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アメリカではキリスト教、インドではヒンドゥー教などありますが、日本にはこれといった宗教はありません。なぜでしょうか?

●質問者: えみこ。
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:アメリカ インド キリスト教 ヒンドゥー教 宗教
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● きょくせん

コメント欄でsebleさんが仰っておれれるように、日本固有の宗教としては神道があり、外来宗教としては仏教があります。キリスト教やイスラム教なども一応入ってきていますが、我が国においては江戸幕府のキリスト教弾圧などで国民的宗教になった事はなかったのはご存知の通りです。

神道は元来は自然崇拝として発生し、シャーマニズム色を強めながら、明治には国家宗教と位置づけられた時期もあります。太平洋(大東亜)戦争後、この国家宗教としての神道は日本が帝国主義・軍国主義に傾いた原因としてGHQ(連合軍司令部≒アメリカ)から排斥され、憲法においても世界に類を見ない『政教分離』の原則が導入されました。アメリカではなるほど大統領は聖書に手を置き宣誓しますが、日本でそんな事やったら大騒ぎになるでしょうね。陛下の親任は受ける訳ですけれども。(それが宗教行為だという批判もあるのですよ)


一方、仏教は中国を経由して伝来した為、インドで発生したそれとは随分違った形となり、中国の固有宗教ともいえる儒教や道教の影響を多分に含んだ形で日本にやってきますが、日本においても仏教は神道と交じり合い独特の形を作り上げます。

例えば私が住む福井県に本山のある曹洞宗では白山も信仰の対象としているそうですし、熊野山地に広がる仏教は今でもかなりの混在が認められているそうです。今でも密教系の僧侶さんは僧侶の資格と神官の資格を両方取る方もおられるようです。


そもそも神道にせよ仏教にせよ儒教にせよ道教にせよ、絶対神(最高神)というものを持たない宗教でありますし、民間においては特に生活に深く溶け込んだものという事もありもとより諸外国の宗教よりも熱心に崇拝されたものでもなかったのではないかと思われます。……イスラムのように必ず信者はその生涯においてメッカ巡礼が義務付けられているわけでもありませんし、唯一神を賛美するような事も起こりえません。

街角にお地蔵さんがあれば頭を垂れますし、ご飯を食べる時には頂きますというと言うのも一応宗教儀式なのですね。豆まきは神道に取り込まれた儒教行事といえるでしょうし、こどもの日に菖蒲湯に入るというのもそうですね。七夕もれっきとした宗教行事です。

んでま、話が行きつ戻りつしますが、戦後において我が国では知的階級に唯物論的思想(平たく言うとマルクス主義)が広く伝播し、これは宗教というものを否定する思想でもありますので、政教分離の観点からも公立校では宗教教育というものを一切やらなくなりましたし、核家族によってお年寄りとの関わりを絶たれた若年者は殊更冠婚葬祭以外では宗教というものに触れる機会を失ったとも言えましょう。

あと、欧米の名門校には神学科というキリスト教を研究する学科が結構存在していますが、我が国においてのそれは東洋哲学となって存在しています。もちろん神職や僧侶を養成する学校にはそれなりの名前で存在していますが、そういう辺りも宗教色を薄めている一因かも知れませんね。……キリスト教には聖書、イスラム教にはコーランがありますけれども、神道や仏教は膨大な聖典とその解釈文献が存在しているという現実もあり、ぱっと見よくわからないというのもあるのかも。


ですんで、日本人はえみこ。さんが仰っているように諸外国と比較して宗教色がほとんど希薄であり、また、国民自身も無宗教を自任している現状があるのだ、という事です。……厳密的に言えば、無宗教者はお盆もクリスマスも初詣もしちゃいけないんですけどね(^^;

因みに私の信仰する宗教は浄土真宗ですが、日本人らしく神道とのハイブリッドです。


2 ● miharaseihyou
逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

伊沢元彦氏の「逆説の日本史」によれば言霊を根幹に据える「日本教」とでも形容するべき宗教が存在します。

私たちが普段意識しないほど強固に潜在意識に染みついた宗教で、宗主は天皇家です。

言葉を重視し、和を最高の美徳とし、争いを穢れとして意識から排除する思想です。

この強固な土着の宗教によって全ての宗教は日本の中で変化していきます。

例えば仏教は本来は妻帯など以ての外という宗教ですが、それでは続かないので変化しました。

人々の意識の総和によって変化したのです。

キリスト教をはじめとする新興宗教もそれほど信者を増やすこと無く、我々は宗教上の争いから解放されています。

なんせ他国では普通に血を見る。

宗門間の行き来もそれほど不自由ではない。

明治政府に西洋へのアンチテーゼとして利用された国家神道もそれなりに変質して落ち着いています。

ただ、これは無意識の信教とでも言うべきもので、表に出て実体のある活動をしませんから名前すらありません。

従って宗教が無いと誤解される状態になるのです。


3 ● ケイタ

誰だって何かを信じないと生きていけません。社会も信じるものが無ければ成立しません。私たち日本人は、明確に意識できないものを信じているのです。無宗教者を称する人も体系だった信仰を意識していないだけです。合理性では孤立するので、宗教的なものでつながろうとしているはずです。


日本社会がまとまりを持ってる理由は、神道以外に説明できるものはないと思います。神道によって、和を生み出す一元論的な世界観が日本人には強く意識されています。日本語が、受身的表現に満ちていているのがその典型でしょう。


私は、日本語に潜む意識に興味があるので、日本語の曖昧さをテーマにダイアリーやってますが、日本語の奥深さに訳がわかんなくなっています。(^_^)

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