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フッサールについて
本に、"自然的態度を変更し、世界の存在を括弧にいれて(判断中止=エポケー)、そこにあらわれる志向性を有する自我意識を観察すると、世界の意味がわかってくる"とありましたが、
(1) 彼のいう「志向性」とは、人間がもっている"思い込み"と解釈してよろしいでしょうか?
もし違うのであれば、ご教授願います。
(2) "世界の存在を括弧にいれて"とは、どういうことでしょうか?
(3) これは、「あす事象がある」という前提をいったん保留して、ある程度自分のもっている知識や情報をもとにある認識を解明すると、その意味が確信できるという解釈でよろしいでしょうか?
もし間違いであれば、ご教授願います。
(4) 彼の説のどういうところが"現象学"と呼べるのでしょうか??

以上、よろしくお願いします。

●質問者: popparty0626
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:いであ フッサール 存在 志向 意識
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● koutarou
●60ポイント

(1) 彼のいう「志向性」とは、人間がもっている"思い込み"と解釈してよろしいでしょうか?

志向性とは、人間がもっている"思い込み"ではない。と思います。

フッサールは、対象に意識が向かうことを志向性と呼んでいます。

ちなみに、フッサールのいう”思い込み”とは、意識の回りに多数存在するもので、

その”思い込み”を排除して、意識だけを残すことをエポケーと呼んでいます。


(2) "世界の存在を括弧にいれて"とは、どういうことでしょうか?

「思い込み(個人的判断、個人的関心、暗黙の前提、学説、神話、宗教等)を排除して」という感じで

読み替えると分かりやすいかも知れません。

あるいは、「世界の存在(個人的判断・・・宗教等の思い込み)を捨てて」の方が分かりやすいでしょうか。


(3) これは、「あす事象がある」という前提をいったん保留して、ある程度自分のもっている知識や情報をもとにある認識を解明すると、

その意味が確信できるという解釈でよろしいでしょうか?

イメージ的にはいい感じだと思います。

エポケー(判断中止、保留)、認識(確信)、意味というキーワードの使い方から、完全に理解?微妙なところがあると思いましたので。


(4) 彼の説のどういうところが"現象学"と呼べるのでしょうか??

目の前に現れる姿がモノそのものか、疑いをもつ動機というところ。

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