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論理的思考ができているかどうか教えてください。

俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である。

●質問者: gori1234
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:いるか 人間 出産 哺乳類 子供
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 9/9件

▽最新の回答へ

1 ● ku__ra__ge

1. 俺は人間である。

2. 人間は哺乳類である。

3. 哺乳類は出産する。

4. 出産すると子供が産まれる。

(これは子供が産まれるという結果を起こす原因の一つに、

出産することが含まれるという意味だと理解しました。

出産=子供が産まれることを示しているだけであれば、

「出産」「子供が産まれる」を使い分けている意味が無くなるため)

5. 子供は男と女に分かれている。

6. 男と女がいて子供が産まれる。

(子供が産まれるためには男と女が必要である)


結論. よって俺は人間である。


結論は正しいです。

「1. 俺は人間である。」が成立した時点で「結論. よって俺は人間である。」は正しいです。

そして、それ以外に「俺」を定義する条件が無い以上は結論のために「1.」を外すわけにはいかない。

……ですから、「結論. よって俺は人間である。」は正しいです。自己言及してるだけではありますが。


ちなみに「1.」を「俺は哺乳類である」に変えた場合、あなたが人間以外の哺乳類である可能性を除外できません。


また、「6.」は『「出産するもの」、及び「それ以外の手段によって子供が産むもの」は、そのグループ内に男と女を含む。』ことを意味すると思います。

ということなので「1.」を外したとしても、上記の条件によって人間について主張できることは

・人間は哺乳類である。

・人間は出産する

・人間は男と女を含む

くらいではないかと思います。


2 ● sibazyun

3 ● medicineman

できてますね。

まず、「俺は人間である。よって、俺は人間である」という論証について考えて見ましょう。前提の「俺は人間である」というのが真であれば、結論の「俺は人間である」というのは真でなければなりません。もし結論が真でなければ、「俺は人間である」は真であると同時に真でないことになり、矛盾するからです。

問題の論証では、ほかにもさまざまな前提がくっついています。しかし、標準的な論理では、正しい論証にどんな前提を加えても正しい論証になるので、正しい論証であることに変わりありません。



4 ● nofrills

質問主さんのコメントで、何をどうしたいのかがわかったので、回答欄に入力します。

論理的思考力をつけたいのですが、論理的思考がどういう事なのかすらわかりません。辞書や知恵袋などを見ても筋道を立てて話す事と書いてあったりするだけで、実際どうやって文章を組みてて、どの様に思考するのかわかりません。

このご説明から、「実際どうやって文章を組み立てて」の部分について、回答します。


そもそもこの文章が「論理的思考」とかけ離れています。人は文章を組み立ててから思考する(考える)のではなく、考えてから文章を組み立てるか、考えながら文章を組み立てるはずです。質問者さんのコメントでは、その流れがぐちゃぐちゃなんです。


流れがぐちゃぐちゃとはどういうことか。実際にあった例を示します(少しアレンジしています)。例えば、友達に「たまごかけごはんにラー油をたらすと美味しい」と説明するときに、いきなり「ラー油をたらすんだよ」と言ったのでは、友達は「は?」となります。その後は、「だからさ、ラー油をたらすと美味いんだよ」→「何の話?」→「朝めしのときにさ…」→「???」→「たまごかけごはん食うじゃん、よく」→「で?」→「それにラー油をたらすと美味いんだよ」→「なんだ、そういう話か」。


極端な例ですが、こういうのが、世の中で「論理性がない」といわれるケースのひとつですね。質問者さんの「今、俺は何をしたいのか」の説明の仕方も似たような感じです。つまり、流れが整理されていない。(質問文も、流れを整理して、「俺は人間であるということを論理的に言いたい場合に、『人間は哺乳類である。……略……よって俺は人間である』でよいのでしょうか?」などと書いていれば、もっと伝わりやすかったと思います。)


さて、「実際どうやって文章を組み立てて」の説明に移ります。


「俺は人間である」ということを論理的に説明する場合、「人間」とはどのようなものかを示せばよいのですが、そこで「人間」よりも大きな集合(例えば「哺乳類」)を持ってくると、何が言いたいのかわけのわからない話をしている、ということになってしまいます。


あまり同じ例で考えていると混乱するので、別の例で、「キャベツは野菜である」の場合を考えてみましょう。ざっくりと。


ここで、

・野菜は植物である

だけを持ってくると、

→キャベツは植物である

は言えますが、

実際に「キャベツは植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われても「は?」ですよね。

「野菜じゃない植物なんていくらでもあるだろう。例えばあじさいとか」と反論されておしまいです。

それに対して、「あじさいを食う民族もいるかもしれないじゃん。その人たちにとっては野菜だろ?」と思うかもしれませんが、そういうのは《反論》ではなく、《屁理屈》です。


一方で、「野菜は植物である」に加え、

・野菜は食用である

など、「野菜にしかない特徴」(もしくは、「野菜の定義」)を持ってくると、

→キャベツは食用である

で、実際に「キャベツは食用の植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われて

「は?」となることはなく、「なるほど」となるでしょう。


これが、世間一般でよく言われる「論理的思考力」の基本の一例だと思います。


なお、No.3のご回答の「俺は人間である。よって、俺は人間である」はトートロジーであって、質問者さんの求めておられる「論理的思考」ではありません。(それを言うなら、「出産すると子供が産まれる」もトートロジーですし、質問文で一番意味がわからない「子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる」の部分も一種のトートロジーだと思いますが……。)


世間一般で求められる「論理性」は、実は「論理的に思考する」うんぬん以前の問題で、「自分の頭の中にある考えを、いかに的確に、無駄なく、相手に伝えられるか」です。つまり、頭の中にある情報を整理して、的確に提示すること。相手に「は? 何の話?」とか「どういう意味?」と言わせないように会話すること。それを意識してみるだけでもずいぶん変わってくると思います。


5 ● shogoshi

既出ですが,

俺は人間である。

ことを示すのに必要な条件は,質問者が提示した中では,

1.俺は人間である。

が必要で十分です。

それ以上の論理的思考が必要ない命題をどう展開しようと,そこから論理的思考ができているかを検証することは不可能だと考えます。

強いて言うなら,展開を試みるという発想は論理的思考からは出てきません。例えて言うなら,y=a(x-b)^2+cの形で与えられている二次関数の頂点を,展開して求めようとするようなものです。


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