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豊臣秀吉が大阪城天守を安土城より低くしたのは、信長に遠慮したのですか?

●質問者: medicatedlipstick
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● Hyperion64
ベストアンサー

推測による物言いですけれど、西洋の築城術の影響があるのではないでしょうか。

安土城は山城でしたし、大筒の射程を気にしなくともよい時代の天守閣です。高さは高いほど権勢を誇示できたでしょう。

ところで、西洋での状況ですが、砲術が発達した16世紀以降の要塞は、平地に築かれており、低い建造物に囲まれています。これは、大砲の的となりにくくするためです。

大阪城は平城になります。確かに城郭は巨大ではありましたが、天守閣が高いほど大筒の的になりやすいのことに秀吉は気づいていたのではないでしょうか?

よって低めにしたというのが、私の仮説です。

野戦の多い日本では大砲が発達しなかったそうですが、スペインやポルトガルの南蛮船はすでに大砲を備えて渡来していました。

また、大友宗麟がすでに西洋の大筒を入手していたので、時代的には矛盾はないです。

日本での大砲の歴史

時代がくだり大坂の陣では南蛮船からの砲撃を受けています。

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