その前に、チャラくても自殺する人はいるんでないかい?
質問者のチャラければ自殺が減るという論証が先に必要ですね。
リンクを拝見しましたが、GKB47で政府が何をやろうとしたのか、国民に何をやって欲しいと願っているのかを理解されるべきだと考えます。
リンクで言っているのは自殺防止という深刻な問題を現在人気絶頂のアイドルグループになぞらえたネーミングで啓蒙するばかりでなく、そのやり方、やろうとしている内容そのものもチャラい、痛いと批判しているのです。
GKB47とい名称を使おうが使うまいが、政府の言う自殺を防止法とはまず周囲の人が声をかけ続ける、気づく、気づいたら専門家に相談する。専門家はその人に応じた話し方で語りかける。です。
専門家の話し方がチャラい語り口である場合もあるでしょう。
http://allabout.co.jp/gm/gc/390213/
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/kyoukagekkan/gatekeeper.html
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TOMOTAKA ●25ポイント ベストアンサー |
とてもするどい視点の質問ですね。
まず、私の立ち位置をすこしだけ説明させて下さい。
私は、今回の広告は成功だった。と思っています。
しかし、次の一手こそが大きな課題だと考えています。
ながくなりますが、精神科的な視点と、広告的な視点の両面から意見を記します。
心の不調は、風邪のようにすぐ治るものではありません。
3年、5年といった長い視点が必要です。人によっては10年以上、病と付き合ってゆくものです。
ですので、流行を取り入れすぎた広告は不向きと言えます。
AKB48は10年後、どうなっているでしょうか。今以上に活躍しているのでしょうか。希望的視点で見るのはむずかしいでしょう。
もっと、じっくりと腰を落ち着けた姿勢がたいせつです。
たとえばこころの耳(コンセプト)
このような文章こそ、一般的で、好まれる、精神科の広告です。
こころの耳
こころの耳 コンセプト
仕事は大事だけれど、いちばん大事なことではない。
いちばん大事なのは、あなたのいのちです。
もし、悩みがあるなら、この扉を開けてください。
ここには、あなたの話にとことん耳をかたむける何人ものひとがいます。
誰に話すのか。何を話すのか。それはあなたの自由です。
何時間かかっても、何日かかっても、何回訪れてもかまいません。
もし、いま死にたいと思っていても、ひとりで悩まないでください。
話しを終えて、あなたがこの部屋を出たとき、もといた場所よりも
ほんの少しだけ明るい場所に出ているかも知れません。
人は話すために生きている。
人は聞くために生きている。
私は、GKB47は結果的に大成功だったと思います。
広告とは、広く告げると書きます。
多くの人に知ってもらわないと、意味がありません。
今回のように叩かれなければ、テレビやラジオで報道されなかったでしょう。多くの人々は、テレビを見て「うわ、イタいなぁ、ひどいな政府は。」と憤るわけですけど、そこで自殺防止キャンペーンの事を知ってしまったわけです。広告としては大成功です(笑)
類似例にせんとくんがあります。
発表当初は「キモい」「子供が怖がる」「イメージキャラクターとして失格」と言われましたが、さんざんメディアにとりあげられた結果、知名度上昇。凄まじい経済効果を産みました。
しかし、問題はこの次です。
一時的な注目を集めましたが、次の一手こそが試金石です。
GKB47を取り下げたという事は、自らを非を認めたと社会は認識します。
例えばここで「悩める人は、AKB48のように輝いて欲しい。みなさん、自分なりの太陽になりましょう。いま輝いているAKB48を採用したのは、間違っていません」みたいなコンセプトを発表し、貫く方法もあったはずです。議論が噴出し、さらに知名度がアップしたことでしょう。救いの手が必要な人に、声が届くかもしれなかった。しかしそれをしなかった。
では、何を発表するのか。そこが問われています。
一連の流れや、細部のやりとりを見ると、広告業者が無策であるように思えます。おそらく、ブレーンがいないのでしょう。
でも、もしこの流れを意図的につくったなら、超一流。化物クラスの実力者です。次の一手に期待したいところです。
前置きが長くてごめんなさい。さて、本題です。
私は人々が「イタい、チャラい」と表現した事は、2つに分解できると考えます。
AKB48のような派手で明るい世界と精神科の世界は、ちょっと毛色がちがうな。と私は感じます。
精神科もアイドルも、"あかるさ"を求めるのは同じですが、目指している方向が違う。作風、レイヤーが違うと言えます。
AKB48はアイドルであり、光です。まぶしいですね。しかし、心の闇と向き合うなら、己自身が光とならなくてはいけません。まぶしくなくて、構いません。ぼんやりしていても、ときどき点滅してもいい。でも、自分が自立した光である事に意味があります。
(企画者は、「AKB48が明るいグループだから、悩んでいる人の心の暗さを照らそう。」という意図で採用したのかもしれません。その場合は、コンセプトに対して議論が必要でしょう。)
2012年2月現在、AKB48は流行として社会に認知されています。わーっと話題になって、あっというまに廃れていく。
「とりあえずAKB48を出しておけば注目されるだろう」
という広告主の小汚く、あさはかな思惑を、国民が感じたのでしょう。
もしここでモーニング娘。を広告に出したら、批判は起きなかったでしょう。同じアイドルグループでありながら、歴史と流行度が違うからです。
この2つが噛み合わさり、さらに有名人に対する色々なレッテル(「秋元康は汚い商売人だ」とか「AKBなんて、かわいくないわね」などの個々人の感情)が、からみあった結果
「イタい、チャラい」
という表現となったのではないでしょうか。
うん、非常に短絡的だと思います(笑)みんな、自殺問題のなにを知っていて、そういう表現をつかうんだろーなー。GKB47が話題になっていなければ、無関心だったくせに(笑)って思っちゃいます。おっとと、失言失言。
長々書いてしまいましたが、私の結論。
チャラくアプローチすることも、イタくアプローチすることも、ありだと思います。
広告主に明確な意図と計算があり、アプローチが広告として機能するならば。
今回の騒動は、短期広告という意味で、大いに効果的で、意味があったとも思います。
しかし、これに懲りて「安全策で叩かれない広告」を作り出したら、最悪ですね。世間に注目されてこそ、広告なのですから。
せめて、次はもうちょっとうまく叩かれるとか、そういう方向を目指してほしいです。
私の回答が参考になりましたら幸いです。
とってんぱらりのぷう。
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すべての質問に全力投球!!ベストアンサーもらえると、猫のように喜びます。(`・ ω ・´)
こんにちは。
チャラいかどうかは、そんなに気にしなくてもよいのではないでしょうか?
多いと言っても、どの程度なのかわかりませんし。
自殺に関して言うと、死にたいと思っている人に「やめとけ」と人ごとみたいなことを、もしかしたら「正義」だと勘違いしている人が多いのかもしれませんね。
もしかしたら、そういうことを言っているのか? チャラいって。
まずは、というか理想ですけど、自殺という選択肢が出てこなくてすむような世の中にする。そちらに力を注いでいかないと、いつまでたっても今回のGKBうんぬんのようなうわべだけの正義があふれてしまいます。
そして、自殺なんてこれっぽっちも考えたことのない人が考えているうちは、何も変わらないでしょう。
そして、体裁作りのキャンペーンでまた失敗するわけですね。困ったものです。