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ガリレオは誰と戦ったのですか。彼が「それでも地球は動いている」と言わなくてはならなかったのは、なぜですか。


●質問者: ShinRai
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 科学・統計資料
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● papavolvol

ローマ教皇庁から地動説を唱えることを禁止され、拘束されました。
当時の政治と哲学と宗教は、ローマ教皇庁の下で実施されていました。
地動説は、ローマ教皇庁の教えと相反していたのです。
しかし、ガリレオは宗教的な教えよりも科学的な考え方を優先したので、「科学の父」と呼ばれています。

URLは私のブログです。よろしければ遊びに来てくださいね。
http://blog.livedoor.jp/papavolvol/


ShinRaiさんのコメント
ありがとうございます 遊びに行かせていただきます しかし、どうして、教皇庁は科学を禁止したのですか? 教えが自然の原理に反しているときに、教皇庁には自らの説を改める能力はないのですか。普通の人間だったら、「過ちを改めるにはばかることなかれ」ですよね。 論語に「過ちを改めず、これ過ちなり」というのがあったような気がします。

papavolvolさんのコメント
コメントありがとうございます。 ガリレオは「科学の父」と呼ばれています。 つまり、科学はガリレオから生まれたと言われているわけです。 ということは、ガリレオ以前には科学はなかったということですね。 当時のローマ教皇庁には、当時の教えと反する考え方を認める能力はありませんでした。 ちょっと見方を変えて考えてみれば、東電が津波の危険を繰り返し警告する学者の意見を排除し続けてきていた事実と、共通点があるのかもしれませんね。 また「普通の人間」とか「常識」とかいうのは、時代や地方が違えば全く違うことにも注意が必要です。昔の日本では「士農工商」の身分制度に従うのが「普通の人間」であった時代がありました。昔の欧米では「有色人種は奴隷」と考えるのが「普通の人間」であった時代もあったようです。今の日本や欧米では「全ての人類には、人種や性別や年齢に関係なく、基本的人権がある」と考えるのが「普通の人間」だと思います。 日本の首相は選挙で選ばれた国会議員が選挙して選びます。アメリカの大統領は市民の選挙で選びます。これらの制度は中国や北朝鮮の「普通の人間」の考え方とはは異なっているかもしれません。 当時のローマ教皇庁の時代の「普通の人間」は、神が創った地球が他の星の周りを回るなんて事があるはずが無いと考えたのです。それに反する考え方を口にするような人は神を冒涜し、社会を混乱させる悪い人間だと考えたのですね。そもそも、地球の上には天国があって、下には地獄があって、人間はそのために現世を教えのとおりに生きていなければならなかったのです。地球が他の天体の周りを回っていては、人間の生きる価値や人生の意義も、社会の成り立ちそのものが全てぶち壊しですね。

ShinRaiさんのコメント
ありがとうございます。 要するにローマ教皇庁といえども、自分の知っていることしか知れない部類に属するわけですね。

2 ● kumonoyouni

地動説よりも、ガリレオの態度に問題があったと言われてるようです。
以下がご参考になると思います。
世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 10.確信/動かぬ地動説の証拠
世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 11.第一次裁判/敵対者たち
世界天文年2009:ガリレオの生涯 - 12.『天文対話』/教皇庁との蜜月、そして暗転

出版許可の取り消し
『天文対話』は実はその検閲も通っていた。出版の許可を得て1632年の2月に刊行された。しかし、7月、教皇がその本を差し押さえており、しかるべきところを訂正するまでどこにも本を送らないよう命じていることを突然に知るのだった。一度は出版を許可された書物がなぜ唐突に禁止になったのか、明確な理由ははっきりしない。ただし、前兆はあった。ガリレオに近い人物が教皇のそばから左遷や栄転のために外れていたのである。
『天文対話』は地動説を説いてはいるが、その地動説の最大の根拠を潮の干満に求めていた。天文観測での発見は地動説を支持するものではあるが、ガリレオにとってそれは理論の主柱になるものではなかった。『天文対話』についての囂々たる非難のほとんどは、このガリレオが犯した科学的な過ちを指摘するものではなかったのは、皮肉なことだろう。『聖書』や教会への態度について、ガリレオは批判された。ガリレオは学問の世界から政治の世界の登場人物として、さまざまな批判の矢面に立たされることになったのだ

一部抜粋してますが、左側の他のメニューも参考にしてください。

※関連サイト
「教会はガリレオより理性に忠実」ローマ教皇の講演に伊大学が猛反発 « WIRED.jp Archives

[このサイトが引用している教授たちの書簡によると、問題になった発言は元々、科学哲学者ポール・ファイヤアーベント(Paul Feyerabend)の発言。ファイヤアーベントは『Against Method』(邦訳『方法への挑戦』、新曜社)のなかで、ガリレオの地動説が流行したのは、「ラテン語でなくイタリア語で書いたからであり……古い思想とそれの学問基準に嫌気がさしている人々にアピールしたから」と述べ、「真理」をめぐる権力闘争的な面を指摘している。Timesの別記事によると、教会側を擁護する人々は、ガリレオが処罰されたのは、発言内容というよりはその姿勢に原因があり、「地動説を受け入れない人は人類の恥」「成長しない子ども」など過激な発言をガリレオが行なっていたせいだと述べているという。


ご参考になれば幸いです。


ShinRaiさんのコメント
いろいろな意見があるということがわかり、参考になりました。 ふー、むずかしいですね、しかし。

kumonoyouniさんのコメント
質問の答えを書いてませんでしたので、私見も交えながら補足します。 >> ガリレオは誰と戦ったのですか << この質問を見て私もいろいろ調べて分かりましたが、ご紹介したサイトにもあるように、ガリレオの話は単純なローマ教皇庁との対立ではありませんでした。科学者として誰しもある探究心や名誉欲だけなら良かったんでしょうけど、彼の態度は時に傲慢で、対立する相手から憎まれる存在になっていったようです。 現代で例えるなら、大阪の橋下市長のような存在だったのではないでしょうか。正論ではあるんだけど、その発言の過激さから、敵を必要以上に刺激しすぎてしまったんでしょうね。 >> 彼が「それでも地球は動いている」と言わなくてはならなかったのは、なぜですか。 << 「それでも地球は動いている」は、裁判のあとガリレオがつぶやいた有名な言葉として知られていますが、そもそもこの言葉自体、ガリレオが言ったものではないという見解が多く見受けられました。 というのも、調べてみるとこのエピソードが広がったのは裁判が終わってから120年以上もあとのことらしく(*1)、彼を慕う人たちが後からとってつけたエピソードじゃないかという話しもあるようですが、それ以前にそんなことを裁判のあとに呟こうものならジョルダーノ・ブルーノのように死刑になっていたと考えられます(*2)。 この点、私見では彼の古い友人であるマッフェオ・バルベリーニが教皇という立場になったという話にも関わってくるのだろうと思っています。 おそらくガリレオの存在をよく思わない人間たちの入れ知恵もあったんでしょうが、身内に甘いと自分自身の立場も危うくなるというのは現代でもよくある話。 組織や自分の立場を守るためには彼の言動を無視するわけにはいかなくなったというのが真実ではないでしょうか。 それに絡んで、先に紹介した >> ただし、前兆はあった。ガリレオに近い人物が教皇のそばから左遷や栄転のために外れていたのである。 << という部分も、教皇の立場として直接伝えることはできなかったけど、古い友人のガリレオに気づいて欲しかった暗黙の警告だったのかもしれません。 ちなみに[http://sankei.jp.msn.com/world/news/110812/erp11081217110006-n1.htm:title]によると、ガリレオ裁判記録が公開されるようです。 そこにはどんな真実(?)が書かれているんでしょうね。 >> 「それでも地球は…」も公開へ ガリレオ裁判記録など バチカン機密文書館 2011.8.12 17:08 ローマ法王庁(バチカン)の機密文書館が2012年に開設400年を迎えるのを機に、これまで門外不出だった同館所蔵の歴史的文書が来年2?9月に、ローマのカピトリーニ美術館で公開される。約100点の展示品の中には、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイの異端審問の際の裁判記録も含まれる。 機密文書館は1612年に開設され、長大な書棚に8?20世紀の聖書の写本や手紙、公文書などカトリック教会関連の各種記録を収蔵している。 ガリレオは、地球が太陽の周りを回っているという地動説を支持したために異端審問にかけられ、1633年に自らの「誤り」を認めて信条を放棄した。公開されるのは、その際にガリレオが署名した裁判記録だ。 ドイツの宗教改革者ルターに対する1521年の破門宣告書も展示される。(共同) << (*1)[http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%A5%AC%A5%EA%A5%EC%A5%AA:title] >> ?この《それでも地球は回っている》と語ったと言うエピソードが初めて文献に記されたのは、その裁判から120年も経た1754年の事で、それが正しいのか、間違っているのかを自供してくれる人はいっさい残っておらず、これが本を面白くするために多くの伝記本で行われている脚色だったのではないか?と考えられています。 もし、その裁判の時にガリレオが《それでも地球は回っている》と述べた場合、ガリレオの刑罰は自宅禁固程度では終わらなかったと思われています。 << (*2)[http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/jyoruda-no.htm:title] >> ルネサンス100 フェリペ三世と同じころ、興職の購で摂獄され死刑になった殉教者がいた。イタリアのジョルダーノ・ブルーノ(一五四八?一六〇〇年)である。殉教のない宗教はない殉教こそ宗教の誉れである。殉教こそ宗教の魂なのである。 「おびえているのは、お前たちだ!」 ブルーノは、処刑を宣告する異端審問官に向かって、言い放った。「判決をうける私よりも判決を下す諸公のほうがおびえているではないか」(野田又夫著『ルネサンスの思想家たち』、岩波新書) 死刑判決をする資格が、あなたがたにあるのか。あなたがたに信念はあるのか。あなたがたは、私のほうが正義であることを、本当は知っているではないか! ブルーノは強かった。火あぶりになっても、声ひとつあげなかった。彼は"火あぶりの煙とともに、我が魂は天に昇っていくのだ!"と確信していた。「狂った社会」を悠々と見おろしていたのである。 *** 中略 *** ブルーノの生涯と思想については清水純一氏の優れた研究があるが、その宇宙論は、「宇宙は無限の拡がりであるが故に、無数の万物を包み、しかも万物はそのなかで生成流転を繰り返しながら、それらを包む宇宙は永遠不変である。その展開された姿においてさまざまの差異・対立を含みながら、宇宙そのものは、『ありうるものすべてを包み、しかもそれらに無関心』な一として存続している。したがって宇宙そのものには上もなければ下もな<限界もなければ中心もない。消滅もなければ生成もない。(中略)無限なる宇宙のなかには無数の天体(世界)が存在し、そのなかでまた無数のアトムが離合集散を繰り返している。したがって、この地球(世界)と同様の世界は他にも存在するはずだし、われわれ人間同様あるいは『よりすぐれたものも、どこかに住んでいないとは考えられない』」(『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社)というものであった。 さらに清水氏によれば、当時の人々に広く受け入れられていた天動説では、宇宙の中心は地球であり、その地球の中心はローマ(裏側の中心はエルサレム)であるとされていた。したがって、天体の諸遊星はローマ教会を中心に回っているとされており、それが、ローマ教会の尊厳性の証の一つとされていた。 ブルーノは、この理論的基盤に結果的にまっこうから反対することになる地動説の立場を踏襲しただけでなく、自身の樹立した自然観と宇宙論哲学をもとに、生命の輪廻や宇宙の永遠性、そして人間と同様の生物が他の天体に存在する可能性を主張した。こうした考えは、仏教とも相通じているが、むろん、当時のキリスト教の教義とは相いれぬ考え方であった。ブルーノの宇宙論は、聖書に説かれた“救い”に対する有害な思想として迫害された。教会の教義では、人間は神に選ばれた存在であり、他の物に生まれ変わるなどということはありえないことであった。また、宇宙が無限であり、地球のほかにも同様の星が無数に存在するという考え方は、“宇宙は神の手で人間のためにつくられ、また神のおぼしめしによって地球には特権が与えられている”といった教義に矛盾するものであった。したがって、ブルーノの諸説は異端であり、有害な思想として弾圧と迫害に見舞われることになる。 *** 以下、略 *** << ご参考まで。

3 ● サディア・ラボン

http://homepage3.nifty.com/57577-55716/main%20contents/%81e%83J%83g%83%8A%83b%83N%8B%B3%93k%81f%83K%83%8A%83%8C%83I.html

聖書には、
天動説も、地動説も書いていません。

それにも関わらず、
ローマ教会は、
プトレマイオスの宇宙をベースとして、
地面の下に地獄があって、
地面の上に空、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星が張り付いた外殻
があって、
その外殻の上に天国があるという世界観を作りました。

地動説を認めると、
その世界観が崩れますので、
ローマ教会が反対しました。


http://velvetmoon.seesaa.net/article/155513795.html
の絵は、
ダンテの神曲で描かれた宇宙です。
一番下が地球で、
逆さまになってて、
下が人間の世界で、
その次が地底の地獄で、
地球の裏側が、
地上の楽園で、
浄罪界の塔があって、
その上が宇宙です。


ShinRaiさんのコメント
克己心というのでしょうか、自己をどんどん否定しながら大きくなるという選択肢はなかったのでしょうかね。 今もプトレマイオスのままというわけではないですよね
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