ネタぽくないかもですが
・恋愛関係のもつれからの殺人事件(少年犯罪データベースドア)
こちらの記事でまとめられています。
自分も結婚したいと強く願い、近所の男性と知り合う。結婚の約束をしてくれたので、嫌われたくないがために、体を許す。妊娠が分った時に男はスアドを捨てる。
文句なしの「シャルムータ」となってしまった彼女は、「家族会議」の結果、姉の夫のユッサンにガソリンをかけられ火をつけられる。表に逃げ出し助けられ、病院に運ばれ生死の境をさまよう。父は病院に来てスアドを罵り、母は彼女に服毒自殺を勧める。薬も貰えず、治療もまともに施されず、「自然死」を待つだけの彼女
1751年娘の結婚に反対する父を毒殺
1951年(複数いる)恋人の一人が彼女と別れて婚約すると、嫉妬に狂って殺害
1954年レズビアンの関係を解消されることを恐れるあまりに、母親を煉瓦で撲殺
新聞広告を通じて夫を募集し大量殺戮、近年映画化予定
1990年教え子を唆して夫を殺させた女教師、ニコール・キッドマン主演の『誘う女』で映画化
その他、「殺人博物館?情痴殺人」のページで恋愛がらみの殺人事件が多数紹介されています。
阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年5月18日に東京都荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。
(略)
定は逮捕されると「私は彼を非常に愛していたので、彼のすべてが欲しかった。私たちは正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決してさわることができないと思い、彼を殺した…」なぜ石田の性器を切断したかは「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった」と供述している。
1958年10月20日にアメリカ占領下の沖縄の浦添村(現浦添市)で発生した殺人事件。遺体から乳房を切り取り、肌身離さず持ち歩いたことから「沖縄版阿部定事件」と注目を浴びた。
(略)
二人の夢は「夫婦になってブラジルに移民すること」であった。しかし、相続した資産も底を突き、生活が困窮するようになった。将来に絶望した二人は心中することにしたが、自分は死に切れず警察に保護されたのであった。乳房を切り取ったのは、男は同棲の女性に執着しており、持ち歩くために切り取ったのであった。
#a2に倣って、殺人博物館から取り上げるとすれば
ルース・エリスの事件でしょうね。彼女が美人であったことから本人は死刑に処せられましたが、死刑反対運動が高まって結局英国から死刑制度が廃止されましたからね。もっとも決定づけたのはエヴァンス事件(冤罪)とA6殺人事件(冤罪が疑われた)の2つの事件ですが。
犯人も被害者も有名人という点でジーン・ハリス。現在の日本で言えば双葉高校の校長が高洲クリニックの医院長を殺害したようなものです。
後、クリッペンの事件も入れておいていいでしょう。事件としてはともかく、逮捕に世界で初めて無線が役立った事件でもあります。
古い点で言えば、ブランヴィリエ侯爵夫人。浮気相手が毒殺マニアだったものだったから、それに感化されて身内も含めて大勢の人を毒殺しています。最近本も出ましたね。
それとちょっとしたフランス史なら載っているのがラ・ヴォワザン。ルイ14世が全ての記録の焼却を命じたので詳細は解っていませんが、モンテスパン公爵夫人が絡んでいた大事件です。
戦争だと、クレオパトラ7世が原因でエジプトとローマが戦争になったのが有名ですね。
細かい話しで、女王が無能な愛人を司令官にした例というのもありますね。
第2次世界大戦がそうです。「王冠をかけた恋」と呼ばれる大英帝国国王エドワード8世退位が該当します。もし退位をせず英国国王のままであった時,英仏間の協調(元々仲が悪い),当時の英国貴族階級がみせた冷淡さとヒトラーの好意的態度の差を考慮しますと,ポーランド防衛条約による対ドイツ第三帝国宣戦布告自体がなかった可能性があります(詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%B3を参照下さい)。逆に,1939年から1940年のフィンランド?ソ連戦争が原因で対ソ宣戦布告していた可能性もありえます。