「同調」は、理系技術者としては、危険な物として捉えてます。
「言い出しにくいけど、一応言っておかないといけない」的な事を、同調的に曖昧に伝えてくるケースがありますが、その時は同調を一旦切って、ちゃんとキッチリ伝えてもらうように場を仕切ります。
つまり「言い出しにくい事を言わせる」のがメリットで「はっきり伝わらない」のがデメリットですが、後者は利き手側が場を仕切る事をなくなります。
メリットはサービス業におけるかゆいところに手が届くようなサービス。お客様の気持ちがわかります。
デメリットは自分が特別な客である場合。たとえば、寿司の食べ放題で卵焼きとご飯がバランスよく握られた寿司ばかり思う存分頼みたい嗜好の持ち主にとっては、望むサービス(どんどん玉を出してもらえ、遠慮無く食べられる)を受けるために普通よりも説明の労力がいります。遠慮しているのでもなく、卵焼きだけが好きなのでもなく、玉とシャリのバランスのとれた寿司が好きなのだと先に説明しなければ、食べ放題なのだから遠慮せずマグロやウニをたのめといわれたり、卵焼きだけ出されたり、「へんな配慮」が先に来てしまうのです。まあ、アメリカでも珍しい嗜好の持ち主には説明が必要だとは思いますが、「説明しないでも通じる」ことが美徳となるサービスの場では大声ではっきりと説明すること自体クレームつけてるようで「なんとなく気が引ける(これが同質性の圧力ですね笑)」のですよね。
特に「平均的な客」が存在しなくなった世の中では同質性を無意識の中でも頼りにしてしまうのは、ある場合には効率がよくないことだと思えます。
>そのような同質性が高いことによるメリットとデメリットを教えてください。
物事に問題が起こらない場合、または成長過程にある場合は
同質性が高いことがメリットがあります。
ただし、問題が起こった場合や低迷しているときなどは
責任の所在がはっきりしないとか、契約内容が明確でないとか
そういうことで、問題が解決しにくくなります。
この状態では、強者と弱者という立場の違いが或る場合、弱者は不利な立場に立たされ
損をする役を一方的に押し付けられます。
メリットは共通理解が成り立っている場合に、言葉による多くの説明を必要としないので、時間が短縮できる点。
デメリットは、同質性がそれほど高くない場合に、コミュニケーションの破綻が露骨に出る点。常識だとか、KYとか、日本人は言いがちですが、同じ日本人でも、共通の理解が成り立っていない場合が多くあって、ただ単に相手と自分の背景が違うだけなのに、自分の基準をあてはめて相手を責めがち。世間が狭い人にそういう態度がありがちかな。基本的にpapavolvolさんと同じ見方です。