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いじめの原因とその解決方法、なんですか?

いじめってなんで起きるのでしょうか?
それってどうすれば解決できるのでしょうか?
どんな些細なことでも構わないので教えてください。

●質問者: ZAKKEY
●カテゴリ:学習・教育 生活
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● miharaseihyou
ベストアンサー

「いじめ」ですね。
いじめる方といじめられる方の両方があります。

いじめる人は「なぜいじめるのか?」コレは比較的分かりやすい。
人間には集団の中で「目立ちたい」という自己顕示欲があります。
特に自分に有利な形で目立ちたいと思う。
そして、そのための一番効果的な方法が「攻撃」です。
他者を攻撃して自分に有利な状況を作る。
常に個人的な欲求から攻撃は行われます。

日本人には集団の「和」を重んじる伝統があります。
だから、攻撃された側は常に受け身に、攻撃し返さないようにして、集団の和を求めます。
いじめられる人は、我慢し続けて、際限なくいじめられることになります。
集団の中には自己顕示欲の強すぎる人が必ずいます。
和を乱してでも自己の欲求を実現しようとするタイプです。

所謂「モンスターペアレンツ」の子供にそういう人が多いのは至極当然でしょう。
その子は親の悪いところを三倍増しにして真似しているだけです。
「これくらい良いだろう。」からエスカレートして、「こうすれば有利になる。」を実行するタイプです。

本来、人間には良心はありません。
良心とは社会的な必要から生じた、極めて人工的な感情です。
本来の感情はもっと現実的で我が儘な欲望の形です。
社会生活は我が儘を抑え、互いに譲り合わなければ成り立ちません。
しかし、中には「自由」を実現するのは正しいことだと自分を納得させる人がいます。
良心を欠落させて、本来の欲求に引きずられて、他者を攻撃する人が「いじめ」を行います。
対策としては限定的な攻撃が有効です。

攻撃は諸刃の剣ですが、受け身なだけでは何も解決しません。
言葉で攻撃されたのなら言葉で、物理的な攻撃を受けたのなら物理的に対処する必要があります。
一番最悪なのは何もしないで正義の味方が問題を解決してくれることを待つ態度です。
コレでは何も解決しません。

攻撃には攻撃で対処する。
防御は不可能だと思ってください。
ただし、やり過ぎないように注意することです。
相手から受けた程度まで、それよりも少し控えめに攻撃し返すべきだと思います。

攻撃されるのが怖いのはいじめる方も同じです。
やった分だけやり返されると分かれば抑止力になります。
やり返すことで相手と同じ土俵に立ち、正面から向き合うことが出来ると思います。
逃げているだけでは解決にならないと思います。


ZAKKEYさんのコメント
性悪説ですか・・・なるほど。確かにそう思うところもあります。では、性悪説を肯定すればいじめられることもまた悪があればこそ、でしょうか?戦うことの必要性は大いに理解できます。最近の子供は弱すぎではないかと思いますし。 子供の自己顕示欲はジレンマでしょうか?目立てばいじめられる世の中で、いじめる側、られる側の双方が何か気づいてほしいことがあるから、そのような目的でいじめが起きているなら・・・子供はジレンマに苦しんでいる被害者ですよね。

miharaseihyouさんのコメント
泣いている赤ん坊が次第に知恵を付け、親におねだりすることを憶え、我慢することを憶えさせられ、そうやって学校までたどり着くんだと思います。 こどものいじめは比較的分かりやすいと思います。 中には生徒をいじめる教師がいて、私は苦労しました。 教師にいじめられて苦労する話は時々聞きます。

ZAKKEYさんのコメント
そうですか。実は俺も元不登校でして(笑) 俺の場合は偏頭痛が慢性的にひどくて家から出れなかっただけなんですが・・・。 ありがとうございました。卒論の参考にさせていただきます。 いつか機会があったら完成品を見せたいです。

miharaseihyouさんのコメント
http://blog.livedoor.jp/tuigeki/archives/51192130.html ベストアンサーありがとうございます。 今日見つけたいじめに関するブログですが、数年前までは自殺してもいじめが原因ではなかったようにしよう・・・という教育委員会の態度があったようです。 教育現場の閉鎖体質は昔からの悪質な問題です。 うちの近所でMというロリコン教師が数年前に懲戒免職になったのですが、最初は免職にならなかったそうです。 幾つも転校を繰り返しながら、何人もの小学生の少女を毒牙にかけ続けました。 コネもあったようですが、無かったことにしようという事なかれ主義も原因だったようです。 数年前回答した質問での事ですが、学校のボス的な存在の教師が生徒をいじめるという相談がありました。 生徒の味方の先生が何とかしようとしても、学校内の力関係で押さえつけに掛かられて突破できそうにない・・・というお話でした。 学校が閉鎖社会なのは今に始まったことではありませんが、いじめが行われる下地となる環境に閉鎖性があると思います。 いじめても学校外に知られなければ後腐れがありませんから、安心していじめることができます。 私は、この閉鎖性を何とかする事がいじめ撲滅への最良の手段だと思います。

2 ● スパロウ

あんまり難しいことは言いません。

いじめっ子はね、昔いじめられていたんだよね。で、誤った学習をしてしまったんだよ。『いじめ=強い人』というね。だから、いじめというのは、『減るもの』だけど『決して消えないもの』なんだ。いじめることが、すなわち強いものだ、と思い込んでしまった以上、いじめは消えず、最低でも減ることしかできないのです。

いじめ、といっても、種類というのがあるよね。物理的ないじめ、精神的ないじめ、陰口・・・。物理的ないじめというのは、要は暴力だ。

ターゲットの見えないところで、悪口を言うパターンです。これは、近くに聞いている人がいない限り、証拠の残らない陰口です。しかし、これは『行う人』が限られるものです。つまり公がいる場で、堂々とグループでこそこそ陰口を言う者が限られるため、証拠がなくともすぐに疑われるものです。

  1. 標的に聞こえるように言う『陰口』

すれ違い際にターゲットに聞こえるように言うパターンです。これは、精神的ないじめにも分類されます。あまりにも短い時間で悪口を、しかも耳元で言われるので、言われた本人は外に出ることさえままらなくなってしまうこともあります。しかし、この陰口も『行う人が限られている』ので、疑わしき人が真っ先に容疑者になります。

  1. インターネットによる中傷書き込み

陰口の中でもっとも最悪なものです。インターネットの中でなら、自分の性格を自由自在に操れます。なのでいじめられている本人も気付かないという最悪なものです。しかも、誰が犯人だか分からないのがこの陰口のメリットとなってしまうのです。つまり、学校ではおとなしい子が、インターネットで陰口を言っている・・・ということだって考えられるのです。しかし、これも犯人がばれます。書き込まれたときによる電波(?)によって、書き込んだ場所が分かるのです。これによって、本当に逮捕者が出ます。


陰口は対処法がありませんが、必ず捕まってしまいます。絶対に信用できる友達に相談することも大切です。

ここでいった『分類』は自分の見解によるものです。一部、分かりづらい場所や、おかしな場所がある場合は、教えてください。


ZAKKEYさんのコメント
ありがとうございます。わかりやすかったです! みんなが仲良くできればやはりいじめって減るんですかね・・・ 仲良くできない人、たとえば俺みたいに17でビートルズ好きだけどわかってくれる人があんまりいないときとかって、どうやって仲良くしていけばいいんですかね(笑)あ、AKBはちゃんと覚えました♪

スパロウさんのコメント
なんか『分かりやすかった』と言ってもらえて、ホッとしました! おそらく、人間が地球に存在する限り、いじめという行為は決してなくならないと思います。でも、『減らす』ことは絶対にできると思います。 ビートルズですか!ぼくは『レットイットビー』が好きですね。コナンでもやっていたので!でも、ビートルズって『古いバンド』というイメージが強いみたいなんですよね。そこで!『ビートルズを少しでも知ってもらおう作戦』で、勇名勝つビートルズの曲を聞かせて、『あ!これビートルズの曲だったんだ!へー!』というところからはじめるといいと思いますよ!僕は14歳ですけど・・・。

ZAKKEYさんのコメント
びっくりだ!こんなすごい14歳いるんだな・・・ またなんかあったらよろしくお願いしてもいいですか? もちろん俺も同様にV

スパロウさんのコメント
僕でよければ!

3 ● スイカ夫

いじめはいじめる方の自分を守るための一手だと思うんです。
いじめる集団の中で仲間外れにされたくないのでいじめたり、
強く見せようと思っていじめたり。
また、その人を思う故というのもあるみたいです。

いじめを解決するには
時間の経過や、いじめる側が分かってもらうのを待つ
か、いじめられる方が変わるというのが
(例えばいじめられる原因を解消したり、いじめる人に立ち向かったり)
いじめを解決する方法なんだと思います。

こういう回答を望んでいない場合はコメントで教えて下さい。


4 ● 朝霞(あさか)

小学校から学校卒業、そして、社会人になっても「お局様とその仲良し」から、ターゲットにされて疲労困憊した自分の個人的な経験からのお話になります。

自分の場合、理由は三つ。
1)自分がの趣味、指向、思考、興味があることが、その時自分が所属していたクラスや職場のメインストリームではなかった。
2)人間関係で波風を立てないように、言いたかったりやりたい事を我慢して周囲におもねるという行為がどうしても出来なかった。
3)孤立しても、別に困らなかった(チーム作業や仕事などに影響が出るのは辛かったが)ため、メインストリームに入る気持ちがなかった

ここやblogなどで何度も書いていますが、あるグループに所属している人間全員が100%満足できる状態というのはまず無いと個人的に思います。
個人個人、違いがあるから、人は何かを作ったりできるのではと思うのです。
みんな同じで、100%満足しているなら、今の現状を維持し、変化を求める気持ちすら無いでしょう。

でも、「違い」があると、気になり、それが気にくわないものであれば、「あっちいって! 消えて! 居なくなって!」という気持ちが働いてしまうのは人が持って生まれた一面です。
それもイジメに繋がってしまうのでしょうね。

人が多様性を持ち、自分が気にくわない存在は否定したいという気持ちにあらがう事ができない性(さが)が、争いを生み出すだろうと個人的に思います。
でもそれを自分は否定しません。
物事はコインのごとく、裏表を持ちます。
競争は、よりよい何かを生み出すモチベーションにもなりますし、ドロップアウトを生み出しもするでしょう。競争という事自体が、そういう状況を産み出してしまうのです。

自分が子供の頃は、「別にいい、一人でもいい。好きなことをして、好きに生きる」と思っていました。
しかし、社会人になり、仕事をする上で協調性というのが非常に大切になってくると、そうも言っていられません。上司や同僚とうまくやっていかなくては、仕事が進まないのです。
給与をもらい、生活していくためには、我慢しなくてはならないことが沢山あると分かるようになると、自分の気持ちを押し込めざるをえなくなりました。
そして、表面的には、グループで波風を立てぬよう、「仮面」を被って生き、家に戻って、ぐったりとする、そういう日が続いたという感じです。

職場で「お局様」と戦う事も出来たでしょう。でも、それで職場の人間関係がよりトゲトゲしいものになり、多くの人がそれに巻き込まれるよりかは、自分がなんとか表面上でも繕って、仕事がスムーズに進むほうが会社としては利益になると考えたのです。

そして自分自身、戦いたくありませんでした。いじめられる側、悲しむ側の辛さを知っていますから、誰かと戦って、踏みつけて、自分が上へと上がって行きたいとは思いたく無かったのです。今でも、同じです。

ある人はそれを「弱さ、根性無し」と言うかも知れません。でも、自分はその道を選びました。
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そうですね。イジメや争いが無くなるということはないでしょう。
個人レベルでも、より大きなスケールであっても。
競争や進化等続ける限り。

とはいえ、なるべく波風立てぬよう、皆で考えることは出来るかも知れません。
グループの中で、そういう考えを持つ人が増えたのなら、話し合い、妥協点を見つけるよう努力することもできるでしょう。
この世から全く無くすことはできなくても、極力抑えることは出来るかも知れない、というのが自分の回答です。


ZAKKEYさんのコメント
ありがとうございます。世の中の人たちはみんな大変な社会を生きていくんですね・・・。俺もどちらかといえば己のエゴで生きているほうの人間かもしれませんね。相手に文句を言わせない、馬鹿にされないために仕事をするしないに関わらず何らかの役職についているのもその表れかもしれません。現にいま生徒会にいますから(笑)

朝霞(あさか)さんのコメント
されど、エゴもまた、競争と同じように、良い面悪い面両方持ち合わせていると思います。「生き抜く」為には必要な要素の一つだろうとも。 「雄弁は銀、沈黙は金」といいますが、個人的には、自分の主張を周囲の人に「なるほど」と納得させることができる会話術を身につけるということは、それらよりも上ではないかと思います。雄弁という単語をどう捉えるかは人によって違うとはおもいますが、個人的にはスピーチなど、一方的に投げかける感じですので。そして、沈黙しているだけでは、仕事などが上手く進みません。会議などの折に、いかに自分のアイデアなどを周囲に納得させるか。それは重要な事だと思います。 そういう「自己の主張」もエゴの一つだと思いますし、仕事を上手くこなすことは、生き抜くことでもありますから。 子供も大人も人間であることには違いなく、それぞれ、コミュニティなりに所属し、その「社会」で生き抜かねばなりません。 死ぬ間際、最後の息をするまで、「100%ではないが、よりよく生きるにはどうすればよいか」悩み、考え、惑い、苦しみ、学んでいくのだと個人的に思っています。
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