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日本鬼子(ひのもとおにこ)を主役にしたストーリーを解答してみて下さい。


※政治色抜きでお願いします。


日本鬼子まとめサイト
http://www16.atwiki.jp/hinomotooniko/

●質問者: dmm
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
✍キーワード:まとめサイト ストーリー 政治 日本鬼子
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 12/12件

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[1](はてなにより削除しました) hgijgbnfhfg
(はてなにより削除しました)
[2]基本ドラえもん mododemonandato

どじでまぬけな主人公、日本王子「ひのもとおうじ」のもとにやってきたなんか神様みたいな日本鬼子。

毎回不思議な力で助けるお。

いじめっこのチャーハンが「おれさまの歌を聞け」

こざかしいキムチが「やっぱりチャーハンの歌は最高だから、王子がなんとかするだろう、ぼくは旅行だけど」

パツキンナイスバディのミスマリリン「王子さんなんとかして」

王子「鬼子ちゃーん助けてよー」

鬼子「パパパパッパパーン。 十種神宝(とくさのかんだから)の一つ蜂比禮(はちのひれ)。これを逆に使うと声を出すたびにはちがよって来るにょ」

王子「やったあ、大成功だ」

蜂に刺されて逃げ回るチャーハン。

しかし、自分も声を出したせいで蜂に刺されて逃げる王子。

「やれやれ、やっぱり王子はどじだにょ」

おしまい。


[3]ある日本人の戦争体験 I11

昭和二十三年三月十日、あれから四十二年の月日が流れたのですね。私は、東京で空襲にあいました。

その日、主人は、栃木のお寺に疎開していた三年生になる長女を迎えに行った日でした。三年生になる子を頭に四人の子供がおり、一人は、まだ、お腹にいました。

長女が帰ってくるので、お赤飯を炊いて、食事の支度をして待っておりましたが、帰ってくるかこないかのうちに、サイレンが鳴り出し、荷物を運ぶ暇も無く逃げたのでした。

長女は三女を、私は二歳になる子をおぶり、二女はお隣のご主人がおんぶをしてくれ、先に逃げたのですが、その子とだけ別れ別れになってしまい、無事なのを祈っていました。がダメでした。

あの時、「お母ちゃん早く、早くおいでよ」と私に手を振って言ったのが、あの子の最期の言葉でした。今でも、あの言葉を思い出すと涙が出てきてしまいます。

お茶の水の橋の側で死んだと聞き、何か遺品でも残っていないかと、主人が探しに行って持ってきたのは、ほんの少しの服の切れ端でした。

死んだ子を残して行くのは辛かった。一緒に死ねばよかったと何度も思いました。

その後、尾道、大阪、函館、余市、砂川、小樽を渡り歩いてきました。小樽に向かう記者の中、白いおにぎりを食べていた人を見て、幼い子供たちが「お腹すいたよ」と泣き出した時は、何ともいえない気持ちでした。

それでも無事子供たちを小樽まで生きて連れてこられたものです。小樽に着いたのは、七月十二日、終戦の一ヶ月前でした。

「今後、日本人はどうなるのか」と言う人が沢山いましたが、私はその事より、あんな恐ろしい戦争が終って本当に良かったと思いました。

戦争で一人の子供を失いましたけれど、今は娘たちも皆、幸福な家庭を作り、孫たちも大きくなり、早くひ孫の顔を見たいと思っております。もうあんな恐ろしい戦争は二度と起きてほしくないですね。

(『平和を願って綴る私の戦争体験 第九集』/生活協同組合市民生協消費者運動委員会発行/1989年)

http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001929732/jpn

この戦争体験の手記を1987年に書いた女性は、当時78歳でした。こんな女性に対して日本鬼子などと呼んで蔑むことは、絶対に許されるはずもありません。

自分が産んだ子どもを戦争で失い、一生その悲しみを抱きながら生きていかなくてはならなかった女性の悲しみに共感できないとすれば、そういう人こそが【鬼子】ではないでしょうか。

大日本帝国と、そこで生きている人は違います。太平洋戦争を起こしたことは間違いだと一部の日本人は考えていましたし、終戦は日本人の多くが望んでいたことでした。

私は、昭和九年十一月に上京して、朝日新聞の配達をしながら旧制中学校に通い勉学をしていたが、その後知人に弁護士事務所を紹介され、その時はそこの書生をしていた。

その頃、徴兵検査は学校を卒業する迄延期されていたのだが、支那事変がはじまり戦争が拡大されて、兵隊がどんどん必要になり、学生の徴兵検査延期が中止になった。私の場合は一年間だけの延期で、昭和十三年七月に徴兵検査を受け乙種であった。その年の十一月に赤紙が来た。

当時二十二歳だった私は、自分の命が“兵隊に行って死ぬ”という馬鹿げたことになるのが何としても厭であったし、“さもなければ殺す”殺し合いの戦争は愚考としか思えず、何よりもそれまでの出征兵士の様子を見ていると(兄も甲種合格でその時一緒に赤紙が来て三度目の出征をした)いつも憲兵がつきまとって横柄に威張っているのが大嫌いだし、近所の人達が小旗を持って“死んで帰れ”みたいな歌をうたって送り出すのも厭であった。

その赤紙が来た日の夜中に逃亡の段取りをして、弁護士事務所に置き手紙を置き、関西方面に行くことにして、翌朝八時の列車で大阪に行った。

若い者は戦争に借りだされて払底している時だから割と仕事はあったが、偽名を使っての逃亡中であるから常に追手がくる不安があり、他人との接触にも全神経を集中させ、ちょっとでも不審なことがあれば、何もかも捨てて逃げる。同じ人が何度か来ると(怪しい)と思って一、二週間で逃げ、長くて一、二ヶ月位と職もあちこち変えた。そして最後には人にだまされて長崎へいき、ついた仕事が「タコ部屋」の人夫でつらい日々をすごしたが、このタコ部屋もすきを見て逃げ出した。

昭和十六年十二月、「タコ部屋」の追手の気配も余り感じられなくなり、東京の友だちにでも会おうかと上京して新宿駅にいた時、私服憲兵に逮捕された。

新宿駅の木のベンチで一休みして(桜木町の友だちの家へ行ってみようか)と思っていたら「もしもし」と肩を小突かれた。ハッとして見ると半天を来た男が立っている。ハッとして気づいたのだからウトウトしたのだろうか、今でもあの一瞬は分からない。「名前を言ってごらん。どこの誰かね。住所は?」でたらめの名前や住所を言ったが「みんなの為に戦地に行ったりしているのにアンタはどうしたネ。いいからちょっと来なさい。」と新宿憲兵隊に連れて行かれた。両脇と向かい、四人の屈強な憲兵が囲んで「本当の名前を言え」と取調べ、机の上に分厚い名簿を置いて一枚一枚めくると、“脱走兵名簿”とでもいうのが一人一枚になっていて写真もついている。めくりながら四方からこっちの様子をじーっと見ている。何枚目かで自分のが出てきた時はびっくりした。偽名を使ってるから知らん顔をしようと思っても、やはりハッ!とするから表情が変る。「これだな!」ということで散々拷問にかけられた。

電気のコードで足首をぐるぐる巻きに縛って天井に吊り下げ、丸太ん棒でぶん殴る。気を失うと一升ビンで鼻から水を入れてまた殴る。「殺せ! 非国民は殺してもいいんだ!」と激昂しても殴る蹴る踏んづけるから、余程心臓が丈夫でないと死んでしまう。水をかけても気が戻らなくなると留置所に放り込む。時間を置いてまた引き出し、今度は青竹を割って切り口を上に向けて並べた上に座らせ、大きな憲兵が肩に乗ってぐいぐい押す。弁慶の泣き所が割れ目に当るから痛くて気を失う。三日間も歩くことが出来なかった。

一ヶ月位で陸軍刑務所に送られ、翌年の二月に九段の陸軍軍法会議の判決で、禁固刑一年と言い渡された。そして市ヶ谷刑務所(後、巣鴨刑務所となる)に入れられた。あらゆる拷問にかけて、合間には「今すぐ心を入れ換えて戦場に行け」の繰り返しで、刑務所の教誨師も「あんたの腐った心根を改心して、戦争に行けばすべて許される」と説教した。私は「刑務所に入って実刑を受けてるんだから絶対に戦争には行かない」と頑張った。家族や親戚も調べられて大変だったらしい。

昭和十八年三月に刑が満了して釈放、その時も「性根を入れ換えて戦争に行けば帳消しにする」と言われたが、「いまさら人殺しをするのはイヤだ。そのために刑期を満了したのだから」と断り(やれ嬉しや)と正門を出た途端、前に憲兵二人が自動車で迎えに来ていて「お前は只今から神戸の川崎造船所へ強制徴用だ」と車に乗せられて造船所に連れて行かれた。

(『平和を願って綴る私の戦争体験 第九集』/生活協同組合市民生協消費者運動委員会発行/1989年)

http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001929732/jpn

こうやって、死ぬほどの思いをして、戦争への参加をあくまで拒否した日本人もいました。もし、彼らが戦争に参加したら、もっと多くの中国人が殺されていたかもしれません。そのことを知らない人たちは、日本人はみんな戦争が大好きで、進んで戦争に行ったと思い、それで日本鬼子などと呼ぶのかもしれません。

日本人はみんな交戦的で、差別的で、中国人を動物のように思っていて、なんの感慨も無く殺すことができると思っているかもしれません。たしかにそういう日本人もいるかもしれませんが、そうではない人もたくさんいます。みんながそうだという認識は偏見です。

振り返って、わたしたち日本人はどうでしょうか? 中国人に対して偏見を持っていないといえるでしょうか? 「中国人はみんな日本人を日本鬼子と呼んでいる」と思っていないでしょうか? 私はそうは思わない。

これは政治の問題ではありません。人の言動をどう評価するかという、政治以前の問題です。

ですから、日本鬼子のストーリーの最後は、こうであってほしい、と私は思います。

「こいつは日本人だ! 日本鬼子だ! 殺っちまえ!」

怒り狂ったデモ参加者が投げた石のひとつが、立ちふさがった日本人の母親の頭に当たり、彼女の頭から赤い血が流れた。

彼女は、デモ隊参加者ひとり一人の曇った目を見て、こう叫んだ。

「わたしは日本鬼子じゃない! リーベンクイズじゃない! わたしはわたし! わたしの娘は、日本鬼子に殺されたのよ!」

子どもを戦争で失った母親が叫びと涙は、日本鬼子と叫んでいたデモ隊の参加者の心を動かした。

「暴力は問題の解決じゃないわ。日本鬼子に殺された私の娘は、もう二度と帰ってこない。だけど、わたしたちは生きている。生きて、わたしたちが協力しあえば、わたしたちはもっと豊かに生きていけるはずよ。」

デモに参加していた中国人たちは、静かに彼女の言葉に耳を傾けた。その沈黙が、彼女の正しさを証明していた。

「日本では、実現しないと思われていた選挙による政権交代が実現したわ。変えられない未来などないのよ。革命を何度も体験したあなたたちだからできることよ。さあ、行きましょう! わたしたちが立ち向かわなければならないところに。ほんとうの鬼子のいるところに!」

そう言って、彼女は、禁忌の場所に向かって、決然と歩いていった。デモに参加していた大衆も、彼女の後ろについて、ゆっくりと歩きはじめた。天安門広場と呼ばれるその場所に向かって。


[4]>3 「と」が抜けてますよ dmm

http://to-a.ru/s7hpLp/img1

後、政治色抜きで「萌」でお願いします。

自分的には、「シャナ」的な展開が希望です。


[5]>1 通報しときました dmm


[6]>2 いいですね。なぜ、般若で薙刀なのかの説明もあるといいです。 dmm


[7](はてなにより削除しました) hgijgbnfhfg
(はてなにより削除しました)
[8]。。 Ilove-AKB

。。


[9]政治色抜きだと難しいですね。 yam3104

日本鬼子が、松茸の国の桃姫を汁飯大魔王の魔の手から救うべく戦う痛快アクションストーリー。汁飯大魔王が自分の子供達を使って世界を乗っ取ろうとした事に合わせて、鬼子も世界を又にかける事になる。そんなこんなで鬼子は世界一有名な戦士になったが、意外な事に女性であることを知るのは少数である。

得意技は「踏みつけ攻撃」と「日の球」。後にカエルやタヌキに変身、更に小型恐竜を乗りこなす事も出来る様になった。緑色の妹が居るらしいが詳細は不明。


[10]>6 神様に貰った。 mododemonandato

神様は日本に激甘。

パワーアップアイテムを貰ったにょ

般若の面はスピードが八十倍になる。

八十速の面(やそはやの面)

長刀は力が八十倍になる。

八十力の刀(やそぢからの刀)

しかーし、あまりに力とスピードが上がりすぎたために、全力で戦うとお約束どおり着物が破れてしまうのであった。


[11]やるなら、こうなるかな・・・ KK-1437

日本鬼子は、別の世界の女の子、しかしある日不思議な所に、出て来てしまった、それは、現在の中国だった。

そこで、妖怪と戦い、別の妖怪とは、仲間になって行き、最終的にもとの世界に戻れるのか。

「本当の優しさ」を、ちょっとづつ知って行き、日本鬼子は、成長していく。

そんな形かな、


[12]鬼子日記 霜月のおたのしみ castle

鬼子「十一月か…今年もあと二ヶ月だな」

小日本「鬼子ちゃん! でだしが全然フツーですよ! そんなんじゃさっぱりだめだめです!」

鬼子「む。そうか? 自然な入りだと思ったが。駄目か」

小日本「もっと本気でやらないと! もっと! もっと熱くなってください!」

鬼子「そうはいうが小日本、おぬしも聞いていた設定とキャラが少々ちがうような」

小日本「キャラとか設定とかそういう発言もだめー!」

鬼子「ふむ、なにやらわからんがわかったぞ。その件は了解した」

小日本「ぶっちゃけグレーだから危険ですし。じゃあ何の話しましょうか?」

鬼子「まずはコタツに入りながら蜜柑でも食べよう」

小日本「コタツにみかん、冬っぽくていいですね! それで?(ワクワク)」

鬼子「蜜柑の皮を剥いて、白い筋を取り、実を口に入れる」

小日本「それでそれで?(ドキドキ)」

鬼子「味わう」

鬼子「(モグモグ)」

鬼子「(モグモグ)」

鬼子「(モグモグ)」

鬼子「蜜柑は美味いな」

鬼子「 完。」

小日本「おわっちゃわないでください!

鬼子「いやな、コタツに入るとだな、こう思考力がゆるゆるっとだな…」

(モゾモゾと肩までコタツに潜り込んでいく鬼子)

小日本「はうー、鬼子ちゃんがカタツムリ子ちゃんになっていくー」

鬼子「仕方があるまい。この体勢の方が気持ちいいのだ。気持ちいいことに逆らえないのは自然の摂理なのだ」

小日本「そういいながらコタツと一体化しないでください」

鬼子「何を言う。コタツこそ日本の誇るべき偉大な文化、その究極体たるコタツムリに恥ずべきことなど一点もないのだ」

小日本「究極体って…」

鬼子「どうだ? おぬしもいっしょにコタツムリにならぬか?」

小日本「な・り・ま・せ・ん!」

鬼子「…そうか」

小日本「…そうです」

鬼子「……」

小日本「…………」

鬼子「ジーーー…」

小日本「あうぅ」

鬼子「残念だ」

小日本「わかりました! コタツムリするからそんな淋しそうな目で見ないください!」

鬼子「ふふ、よかろう」

小日本「うんしょ。うんしょ」

(コタツに潜り込もうとする小日本だが)

小日本「ねえ鬼子ちゃん」

鬼子「なんだ」

小日本「コタツの中、占拠されていて入れない」

鬼子「当然だ。コタツは早い者勝ちと古来より相場が決まっておる」

にやり。

小日本「鬼子ちゃんのオニー!

以上、萌え4コマをイメージして書いてみました。

参考にしたスレッド

・【蔑称ではない】鬼子SSスレ【萌なのだ】

http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1287760073/

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