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中国で儒教は、官僚の学問とされていたようですが、一般大衆にはどのように広められたのでしょうか。

仏教でいうところの、寺院のようなものが存在したのでしょうか。ご存じの方、教えて下さい。

●質問者: investorschoice
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:中国 仏教 儒教 大衆 存在
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● kick_m
●25ポイント

科挙のための塾は別にあったでしょうが、農村にも郷学というものがあったそうです。

[PDF]

中国農民社会における儒教の影響の実聾

http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/3086/1/KH_019_1_0...

◎質問者からの返答

非常に興味深い論文でした。大変参考になりました。ありがとうございました。


2 ● tasklight
●5ポイント

中国における儒教は為政者のための学問であり、民間に広まったわけではありません。


民間で信仰されていたのは道教です。

◎質問者からの返答

やはり為政者のための学問という傾向が強かったようですね。

ありがとうございました。


3 ● rsc
●30ポイント ベストアンサー

中国で儒教が一般大衆に広まったという話は聞いたことがなく、一般大衆に広まったのは、道教の方だったと思っていました。

儒教は、漢の時代に官吏登用試験の必修科目になったために一部のエリートに広まり、そもそも、昔の中国では、日本と違って識字率が低いので一般大衆に広まったということはないと思っていました。

ところが、ちょっと調べてみたら、商人の間でちょっと広まったこともあるようです。

●陽明学【林田明大著:王陽明の最晩年、「儒商」、「三教一致」「儒教の ...

「儒商」の登場

陽明学左派が「儒教の大衆化」に貢献したことについて触れたが、もう少し具体的に述べる。左派が陽明学の全盛期をもたらした。王陽明の高弟王心斎(おうしんさい)、王龍渓(おうしゅうけい)がリーダーであった。陽明学はその後「明学(みんがく)」と呼ばれようになる。

明朝は、その中期から後期になって、商業が発達した。商業都市が誕生し、商人文化が花開いた。中国の歴史において、それまでは農業を中心とする文化であったが、この時代から商業主義へと変化し始めたのである。この商業主義と陽明学が呼応したのである。王心斎、王龍渓の門人たちの中には、商人や塩田で働く労働者や木こりといった庶民が含まれていた。このことが、中国の歴史始まって以来の「儒教の大衆化」をもたらし、「都市と商業の発達」を可能にしたのである。儒教とは本来エリート官僚の学問として発達したのであるが、「陽明学左派」の教えが、学問とはは無縁であった商人たちの自己啓発、自己教育を可能にしたのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/37019142.html

それから、仏教でいうところの、寺院のようなものとしては、「孔廟」があるようです。

●孔廟

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%BB%9F

※参考URL

●中国のイデオロギー・儒教の誕生 ようこそ、寺岡伸章のブログへ ...

儒学がイデオロギー性を帯びてくるのは、漢の武帝が儒教を国教に指定してからである。科挙の試験の合格にも四書五経の暗記が求められるようになり、儒教は為政者の道具として利用されるようになる。

http://57368484.at.webry.info/200906/article_30.html

●科挙

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99

http://home.catv-yokohama.ne.jp/cc/hitomi/100satu/kakyo/kakyo.ht...

●科挙合格への道

http://homepage3.nifty.com/ryuota/kakyogokaku.html

◎質問者からの返答

儒商という言葉は初めて聞きました。農業から商業へ産業の中心が移るに伴って、官僚だけでなく、大衆の中にも、人を治める立場の人材への必要性が出てきたのかもしれないですね(儒教を学んでから人の上に立つ地位を求めるようになったとも考えられますが)。寺岡伸章氏のブログも大変興味深い内容でした。ありがとうございました。


4 ● gryphon
●20ポイント

だいぶあとの話になりますが

明の洪武帝は「六諭」という非常に単純なスローガンにして、儒教の教えを村々に広めました。

http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E5%85%AD%E8%AB%AD/m0u/

りく‐ゆ【六諭】

中国、明の太祖(洪武帝)が1397年、民衆教化のために発布した教訓。「父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ」の六言。

りくゆえんぎ【六諭衍義】

中国、明末・清初の人范?(はんこう)が平易な口語で「六諭」を解説した書。日本には琉球を経て江戸中期に伝わり、幕府は室鳩巣(むろきゅうそう)に「六諭衍義大意」を作らせた。

◎質問者からの返答

「平易な口語で」というのが、大衆に周知させる為のキーワードですね。お上からのお触れのようなもので、大衆自ら学ぶという姿勢は感じられませんが、儒教思想の流布には一役買っていそうですね。参考になりました。ありがとうございました。


5 ● きょくせん
●25ポイント

http://mmaehara.blog56.fc2.com/blog-entry-1572.html

私は上記を読んでの概念という事で。

一般民衆にとっては儒教と言うよりも道教の方が浸透したようです。で、道教も儒教と同じように『先祖崇拝』などを持っておりまして、道徳としての儒教部分はあまり受け入れられなかった、と解釈しています。また、仏教もその流布過程で儒教や道教の教義を取り込んでおりますので、基本的には儒教そのものと言うよりは他教の類似点が一般に流布した、と考えてよいでしょう。

ただ、儒教と道教では対立点……儒教の基礎経典(?)である『論語』≒孔子の思想を老子・荘子は否定している所もありますので、ある意味それを学んでいるうちに自然と論語的な道徳概念を会得してしまった、と言うのはあると思います。また、『菜根譚』など、それらのエッセンスを集約した本なんかも出ておりますので、そういった形や、説話のような形で広まったと考えても構わないと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%BB%9F

また、儒教における寺院に相応するものは孔子廟という事になるのでしょうが、中国本土では文化大革命の際に打ち壊されており、現在ではほとんど残っていないようです。なお、孔子廟には儒教の学校が併設され、これが儒教の普及を行っていたとも考えられます。

◎質問者からの返答

>儒教の基礎経典(?)である『論語』≒孔子の思想を老子・荘子は否定している所もありますので、>ある意味それを学んでいるうちに自然と論語的な道徳概念を会得してしまった、と言うのはあると思>います。

「ミイラ取りがミイラになった」ような話で面白いですね。私も、道教から興味をもった口で、堅苦しい儒教は敬遠していましたが、実際に読んでみると法治のようながんじがらめの規範ではなく、道徳観を持たせる徳治を主としていますので、意外と寛容さが感じられる教えだな、と感じました。良いとこどりをしたのが菜根譚ということになるのでしょうか。大変参考になりました。ありがとうございました。

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