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【イエはてな】"ディア・ライフ" #009

THEME:「やっぱりわが家が一番!と実感した幸せエピソード」

“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!

*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!

「Welcome to イエはてな」

http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731


テーマ詳細とアイデア例

http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20110112

※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は1月17日(月)正午で終了させていただきます。

1294808136
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●質問者: ie-ha-te-na
●カテゴリ:コンピュータ 生活
✍キーワード:1月17日 theme 「LIFE」 いただきます いね
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 36/36件

▽最新の回答へ

[1]やっぱり久々、みんなで食卓を囲んだ時。 nakki1342

年末年始。家族そろって食卓を囲む時が何度かありました

それは、ケーキを切り分けたり、オードブルのお寿司を食べたり

チキンを食べたり・。。色々

最近は、家族、それぞれの生活リズムが違うこともあり

みんなでそろって食べることは珍しいことになってしまったのですが

やっぱり家族がそろって何かを食べるというのはいいですね

食事するだけでなく

そこにおしゃべりもはいってくるからにぎやかにもなるし・・

日ごろもできるだけ(全員は無理でも)

複数で食べるような食事にしたいものです


[2]家に入ったときに暖かいこと yukosaitoh

疲れて帰ってきて、ドアを開けたときに「おかえり?」の声と共に流れてくる、暖かい空気。

そして出てくる、暖かいご飯。

ほっとして、やっぱり家が一番だなぁと思います。

一人暮しが長いので、年々更に、ありがたみを感じます。


[3]>2 身体も心も暖まる eiyan

帰宅してきた時の気持ちは玄関に入った時に決まりますね。

家族の暖かい出迎えと共に暖ったかい空気が漂う雰囲気は安堵感が漂います。

この帰宅した時の雰囲気は高齢者が自宅で留守番しているだけで醸し出されますね。

高齢者が自宅で留守番しているといつも暖かい空気が漂っていますが、高齢者が亡くなると急に寂しく悲しく冷たい空気が漂いますね。

高齢者も家庭を守る重要な役目を担っている事が判ります。

やはり高齢者といっても家族の一員はそれぞれの役目を持っているもの。

これは高齢者が存命の時は感じないのですが、高齢者が亡くなると同時に認識されるそうです。

家庭家族の暖かさを必要とするなら高齢者も大切にしたいですね。


[4]>3 祖母の暖かい存在感 yukosaitoh

返信、ありがとうございます。

確かに、おっしゃる通りですね。私の実家は、母と祖母が一緒に住んでいます。私が子供の時から祖母がそこにいるのが当たり前で、その何とも言えない暖かさは、離れてみてあらためて感じました。

もうだいぶ高齢ですが、今でも元気いっぱいです。祖母がいなくなってしまう…というのは、今はまだ考えられないですね。まだまだ元気に長生きしてほしいです。

中には、高齢者が一人ぼっちで寂しく暮らしている方も多いので、そう考えると我が家は幸せだと思います。

家庭家族の暖かさは、親の代だけではなく、祖父母の代も抜きには考えられないですね。


[5]>1 核家族 eiyan

最近は”核家族”化して家族が少ない家庭が多くなりました。

お正月とかお盆のお墓参りで帰省して家族親戚での会食は楽しいものですね。

やっぱり食事は大勢で豪華にした方が美味しく食べれますね。

それがペットとの食事でも言えますね。

ペットももう立派な家族の一員。

一緒に食事出来る事は幸せを感じるそうです。

大勢の家族親戚そしてペットと共に食事出来る事に感謝しましょう!

感謝する事で再び次の出会いが待っています!

次の出会い食事の場面はどんな場面が演出されるのか楽しみですね。

一人での美味しく感じない食事でも自分が多役をして大勢で食事する場面を演出しましょう。

一人芝居の食事場面も楽しいものですよ。


[6]>4 寒い外から帰って炬燵 some1

玄関に入り、楽な格好に着替えて、炬燵に入って夕食を家内と食べる時は色々とホッとします。

あと、実家を久々に訪れた時の雰囲気も似たような温かさを持っていると思います。


[7]>4 高齢者の健康 eiyan

そうなんですか?

高齢者は貴重な存在です。

出来るだけ長命である事を願います。

それには栄養のバランスが大切ですね。

栄養食品サブリが良いからといってそればかり摂取しては駄目でやはり栄養のバランスですね。

この”いえはてな”でも回答がある様に5色の食材をバランス良く摂取した方が健康の安定になります。

この”いえはてな”での知識で家族等の健康を保って下さいね。

お母さんとお祖母さんの健康の為にご活用下さいね。

長命を祈っていますよ!


[8]>7 栄養と楽しく食べること yukosaitoh

>それには栄養のバランスが大切ですね。

>栄養食品サブリが良いからといってそればかり摂取しては駄目でやはり栄養のバランスですね。

>この”いえはてな”でも回答がある様に5色の食材をバランス良く摂取した方が健康の安定になります。

そうですね。きちんと大地で元気に育ったものをいただく。

これってすごく重要だと感じます。

あとは、やっぱりみんなで楽しく食べることですよね。

>この”いえはてな”での知識で家族等の健康を保って下さいね。

>お母さんとお祖母さんの健康の為にご活用下さいね。

>長命を祈っていますよ!

ありがとうございます!


[9]>6 コタツは距離が近くなりますよね yukosaitoh

コタツって、何だか距離が近くなったようで、すごく暖かいですよね。

我が家も昔はコタツを出していたのですが、祖母が足を悪くし、イスにしか座れなくなったのと、コタツ布団でつまづく危険性が出てきたので、撤去されてしまいました(^^;

仲良し夫婦のご様子で、とってもうらやましいです。


[10]帰ると子供の可愛い顔を見られること suppadv

早く帰れば、喜んでくれる笑顔

遅く帰っても、可愛い寝顔

毎日楽しいです。


[11]>5 家族 gtore

家族みんながそろって、食卓を囲むことができたときはうれしいですよね。

ただそれだけで、ほっとします。

そのうえで、あたたかいお料理をいただくことができれば、もうそれは至福のときですよね。

こうした時間はできるだけ多くつくるようにして、そして大切にしていきたいものです。


[12]>11 外で「晩ご飯の匂い」をかいだとき iijiman

私は、今は結婚していますが、一人暮らしをしていた時期も結構ありました。

一人暮らしの時、冬の夕方、薄暗くなり始めた街を歩いていると、どこからともなく「晩ご飯の支度の匂い」がただよってきます。

それが、どうも苦手でした。

その匂いをかぐと、淋しく、人恋しく、心細くなってしまうのです。

テレビの音なんかも、ちょっと「ぐっとくる」ものがありました。

今は「早く帰って我が家の匂いに浸ろう!」と思うので、大丈夫になりました。

帰る場所がある、家族がいるというのは、有り難いものです。


[13]旅行から帰ってきたとき lepremierpas

不思議なものですよね。

ストレス発散、気分転換、日常からの解放などで旅行へ行くものですが、不思議な事に旅行から帰ってきて家についた途端、毎回思うのです。

「あーやっぱりここだな。ここが一番落ち着く。」

非日常を求めて、いつもの場所から離れたくて旅行へ行くのに。

それなのに帰ってくるとまたその家に安心を感じてしまうものです。

普段一緒に生活していると家族が煩わしいと感じる時もあるものです。

けれど少し離れてみるとやっぱり寂しい。

いつも見慣れている顔ぶれに会えない日々というのは心の中にぽっかりと穴があいたような気持ちになるのです。

笑い声から怒り声。やっぱり聞きなれた声に囲まれていないと落ち着きません。

毎日当たり前のように過ごしていると、家族の存在がどうしても当たり前に感じてしまいます。

それゆえに、有難みを忘れます。

その存在がどれだけ自分が生きて行く上で支えとなり基盤となっているかを。

当たり前のように一緒に目を覚まし、当たり前のように一緒に食事し、当たり前のように眠りに就く。

でもこれって本当に当たり前でしょうか?

明日が当たり前に来るとは限りません。

もし来なかったらきっと後悔します。

何故なら大事な人たちの存在を大事だと認識する力が不足しているからです。

旅行へ行くとこれを毎回感じます。

一人静かに過ごしていると妙にもの寂しい。

家に帰って我が家のにおいを感じると安心する。

ありがとう。

いつも一緒に居てくれて、過ごしてくれて。支えてくれて。


[14]お祭りの夜のこと TomCat

大人でも子供でも、遊びに熱中してしまうと、まだイエには帰りたくない、なんて思ってしまうものですね。イエに帰る、イコール楽しい時間の終わり、と考えてしまうんです。

あれは小学生の時。季節は夏休みでした。私達仲良し仲間数人は、まだ日が高いうちから隣町のお祭りに遠征していたんです。隣町といっても線路を挟んだ向こう側ですから、そんなに遠くはありません。ほとんど地元のようなものです。

そのお祭りは、付近一帯を通行止めにして、道の両側にたくさんの露店が並ぶ、なかなか大規模なものでした。大きな通りだけでなく、脇道にも露店が並んでいますから、私達はあっちの道、こっちの道と探検気分で走り回りました。たこ焼きも食べたしラムネも飲んだし、ハズレしか出なかったけどクジも引いたし。御神輿も見たし、山車の行列の後にもついて回って、私達は大満足でした。

でも、子供の楽しみはまだまだ終わりません。一通り回るだけ回ったら、今度は知り合い探しです。

「お、あれ、隣の組のやつらじゃね?」

「ほんとだ、おーい!!」

普段は話をしたこともないような同級生でも、こういう所で出会えば大の仲良しです。新たな友達と出会うたびに、一緒にぐるっともう一周。こんなことを繰り返していると、いくら時間があっても足りません。お囃子や太鼓の音。活気のある人波。私達は時間の経つのも忘れて遊び回っていました。

でも、もっとここで遊んでいたいという私達の願いとは裏腹に、宵闇は確実に近付いてきます。学校の腕章を付けた先生や保護者会の人達が、すれ違う子供達に「そろそろ帰る時間だぞ、もっと楽しみたい人は一旦帰って、改めて大人の人に連れてきてもらうこと」などと声をかけて回っています。私達も呼び止められて注意を受けました。「はーい、今帰る所でーす」と答えましたが、心はもっと遊んでいたい気持ちで一杯でした。

帰り道で、浴衣姿の女子とすれ違いました。お父さんと一緒です。親子で楽しそうにお祭りに向かっています。「俺もあとでお父さんともう一度来よう」「俺も俺も」。友達はみんな口々にそう言っていましたが、私はその日、父の帰りが遅いことを知っていました。母もあまり体が丈夫ではないので、人混みに連れて行ってもらうのは望み薄です。仕方ないか・・・・。私はちょっと重い足取りでの帰り道でした。

「ただいまー」「お帰りなさい、お祭り、楽しかった?」。母が明るく迎えてくれました。私も努めて明るく「うん、向こうでもいっぱい友達に会ってさあ」などと昼間あったことを色々話しましたが、心の中では、『もう一回お祭りに行きたいなあ、見たいなあ、夜のお祭り・・・・』、そんなことばかり考えていました。

「夕ご飯食べられる?」

「うん、昼間たこ焼き一皿食べただけだからお腹空いた」

「たこ焼きだけかあ。じゃ、夕ご飯は焼きそばにしようか。お祭りみたいにマヨネーズかけ放題」

「あ、いいね!!」

ソースの焦げる、いい香りがしてきました。お祭りの匂いです。

「青海苔もかける?」

「かけるかける」

「はい、お客さん、500万円」

「た、高い?」

話にも花が咲きます。私が今日見てきたばかりのお祭りのこと。そして母が子供の頃に体験したお祭りの話。とりわけ母の子供時代の話は楽しいものでした。今はあまり見られないバナナのたたき売りや、わけの分からない品物を口上たくみに売り捌く寅さんみたいな人の話など。私はまるで二つ目のお祭りを回っているような気持ちで聞き入っていました。イエに帰ればいつもの日常。楽しかった時間はもう終わり。そう考えていた私には、思いがけない楽しい夕食になりました。

時計の針が夜9時に近付きます。そろそろお祭りも終わる時刻。父が帰ってきました。手には大きな袋の花火セットをぶら下げています。

「ちょっと時間遅いけど、これ、やらないか?」

「やるやる!!」

母も出てきて、さっそく庭で花火大会が始まりました。イエがこんなに楽しいお祭りの続きになるなんて。私は今、誰よりも楽しいお祭りの夜を過ごしています。赤や緑の美しい光。匂い立つ夏の香り。私はもう、はしゃぎまくりでした。

線香花火が始まると、そろそろ花火も終盤です。

「いつか、家族みんなでお祭り、行こうな」

父がぽつりとつぶやくように言いました。母がコクリとうなずきました。私は何だか瞼が熱くなってしまって、目をゴシゴシとこすりました。父に見られたので、煙い?と誤魔化しました。みんなの笑い声が上がりました。やっぱりイエが一番です!!


[15]家でごはん offkey

若い頃はあまり料理が出来なかったこともあり、外食の方が好きでした。どこかへ出かけたときも「夕飯は?」と聞かれて「外で食べてくる」とばかり返事をしていたものです。

そんな私が家ご飯を好むようになったのは、母と一緒にパッケージツアーに参加したときのことでした。

旅行といえば私自身、友人と行くときなどは適当に宿などを手配して気ままに現地を歩き回るスタイルでしたが、母はいろんな場所へ連れて行ってくれるパッケイージツアーを好み、私も親孝行のつもりで参加。

ツアーは強行スケジュールではあるものの、荷物の心配はしなくていいし、個人では入れないような施設へ入ることが出来たりとなかなかの優れものです。

とりわけ、心配しなくていいのは食事。

なにしろ、行く先々で昼食の用意があり、朝と夕はもちろん宿でとることができます。


さて、そんな旅行に出かける前の準備のこと。

帰ってきてからの食事をどうするかと留守を預かる妹に聞かれて、母は「家で食べる」といいます。母に限らず、両親は旅行へ出かけたとき帰宅時間が食事に間に合うときにはいつも家で食事をとることにしているのです。

私はといえば、外食で普段家で食べないものを食べるほうがいいなあと思ったのですが、そこは母のお供の役割ですから、いいつけに従うことにしました。

そして出発。旅行先での食事は確か食事の内容は海の幸を中心とした和食がメインだったような記憶があります。

とりわけ私の住んでる地域ではなかなか食べることができないような魚介類などが宿の夕食で出てきて、すっかり堪能しました。


そして、数日の観光を終えて帰宅。

家で待っていたのは今でもはっきり覚えているのですが、鶏肉と白菜玉葱などが入ったクリームシチューでした。

なぜ覚えていたかというとそのときのクリームシチューがものすごく美味しかったからなのです。

妹に聞けば普段と同じクリームシチューであり、特別変わったことはしていません。

となると、数日間旅行先で家とは違う味付けの食事を取り続けて、体が家の味を恋しがっていたのかもしれません。

このときに、なぜ両親が旅行から帰ってきたときに家でごはんを食べるのか、その理由がわかったような気がしました。


家族みんなで出かけたときには流石に作る人に負担がかかるので、外食か惣菜などを買って帰りますが、待ってる人がいる家で、家のごはんを食べる、これが実に美味しいものであることに気が付いた私は、以後、なるべく家でごはんを食べるようになりました。

と、同時に料理も上手ではありませんが、それほど苦にならなくなってます。

なにより、外から帰ってきた人が家の味を楽しんでくれるといいなあと思うようになったから。


[16]退院した時 fumie15

大病をして3ヶ月くらい入院した時がありました。病院食はおいしいけれど、やっぱり母の味が恋しくなりました。大部屋だったので就寝時間以降のテレビ番組も見られません。

そしてなによりも猫!会いたいと言ったら写真を持ってきてくれましたが、やっぱり猫を抱いてほっこりしたいです。

退院して家に帰ってまずしたことは猫を抱き締めることでした。そして母の手料理!好物なものばかりでした。

寝なれたベッドにもぐりこんだ時、「我が家だなぁ」と思いその晩はゆっくりと寝ました。


[17]>12 家族 Rytandrezone

食べる時間帯が、仕事等で普段はばらばらですが、年末年始はさすがに揃って食べましたね。

なかなか成人すると、難しい状況ですが、できれば家族揃って食卓を囲いたいですね。


[18]>16 環境感情 eiyan

生活の環境は自分ではどうにもならないものです。

そのどうにもならない環境に逆行するのでなく順応する事でその環境をより良いもので出来るのですね。

そしてその環境を保ち不足している環境を提供してあげる事で皆んなが幸せを感じる事が出来ますね。

住み慣れた環境、生活馴れした生活は自分の心を充実させますね。

それが心の栄養補給ですね。


[19]>15 家族食 eiyan

やっぱり家族皆んなで食事するのは美味しく戴けますね。

気心の知れた家族は心の栄養までも美味しく感じさせてくれる。

外食と内食の違いは心の存在。

楽しく笑顔の会食は栄養満点。

”家族食”万歳ですね。


[20]>15 家族食 eiyan

やっぱり家族皆んなで食事するのは美味しく戴けますね。

気心の知れた家族は心の栄養までも美味しく感じさせてくれる。

外食と内食の違いは心の存在。

楽しく笑顔の会食は栄養満点。

”家族食”万歳ですね。


[21]家族の団らん sumike

わが家には、やさしく大人しい息子と、よく男の子と間違われる、やんちゃな娘がいます。

夫は二人とも、よくかわいがっており、イエにいる時には大抵一緒になって遊んでいます。

私もうらやましいので、家事が一段落すると、よくそこに混ぜてもらいに行きますw

たとえば、フローリングの居間にプレイマットを2畳分ほど敷いてあるところに寝転がった夫に

みんな、ぎゅ?ぎゅ?とくっついて寝ころがりTVをみたり音楽を聴いたりしています。

夫の大きな上下するおなかに、頭を載せると一番気持ちよくって、幸せを感じる場所なのでみんな取り合いです。

力では子どもは私にはかなわないのでw、そんな時にはジャンケンで順番決めをします。

また風呂に入る順番を決めたり、物を取って来るのを決めたりするのもジャンケンで。

子ども達の会話やTVを見ながら笑う主人につられて、みんなで笑う、そんなひとときが大好きです。

家族の触れ合いを通して元気のエネルギーを家族に与えてくれる夫のおかげで、外での仕事や人間関係でエネルギーを消耗しても毎晩こうして充電しています。

必要な時には厳しく叱ることもありますが、優しくて面白く、時に厳しい夫がみんな大好き。

そんな夫が朝起きてすぐと、仕事に行く前、そして仕事から帰った時と夜寝る前に私たちとすることは、ハグ&キスです。

最初はもちろん私w

ギュっと抱きしめて、それからほっぺかおでこにチュ?。

子ども達も当然のこととして、順番に待っています^^その次は私と子ども達。

うっかり忘れたフリをしていると、息子は大袈裟に「も?ぼくを忘れないで?」と言って催促します。

娘は「あ?」といいながら後をおいかけてくっついてきます。

子どもたちは、きっと保育園の友達み?んなも、イエでは家族でハグ&キスをしていると思っているにちがいないw

また、私が体調が悪い時に、夫と子ども達を居間に残し、一人隣の和室で横になっていると襖ごしに三人の話し声や笑い声、

オモチャの音や夫が片付けをしたり、お皿を洗う音などが聞こえてきます。

そして私ってあまり役に立っていないなぁ?と思ったりして落ち込んでいると、音が途切れてどうしたのかな?と思ったら「大丈夫?もうよくなった?」と夫や子ども達がオモチャや本、飲み物を持って交代でのぞきに来てくれるんです。

すると、現金な私は、私ってみんなに必要とされているんだなぁって、じ?んとしてしまいます。

私にとっても夫と子ども達はとても大切な存在、家族とはみんなの思いやりで作られているものだと日々実感しています。

こんな家族にいつも大感謝です。


[22]家族揃っての誕生日会 maruiti

自分は以前は子供が苦手だったが、今ではいわゆる「子煩悩」な方だと思う。

結婚し息子が生まれ、次に娘が生まれてからこの方、いままで自由を満喫するのが幸せだと思っていたが、

それまでの自分だけの世界が色褪せ、家族が待っている我が家が一番の楽しみになった。

仕事が終わるとスッ飛んで帰り、子供としりとり(今息子のマイブーム)やレンジャーごっこをしたり、

娘の面倒を見ながら一緒に遊ぶことが一番の癒しであり、楽しみになった。

妻ともその日会社であった話をしたり、一緒にテレビを観て感想を言い合ったりする、そんな時間が活力になっている。

だから、我が家で過ごす家族との時間が自分にとって一番大事な時間、他の何ものにも代え難いものとして。

いつか・・・・想像し難いことではあるが、多分あと10年もしたら子供達は反抗期を迎え、自分達とは反目しあい

また15年もしたら長女は自分の手を離れ、20年後にはきっと嫁に行ってしまうのだろう(;´Д`)

限りがあると分かっているからこそ、この時間を大切にしなくてはと思う。

そんな我が家では、家族の誕生日会が大事なイベントだ。

誕生日はそれぞれ年に1度のことだが、家族全員そろって祝うことにしている。

年末に下の娘の誕生日会をした。早いものでもう2歳。

娘の誕生日には、妻と一緒に特製「オレンジのシフォンケーキ」を作った。

見事ふんわり膨らんでたっぷり入れたオレンジの皮の香りもよく、手前味噌だが美味かった!!

ちなみに生クリームと果物のトッピングは息子が担当。

ケーキを回さず果物を載せたので上と手前側しかデコレーションされていない(笑)

娘は、自身の写真と飾りが付けられた部屋でケーキとみんなからお祝いの言葉と歌とプレゼントをもらえて、大興奮!

きっと夢のような日だったことだろう。

自分は、みんな揃っての食事が家族の基本だという両親に育てられた。

なので、定期的に一族で集まって食事を共にしたり、両親の誕生会も子供達と一緒に行ったりする。

みんなで食事をすることで食を通して心が通い、お互いを思いやる気持ちが持てるのではないかと思う。

世代間の交流もできて子供達にとって良い刺激になるため、有り難い。

親が子供の成長を祝い、今後の日々の幸せを望む姿、子供が親の苦労や心配に対して何ができるか、どうするかを考えていく姿を、家族の誕生日に毎回確認しあうことが、思いやりの気持ちを育むのだと思う。

年をとるのを楽しめる、毎年お互いの誕生日を祝いあう家族でこれからもありたい。


[23]うたの聴こえるイエ ekimusi

私がイエで、幸せに思う瞬間は、いくつもありますが、その一つが家族のうた(鼻歌)です。

もちろん自分で歌うのもいいけれど、なんだかしあわせな気分になれる家族の鼻歌を聞くひとときが好きなんです。

それは小さい頃から、歌のある暮らしの中で育ってきたことがとても大きいと思います。

たとえば、父が日曜大工をしながら鼻歌を歌っていると、それに合わせて他の家族も一緒に歌い出し始めたりして、

いつも誰かしらが「うた」を歌っているような家でした。

それが当たり前だと思っていたのですが、友だちが家に遊びに来たときに

「どうして、ムッシー(私のこと)さんの家族はみんな歌ってるの?」

と言われて、とてもビックリしたのをよく覚えています。

家族の歌や鼻歌ってうつりませんか?

これは我が家では普通のことだったのですが、その友達は賛同してくれなくってあれ?っと思いました。

娘の鼻歌はいくら調子っぱずれでも、すぐに元歌がわかるので、ついつい一緒にハミングしてしまいます。

夫も気付くと娘と一緒にお風呂で鼻歌を歌っていることがあるので、この感覚は私と一緒だ?。

娘、現在2才。小さい頃から音楽に合わせておどっている子で、音楽が大好き。

お風呂に入ると自然に鼻歌が出てきますw

彼女はゴキゲンだと歌を歌いだすので鼻歌で機嫌のよしあしが分かりやすいです♪

また、月末になるといつも鼻歌を歌いながらあちこちを相棒のスチームモップで掃除をする夫。

家族の鼻歌が聞こえてくると「あ?、いい気分で過ごせてるんだなぁ?」っと嬉しくなります。

そしてついつい私も一緒にうたを口ずさみながら、幸せをかみしめています。

これからも、大好きな人たちがいつも歌を歌いたくなるようなムードのイエでありますように。


[24]>18 わかるなあ、入院って、辛いですよね iijiman

私も入院したことがあります。

大病というほどではなかったけれど、数日間家に帰れませんでした。

急性胃炎だったので、病院食はおもゆとかおかゆばかりで、あまり味わうことが出来ませんでした。看護婦さんがくるくる・ぱたぱたと、よく働いていた(というか、あまりにも過酷そうに見えた)のを覚えています。

私はケチなので、テレビを見るカードを買いませんでした。体調のよい時には文庫本を読んだりしていましたが、退屈でした。

そして何よりも猫!(←id:fumie15さんと同じ!)

猫は病院にお見舞に来れないですし、やっぱり、淋しい。

猫も「いつもいる人が居ない」というのは分かっていて、家で淋しそうにしていたそうです。

入院すると、健康と、普段何気なく過ごしている日常とが、とても大切なものであるなということを、痛感いたします。


[25]>23 鼻歌 eiyan

確かに”鼻歌”は気分の良い乗っている時に出るものですね。

でも気分の悪い絶不調の時にもこの手法は使えます。

自分が絶不調で気分の乗らない機嫌の悪い時にも”鼻歌”を唄う事で不思議と気分が乗って来ます。

そして機嫌が悪くても”鼻歌”を唄い続ける事で気分も良くなるのです。

不思議ですね。

人は感情の動物たる所以ですね。

お試しあれ!


[26]>13 帰趨性 eiyan

人は環境の激変を嫌います。

気分一新にと旅行をして環境の一時変化を望みます。

そして、気分一新をした後には自分の今までの環境に帰還したいという願望が生まれます。

住み慣れた環境、安住出来る環境。

自分の住み慣れた環境に戻る事で人は安住安心を得ます。

それが人の本能なんですね。


[27]>10 寝顔 eiyan

人の寝顔は微笑ましく感じます。

それは赤ちゃんであれ大人であれ同じだからです。

顔の表情は顔筋が作り出しますが、寝ている時が一番表情の緩む自然の形です。

これを見れば”ホッ!”とする一時が得られますね。

でも”いたずら”支度なる顔表情でもありますね。


[28]>22 誕生会 eiyan

家族での誕生会は楽しいですね。

核家族が進む現代は家族の絆が薄くなる。

その状態の家族による誕生会は斬新で嬉しくて何か照れクサイもの。

誕生会の誕生日プレゼントを何にするかの選択は意外と贈る方が楽しくなるものなんですね。


[29]「頑張れの代わりになる歌」で励ましてくれる父がいるイエ tough

先のいわしで「頑張れの代わりになる歌を集める」という通年サプリを書かせていただきましたが、実はこれにはもうひとつの切っ掛けがあったのです。友人の事情に関わることですから詳しく書くわけにはいきませんが、とてつもなく素晴らしい夢を持っている友人がいました。その夢は私の理想とも重なることでしたので、ずっと応援し続けてきました。しかし、夢半ばで彼は東京を離れることになってしまったのです。実家の事情で、どうしても家業を継がねばならなくなってしまったからです。


彼が東京を去った後、私はかなりガックリきていました。いつまでも親友だから、そのうち必ず会いに行くから、その時はきっとお前の新しい未来像を見せてくれよと明るく見送りましたが、正直落ち込みました。本当に辛いのは彼の方なのに、私までが自分の夢を摘み取られてしまったような虚無感に襲われました。


そんな時、父が愛用のギターを掻き鳴らしながら、一曲の知らない歌を歌い始めたのです。昔のフォークソング世代の父にしては、かなり新しい感じの曲でした。何気なく聞いているうちに、歌詞の内容が心に染み込んできました。


何それと聞くと、いい歌だろう、若いミュージシャンなんだけど、父さんと同じハミングバードで歌ってる人がいてね、気に入ったので覚えてみたんだよとのこと。ハミングバードとはギターの名前。もちろん父のは国産のコピーモデル、向こうはプロですから本物だと思いますが、父はとにかくそのギターが気に入っています。今までも、同じギターを使っているという理由だけで、たびたびCDを買ってきたりしていました。でも今回は、それだけの理由ではないと直感しました。歌詞の内容が、あまりに今の自分にぴったりすぎたからです。


東京を去っていった友人は、わが家にもよくやってきていました。父も交えながら、酒など酌み交わしつつ夢を語り合ったことも一度や二度ではありませんでした。ですから私たちに起こったことのだいたいは、父も知るところとなっていました。そんな私に聞かせたくて、この歌を覚えたに違いないと思えたのです。


その歌、俺にも教えてよと父に頼み、一緒にギターを弾きながら歌ってみました。いい曲です。あぁ、そうなんだ。自分も彼も、まだまだ目標や希望に向かって赴いていく途中。失った物を数えるだけでなく、今ある希望、これから手にする希望の数も数えていこう。まだ自分は彼と手を取り合っている。形は変わっても、夢の本質は変わらない。父にその歌を教えてもらいながら、そんなふうに思えるようになってきました。今度彼に会いに行く時は、ギターを抱えていこう。そしてこの歌を一緒に歌おう。そう思いました。


親というのはありがたいものです。時には、世代が違う、考え方も違う、わかりあえるはずがないなどとも思ってしまいますが、本当は誰よりも子供の本質を理解し、見つめ続けてくれている人なのですね。こんな親のいてくれるわが家に、心から感謝しています。


[30]家族が揃うくつろぎのわが家 Cocoa

一時期、年末年始を旅行先で過ごすのが恒例になっていたことがありました。父がそういう家族サービスに燃えていたのです。私も、有名な神社仏閣で除夜の鐘や初詣、海の初日の出、雪の中での新年などなど、自宅では味わえないお正月を、しかも毎年違う場所で迎えられることが楽しみでした。


でも、私が社会人になり、年末年始も関係なく仕事で飛び回るようになってしまったことが、この習慣を終わりにしてしまいました。このお正月、やっと私も少しワーク・ライフ・バランスのとれた働き方が出来るようになったので、どこかに行こうかと言ってみたのですが、父は、それなら敢えてイエでくつろぐお正月にしようという希望でした。母も、旅行しなくなってからお節の準備などが忙しくなったけど、手伝う人がいれば楽ちんになるからイエでのお正月がいいなという意見です。よ?し、それなら思い切りイエでのお正月を楽しもう!と、とてもイエはてな的な新年を迎えることになりました。


年末は、お正月のしつらいを整えたり、お節作りをしたりして、とても勤勉。ふー、くたびれました。やっと紅白歌合戦。ここで年末のイエしごとは全て終了です。母も私もゆっくりコタツに座って紅組がんばれー。おやおや、サービスで一杯つけたら、父はもう早々に横になってうとうとしています。


お父さん、こんなにお酒弱かったっけ?旅行先でも大晦日の夜は飲んでたけど、こんなことなかったよ。すると母が、旅先ではそれなりに気を張っているからよ。あ?、そうか、イエだから心の底からくつろげちゃうんだ、イエっていいね。


私たちもちょっと飲んじゃおうかと、女だけでかんぱ?い。あら、久し振りに頂いたら酔ってきちゃったと母。私もほんわか、いい気分です。寝ちゃダメ、新年のカウントダウンするんだから、むにゃむにゃむにゃ。結局父も母も私も、コタツでうとうとしながらの新年を迎えてしまいました。ハッと気が付くと、もう2011年。みんなでぼーっとしながらお茶をすすって、ぐだぐだの新年となりました。でも、最高のくつろぎで迎えた新たな年。素晴らしい温もりに満たされた年迎えになりました。


初詣、行く?行こうか。みんな、あったかくしてね。近所の神社にお参りして、うー寒いと、帰りがけにコンビニでおでん。うわー、お節より先にこんな物食べちゃったね、すごいお正月ね?と初笑い。みんなの息が白くなっています。イエに帰って、またかんぱ?い。初日の出、見損なっちゃうよ。いいよ、目を覚まして最初に見た太陽が初日の出。そうだね。あ?、また酔っぱらって、おこたでぐだぐだです。


元旦も、のんびりゆっくりの寝正月。去年までは私がイエに落ち着いていなかったせいか、父も母も、こんなにのんびりしている雰囲気ではなかったような気がします。誰も出かけない。誰も時間を気にしない。こんなくつろいだお正月は、私も久し振りでした。


家族がみんな揃うからこそ得られるくつろぎ。しかもそれは、場所がイエだからこそ実現できる特別なくつろぎなんですよね。このお正月は、そんなことを久し振りに実感しました。世の中には色々な幸せの感じ方がありますが、やっぱりわが家で感じる幸せが一番です。


[31]本当に欲しい物は既に与えられている、それが「わが家」 Fuel

突然、何かが欲しくて欲しくてたまらなくなることがあります。私の場合は、世界初の裸眼3D技術採用というグラスレス3D液晶テレビでした。それまで、メガネをかけて立体的に見せるというテレビには、ほとんど興味がありませんでした。昔からあった赤と青のセロハンのメガネで覗く子供のおもちゃとどこが違うんだよ、って感じです。でも、視聴位置に応じて異なる複数の映像を映し出して立体映像を実現するという新しい方式は、なかなか本物という感じがしました。とても興味をそそられます。一度興味が出てしまうと、それが欲しくて欲しくてたまらなくなります。しかし、値段が高い。発売前の予定小売価格は、12インチという小さな画面の物が10万超え。20インチ型では20万円くらいになる模様でした。


しかも、画面の大きさに比べて、ボディがやたらでかいのです。12型は普通の小型テレビと似たようなパーソナルサイズですが、20型は今どきカラオケ店でも見ないような脚付きの大型です。これは設置場所に苦労しそうです。が、欲しくなってしまうと、そんな点も魅力のうち。新聞紙で実物大の型紙を作ってどこに設置できるかなどとシミュレーションを始めてしまうと、もう心は、手に入らない物を空想して夢の世界で遊ぶ子供と変わりません。その先は、際限なくおねだりを続ける駄々っ子になっていきます。


これ買ったら友だちに自慢できるなぁ。こういうのは発売直後に手に入れるからいいんだ。まだ扱っている店も少ない。話題を取るなら今だ。毎日毎日真面目に働いてるんだ。ちょっとくらい贅沢をしたってバチは当たらない。20万円、出せない金額じゃないぞ。そうだ、これは自分へのご褒美だ。買おう、買ってしまおう!!


発売予定日はクリスマス。これを予約すれば、最高の自分へのプレゼントになるはずでした。しかしその年のクリスマスは「クリスマス二日制のススメ」と題して、家族と過ごすクリスマス計画。

http://q.hatena.ne.jp/1288155028/275012/#i275012

家族と一緒にクリスマスの準備をしている間に、だんだん自分のご褒美への熱は冷めていくのを感じました。この私へのご褒美は、自分の部屋に置くことが前提です。でも、イエで時間を過ごすなら、私は家族と一緒にいたい。なんだ、せっかく買っても部屋でテレビなんて見ないんだ。それではせっかく買っても、新しいテレビが可哀想だ。やめたやめた。将来家族が3Dテレビを欲しがったら、その時に買おう。それでいいや。だんだんそんな気持ちにシフトしていきました。


テレビはリビングで家族と一緒に見るから楽しいんです。一緒のものを見て、それを話題にして楽しむ。家族の団欒の中に共通の話題を提供してくれる。それこそが家庭の中でのテレビの役割と言えるでしょう。家電マニアの自慢のタネで終わらせてしまったら、本当に製品が可哀想です。


リビングでは、「今日は○曜日だったか、このままこれ見ていいか?」。父がお気に入りの番組に目を輝かせています。「いいよ、俺もこれ見たい」と私。母がお茶を淹れて持ってきてくれます。こういう家族の輪が繰り広げていく何気ない日常の姿が、数十年後、きっと鮮やかな3Dの思い出となってよみがえっていくことでしょう。


幸せの青い鳥は実はすぐ近くにいるんだなんて言いますが、本当に欲しい物も、実はねだる前から与えられているんですね。それが、わが家。ここには私の本当に欲しい物が、望む前からあったんです。わが家、サイコー!!使わなかった20万は、しっかり貯金しておきました。いつか家族みんなの笑顔のために役立つ使い方が見つかった時、それを下ろそうと思っています。


[32]どんな時も守ってくれる、それがわが家 CandyPot

中学の時、グループ同士のいさかいの間に入って仲直りしてもらおうと思ったら、どちらのグループからも敵扱いされてしまったことがありました。大きなグループ二つに反感を持たれてしまうことは、クラスの女子の約半分から仲間はずれにされることでした。すると、今まで仲のよかった人までが、少しずつ私から離れていきました。いえ、本当は私の方から殻に閉じこもりはじめていたんだろうと思います。


そんなことが起こってからしばらく。朝は晴れていたのに、午後から天候が崩れて雨になりました。いつもなら折り畳みの傘を持っていますが、その日に限って忘れてきていました。こんな時は、いつもなら誰かに「入れてって」と声をかけます。でもその日はできませんでした。一人で濡れて帰るしかありませんでした。冷たい雨に濡れながら、傘わすれてきてよかった、だって今の私じゃ、持ってても誰も入れてあげることができなかったから。一人で傘をさして帰ったら私はもっと嫌われる。そんなことを考えていました。


雨足はけっこう強く、イエに着いた時はずぶ濡れでした。翌朝、熱が出て起きられなくなりました。体中が痛くて、喉も頭も痛くて大変でしたが、これで学校を休めると思うと、心はとても安らぎました。父が心配そうに「ゆっくり休めよ」と声をかけてくれました。だいじょうぶ、いってらっしゃい。そう言おうとしたら声が出ませんでした。でも父には通じたような気がしました。母にも、なにもしゃべらなくても、気持ちが通じているようでした。


風邪引いて学校休むなんて小学校以来だなぁ。午後になって少し声が出るようになると、私はとても甘えんぼさんになっていました。翌日も熱が下がらなかったので学校はお休み。でも二日目になって少し食欲が出てきたので、お母さん、りんごすって、プリン食べたいと、すっかり私は小学生でした。学校という針のむしろで張りつめきっていた心がほわ?んとゆるんで、すべての緊張がとけていくのがわかりました。


翌々日も大事を取って学校を休むと、次は土曜日。父も一緒のお休みの日になりました。「もう起きて平気なのか?」「うん、もうすっかりだいじょうぶ」。楽しい家族の団らんになりました。でもしばらくして、父が真顔になって、お前、学校でちょっとつらい立場なんだって?と切り出してきました。母が学校に休みの連絡を入れたら、そんな話をちょっと聞かされたようなのです。


うん、つらいにはつらい。でもみんなには嫌われたわけじゃなくて、誤解されちゃっただけだから。いつかきっと元に戻れると思う。もし元に戻れなくても、私にはこの家があるから。いつでも私をやさしく受けとめてくれる場所に、たった20分歩けば戻れるんだもん。だから学校で何があってもだいじょうぶ。私はそんなことを答えたと思います。


父も、辛くなったらいつでも帰ってこい、無理に下校時間まで頑張らなくていいぞと言ってくれました。やだー、親のくせに子供に学校さぼらせようとしてる。そう言うと母が言葉を挟んできました。

「お父さんは大学時代に講義をさぼってね、それでお母さんと出会ったのよ、つまりあなたはお父さんのさぼりのおかげで生まれた子」

「あはは、ひどーい」

いっぱい笑って、翌日の日曜日も楽しく過ごして、そして迎えた月曜日。どんなことがあっても私をやさしく受けとめてくれる場所に20分歩けば帰れる。この大きな安心感に見送られて、私は新しい一歩を踏み出しました。どんな時も私を守ってくれるわが家がある。だから何も恐くない。こうして私は学校に通い続けることができました。それからあと、私は学校でたくさんのすてきな思い出を作っていくことができましたが、それも、わが家という守りの場所が、私をささえてくれていたからだと思っています。


[33]猫の退院で実感した、かけがえのないわが家の存在 Oregano

飼っている猫が病気になってしまいました。急いで動物病院に連れて行かなければなりません。治療が早ければ命に関わることは無さそうですが…、でもこれは入院になるなと直感しました。クルマは父が使っていてイエになかったので、タクシーを呼ぶことにしました。ぐったりした猫をキャリーに入れて、タクシーの到着を待ちました。


タクシーが来ました。イエの玄関を出ようとすると、さっきまでグダッとしていた猫が鳴くんです。いやだよー、どこにも行きたくないよー。そう言っている感じがします。それもそのはず。動物には、群れの存在に守られて生きる動物と、テリトリーの存在に守られて生きる動物がいますが、猫は後者。この猫にとっては、イエという空間が、身を守る砦のようなものなのでしょう。病気で弱っているその時にイエから連れ出される不安は、きっと人間の想像以上のものがあったと思います。


でも、病院に連れて行かないわけにはいきません。ごめんよ、おそらくお前の場合、往診じゃ対処できない。行くしかないんだ。心を鬼にしてキャリーを担いで玄関を出ました。猫はドアを閉めるまで鳴き続けていました。ところがドアを閉めると、ピタッと鳴き止んだんです。テリトリーの外に出てしまった。そのことを感じ取ったのでしょう。テリトリーの外で不用意に鳴けば、かえって身を危険に曝す。そういう野生の勘が働いたんだと思います。


診察の結果は、やはり入院でした。「それではお預かりします」。そう言われて、お願いしますと猫を置いて診察室を出る時の辛さ。猫も一声、ニャーと鳴きました。行かないで。そう言っているに違いありませんでした。


翌日から、連日面会に病院に立ち寄りました。この病院の診察時間は21時まで。仕事の帰りに立ち寄れます。先生から、この子は昼間は一日中グダッとしてるんですよ、でもあなたが来るとこんなに元気そうに振る舞う、今はどんな薬より面会が効いているようですから毎日来てあげてくださいと言われました。猫の病状はなかなか好転せず、入院は予想外の長期に及びました。猫も大変だったと思いますが、私も不安で不安で、イエに帰っても全くくつろげない毎日が続きました。


そしてやっと迎えられた退院。この日は自家用車で迎えに行きましたが、私は泣いてしまって、しばらく車を動かせないありさまでした。でも、まだ猫は声を出しません。私と一緒でもここはテリトリー外。そう認識していたんだと思います。


イエに帰って、部屋の中でキャリーの扉を開けると…。数秒、猫は戸惑っていたようでしたが、すぐにニャーと声を上げて出てきました。部屋のあちこちの匂いを嗅ぎ、壁や家具の脚などにすりすりと頬ずりを始めました。ニャーと鳴いては匂いをクンクン。またニャーと鳴いては頬ずり。これはテリトリーの確認行動です。ボクの匂いだ、ここはボクのイエだ、帰ってきたんだね、ばんざーい!!猫の言葉を翻訳するならば、きっとそんなことを言っていたことでしょう。


ひとしきりそんなことを続けた後、床にごろりと寝転がって、お腹を上に向けました。これは大安心のポーズです。入院中は一度も出来なかったこのポーズ。全身で「やっぱりわが家が一番!」を表現していました。あ!聞こえます!コロコロコロコロ。かすかに喉が鳴っています。私も猫の横に寝転びました。あ?、この幸福感。いったい何日ぶりのゆったりした時間でしょう。隣の猫の喉の音が大きくなって、ゴロゴロゴロと響きました。お茶が入ったよと呼びに来てくれた母が、その様子を見て笑っていました。


人も動物。ヒトという生き物にとってのイエも、命を守るテリトリーです。そして、家族という名の群れの愛と絆を育む場所でもあります。猫でさえこんなにイエを大切に思うんです。人間の私にだって、ただ寝に帰ってくるだけの巣じゃありません。世界でただ一個所の、かけがえのない場所、それがイエ。猫の入院と帰宅は、このことを強く感じさせてくれる出来事でした。


[34]手作りの音があるイエ momokuri3

だいぶ趣味に走った話になってしまいますが、わが家の特色は、父と私が同じ趣味を持っているという点です。音楽、電子工作、そしてオーディオ。この趣味に走りまくったわが家の話を、少しさせてください。


父が、うれしそうに私を呼びました。「ほら、見ろ」。箱を開けると出てきたのは、いかにも旧型のスピーカーユニットでした。型番はP-610B。オーディオ好きの人ならこれだけでお分かりになるでしょう。そうです、NHKのモニタスピーカーを開発したノウハウを生かして作り出された、日本の誇る名器と言えるスピーカーユニットです。発売は1970年代初頭。このスピーカーはエッジがウレタンフォームなので、現存する多くのユニットはこの部分が劣化していますが、父の持ってきたそれは、ほとんど劣化が感じられません。よくもこんな貴重品を探してきたものです。


「これ、どんな箱を作って入れる?」

「やっぱり標準箱で聴いてみたいと思うんだ、寸法とかの資料、持ってないか?」


「標準箱」とは、このスピーカーの取扱説明書に記されたエンクロージャ設計例に基づいて作られる箱のことです。しかし、父の手に入れてきたスピーカーに取説は付いていませんでした。ネットで調べてみましたが、「標準箱」という名前は出てきても、その寸法などの詳細は、なかなか見つけられません。やっとの思いで取説を写真に撮った物を発見。「おやじー、見つけた!」「でかした!」。まずはコーヒーで乾杯です。


エンクロージャ作りは、それを楽しみにこの貴重品を手に入れてきた父に任せることにして、私はこれに合わせるアンプを用意することにしました。スピーカーの持ち味を最大限に生かすためには、その特性に合わせたアンプで駆動してやる必要があります。が、今のオーディオ機器と70年代のそれは、回路構成もデバイスも特性も大きく異なっています。ようするに、70年代にタイムスリップしたようなアンプを持ってこないと、このスピーカーの持つ本来の音は再現できないということなのです。


「真空管、何使おうか」

「いやまて、ここは安易に真空管にするんじゃなくて」

「じゃトランジスタ?」

「うん、昔、50Wクラスの回路をAクラス動作させて、電力のほとんどを熱にしてしまうというもったいないアンプがあって」

「あ、知ってる」

「それで聴いたP-610の音が忘れられないんだよ」

「回路、調べてみようか。でもメーカー品の回路じゃ見つかるかなぁ」


結局これは回路が見つからず、ネットで探せるスペックを元に、想像で似たような特性の得られる回路を考えて組み立てました。いざ、音出しです。音源は70年代そのままのアナログレコード。スピーカーの性質を考えるとクラシックのピアノ曲などを鳴らしてみたくなりますが、わが家は親子共にロック好きなので、用意したのは当時のアコースティックな音楽の良さを代表するCrosby,Stills,Nash & Youngのライブアルバム「4 Way Street」(1971年4月リリース)でした。


黒い大きな円板の上に静かに針を下ろすと、かすかなチリチリチリというノイズ。しかし音楽が始まると、その奥深く瑞々しい音。これが70年代のスピーカーか?と耳を疑ってしまうほどの豊かな音の世界が広がりました。たった16センチの口径しかない旧型のスピーカーが、ホールの空気まで再現しています。

「すごい…」

「すごいな、これは…」

親子で聴き入りました。この一曲の再生までに二人が費やした時間は膨大なものでした。アンプからエンクロージャまで全てが手作り。この音は、わが家でしか聴けません。ナンバーワンの音が聴ける場所ではありませんが、オンリーワンの音が聴ける場所。それがわが家です。趣味に走った話になってしまいましたが、親子で作り合った音の世界が広がるわが家は、本当にオンリーワンの存在です。


[35]付き合っている女性を自宅に招いて実感した「わが家が一番!」 YuzuPON

こんな私とお付き合いしてくれるという女性が現れ、舞い上がりまくってしまった私。お勧めスポットなるものや話題の店などを調べまくってのデート作戦を展開してきましたが、「外」っていまいち落ち着かないんですね。最長でも2?3時間で場所移動の必要があるんです。仕事帰りに会うならそれでもいいですが、休日をゆっくり二人で過ごすためには、事前に何か所もの移動先を考えておかなければなりません。もちろんテーマパークや遊園地なら同じ場所で一日楽しめますが、毎週毎週似たような所に繰り出すわけにもいきません。


何かいいプランはないかなと考えていた所、彼女から仰天リクエストがありました。あなたのウチで会おうよ、と言うのです。えぇー、うち、築年数もけっこう経ってるし、親もいるし、付き合っている女性なんか呼べる環境じゃないだろうと戸惑ったのですが…。動物不可のマンションで一人暮らしをしている彼女にとっては、猫を膝に抱きながら過ごす家族のような時間というのが、何より魅力的なデートプランなのだということがわかりました。


しかし問題は、この来訪を両親にどう話すかです。付き合っている女性がいるのでウチに連れてきますなんて切り出したら仰々しすぎます。だいいち恥ずかしい。というか、両親を交えて彼女と過ごすという図が想像できません。まぁいいか。普通に友だちを家に呼ぶように、何の前触れもなくやって来た彼女を自分の部屋に上げ…。いや、それも余計な憶測を呼ぶ、どうしようと考えている間に当日になってしまいました。


とりあえず猫にだけ話をして(笑)、彼女と駅で待ち合わせ。やってきた彼女は、手みやげの紙袋を下げて準備万端の様子です。えぇい、俺も大人だ、こんなことで恥ずかしがってどうすると覚悟を決めてイエの玄関に到着。ドアを開けると、いつものように足音を聞きつけて待っていた猫が出迎えをしてくれました。すると突然「いやー、かわいいー」と彼女の歓声。それを聞きつけて、何だ何だと出てきたうちの両親。あとは彼女が勝手に挨拶を済ませ、そのまま勝手に家族と馴染んでしまいました(笑)。


いったん私の部屋に通し、お茶など飲みながらそれなりにいい雰囲気の時間が過ごせましたが、猫が父母と一緒のリビングに落ち着いているので、彼女のたっての希望でリビングに移動。その後は猫と両親を交えた奇妙な時間となってしまいました。でも、彼女は念願の猫を膝に抱いてご満悦。父も母も自然に接してくれて、夕食まで一緒にすることに。あとは「お母様、お手伝いしますわ」「あらまぁ、ありがとう」とお約束的展開が続きました。


彼女を送っての帰り道。こんな一日でよかったのかと聞いてみました。そうしたら、彼女曰く、何よりうれしかったのは家族のように迎え入れてくれたことだったと。久し振りに家庭の温かさに触れることが出来て本当に良かったと。そう言ってもらえました。親父、お袋、彼女と自然に接してくれてありがとう。いつものわが家のそのままを見せてくれてありがとう。イエはてなと出会い、イエという存在が大好きになって、大切に大切に紡いできた家族との絆。それがこんな形になって現れました。帰宅してあらためてわが家を見回して、「やっぱりわが家が一番!」と実感することが出来ました。


まさか付き合っている女性と会う場所としてまでそう思える日が来るとは予想もしていませんでしたが、外で会っている時にはなかなか出来ないような落ち着いた語らいもできるわが家という場所は、そういう意味でも「一番!」になっていきそうな予感です。


[36]>26 旅行から帰ってきたとき。 canorps

私もまさにそのことを考え付きました。

友人たちとの楽しい旅行。

実家への帰省。

すべてが楽しくて、その時間も最高のものですが

旅先から戻ってきた時、玄関のドアを開けて荷物を置いて電気をつけた瞬間。

まだ冷え切った部屋、旅行の荷物の後片付けすべてのことをおいておいて

「やっぱり家が一番落ち着くなぁ」

と感じます。

そう思える、帰る場所があるということは本当にすばらしいことですね。

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