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ロシア(ソビエト連邦)との北方領土問題は、そもそも存在しない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241662772

・日本とソ連との戦争は1956年をもって停戦となった。まだ終戦していないし、ましてや1945年ではない。
・ロシアの「善意」に基づき、歯舞群島及び色丹島は、平和条約締結後に返還。しかし国後、択捉はロシア領。
・よって、実力行使などで取り返す以外、国後・択捉が再び日本領になることは無い。
少なくとも四島が日本領(日本の固有の領土)とは、他のどの国も認めていない。

あなたは
このページの回答者さんの内容について、どう思われますか?
疑問点などはありますか?
地図上の国境が択捉島の先にあったり「北方領土の日」を政府が制定したりしていますが、
国際的には「まだ交戦中だぞ、奪い返してやろうか?」という意思表示に映るのでしょうか?

そのとおり、おかしいぞ、などご意見をお願いします。

●質問者: pkb_wn
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:1945年 1956年 あなた ソビエト連邦 ソ連
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● はまぐち
●12ポイント

日本の第二次世界大戦も、1945年に停戦しただけで、終戦は1952年でしょ。


2 ● むーちょ
●50ポイント

1956年の日ソ共同宣言で国境確定問題は先送りされていますし、1991年4月にゴルバチョフが来日し、領土問題の存在を公式に認めており、その後解決に至っていないので北方領土問題はまだあると思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9...

日ソ共同宣言で”戦争状態を終結する”としているのでまだ交戦中とは思われてはいないでしょう。

ですので、そもそも領土問題は存在しないというのは語弊があるように思いますが、現実的にはこの回答者さんの言われるとおり、ロシアが「歯舞群島及び色丹島の返還」(いわゆる二島返還)以上のことをすることはないと思います。日本が北方領土四島はサンフランシスコ平和条約で放棄した領土に含まれていないと主張していますが根拠に乏しいです。

今となっては法的にというよりも、超法規的な解決しかないのではないでしょうか。何らかの交換条件を提示しないと四島全部は返ってこないと思います。

◎質問者からの返答

有難う御座います。


そうですね、

現実論として現在のロシアが北方四島を日本へ「くれてやる」理由はなかなかありませんね。

(Wikipediaには、きれいに論点が整理されていますね。議論などあくまでカードでしかないことがわかります)


3 ● ko1967
●50ポイント

回答者のコメントをそのまま引用すると

『平和条約締結後は、日ソ共同宣言に基づき2島のみ返還で終了します。他はすべて未来永劫、合法的にロシア領です。

http://archive.hp.infoseek.co.jp/law/1956T020.html

http://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/uncharter/japanese.html

北方領土問題など、日本が勝手に【でっち上げた】茶番なのです。

ロシア(旧ソ連)との間には、領土問題などはじめから存在しないのです。』

とありますので、この時点でコメントした人の矛盾があります。

領土問題が無ければ返還する必要性はありません。

ロシアとの領土問題などはじめから存在しない≠2島のみ返還

尚、領土問題についての詳細や意見などについては

詳しく述べる事の出来ない立場にあるので、

問題となっている部分のみへのコメントとさせて頂きます。

◎質問者からの返答

有難う御座います。


(あくまで知恵袋回答者の方による)ロシア国側の解釈では、

歯舞・色丹について

「善意」で、日本へ返還(寄贈)するつもりのようです。

知恵袋回答者さんの解釈には、ちょっと一方的なところがありますね。


4 ● tqal3
●50ポイント

明治8(1875)年に、日本とロシアの間に結ばれた、「樺太・千島交換条約」という条約があります。樺太といって、北海道の北にある島は、日本とロシアの雑居地で、どちらの領土でもない、という状態だったのですが、千島列島を日本領、樺太をロシア領と国境を確定するために結ばれた条約です。つまり、第二次大戦前までは、北方四島を含む千島列島全体が、日本の合法的な領土だったわけです。しかし、第二次大戦終結直前に、当時のソ連は日本に対して、宣戦布告し満州や樺太・千島にわたる広大な戦線で、侵攻を開始して、樺太・千島列島を実効支配したのです。サンフランシスコ講和条約では、日本が戦争で手に入れた領土は、放棄することになり、北方領土も放棄の対象になるのでしょうが、この講和条約にソ連が参加していないため、今日のように問題が複雑になっているのです。この問題を解決するには、日本とロシアの間に、平和条約を結ぶことが第一だと思います。

◎質問者からの返答

有難う御座います。


北方四島問題は、平和条約を結ぶ際の争点ともなっているんですよね。


5 ● ラージアイ・イレブン
●60ポイント ベストアンサー

Yahoo!知恵袋では質問した本人が別なIDで回答してベストアンサーにするという自作自演がときどき発生しますので、そういう可能性もあるということを心に留めて読むと良いでしょう。

真のベストアンサーは、北海道のサイトに書いてある通りです。

北方領土の歴史(総務部北方領土対策本部)

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hp/histo.htm

■国境取り決め

●サン・フランシスコ平和条約

1951年(昭和26年)、日本はサン・フランシスコ平和条約に調印しました。 この結果、日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利、権原及び請求権を放棄しました。 しかし、放棄した千島列島に固有の領土である北方四島は含まれていません。

■北方領土問題の経過と現状

「日ソ共同宣言」とその後の動き

■北方領土問題は、ソ連軍が昭和20年8月から我が国固有の領土である択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島を不法に占拠したことにはじまります。

■昭和31年の日ソ共同宣言により国交が回復しました。本宣言では、平和条約締結後、歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する旨規定され、両国の国会・最高会議で批准されました。

しかし、その後ソ連は姿勢を後退させ、日ソ間に領土問題は「存在しない」「解決済み」等と主張しました。

■その後も、日本政府は、総理大臣の訪ソや外交交渉の場で、ソ連へ働きかけるとともに、昭和56年に、2月7日を「北方領土の日」と定め、北方領土問題に対する国民の関心を高め、理解を深めるため、全国的に返還要求運動の盛り上げに取り組みました。

また、「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(昭和57年法律第85号)に基づき、北方地域元居住者に対する援護措置や、北方領土隣接地域の振興等のために必要な特別の措置を講じてきています。

■「東京宣言」での「法と正義の原則」の確認

■平成3年4月には、ゴルバチョフ大統領がソ連の元首として初めて来日し、北方四島が平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが確認され、平和条約締結作業を加速することの重要性が強調されました。

また、日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、北方四島在住ロシア人と我が国国民の相互理解の増進を図り、北方領土問題の解決に寄与することを目的として、我が国民の北方領土への訪問を旅券、査証なしで行うこと等を内容とする新しい枠組み(ビザなし交流)が作られ、平成4年4月から相互訪問が行われています。

■平成5年10月にはエリツィン大統領が来日し、『東京宣言』が署名され、「?領土問題を、北方四島の島名を列挙し、その帰属に関する問題であると位置づけ、?領土問題を歴史的、法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決して、平和条約を早期に締結する。」との明確な交渉指針が示されました。

■「ボリス・リュウ外交」とクラスノヤルスク合意

■平成9年6月のデンバー・サミットの際には、橋本総理とエリツィン大統領の会談が行われ、非公式首脳会談を定期的に開催することに合意、同年7月橋本総理は経済同友会懇談会において、対露外交・新三原則『信頼・相互利益・長期的視点』を提唱し、ロシア側はこれを積極的に評価しました。

■同年11月東シベリアのクラスノヤルスクにおいて、「ネクタイなし」の橋本・エリツィン首脳会談が開催され「東京宣言に基づき、西暦2000年までに平和条約を締結するよう、お互いに全力を尽くす」との画期的な合意が達成されました。

■平成10年4月、静岡県伊東市川奈において、2回目の「ネクタイなし」の橋本・エリツィン首脳会談が開催され、「平和条約が東京宣言第2項に基づいて北方四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けて日露の友好協力に関する原則などを盛り込むこととなるべきこと。」を確認しました。

また、橋本総理からエリツィン大統領に対し、領土問題解決のための提案が行われました。

■平成10年5月のバーミンガム・サミットの際の日露首脳会談で、エリツィン大統領から、川奈での橋本総理の提案について検討中であり、その回答は秋に予定されている橋本総理の訪露の際に行いたいとの考えが示されました。

「信頼」から「合意」の時代へ

■平成10年11月11日?13日、小渕総理が日本の総理大臣として25年ぶりにロシアを公式訪問しました。

「信頼」から「合意」の時代に入っていくという両国の決意が謳われている『モスクワ宣言』が署名され、東京宣言、クラスノヤルスク合意及び川奈合意に基づいて平和条約交渉を加速し、平和条約を二千年までに締結するよう全力を尽くすとの決意が再確認されました。さらに、平和条約締結に向けた国境画定委員会及び共同経済活動委員会の設置並びに元島民及びその家族による北方四島への自由訪問を実施していくことが合意されました。また、川奈での提案に対するロシア側の回答が示され、日本側としては、次の首脳会談までに回答することとしました。

■平成11年6月ケルン・サミットの際の日露首脳会談では、小渕総理からの「クラスノヤルスク合意を実現して、国境線を画定し、平和条約を結ぶという歴史的な仕事を大統領としたい。」との発言に対し、エリツィン大統領も賛意を示しました。

■政府は、2000年の早い時期でのエリツィン大統領の訪日による首脳会談を行うよう取り組んでいましたが、平成11年12月31日にエリツィン大統領が辞任し、プーチン首相が大統領代行となり、平成12年3月26日には、ロシア大統領選挙が行われ、プーチン大統領代行が当選しました。

■平成12年4月、サンクトぺテルブルグにおいて、森・プーチン非公式首脳会談が開催され、21世紀に向けた両国の協力のあり方等について、広範な意見交換が行われ、東京宣言、モスクワ宣言等一連の合意及び宣言を完全に遵守していくことが改めて確認されました。

■平成12年9月、東京において、森・プーチン公式首脳会談が開催され、クラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続すること、今日まで達成された全ての諸合意に依拠し、四島の帰属の問題を解決することにより、平和条約を策定するための交渉を継続することなどが確認されました。

■平成13年3月、イルクーツクにおいて、森・プーチン非公式首脳会談が開催され、クラスノヤルスク合意の総括と平和条約問題に関する声明が署名され、今後両国内で更なる交渉を行うことで合意しました。

また、日ソ共同宣言が平和条約交渉の出発点となる法的文書であることが、初めて文書により確認されました。

■平成13年10月、上海におけるAPECでの日露首脳会談では、双方が前提条件を付けずに歯舞・色丹の議論と国後・択捉の議論を同時にかつ並行的に進めていくことで概ね一致し、具体的な進め方については、外交当局間で更に詰めていくことで合意しました。

■平成15年1月、小泉総理とプーチン大統領の間で、「日露行動計画」を採択するとともに、北方四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を可能な限り早期に締結し、両国関係を完全に正常化すべきという決意を確認しました。

■平成19年6月、日露首脳会談において、安倍総理、プーチン大統領の両首脳は2003年の「日露行動計画」の実施状況を確認し、多くの分野で順調に進展が見られるとの認識で一致しました。その上で、平和条約の締結交渉が「日露行動計画」の重要な柱の一つであることを確認し、今後、領土問題の解決に向けて平和条約交渉についても進展を図っていくことで一致しました。

その後も日本政府は、引き続き、ロシアとの間で幅広い分野での協力を進めるとともに、これまでの諸合意及び諸文書に基づき北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を早期に締結するという一貫した方針の下、ロシア政府との交渉を精力的に行っています。

北方領土問題に対する北海道の考え方(総務部北方領土対策本部)

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hp/policy.htm

北方四島は、我が国民が父祖伝来の地として受け継いできた土地です。

これまで、一度も外国の領土となったことがなく、国際的な取り決めから見ても、日本に帰属すべき領土です。

しかし、現在、ロシアに不法に占拠されていることから、我が国は外交交渉を通じてこの問題を解決し、日露平和条約を締結して両国間に真の相互理解に基づく安定的な関係を確立することを基本方針としています。

北方領土対策本部関係資料(総務部北方領土対策本部)

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hp/detame.htm

北海道北方領土対策本部

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hopporyodo/index.htm

Yahoo!知恵袋のベストアンサー氏の主張は、現在のロシア国政府(プーチン首相)の見解ですらないという事実についても留意するべきだと思われます。

ベストアンサー氏が指摘されていた、いわゆる「敵国条項」については、国連で死文化している旨の決議があり、国会でも条文廃止が議論されていました。「敵国条項」を有効なものという前提で日本国政府に「敵国条項」を適用させようとする国連加盟国は、ロシア国を含め存在しません。

第165回国会衆議院安全保障委員会10号平成18年11月28日

○内山委員 次に、テーマをかえまして、国連決議による国際貢献ということでお尋ねをしていきたいと思います。

外務省の方、きょうお見えになっていると思いますけれども、国連憲章における第五十三条強制行動と第百七条の敵国に関する行動における敵国条文についてお尋ねをいたします。

現在我が国はどのような対応をとっていますでしょうか。

○木寺政府参考人 お答え申し上げます。

我が国は、国連におきまして旧敵国条項の改廃について、機会あるごとにこれを求めてまいってきております。

○内山委員 戦後六十一年もたっておりまして、いまだに敵国条項に日本を初め幾つかの、諸外国は別として、明確に判断できるような形でなっている。これは、外務省は今まで何をやっていたんでしょうか、再度確認をしたいと思います。

○木寺政府参考人 お答え申し上げます。

いわゆる旧敵国条項につきましては、一九九五年の国連総会で、既に死文化しているという認識を示す決議が圧倒的多数の賛成で採択されております。また、昨年九月の国連首脳会合で採択されました成果文書におきましては、同条項における敵国への言及を削除するとの決意が示されております。

機会あるごとにと申しておりますけれども、こういう国連憲章の改正というのはなかなか難しゅうございまして、我が国は、こういった決議や文書が採択されますときに積極的な役割を果たしますとともに、国連総会等の機会をとらえまして、旧敵国条項の早期廃止を訴えてきております。

○内山委員 では、削除する方向にあるといいましても、もう六十一年も戦後たっていて、これから、いつどのようにやるのか、それをはっきりしてくださいよ。これは何でこういうことを聞いているのかといったら、自衛隊がこれから国際貢献をするんですよ。そういう中において、敵国条項に定められている国に国際貢献を求めるなんというのはおかしいじゃないですか。まずそれをちょっと聞きたい。早くやる、いつごろやるのか。

○木寺政府参考人 先生のお尋ねでございますが、先ほども申し上げましたように、憲章の改正というのはなかなか難しい作業でございます。そういった作業が難しいことも考慮した上で、先ほど申し上げましたように、国連の決議等でこのような敵国条項はもう死文化しているということが確認されているわけでございます。

ただ、先生御指摘のように、これの廃止を求めていくという姿勢は変わりませんので、今後も引き続き粘り強く訴えてまいりたいと思っております。

第165回国会参議院予算委員会1号平成18年10月11日

○西岡武夫君

ところで、今総理もちょっとお触れになりましたけれども、国連憲章の中に依然として敵国条項というのがございます。これをまず改正すると、これが先なのではないんですか。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) この敵国条項については既に有効ではないという決議がなされたということは承知をしておりますが、この言わば敵国条項を削除するべく我々も努力をしております。

○西岡武夫君 敵国条項が現に存在を、国連憲章の中で存在をする中で、日本は国連の分担金、どれくらい払っているんですか。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほど二〇%前後と、このように申し上げましたが、たしか一九・五%ではないかと思います。

○西岡武夫君 この敵国条項というものを削除するということを具体的に国連の場で提案をしたことがこれまでの内閣で、政権下であったのかなかったのか。これは総理に突然お聞きしてもあれですけれども、どのように御認識ですか。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほどそれに近いことをお答えをしておりますが、昨年、総会で何らかの決議がなされている、しかし、この条項、国連憲章を変えるまでには至っていないと思います。

第164回国会参議院予算委員会16号 平成18年03月24日

○喜納昌吉君

麻生大臣に別の質問します。

政府・外務省は国連の敵国条項撤廃のためにどのような外交活動を展開したのか、お答え願いたい。

○国務大臣(麻生太郎君) 敵国条項につきましては、一九九五年の国連の総会で既に死文化しているとの認識を示す決議が圧倒的多数の賛成で採決をされております。

昨年の九月、国連首脳会議で採択された成果文書におきましても、同条項に関しましては敵国への言及を削除するとの決意が示されておりますので、私どもといたしましてはこの採択に積極的な役割を果たしましたが、今後、国連総会等の機会をとらえて、旧敵国条項を早期に廃止を訴えてまいりたいと思っております。

◎質問者からの返答

とても詳しくご回答下さり、どうも有り難う御座います。


択捉島とウルップ島との間に国境線が敷かれたのは

江戸時代の安政元年(1855年)に締結した「日魯通好条約」からなのですね。

領土交渉が長引きすぎて、みんな茶番なのかな?とも思っていましたが

(北方領土ビジネス:助成金や活動資金で食っている連中で、

むしろ領土問題が解決しないよう邪魔している。)

ここは政府を信頼することとしたいと思います。


YAHOO!知恵袋の元のURLページは削除されていました。

YAHOO!知恵袋では、自作自演されることもたまにありますね。

注意しておきます。

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