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「読書感想文は読書嫌いを助長するので教育上よくない」という仮説に論理的に反論してください。感情的、根性的な反論はNGとします。

●質問者: qwerty
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:ng 助長 感情的 教育 根性
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● Lhankor_Mhy

その1

「読書感想文を書いた生徒」と「読書感想文を書かかなかった生徒」について、「本好き度」を調査したデータはあるのだろうか?

そういった調査結果がないならば、「読書感想文で本嫌いになっちゃったよ」というタダの個人の感想にすぎない。もちろん「そういう人はたくさんいる」というのは反論にならない。本嫌いの人が読書感想文を言い訳に使っているだけかもしれないからだ。

そういった調査結果があったとしても、因果関係には気をつけなければならない。たとえば宿題を選べる環境での「読書感想文を書いた生徒」と「読書感想文を書かかなかった生徒」の比較は、もともと本嫌いの子供は後者を選ぶ傾向にあることが容易に予想できる。あくまで「本好きだった」→「読書感想文を書いた」→「本嫌いになった」という人が全体に比べて有意に存在する、という統計的データが必要である。

そういうデータが存在しないのであれば、「読書感想文は読書嫌いを助長するので教育上よくない」という仮説は崩れ、「読書感想文は読書嫌いを助長するかどうかはよく分からないので教育上よくないのかどうかは分からない」という結論になる。

その2

「読書感想文は読書嫌いを助長するので教育上よくない」という仮説が正しいとしよう。

さてそうであるなら、「数学の授業は数学嫌いを助長するので教育上よくない」とも言える。日本で「数学の授業を受けずに数学嫌いになった」という人は極めて稀であるので、これは成り立つ。

あるいは、「学校は学校嫌いを助長するので教育上よくない」と言える。日本で「学校に一度も行かずに学校嫌いになった」という人は極めて稀であるので、これは成り立つ。

であるから、いっそのこと学校を廃止するのが教育上もっともよろしい、という結論に到る。これは明らかにおかしい結論であるから、「読書感想文は読書嫌いを助長するので教育上よくない」という仮説がおかしいのであろうと思われる。

その3

「読書感想文は読書嫌いを助長する」のはたしかである、としよう。

しかし一方で、もとからの読書嫌いが存在するのもたしかであろう。「子供に読書をさせる」のは教育上よいことであるのは明らかであるから、読書感想文が原因で本を読まなくなる生徒の数と、元々本を読まない生徒に無理やり読書をさせた数を比較せねば、読書感想文の教育効果は計れないであろう。

現代の児童は本を読まない、と言われて久しい。であるから元々の読書嫌いが相当の割合を占めることが推察される。そうであるなら、「元々本を読まない生徒に無理やり読書をさせた数」が優位に立つと推測するのが妥当である。

◎質問者からの返答

思考実験ですが、あえて、反論に反論してみます。

その1

「教育上よくないのかどうかは分からない」ということは中立ですね。読書感想文反対派に優位な統計があれば覆せるでしょうか。

その2

各教科が好きになれるかどうかは、教えてくれる教師の質や相性も関係してくると思います。学校も自分に合った校風だったりそうでなかったりします。数学の授業が原因で数学が嫌いになることはあり得ますが、数学の授業が原因で数学が好きになることもあり得ます。一方、読書感想文が原因で読書が好きになることは(直感的なもので確証はありませんが)少ないのではないかと思います。読書感想文が原因で読書の機会を損失する率と、読書感想文が原因で読書の機会を獲得する率を比較した統計が必要なようですね。

その3

「元々本を読まない生徒に無理やり読書をさせ」る場合、どのみち読書嫌いになることはあっても読書好きにはならないと考えられるので、「教育上良くない」を覆すには至らないのではないでしょうか。


2 ● Lhankor_Mhy

もう一つ思いついたので、書きます。

その4

そもそも読書感想文とは「自分の考えを文章で書く」ことを眼目とする教育法である。自分の考えを文章で述べる習慣・能力を身につけることを目的としている。どのような教育法でも副次的な効果が発生してしまうのは不可避である。であるから、主目的での教育効果を検討せず、副作用として本嫌いの生徒が生まれることをもって「教育上よくない」とするのはいささか早計であると考える。「本嫌い」のケアは、それに適した別の教育手段によって補われるべきであろう。

◎質問者からの返答

例によって思考実験ですが、あえて反論してみます。

その4

“物語”の感想文を書く場合と、“論文”の感想文を書く場合、あるいは、読書ではなくて、日常の体験談の作文を書く場合では、使う頭の回路も違ってくると思われ、「自分の考えを文章で書く」と一括りして言えるでしょうか。私の個人的な経験では、日常の体験談の作文は比較的すらすら書けましたが、読書感想文を書こうとしても何の感想も思い浮かべられないことがしばしばでした。今ここにこうして、ディベート的な意見を書くのは、わりと楽しみながら書いていますが、とりわけ読書感想文の場合、「副次的な効果」が読書の好き嫌いに繋がるので、リスクのある宿題と言えないでしょうか。


3 ● gerip

読書感想文とはアウトプットの作業であり、読書とは別の能力を求められる。読書感想文が嫌いになるであって、読書が嫌いになるわけではない。付け加えるならば、他の科目でも同じように、得意な部分とそうではない部分があるだろう。その分野において全てできる人は滅多にいない。ただ、要求されたときに、自分の能力の有無を知ることができるだけであり、それを伸ばしていくのも、そのままにするのも本人次第ということ。

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