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阪神淡路大震災で被災した方に質問です。

こちらは地震から4日が立ち、やっと電気が多くのエリアで復旧してきました。(仙台市内、津波の範囲外の所)
水道・ガスはまだ復旧にはほど遠い状況ですが心配しているのは今後の事です。
現在ガソリン不足によりまともに移動もできずまた多大な被害をだした沿岸部は日常からは程遠い生活をしています。
同時に被害の少ない仙台市中心部などでも食料品を求めて多くのひとが連日スーパーに長蛇の列を作っている状況です。

阪神淡路大震災では被害の軽微だった地域でどれくらいで日常物資が通常通り流通するようになったのでしょうか?
こちらはコンビニは物資がなくすべて閉店状態で再開の見込みがたっておりません。
参考に教えていただけると助かります。どうぞよろしくお願いします。

●質問者: Sprint
●カテゴリ:生活
✍キーワード:エリア ガソリン コンビニ スーパー 不足
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● Baku7770
●23ポイント

通常通りというのを何を以っていうのかにも異なりますが。

不安を煽るわけではありませんが、半年は何らかの不足が生じるとお考え下さい。ただし、代用品などで我慢するのを許せば、スーパーに商品が並び始めるのは2週間程度でしょう。もっとも交通インフラの被害状況にも依りますが。

現在こちらにも報道されていますが、衛生用品などは4ヶ月間買うことはできませんでした。子供が産まれたばかりで困ったのですが、すぐに気がつきました。避難所で貰えるんですね。むしろ余っています。悪いとは思いましたが、避難所で貰い続けたのを記憶しています。

その後ようやく店頭に並びだしたので買うようにしました。

流通のバランスが崩れるんですよ。私が覚えているのは直後に焼き牡蠣を配っていたのですが、誰も食べようとしない。直前にうどんを配っていたのを食べましたがそこは私のすぐ後で品切れとなったのにです。主食なら食べたのでしょうが。

報道で被災地で不足している物資を確認してからと伝えていますが、全くその通りです。

これは一例ですが、被災地の人間は欲しいものがめまぐるしく変わるんですよ。焼き牡蠣も1ヶ月経った後だったら食べたと思いますよ。

そんな感じで3ヶ月目になると高級食材みたいな商品がなくなります。これは阪神大震災に限らないようです。理由は単純で家の中が片付いたりでようやく贅沢をしたくなるからです。被災地の住人が一斉に同じことを考え、同じことをしますからね。

私の息子は震災の10日ほど前に産まれましたが、幼稚園は1クラスでした。翌年はそれが2クラスに増えた。全てがそうなんです。みんな同じことをするから、同じ結果となってそこに不足が生じます。

ちなみに私は被害が軽微といっても全壊判定が出たので後から悩まされました。

◎質問者からの返答

震災の10日前では大変でしたね。

おっしゃる通りで必要なものは変わります。今、必要なのは水、電池、食料ですが手に入りません。

もうちょっとすればまた違うものが欲しくなるのでしょうね。

必要なのは食料がとにかく必要です。水が供給されてラーメン店などが営業してますがそれも在庫のうちと思われます。

とりあえず長期戦になると思って、頑張ります!

避難所には家のある身としては行きづらくてみてなかったのですが、仲間には情報として伝達させてもらいます!

ありがとうございました。


2 ● infosupport
●23ポイント

物資については2?3ヶ月ぐらいかかったと思います

電気ガス水道も復旧まで3ヶ月ぐらいかかりました

軽微とはいえない場所でしたが、ご参考まで

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

長期戦覚悟で買い占めはしないで工夫して食いつなげるように頑張ります。

でも、こうなってくると心配なのは猫の餌ですね・・・。

なにやればいいんだろう・・・。人は何か食えば生きてけますけど・・・。


3 ● hanako393
●22ポイント

1か月ぐらい辛抱すればふつうになりましたよ。

神戸のほうは交通網も遮断されてなので

歩いて大阪まで買い出しに行ってる人たちもいました。

物資がないのは神戸ぐらいでその周り都市には1週間後ぐらいには

普通にありました。震災後数日は周りの都市も買占めとかあって品不足でした。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

こちらも買い出しに他県に行ってる人もいるようです。

(原発から逃げる為に移動してるという話もありますが・・・)

ガソリンがないと仕事にならないのです・・・。


4 ● ヨネちゃん
●22ポイント

阪神淡路大震災の時、

私の家は全壊判定で、

電気の復旧目処も立っていなかったため、

比較的被害の軽微な山手の電気が復旧している避難所に非難していましたが、

買い物は3kmほど離れた繁華街や卸売市場まで歩いて行っていました。


2週間程度でステーキ肉など限られた食材は手に入るようになりました。

1ヶ月程度で卸売市場は品揃えが殆どもとに戻りました。

2ヶ月程度で営業している殆どのスーパーやコンビニが通常の品揃えに戻りました。


2週間くらいは救援物資のパンとおにぎりくらいしか食べるものがありませんでした。

1ヶ月くらいすると料理をする気力が出てきました。

2ヶ月くらいすると労働する意欲が沸いてきました。


2週間くらいするとガソリンが手に入るようになりましたが、

その後2ヶ月くらいは毎日大渋滞が続きました。

◎質問者からの返答

貴重なお話ありがとうございます。

まずは2週間なんですね。

あせらずじっくり頑張ります。

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