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【人力検索かきつばた杯】
テーマ:老人とラブレター

創作文章(ショート・ストーリー)を募集します。
ルールははてなキーワード【人力検索かきつばた杯】を参照してください。

締切は10月14日(木)朝6時、締切後に一斉オープンします。

●質問者: hokuraku
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
✍キーワード:はてなキーワード オープン ショート ストーリー テーマ
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● 勇者よっしー
●25ポイント

ある日、老いた男が、封筒を拾った。

ピンク色のハートがたくさん手書きで書かれている。宛名を見ると「タカシ君へ」の文字の後、ハートが書かれている。

ラブレターだ。老人の豊富な人生経験を使わずとも、これがラブレターだと判る。

この道は、某中学への通学路。きっと、これを落として困っている女子中学生がいるに違いない。

自分が中学生だった頃を思い出す老人。

時は、第二次世界大戦。体が弱かった老人は、戦争に駆り出される事はなく、労働校舎内の工場で、女子と混じって縫製をしていた。

その時、工場で一緒になった女性に恋をした。結局、恋文さえ書かず、老人はモジモジしたままだった。

空襲で、彼女は亡くなった。

しかし、あまり落ち込まなかった。戦争だったのだ。誰もが死んで当たり前の時代だったのだ。妹も彼女と同時に死んだ。両親だって、その後の空襲で亡くなった。

でも、でも……恋文を書いていたら、どうだったのだろう。

ひょっとしたら、彼女は死ななかったかも知れない。自分と逢引していれば、家に居なければ……

そんなifを、60年ぐらい繰り返してきた。老人は思う。自分が勇気を出せずに書けなかったラブレター。この恋文を書いた少女は、これをなくしてさぞかし大変な事になっているに違いない。

どうにかして、届けなければ。

誰にも気が付かれず、この恋文をタカシという少年に届けるのは、大変に違いない。でも、やらなければ。他の人に渡しては、これを書いた少女が哀れだ。これを知る人間は少ない方がいい。そう、自分は知ってしまったのだから、自分がやるしかない。やろう。

そう老人は心に誓った。

そうして、老人はラブレターを持って、通学路に指定された、男子校へラブレターを持って歩き出すのであった。


2 ● あるぴにっくす
●25ポイント ベストアンサー

老人とラブレター

わしの目の前に一通の封書がある。

封緘はされておるが、消印は無い。つまりこの封書は書かれはしたが、投函はされなんだ、ということだ。差出人の欄は若干震え気味の字でわしの名が、宛名には・・・あの人の名が書かれている、いや、書かれているではなく、書いた、と言った方がいいだろうな。もちろん中の便箋もわしが書いた。

ここはわしの書斎で、誰かが急に入ってくるような心配は無いが、それでもドアに内鍵をかけてある。いつもこの封書を見るときはそうしている。

還暦のチャンチャンコはとうの一昔前に終わった身だが、婿養子のわしには過ぎた人生だったと、今更ながらに妻には感謝している。それでも、この封書だけは捨てることはできなんだ。妻とは違う宛名の恋文を。

あの年、3月の末によど号がハイジャックされるというニュースが日本中を駆け巡った。4月にはアポロ13号が打ち上げられ、11月には三島由紀夫の自決事件まで起こった。激動の一年だった。

年の瀬も押し迫った12月の末、まだまだ日本人にはクリスマスに恋人同士が連れ立って歩く、という風習は一般的ではなかった。私は思い人と街歩きがしたいと書きしたためた封書を持ち、寒風吹きすさぶ街路に歩み出た。いや緊張で寒さは感じていなかったかもしれない。マフラーもせず、ジャケット1枚で出かけたはずだからだ。

その日、自宅であるアパートから百メートル離れた郵便ポストまで、気持ちを抑えるように小走りに近いはや歩きで辿りついたところで、一人の女性に出くわした。それが今の妻、この家の当主だ。彼女はたまたま私が歩いているのを見かけたといい、紅潮した頬を隠そうともせず、わしを映画に誘ってきた。その日はわしが思い人を誘う日と同じ日であった。

断ることもできず、諾としてしまったわしは、封書を懐に仕舞ったまま、アパートまで見送るという彼女の申し出を断り、とぼとぼと歩いて帰った。

その後幾度かの巡り合わせの末、わしは今の妻と一緒になり、不自由ない人生を送っている。現に今も特段の不服は無い。

ただ、一抹の不安というか、後悔というか、心残りといったものがこの封書に宿っているのを否定することができない。

この封書をあの日、投函していたらどうなったのか?

悔やんでいるわけではない、というのは言い訳だろうか? もしあちらを取っていたら、という分岐の人生を想像することは罪だろうか。

「じいさん、今からその手紙、俺が出してきてやろうか」

それなりに胆力にも自信があるわしをして、背筋に悪寒を走らせたその声は、わしの頭の上、書斎の中空に浮かんだそのモノから発せられていた。

「な、なにもの?」

「ふん、取り乱さなかったことは褒めてやるよ。俺の名はダンタリオン、おまえの望み、かなえてやろうてんだ」

ダンタリオンと名乗った生き物? は空中で胡坐を組んで浮かんだままの姿勢で小脇に書物を抱えている。顔は・・・・、なんともいえない、兎に角”生き物”としか表現できない。

「で、どうすんだ。今ならお前の望みかなえてやるよ。ポストに入れてくるだけだろ、あの日に戻って」

わしは反射的に掴んでいた封書を震える両手で握っていた。

だが不思議なもの最初の恐怖が過ぎ去ると、その両手を、生き物を方にゆっくりと差し出していた。

「ほう。いいんだな?」

わしは自然にこくりと頷いていた。人生にやり残したことがあるわけでもない、というよりもこれが唯一の心残りなのだ。

ダンタリオンはくるり、と宙返りをすると忽然と姿を消し、その後には何も残っていない。わしは自分の両手の平を見たが、しわだらけの手が若返ったとかそういうことはないようだ。

「なんじゃ、どういうことじゃ」

ふと机を見ると、例の便箋が相変わらずそのまま置かれている。

「白昼夢か・・・・」

そう思いかけた瞬間、わしの背中に電気が走った。

良く見ると封書には“消印”がおされていたからだ。手にとって食い入るように見るが、消印は昭和○○年の12月のあの日の消印になっている。

「ど、どういうことだ?」

その時書斎のドアをノックする音が聞こえる。何故か直感的に分かった。妻だ、だがどっちの?

わしはドアの前まで行って内鍵を外した。その音が外にも伝わったようで、鍵が開いたのを察した“妻”がドアノブを回す音がする。

ゆっくりと書斎のドアが開く。

わしの前に立っていたのは・・・・・

“以前と変わらぬ妻だった”

「ご飯の用意ができましたよ」

「わ、わかった、すぐ行く」

いつもどおりの変わらぬ会話。強いて言えばわしの声の方が少し上ずっていただろうか。

消印は確かに先ほどまでは押されていなかった。ダンタリオンとやらは確かにあの日に投函してきたのだろう。では、なぜこの封書は“開封されないまま”わしの書斎に存在しているのだ?

なぜ妻はあの思い人ではなく、変わらぬ状態なのだ?

なぜだ?

(了)


3 ● goldwell
●25ポイント

祖母が亡くなった。

晩年はボケの症状で徘徊癖が出たり夜中に突然私物が見つからないなどと言っては騒ぐこともあってなにかと苦労したが、老人ホームに入居してからは若き頃の思い出を語るなど穏やかな日々を送るようになって家族ともどもホッとしたものだった。年寄りになると近い記憶は曖昧になってしまうが、逆に古い思い出の方が鮮明になるらしい。


それが今夏90歳で大往生した祖父とわずか3ヶ月違いでポックリと逝ってしまった。

「最後の最後まで仲良かったねぇ」などと葬儀の席では親戚がしんみり語っていたのだが、気難しくて庭で遊んでいてはよく叱られ、まさに頑固爺といった感じの祖父と、いつもニコニコしてておとなしい祖母との仲についてよく知らなかった私にとっては、そんなものかと思うしかなかった。


そして母に言われて祖母の遺品整理を手伝っていた日のこと。

祖母が使っていた部屋の押入れの奥に木箱がひっそりと置かれていたのを見つけた。なんだか気になって、梱包されていた紐をほどいてそっと蓋を開けてのぞいてみた。出てきたのは手紙の束だった。そして一番下から出てきたのは古びた一枚のモノクロ写真。

写っていたのは詰襟に学生帽の若い男性。高校?いや古い時代のようだから大学生だろうか。

二重瞼のパッチリとした目に面長の顔立ちは、はっきりいって美男子だ。

がっしりとした角顔に細目の祖父とは似ても似つかない。というか、旧姓の祖母宛の差出人は祖父の名じゃないぞ。

ばーちゃん、誰だよこの人は・・・?


整理はあらかた終わっており、「夕飯の支度するから適当に片付けおいてねー」と言って台所に向かう母の姿を確認すると、中身をそっと木箱に戻して箱ごと部屋に持ち帰り、どきどきしながら、そして少しの罪悪感を覚えながら手紙を読んでみた。

旧字体混じりながらも丁寧な字で綴られた手紙の内容は、日々の細かな生活の事柄を中心とした他愛も無いもので、ちょっと残念なようなほっとしたような複雑な思いだった。

文面から察するに、私大生の彼と高等女学校の生徒だった祖母との手紙のやりとりは昭和18年の春からほぼ2年に渡っていた。逼迫する戦況により学業がままならない中、互いに文学について語り合う様子が伝わってくる。なにがきっかけだったかわからないが、偶然知り合って意気投合し、その後はもっぱら手紙のやりとりだけだったようだ。


ふと思いだしたのだが、確か祖父と祖母は戦後間もない頃に見合い結婚したと聞いている。食料不足の中で苦労して父ら4人の兄弟を育て上げたと話してくれたことがある。

だとすると、彼と祖母はいったい・・・?

続けて手紙を読み進めた。

ついに彼は学徒出陣として海軍航空兵の一員となり、訓練に明け暮れる日々。それは特攻隊と呼ばれるもので、生還を期さない攻撃であること。

そして最後の手紙には、沖縄に来襲した米軍機動部隊を迎え撃つための出撃の日が決まったので、これが今生の別れであることが記されていた。

今まで死ぬということを直視できず迷いがあったが、貴女を守るために僕は死にいくという一文が結びとなっている。


若き日の祖母の悲しみはいかほどのものか。

最後の手紙を抱えてしばし考えこんでしまった。

晩秋は日が落ちるのも早く、外はすっかり夕闇に閉ざされてしまっている。

ふと、写真の下に小さく畳んだ便箋が残されているのを見つけた。

今まで読んでいた手紙の主とは違うこまやかな筆跡。

そこに書かれていたのは「貴方に逢ひたい」。

結局出せなかったんだね。ばーちゃん。


4 ● くろょ
●25ポイント

せっかくなので、それでは短めに…

朝、集合玄関の郵便受けを開けると、一通の手紙が入っていた。

この手紙には、切手が貼られていない事もそうだが、奇妙な事があった。それは、この手紙が自分宛ではなく、それどころか、この集合住宅の誰宛のものでもなかった事だ。

宛名は、片仮名で書かれた、西欧人のような見た事もない名前だった。裏面を見ると、やはり片仮名で差出人の名前が書かれていた(なぜ差出人とわかったかと言えば、最後に「より。」と平仮名で書かれていたからで)。もちろん、わしの知る名前ではなく、東南アジア系の名前のように思われた。

はて、どうしたものか。

郵便ならば、郵便局に問い合わせすれば済むのだが、直接投函されたのではどうしようもない。この集合住宅はシルバーホームであり、わしのような老人しか住んでいないし、知る限り、このような名前の入居所は聞いた事がない。

ひょっとすると、誰かのあだ名かもしれないと思い、午後のティータイムに、くつろいでいる入居者一人一人に手紙を見せて聞いてまわってみたが、宛名はもちろん、差出人についても、誰一人として知らぬと言う。

はて、困ったな、と一人、テーブルで抹茶を味わっていると、ちょうど、巡回の介護師の若い女性が、わしの方にやってきた。

「どうかなさいましたか。なんだか浮かない顔をされてますね。」

「いや実は、かくかくしかじか、というわけで途方にくれているのです。」

「それは困りましたね。開封してみた方がいいかもしれませんね…」

「うーん、それなら、わしではなく、あなたにお願いしようかな。これがその手紙なんですが…」

若い介護師は、手紙を見るなり「まぁ…」と小さくつぶやいた。そして、ニコニコしながらわしに言った。

「これは、あなたのお孫さんの公祐ちゃんから、あなたへのお手紙ですよ。」

「ええっ、どうしてそう思われるんです?」

「だって、表には『グラン・パへ』、裏には『公祐より』って書いてありますよ。字が書けるようになったので、嬉しくてお手紙したんですね。」

「『グラン・パ』がわしの事?」

「『おじいちゃん』という意味の外国の言葉ですね。」

「でも裏には『ハムネナロより』って……

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