外部からの磁気刺激で動かす手を決定されたような状況なのに、被験者が自己の選択で動かす手を決めていると確信しているという記載もあります。

この場合、被験者にとって自由意思とは何でしょうか?

お金が沢山あるときには鷹揚に考え、貧して衣食に窮していればせこく考えるのは確かですが、

それでも『自由意思でいると通常は判断する』と思います。

通常は本人が『縛られている、強いられている』と感じないでいられるようになりたいと強く希求した時に、自由意思を尊重しろと言うのではないでしょうか。

社会や他人に対する自分の権利行使に関する希求、要望の心理と強く関係しているのが、『通常言う自由意思』だと思います。

[空を自由に浮揚したい]というような物理法則とは異なる期待や夢を持つことはあっても、そういう気持ちなどは、自由意思とは通常は言わないと思います。

また、恐怖症やその他の精神障害あるいは薬物摂取の結果、とてつもないことを希求したとしても、それを自由意思とは通常は言わないと思います。

通常の使い方(そうではない使い方もたくさんあると思いますが)では、その当時のその社会で理性的で興奮していない状態で、他人から強制されていると言う意識ではないと自分で判断し、これは自分の判断や意思だと本人が思っていることが、自由意思なのではないでしょうか。

人間は他人や社会との関係で生きているので、本人が自分の考え、自分の意思と思っていても、友人や尊敬する師の影響、社会的流行やその反動などが、その人の考えや意思に大きく影響を与えているのは当然です。 そうした社会や他からの影響、本人の過去の経験が強く影響していても、本人が他人から強制されていると言う意識ではないと自分で判断し、これは自分の判断や意思だと思っていれば、それは自由意思というものです。

◎質問者からの返答

どうも有難う御座います。


>発言者が特定の意味で使っているはずです。

>「自由」「自由意志」の言葉だけを いくら眺めても、『何が言いたいのか』はわからないと思います。


そうなんですよね。多義的、曖昧。

発信者と受け手とで思いがずれて、釈然としないことがあります。


>自由意思でいると「通常は」判断する

「通常は」「常識として」「当たり前な」「当然に」

のままだと何も説明にならないので、ちょっと質問してみました。

もっとも、私のようにこんなこといちいち考える人は少ないと思いますけどね。。


>本人が他人から強制されていると言う意識ではないと自分で判断し・・・

要するに、本人がどう思うか?ということになるのでしょうかね。

このときの強制されたか強制されていないかという

この意識自体そもそもは自律した意識なの?

ということです。


薬物摂取の事例がありましたが、

新興宗教やセールスマンから高額の品を買ったとき、

原価より数倍以上の売価なら、例外なく自由意志ではないのか?

「悪徳」セールスマンから買ったら「自由意志」ではないのか?

世間のほぼ全員が「私なら納得して買う」と思うことなら

「自由意志」の範囲なのか?


さすがに商行為については法律で「線引き」されていると思いますけれど、

他のシチュエーションでのこの言葉の用途は、多義的で実に曖昧な言葉なんだな、と思いました。


2 ● bragelone
●17ポイント

思いっきり自分の考えていることや言いたいことが言えるという交通(人と人とのまじわり)にかんする取り決め これを 自由の原則と言い 考えや発言や広く表現行為にかんしてはおのれの自由意志にもとづくものであるという人間存在の条件といった事柄を言います。

言いかえると 人間の自由は 人と人との交通(まじわり)におけることであるからには 相手やほかの人びとから その自由にもとづく意志行為としての表現にかんして さらにその内容について説明を求められます。ここが分からんから説明して欲しいとか いやここは これこれこういう理由により間違っているのではないかとか 批評や批判にさらされているということを そのまま同時に 含み持っています。

したがってまとめるなら わたしの表現の自由は ほかの人びとからの説明要求に答え得ることを 同時に包み持っています。答責性とか説明責任とか言います。

自由意志と言っても どこまで自由で 社会からの制約がないかなどなど分からないところがあります。けれども 人の自己表現にかんする――公理のような――原則を言おうとしています。

人間は 問いと答えとその繰り返しの過程をあゆむということ このような当たり前の共生の原則を わざわざとしてでも 明らかにしたものが 自由ということがらです。

◎質問者からの返答

どうも有難う御座います。


>ほかの人びとからの説明要求に答え得ること

なるほど、興味深いですね!

自分で「自らの意志で選んだ説明ができる」場合に、自由意志を行使したと言えるのでは?

ということですね。

「答責性」という言葉があるのですね、勉強になりました!


3 ● gtore
●17ポイント

>意志の力による感情を抑制した判断基準も

>過去の経験則によるもの。(他人の意見に沿っておこうという決定も、本人の過去の経験)

>だから、その人の「経験」に縛られているとも言えるのでは?


他人の意見や過去の経験が自らの意思や考えの「もと」になるのは、やむをえないことと思います。

他人の意見や過去の経験がいくつかあるなかで、何を選ぶか…、この取捨選択をするのは自分であるはずです。なので、これは自由意志だと思います。

その選択肢がない環境は、問題だと思います。

場合によりますが、選択肢が少なくとも2つあれば、それは自由といえるのではないでしょうか。

人は社会に生きている以上、周りからなにかしらの影響を受けているものです。

そんな、いつもいつも独創的な、画期的な、誰にも左右されない独自の発想で行動していたら、その人はノーベル賞をもらっているはずです^^


いかがでしょうか。

◎質問者からの返答

どうも有難う御座います。


>他人の意見や過去の経験がいくつかあるなかで、何を選ぶか…、この取捨選択をするのは自分であるはずです。

この「取捨選択」の規範も、

その人の経験則(さいころを振るとしても、そう決めることにした自分のいきさつがある)ですよね。


>他人の意見や過去の経験が自らの意思や考えの「もと」になるのは、やむをえないことと思います。

やむをえないどころか「人生それの繰り返し」と思っています。

数学でいう「ラプラスの魔」のような思いです。

高価な皿を落として割れたら

「今日割れるべくして割れたんだ」

と、言うイスラム教チックとも言えます。

こんな私が「自由意志」という言葉と、どの辺で折り合って付き合っていけばいいのかな?

(とはいえ、社会生活上困憊したり七転八倒して悩んでいるわけではないですが・・・)

と思って、ちょっと質問させていただいた次第です。


「人生は運命(因果)の繰り返し」と主張したところで、

いろいろなことから免責される理由に採用されないことは理解しているつもりです^^

「私は数々のいきさつによって今の職に就き、

日々苦労困憊させられてしまっている。

ストレス解消をしたくなり、昨日飲み屋で使いすぎた。

定食屋よ、今日の食事を恵んでくれ。」

->「私は数々のいきさつによって、食事を提供してお金をいただいて生活する運命だ。

食事を出すからお金をくれ。」


(脱線しますが

「ラプラスの魔」の運命論

(全世界あらゆる物体の現在位置と移動方向・速度が判っていたら、将来が予測できる)

は、否定的な証明がされているらしいですね。)


4 ● bfm35462
●17ポイント

一般にイメージされる『自由』とは、現実的・物理的には、存在しません。

上記コメントのあるとうり、なんらかの制約のもとでの現象になります。

精神内、頭の中での想像でのみ、『自由』にでき、そもそも、『自由』とは、禅の世界から生まれた言葉みたいですよ。

◎質問者からの返答

どうも有難う御座います。


なるほど、禅の世界から生まれた言葉なんですね。


http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/nisida.html

こちらのページの

・禅と絶対自由意志―慧能について

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/ch2/u1/t5.html

・禅と絶対自由意志―臨済について

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/ch2/u1/t6.html

を拝見しました。

なかなか難しい...


・両親から受けている保護からの「自由」

・自分の経験則と理屈からの「自由」

・列車の座席指定からの「自由」

・受け取るか否かについて、金銭負担他の条件無く

本人の都合で決められる決められる「自由」

(「ご自由にお受け取り下さい」)


といった感じに、自由という言葉を使うには

束縛している対象の説明が必要ですね。

「それは、あなたの自由です」という問いかけに

その自由といわれる元の対象を自分で補ってやらないとならないですね。

余談ですが

人によっては「自由(状態)を破壊する自由(⇒権利)」を

求める人もいますね。

「そんなのオレの自由(⇒権利?) だろ!」とか。


「自由気まま」:聞こえが良さそうですが、

自分の気分・感情には束縛される...

他の人がいない奥深い山中や、無人島でも、

自分の腹ペコ加減や寒暖の影響に付き合わざるを得ない。

空腹解消のための、採取行動や狩猟行動が促される。

インドやネパールの仙人のように、水を飲まなくても生きていけるなら

本当の自由人になれそうですね。


5 ● tak
●16ポイント

おそらく、仰るとおり

自由に見えても、実際は自由な意思決定は

ほとんどの場合でほとんどの人間はほとんど実行できていないはずです。



「自由」「自由意志」って、結局何が言いたいんでしょう?

ひとつは、自己責任として責任を個人に押し付けるための名分でしょう




もうひとつは、

合理的な行動選択が行える(そういう社会であり、そういう人間性を保障できる)理想として(現実的ではない)言っているのでしょう

◎質問者からの返答

どうも有難う御座います。


私が悶々としていたことを

とても明快にしていただいた感じです!


セールスマンから

「買う・買わないはあなたのご自由です」なんて聞くと

(短絡的ですが)詐欺師を思い浮かべてしまう私がいます。


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