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「高額所得者が高額納税すると、社会が潤うので、高額所得者を増やした方がよい」-(1)という説明があります。その理屈に対して、高額所得者の所得は、元々、社会を構成する人がモノやサービスを購入した代金から支払われているのだから、高額所得者がお金を生み出している訳ではないので、富の総和は変わらず、分配が変わっているだけだと思います。(1)の説明は、どのように理解すればよいのでしょうか?

●質問者: watson2012
●カテゴリ:科学・統計資料 生活
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● miharaseihyou

役人による金持ち擁護論ですね。
税収は公務員の給料に消えた後で一般会計に回ります。
社会全体の生産が少ない状態では所得の格差が大きくなります。
要するに公務員が給料を減らさずに済むよう三段論法を捏ねているようなものです。
国家公務員の過半は今や高額所得者の範疇に含まれますから。


watson2012さんのコメント
ありがとうございます。 生産についても、同じような疑問があります。原価100円で生産し、200円で販売したとすると、100円分の価値を生み出したことになりますが、販売代金の200円は元々社会に存在していたもので、社会の富は増えていないようにも思います。どのように考えればよいのでしょうか?

miharaseihyouさんのコメント
基本的な生産の事ですね。 社会の富は全て生産活動によって産み出されます。 企業が生産しなければ富は生まれません。 だから、この場合、100円の付加価値を生産したと言うことになります。 例えば200円のパンを一個焼いて売ったとして、粉や油の代金だけでなく、ガス台や容器の洗浄、人件費、ゴミの処理費用まで全て均等割にして100円かかったとします。 つまり、粗利が100円だったわけですね。 実際にはこれから広告宣伝費や減価償却や雑費等々が差し引かれ、残るのが営業利益です。 そこから更に税金や株式への配当、役員賞与などが差し引かれます。 要するに、生産された富には、各分野から割り当てを求めて手が伸びてきます。 会社に利益を残すことが出来るかどうかは経営者の手腕に掛かってくるでしょう。 これを国家をモデルにして当てはめてみましょう。 国土というハードウェアを使って、戸籍や治安の管理や防衛や外交やライフラインや交通網の整備などを行って費用が発生します。 生産されるのは税金がほとんどです。 日本政府の場合問題なのは、費用が税収を大幅に上回っていて、そのほとんどが実質的に人件費に消えていると言うことです。 公務員の厚遇された人件費は言うに及ばず、外郭団体の天下り理事などもそうですし、公共工事にしても、その内訳は人件費が一番大きなウェイトを占めます。 公務員の人数と一人あたりの所得が多すぎるのが主な原因ですが、東京への一極集中による弊害もあります。 霞ヶ関など無駄の塊でしょう。 と言うわけで、現状では日本政府の成績は落第生です。 ずるずると問題を先延ばしにしてきたツケですね。 民間の給与水準は下がり続けていますが、公務員だけ現状維持ではデフレの影響もあって、比較すれば高給取りの集団になっている。 一刻も早くリストラされることを願ってやみません。 増税よりも経費節減が先でしょう。

watson2012さんのコメント
経費削減は賛成です。生産性向上したいですね。

2 ● seble

>高額所得者を増やした方がよい

資本主義国家でこれを意図的に行う事は不可能だと思いますが?
税率を下げて、結果的に高額所得になる、とかいうならまた別ですが、簡単に増やす方法など無いと思いますけど?
たいていの人はもう少し所得を増やしたいと思っていると思います。
でも、例えばサラリーマンなら所得を決定するのは自身ではなく、会社です。最低賃金法を極端に改定して所得を増やすように強制する?
できるわけないですよね?
最初の前提から破綻していると思いますが?
何か、条件が付いていたりしないのですか?
「増えれば」良い、という事ではないのですか?
「増やせば」と「増えれば」は意味が全く違いますよ。


watson2012さんのコメント
「高額納税者が増えた方がよい」というのが意図した質問でした。納税以外では、社会への寄付も同じような話と思っています。ありがとうございます。

3 ● hathi
ベストアンサー

【静的に考えた場合】世の中で100円×1億個が富のすべて(合計100億円)だとします。そこである100円の特定の富に注目し、別の100円の富×2個(200円)に相当すると値付けを変更し、それが受け入れられれば富の個数は1億個で変わりませんが、富の総額は100円増加します。富は実際の物理的な存在で決まるのではなくて、人の認識で増えたり減ったりします。対価として支払われた通貨、支払う予定の通貨などの所在の問題とは別のものが富です。通貨を大量に所有しているのは、その通貨額に相当する富を取得できる可能性を持っているということです。前述の世の富の総額が100億円の時に、通貨が総額で1万円しかなくても、取引に支障がなければ問題は発生しません。通貨の1万円追加して総額2万円にしてしまうと、取引が同じならば、追加の1万円の通貨は預金が増えるだけです。取引実態が変わらないのに全通貨を取引に使うと、1個100円の富が1個200円に改訂され、存在する富は200円×1億個(合計200億円)と表示されます。これを富が増えたと認識するか、通貨価値が下がったと認識するかは、認識方法や認識の目的で変わります。販売価格1万円の高価な食品を食べてしまったら食品はなくなりますが、このとき富が減ったとは普通は言いません。一方、地面の下から原油を採掘し1万円で買い主がつくなら、原油は地下から人間社会に移動しただけですが、この時富が増えたように普通は言います。人気のチケットにプレミアがついて倍額になることもあり、服もバーゲンセールで30%オフになることもあり、サービスや物財の富の金額は一定不変ではないこともわかります。富は欲望が源です。欲しいと希望しそのために何を対価に出すかの値踏みが富です。昔なら、自分が持っているものを対価に渡すか、お手伝いや労働などをすることで対価にするかでした。アルバイト6時間を対価にしても欲しければそれだけの価値がある富です。アルバイト10日間を対価にしても欲しければそれだけの価値がある富です。ものの物理的性質が富の大きさを決めるのではないです。欲求の強さと対価に渡せるものとのバランスで富の大きさは決まります。空気がないと生きていけませんので、酸素や空気に対する欲求はとても強いのですが、対価を渡すことなく利用できるのが酸素や空気なので金額がつきません。原価100円で生産しても、買い主が現れなければ価値はありません。200円で買い主が現れれば200円の価値になり、原価100円の美術品や特許などで1000万円で買い主が現れれば1000万円の価値になります。原価100円で取得し200円で転売できたなら100円分の追加価値を生み出したことになります。そのようなものを購入する人がいないなら経済価値は0になります。社会にある通貨の存在量と社会にある富の総額とは一対一に対応するような関係はありません。

【動的に考えた場合】同じマグロでも、漁船、魚市場、魚屋店頭では、(場所)と(販売価格)が違います。イチゴはクリスマスシーズンなどで価格が上昇します。財貨やサービスの価格は、存在する場所、提供される時期でも変動します。原油、ガソリン価格、穀物価格、株価は、頻繁に変動します。土地のように量的な増減をしにくいものの価格も変動します。物財やサービスの種類の相対的な価値も、一定不変の価値があるのではなくて、常時変動しています。例えば、人口が年に3%増加すれば多くの物財が必要になり、消費や購入が増え、流通、生産も活発になり、過去に日本が急速に経済成長し豊かになったように日本の富の総和は増加します。人口が年に3%減少すれば消費も流通も生産も減少し、これまでの蓄えに対する購入希望者利用希望者は減少し、富の総和も急激に下がります。富(富の総和)は、場所、とき、人口や産業の状況で変わります。

【速度を考えた場合】賞味期限が1ヶ月以内である食料などだけを考えます。1ヶ月に10kgを産出消費できるときと、1ヶ月に20kg産出消費できるときでは、後者が豊かです。衣服などでも1年に1着を産出購入できるときと、1年に5着を産出購入できるときでは、後者が豊かです。 企業で使用している設備資産や従業員数などが同じ場合、月間の売上が多い方が豊かであり、売上が毎月下がる状態では衰退している(企業の富が減少している)と考えて良いです。自分の家の家事や自分でやっている事業に、使用人を年間30時間使えるのと、使用人30人を毎日使えるのとでは、後者が豊かです。富は、一定期間の中で経済の回転がはやいほど豊かであると考えられます。

【濃度を考えた場合】米20トンが、2000人にあるとき(一人10kg)と、200人にあるとき(一人100kg)とでは、後者が豊かです。米20トンを2000人均等に分配するとそれを自分の食料にしてお終いですが、1990人に一人9.5kgを分けると1990人はそれを食料にします。一方10人に一人109.5kgを配分すると、その10人は一人100kgを活用できる財源にして、人を雇って事業を起こしたり、農地改良工事、灌漑工事、自宅の建築などをすることも可能です。多くの場合、そうしたことは他の経済活動を呼び起こします。一人10万円の余分資金では蓄えるとか消費のために使うくらいになります。しかし、1000万円、1億円とかあると投資や事業活動に使えて、それが経済活動を呼び起こし、全体の生産を増やすことが多いです。

富は偏在していると富を増殖させる傾向があります。古代文明でも強い王権や富者がいることが大きな建造物、農耕地、道路、港湾施設、貴金属の装飾品等などを増やす原動力になります。
王権などがなくなった今の時代では、政府が税金を集めて大きな事業をします。人頭税(一人いくらという税金)の集め方よりも、高額所得者・富者から多くの税金を取るとか、企業などから税金を取る方が多くの税を集められ、大きな政府事業ができ、大きな事業をすることで経済を活性化できる=その社会の富の総和を増やせることが多いです。

富の総和が同じでも、分配を変えて一部に富を偏在させることで、富の増加を期待することができるのは、人類の普遍的歴史が示しています。

「高額所得者が高額納税すると、社会が潤うので、高額所得者を増やした方がよい」-(1)という説明がどこにあるのか知りません。
富が公平に分配されているときには、富の長期的増殖は難しくなると思います。 また、一部の高額所得者や富者が純個人的満足感に浸ってより大きな富を目指さなくなると、社会の富の長期的増殖は難しくなります。 高額所得者・富者や国家政府が、より大きな富の形成や獲得を目指して投資を盛んに行うときには、社会が潤う可能性は出ます。
より大きな富の形成・獲得を目指す場合、社会全体も、多くの人々の富も増えることが一般的ですが、一部の人々は困窮さを増すことも多くあり、ある期間を経ると社会不安の大きな構造的原因になります。

現在の日本のように、労働や事業活動、投資活動をする人の割合が減っている場合、貢献や寄与とは無関係な所得配分の調整を(教育、医療、年金、公共事業などを通じて行う)ことが、社会不安を軽減し、困窮度を和らげ、社会がギスギスするのを防止する効果を出します。そのような所得配分の調整には財源が必要です。人頭税、資産税、消費税、相続税などがその財源になるでしょう。税制改正・増税が基本の政策だと思いますが、経済活性化のために経済特区を設けたり、租税特別措置で減税したりという政策もよく採られる方策です。
税収を上げるために「高額所得者を増やした方がよい」という話は、具体策をどうするのかちょっとわかりません。投資に対する支援施策を行って投資や経済活動を盛んにさせる政策は、結果的に高額所得者を増やすでしょうが、その高額所得者からの税収を期待している「高額所得者を増やすための政策」とは、普通は言わないと思います。


watson2012さんのコメント
「富は欲望が源です。」という点など、本質的な内容に触れた説明と思いました。ありがとうございます。富の尺度は通貨ですが、通貨を発行したり、金利を操作するのは人間ですから、色々考えると全体像が掴めないです。元々の質問については、

watson2012さんのコメント
「富の総和が同じでも、分配を変えて一部に富を偏在させることで、富の増加を期待することができるのは、人類の普遍的歴史が示しています。」という回答に納得しました。
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