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なぜ日本語は一人称やムード表現が充実するのか?

雪国では雪に関する語彙が充実するらしいが、言語がその必要性に応じて自然に拡張されていくものだとするならば、日本語におけるキャラクタ性や細かいムードの表現が他の言語よりも長けている原因(その必要性)とは何なのでしょうか?

具体的には、日本語では一人称が充実しています。例えば、「俺」と「僕」のどちらを使うかで、聞き手に与えるキャラクターの印象を大きく変えます。英語では「I」しかないので、彼らは一人称に対して「文法上の記号」くらいにしか感じていない可能性すらあります。

また、日本語は細かいムードやニュアンスの違いを表現するための語尾も充実しています。
例:
・これはリンゴ
・これはリンゴだ
・これはリンゴな
・これはリンゴね
・これはリンゴよ
・これはリンゴなの
・これはリンゴなのね
・これはリンゴなのよ
・これはリンゴなのだ
・これはリンゴです
・これはリンゴですよ
・これはリンゴですな
・これはリンゴですね
・これはリンゴだよ
・これはリンゴだお

ヨーロッパの言語と比べ、このような違いはなぜ生まれるのでしょうか?

●質問者: gen
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:「i」 かい キャラクタ キャラクター ニュアンス
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

▽最新の回答へ

1 ● ShinRai
●8ポイント

1.

前半の問題は、日本語が社会的関係性を、人称代名詞のように使える問題だと思います。

鈴木孝夫先生の『ことばと文化』に紹介されています。

鈴木孝夫研究会編『鈴木孝夫の世界 第1集 ことば・文化・自然』

冨山房インターナショナル(2010年10月)ISBN 4902385953

鈴木孝夫の世界〈第2集〉―ことば・文化・自然

冨山房インターナショナル (2011/07/12 出版)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4905194164.html


2.

後半の終端に使える助詞の多様性ですが、日本語が膠着語であることによるのではないでしょうか。(中国語は孤立語、欧米は屈折語)

大文明の周縁部に位置する日本語や朝鮮語などは、名詞は中国からもらって、それを独自の助詞・助動詞でつなぐ傾向があります。

アメリカやブラジルに移住した日系1世のしゃべる「ピジン英語」にも似ているかもしれません。

◎質問者からの返答

>ShinRaiさん

ありがとうございます。

1について:

面白い本の紹介ありがとうございます。Amazonで買ってきます。


2について:

膠着語であることが質問で述べたような語尾の充実を可能にしたということですが、他の膠着語圏でも日本のように語尾が充実しているのでしょうか?

もしその傾向があるなら、なぜ日本という環境では膠着語になったのでしょうか?

しつこくてすいません。


2 ● australiagc
●8ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E

英語、フランス語、中国語など他の多くの言語と異なり、現代日本語には文法的に名詞とはっきり区別される代名詞がなく、様々な語が一人称代名詞として使え、それぞれ文体や立場が異なる。

つまり、日本語には文法的に定義されている、「I」や「Je」、「我」などに相当する一人称代名詞がないからですね。


次に語尾ですが、一部は文法上の違いが挙げられると思います。


例えば、ヨーロッパの多くの言語には女性名詞・男性名詞・中性名詞があります。日本語の女言葉(e.g. なのよ、だわ)・男言葉(e.g. なのだ、だぞ)の語尾とは意味合いは違いますが、これらは日本語に無い方法でムードやニュアンスを変える役割を果たしています。


最後に個人的な意見ですが、文字の在り方の違いが大きいかも知れません。例えば漢字の場合、一つ一つの文字には意味があり、文字を構成する部首にも意味があります。西洋の単語も同じで、個々のアルファベットには意味はありませんが、いくつかのアルファベットが集まると意味を持ち、それを繋げることで単語が成り立っています。例えば、「restart」という単語は「re(再び)」と「start(開始)」で成り立っており、中国語でも「再開始」と訳されます。


これに対して、日本語のベースとなっている五十音には意味は無く、あくまで『音』として使われています。「restart」は日本語で「再起動」などと訳されますが、ひらがなで「さいきどう」と書いても英語や中国語の場合のようには意味や成り立ちを明確に特定することはできません。西洋の単語や漢字のように文字に意味があると、新しい語尾や表現を作るのが難しくなると思います。しかし、日本語のように文字に意味が無い場合、発声した『音』をそのまま文字で表現し、新たな単語や語尾として認めることが比較的容易に許されるのではないでしょうか?

◎質問者からの返答

>>australiagcさん

ありがとうございます。

ヨーロッパ言語の女性/男性/中性名詞によってニュアンスを表現するとのことですが、これはちょっと信じられない。ドイツ語の場合だと、たしか中性とか男性とかは規則的に変化するだけなので、そこに書き手の意思は反映できないような気がします。


日本語の「音」の性質の考えはすごく納得がいきました。

日本語という言語が、新しい何かをくっつけやすい性質を持つことはわかりました。

しかし、なぜ日本人や日本文化が日本語に態度やムードの語尾表現をこんなに埋め込んだのか。環境的にそういう必要性があったのか、とか、その辺りが未だにわかりません。

それとも考えすぎでしょうか。

でももし同じ性質を持った言語圏民族でも同じように語尾の充実が起きないとすれば、そこには日本独自の何かがあるとは思うのです。

その辺りの考えを教えて下さい。


3 ● you1031931
●8ポイント

日本語は あ・い・う・え・お が基本でアレンジしやすいからだと思います

英語とかはアレンジしにくいですよね

そういう違いだと思います

◎質問者からの返答

こういうのは英語圏の人とかは感覚的にどう思っているのかは気になるところです。

なんか、その気になれば、「This is an apple yo.」とかでてきそうな気もするのですが。


4 ● mnt
●8ポイント

一般的に上下関係と建前を重んじると言われるので、細かいニュアンスを表現するためではないでしょうか。

◎質問者からの返答

上下関係と建前を重んじるから、その必要性に応じて日本語がそういう機能を持つようになったということでしょうか。その逆の可能性はありえないのでしょうか。日本語の機能が上下関係や建前を作りやすくしたという可能性。


5 ● papavolvol
●8ポイント

船川 淳志さんの講演会で聞いた内容を説明させていただきます。

言語には「コンテンツ型」言語と、「コンテクスト型」言語があります。

「コンテンツ型」言語では「何を言ったか」を最重要視します。

一方の「コンテクスト型」言語では「どんな言い方をしたか」を最重要視します。

欧米言語は「コンテンツ型(何を言ったか)」の傾向が強く、日本語は「コンテクスト型(どんな言い方をしたか)」の傾向が強いそうです。

ここまでが、船川 淳志さんの講演内容です。ここからは私の私見です。

日本語は「コンテクスト型(どんな言い方をしたか)」の言語です。実際に、自分のことを考えてみて相手が「どんな言い方をしたか」で頭にきた経験が多いのではないでしょうか?日本語の表現が多彩なのも、日本語が「どんな言い方をしたか」に対して強いこだわりを持ってきたからだと思います。日本語はとても美しい言語です。また、この「コンテクスト型」の思考のおかげで、日本は心配りや気遣いを重要視する暖かな社会です。

しかし、一方では「コンテクスト型」思考には欠点もあります。その顕著な例が、日本の官庁や企業のホワイトカラーの際立った生産性の低さです。

米国の労働生産性を100とすると日本は69。(財団法人 日本生産性本部 生産性総合研究センターの2009年データです。)

つまり、アメリカ人が100の仕事をする間、日本人は69の仕事をして、31の生産に寄与しないことをしているのです。

この31は、前任者や上司の顔を立てることだったり、儀礼的な前例踏襲だったり、気配りだったり、根回しだったり、たばこ休憩だったり、ノミニケーションだったり、礼儀だったり、いろいろ大変です。

実際には日本の官庁や企業のIT化がアメリカに比べてとても遅れているためだという指摘もあり、全てを「コンテクスト型」思考のせいにするのは乱暴かもしれません。

船川 淳志 (ふなかわ あつし)

グローバルインパクト代表パートナー。1956年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。東芝、アリコ・ジャパン勤務ののち1990年に渡米。アメリカ国際経営大学院(サンダーバード校)にてMBA取得後、米国シリコンバレーを拠点に組織コンサルタントとして活躍。現在、組織、リーダーシップ、人材開発等のテーマでセミナーを精力的に行っている。NHK教育テレビ「実践・ビジネス英会話」の講師も務めた。 <主な著書>『ビジネススクールで身につける思考力と対人力』、『人気MBA講師が教えるグローバルマネジャー読本』、『図解 ビジネスの現場で活きる思考力と対人力』、『考えるプロが明かす「思考の生活習慣病」克服法』がある。

◎質問者からの返答

「コンテンツ型」言語と、「コンテクスト型」言語の違いは興味深いです。

「どんな言い方をしたか」を最重要視するのなら、日本語は冷静な議論をするための言語としてはかなり不向きなんじゃないかと思いました。それでも、よく今日までやってこれたのは、コンテクスト型にもそれなりのメリットがあるということでしょうか。それは数値としては現れないのでしょうか。


まあそれはともかく、やはり根本的な原因が謎のままです。

日本語という言語仕様が日本人をコンテクスト型にしたのか(もしそうなら日本語に近い言語圏民族ではコンテクスト型になっていてもおかしくない)、それとも日本という環境ではコンテクストを重視しなければならない原因があったりして、その潜在的必要性が日本語を現在のものに進化させたのか。そもそもそういう二元論がダメなのか。


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