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「読書感想文は読書嫌いを助長するので教育上よくない」という仮説を論理的に正当化してください。
(参考) http://q.hatena.ne.jp/1314638512
論理的ではない説明はNGとしますが、優位な統計結果を別途必要とするような客観的な合理性を前提としたものは良しとします。

●質問者: qwerty
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:NG 助長 教育 正当化 統計
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● たけじん

「読書感想文」とは、マンガではない活字主体の書物を読み、それに対する自分の印象を引用・例示しながら説明し、自分の経験や環境に則して今後に生かしていけることを宣言する文章、と考えられる。これは、感想文の提出先である、学校の国語の教師一般の評価や、広く行われている読書感想文コンテストで佳作程度に評価される”普通”の感想文を読んだ分析結果である。

この読書感想文には、読書中に留意する点が2点あることがわかる。1点目は、文章の印象を部分的に切り取り、その部分に対する印象を明文化することである。2点目は、自分の置かれている環境に読んでいる文章の内容をあてはめ、今後に生かしていけるかどうかを検討しながら活字を追わなければならないということである。

この2点に留意しながら読んでいると、ここ使えるなとか、ここは使えないとか、内容を楽しむ過程とは別の意識が働くことになる。これでは読書の楽しみである、文章に没入するという事ができなくなる。また、自分にあてはめるためには日常からかけ離れた設定では困難を伴うため、自ずと本の種類の選択が狭まってしまう。

そして、最大の弊害として「読書感想文を書かなければならない」という義務感および時間制限によって、ゆとりをもって本に対面することができなくなる。

このように、様々な制限の中で読書を続けることにより、読書の最大の楽しみである「自分の経験できない世界へのいざない」がなくなり、本への興味が薄れていくと考えられる。つまり、読書感想文を「強要」することは、活字離れを生み出す元凶であると言えるであろう。すなわち、活字による情報収集の能力を奪うことであり、これは教育における本質の目的を逸脱していると断言できる。

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