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おおざっぱな質問になってしまいますが、ピカソや現代アートに代表されるような、わけのわからない、意味不明の、でたらめのような作品がすばらしいと言われるのはなぜですか?

どうやったら、これらがすばらしいということがわかるようになりますか?

これらは、ただのでたらめ、子供のもの、精神に障害がある人のもの、未開の民族のもの、先史時代もの、などとよく似ていますが、これらとはやはり違うものなのでしょうか?

ダヴィンチやラファエロがすばらしいというのはなるほどわかるのですが、一見でたらめのような作品が素晴らしいと言われている理由がわかりません。教えて下さい。

●質問者: Uminin
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
✍キーワード:ダヴィンチ ピカソ ラファエロ 子供 意味不明
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 33/33件

▽最新の回答へ

1 ● daiki0704
●0ポイント

ピカソの絵は不思議

◎質問者からの返答

まぁ。


2 ● daiki0704
●0ポイント

ピカソの絵は個性的

◎質問者からの返答

確かに。


3 ● sainokami
●5ポイント

新しい価値観を与えてくれるからすばらしい。と私は思います。

反対に、ダヴィンチやラファエロなど写実的なものがすばらしいとは思えません。

写実的だとなにがすばらしいのですか?技術?

◎質問者からの返答

「新しい価値観」とはどういうものでしょうか?


例えばキャンバス一面にぐちゃぐちゃぐちゃーっとめちゃくちゃに書き殴っているような絵があるとしてそれのどこが新しい価値観なんでしょうか?


ただのでたらめとしか思えませんが。


ダヴィンチやラファエロを写実的というのはどうかと思いますが、まぁ、とりあえずそうするとして、確かに技術は素晴らしいと思いますが、その技術がなんのためにあるのかというと、鑑賞者をうっとりさせるというか、ああ、きれいだなぁとか、ああ、すばらしいなぁとか思わせるためであって、そして、概ね、ダヴィンチやラファエロを見て人は、ああ、美しいとか、ああ、すばらしいとか思うと思うんですけど、ピカソや現代アートをはじめとする、なんだかわけのわからない作品というのは、なかには感動する人もいるだろうけど、かなりの割合の人がなんだこれは?となるように思うのです。


なぜ、理解できる人がそのわけのわからないものが理解できて、感動できるのか、というのが知りたいのです。


4 ● sabuibo
●5ポイント

好みは人それぞれありますよね。モーツァルトを美しく聴こえる人もいれば、うるさいと思う人や眠いと思う人もいるわけです。したがって、本当に素晴らしいかどうかは誰もわからないと言えます。

私は、発言権がある人が評価したら評価が高くなるのだと思います。デタラメな絵は幼稚園児にも描けますが、それを芸術だと誰かが言って、その発言が評価されているのです。

◎質問者からの返答

好みは人それぞれというのは当たり前の話ですが、この問題はそういう風には解決できないと思います。


というか、この質問は、ピカソや現代アートが好きだ、というひとに、あんな一見でたらめに見える作品のどこがどういうふうにすばらしいので好きである、ということを説明して欲しいと思ってしているのです。


5 ● owada
●65ポイント

なるほど、非常に興味深い疑問をお持ちと見受けました。

私も幼少の頃「ピカソのような絵を描くね」と言われて困惑したことがあります。

褒めているのかけなしているのか。

20世紀の近代までの西洋絵画というのは視点が定まっていましたが、日本の水墨画には西洋の近代の絵画のような「遠近法」はありません。近代の画家が19世紀後半に日本の絵を見てパニックになったのもなんとなく理解できるのです。では、古代エジプトの人物絵には正面を向いている絵がありません。あれは正面から描く技術がなかったからなのでしょうか?いえ、今ではどうやらそうではないと言う説が主流を占めているわけです。

実は、美術というものは「目の前にあるものを受け入れる」ということは前提ではあるのですが、その作品が作られる必然・展示する環境・将来へ向けたメッセージ、これらを含めて一つの作品としてとらえることが「現代の美術」に求められたものであるようです。

私がピカソの絵をすごい!!と思ったのは30年近く昔、東京国立近代美術館のピカソ展でやっていた講堂でのピカソの絵画の映画を見たときでした。

その映画ではなぜキュービズムが生まれるのかということをツブヤキながら描いていました。「今、右からの顔を描いているが、左から見たものを重ねたらどうなるか・・・」みたいなことを延々と喋りながら作品が完成していきました。

なるほど、作品には文脈があるんだということをそこで知らされました。

具象物を描いた作品もそれなりにすばらしいものであることは事実ですが、それは光画術(写真)の登場と共にその意義は薄れてしまいました。

油絵も、乾性油で顔料を練って作ったもので、当時の最先端の技術を使って表現したものですが、今ではの手段は「コンピュータ」と「液晶」技術で代替されるようになったりしています。その中で遠近法とか人物画の表現方法など変わらないものもある一方で「なんでこれがアート?」というものが生まれては消えという歴史を繰り返しています。その中で残った一部の作品が後世に伝わるアートとなるのだと思います。

アートとテクノロジーの関係を見ると、「アルス」「テクネ」という語源にさかのぼり、現代の芸術という意味の英語の<art>(アート)にあたる言葉はギリシア時代にはなく、ローマ時代になって<ars>(アルス)という言葉ができました。 じつは、ギリシア時代には<techne>(テクネ)という現代の技術 <technics>(テクニック)に当たる言葉じつは、ギリシア時代には<techne>(テクネ)という現代の技術 <technics>(テクニック)に当たる言葉が、その<art>(芸術)と<technics>(技術)の両方を意味していましたが、そのギリシア時代の言葉<techne>がもつ二重性が<表現>という世界の中で明確に分離していったと言えます。

芸術表現に「一貫したパターン」を求めることが芸術なのか、「異端であること」に美を求めるのか、そういったことも含めて現代のアートの意義が問われているのかと思います。

もちろん、ご指摘の「精神的」な問題「脳科学」で分析される諸問題、そういったこともアートと人々の生活の問題として掲げられていることは事実だと思います。この問題は20世紀までに「学問体系」ができてしまったことで、人類の課題を見失ってしまったことにつながっているとも言われています。そういったことを再構築してあたらしい価値体系を築こうとしたものが「バウハウス」運動にはじまる諸系譜(MITメディアラボ・ZKM・アルスエレクトロニカセンターなどなど)であったり、昨今はやりの「オフミュージアム」(越後妻有国際トリエンナーレ・瀬戸内国際芸術祭のようなもの)運動だったりします。

多様化を許すこと、旧来の枠を正しいと決めつけないこと、これこそが「アート」の本質なのではないのかと思います。

◎質問者からの返答

うん、長いですけど読み応えありました。ちょっとした授業を受けた気分です。ありがとうございます。


「作品には文脈がある」という言葉が心に残りました。ということは、ある作品自体、それ単体では、その作品のすばらしさはわからない、ということでしょうか?


これだけ長文を読んでも、いまいち、なぜピカソのようなでたらめアートが素晴らしいのか、という理由がわかりませんでした。


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