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自分の意見がなくなりそうで怖いです。
様々なメディアや周りの人から意見を聞いていると、ある事柄について賛成・反対どちらの意見も分かるような気がしてしまいます。
人には色んな立場があって、そこに立ってみないと分からない意見や気持ちもあるかと思います。
原発、死刑制度、消費税、世界平和、その他色々…
私もしっかりと意見を言いたいんですけど、世の中にある情報が正しくなかったり偏っている可能性があることや、自分が知ってる事が少なすぎてただ無知なのを痛感するだけです。
自分の意見を考えてみても、それは主観的な気持ちや自分にとって有利な希望が入っているのであって、皆のためと思いながら自分のために主張してる気がします。

色んなものを見たり聞いたりするほど、ただそれを「ああ、そうなんだ」と頭にしまうだけで、何かを主張したいというか外へ向けて発信したくなる想いがなくて人として不安です。
色々考えはするんですが、あちら立てればこちらが立たぬみたいな感じで何も言えません。

何かを強く主張できる人は、どういう思いや根拠でそれを主張するのですか?

●質問者: queen666
●カテゴリ:政治・社会 人生相談
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 11/11件

▽最新の回答へ

1 ● GM91
●30ポイント

たいがいの事には各々言い分や事情があって「どちらが正しい」と言い切れることの方が少ないように思います。

議論が対立する時、その上であえてどちらかを選ばねばならない場合に、理由を考えた上で選択できた人がそう主張しているのです。ただ、私は「どちらとも言えない」という意見があって良いと思います。


queen666さんのコメント
ご回答ありがとうございます。 世の意見に「賛成」、「反対」、「どちらとも言えない」があるとして、「どちらとも言えない」が多くなってしまうと世の中どうなってしまうんだろうかと心配になりました。 私が少数派ならいいのですが、何かを決めないといけない時に、「どちらとも言えない」ばかり言ってると無責任なのかなぁと思いましたので。 昔の自分は堂々と意見を言うタイプで何も意見しない人は臆病だと思っていたので、少し罪悪感みたいなものがありました。

GM91さんのコメント
私は、「賛成」「反対」ばかりの世の中になる方が不安です。意見は色々あって良いのです。 また、何かを決めないといけない時に決断することと、中庸的な意見を言うことはまた別の話ではないかと思います。 さらに言えば、「ものを言わない」と「中庸的な意見を言う」も違うと思いますね。 無知であることを恐れて口をつぐむよりも、自分の考えを示した上で積極的にものを言って足りないところは議論の中で見直せばよいのではないでしょうか。

queen666さんのコメント
そうですね。 ただ私が聞きたいのは、私を認めていただける内容とかアドバイスというよりは、私とは違う人がどういう信念とか意思、根拠?で意見しているかであります。 例えば原発でいうと、賛成している人もいる、反対している人もいる、どっちの意見が通ってもまぁそれなりに納得かなって思ってしまいます。 どっちかに関して相手を唸らせるくらいの知識や筋の通った意見があれば変わってくるのかもしれませんが、言う前から矛盾があるのが分かっているので…。 何故そこまで確証のない自分の考えを示したいって思うのか、が気になるのかもしれません。

2 ● よたか
●27ポイント

別に「わからない」でもいいのでは?
なんにでも白黒つけないと行けないって、どんだけ窮屈な世界なんだろ。
でも、多分問題はそこじゃないですよね。

>何かを主張したいというか外へ向けて発信したくなる想いがなくて人として不安です。
しっかりと発言出来る人が羨ましいのかなぁ。って思ってますけど、どうでしょう?

以前の質問を見させてもらったのですが、趣味でイラスト描かれてますよね。
じゃ、ご自分で描かれたイラストになるべく詳細なコメントを入れて、公開してみてはいかがでしょう?
自分の制作物には、思いや、意図があるでしょうし、色んな考えも込められていると思います。
そう言った方法を取れば、しっかりした意見を述べられるのではないでしょうか?

例えば特定の事に対して意見を持ちたいのであれば、ソレをテーマにしてイラスト描いてみれば、
しっかりした意見を持てるのかもしれません。

いかがでしょう?参考になれば幸いです。


queen666さんのコメント
ありがとうございます。 前はかなり意思が強く堂々と発言するタイプだったんですが、いつからかそうじゃなくなってしまいました。 それと同時期くらいに絵も描かなくなりました。 私の場合、絵が描ける時って病んでいるというか、満たされていない時だった気がします。 でも今は何だかやんわり幸せというか、小さな事にでも幸せを見つけられる穏やかな性格になってから意見がなくなったというか…。 自分が幸せならいい、みたいになってる気がします。 強い意見をもって外に対してエネルギーを使えてる人って大きな不満がある人なのかもしれませんね。昔の私のように。 とても参考になりました。

3 ● なぽりん
●27ポイント

「いいとこ取りしたい」「真ん中がいい」というのも一つの意見です。
ただ理由が大事です。
「考えるのが面倒だから適当に☆」とか「どっちもヤダ☆(代案なし)」は意見ではありません。
よく考えたら自然にでてくるのが意見だし、
自分の力(情報収集力や構成力)がたりなくて、自分で長い(詳しい)意見を考えられないなら、
「今まで自分が読んだきたなかでいうと、??についてはまだどっちか決められないけど、
間をとって??することはできないのだろうか?」とか「基本的に??さんとは意見があいそうだからひとまずその人の意見に賛成」というのも一つの立派な意見ではないでしょうか。
そして、それが「政府」レベルの話だとしたら、黙って自分の生活に生きていて、
投票のときに一票を投じるだけで立派な意見表明になります。


queen666さんのコメント
回答ありがとうございます。 どの人の意見も考えると矛盾する部分や、実際行動が伴っていない部分、その人に都合の良い部分がある気がして、完璧に同意できる人がいないのが悩みです。 選挙の時も誰にも同意していないんだけど票は入れないと無責任になる気がして投票している自分が切ないというか。 自分が直接世の中を変えられるだけの能力もないので誰の事も責められないし、もしかしたら無気力なのかもしれませんね… でも不思議と前より幸せな気がするのは確かなんですが。 最近は反対!賛成!って強く主張できる人ってどんな気持ちなんだろうって考えてしまいます。

4 ● 洋辛子
●27ポイント

最初に書きますが私が思った事でそうとは限りませんのでご容赦を。

>自分の意見を考えてみても、それは主観的な気持ちや自分にとって有利な希望が入っているのであって、皆のためと思いながら自分のために主張してる気がします。

場合にもよりますが、大抵の場合は自分の意見なんですから、自分にとって都合の良い解釈で意見を持ってしまうのは人間誰しも当たり前の事だと思います。
世の中どちらの言い分も通っている場合、大抵の物はどこかで矛盾します。それはそのどちらにも既に主観的な気持ちや有利な希望が入っている場合が多いです。
そうするとそれを聞いた人はどの意見が一番自分にとって都合が良いかを無意識に選びます。でも自分に都合が良いことが最終的に多数派なのであれば、それはより多くの人が幸せになる事だと思います。


>何かを強く主張できる人は、どういう思いや根拠でそれを主張するのですか?

例えば、主張する人の中にもそれが100%正しいと思ってやっている人は少ないと思います。それでもそれを100%として主張するのは、ブレると自分が不利になるからです。不利になる事はもちろん嫌です。自分が否定されるわけですからね。否定されると社会では立場が危うい場合も多々あります。なので意見する人はその立場がある上で言葉を選んだ主張をする事が多いように思えます。
例えば、組織は上層部の意見が自動的に自分の意見になりがちです。組織という場にいる「立場」上だからです。対してそれに反対するデモ団体は、「立場」上誰の意見にも左右されません。なので不満をストレートにぶつけられます。これはあくまで社会的な「立場」ですが、もしかしたらqueen666さんも何か「立場」や「立ち位置」が変わった事で不満がなくなったのかもしれません。
答えになっていないかもしれませんが、私が思った事を書いてみました。


queen666さんのコメント
ご回答ありがとうございます。 極端に考えると世の中の意見が51:49に分かれても多いほうが通るってことになりますよね。 私は少しぐらい犠牲が出るのも納得ですし多数決に反対ではないのですが、今の世の中だと6:4くらいの割合でも力加減によって4の方の意見が通ることもあるような気がしていて不思議な感じです。 基本的に人間は利害を考えて生きていて、自分と考えが反対の人も同じ思いがあると分かっていながら対立できると言う事は、戦争だって否定できないなと思ってしまいます。 飛躍しすぎですが、そういう自分の考えは考えで何だか危ない気もするので不安だと思っているのかもしれません。 デモする側に立場がないのだとしても、デモされる側は立場がありますよね… それにデモする人はデモする人で自分の立場を守るためにデモしてる気もします。 自分の立場に不満がなくなったのか、不満すぎて諦めたのか、いっその事受け入れたのか、それは私もまだ分かっていません。 私の事よりは、私じゃない人はどんな気持ちで主張してるのかなと気になって質問させてもらいました。 何度も多数決、多くの人の利益にはたどり着くのですが、一方でそういう事だけでは危ないという倫理観?みたいなのも世の中にある気がするので、身動きが取れない状態です。

5 ● yarukimedesu
●27ポイント

>何かを強く主張できる人は、どういう思いや根拠でそれを主張するのですか?

自分の意見や立場、感情や思考に対して、絶対的な自信を持っている人がいると思います。例えば、一般人の私からしても、「その失言は頭おかしいだろう」と思うような、失言が出たりしますが、「うっかり」もあるのかも知れませんが、「自分が言うことは絶対に正しい」、「自分に非があったとしても絶対に謝らない」というような、強い意志の元に生きている人は、いると思います。勿論、それらの人が全てじゃなくて、「強く主張する」という戦術だったりして、内面まで貫徹してない人もいると思いますが。

>世の中にある情報が正しくなかったり偏っている可能性があることや、

情報の正しさは、難しいですが、TV、新聞、インターネット等々、世の中に出ている情報は、どこか偏っていると思います。TVや新聞で、広告元、スポンサーが何か悪いことを、しても報道されにくかったりとかあります。「有利な希望」というのは、入りまくっていると思います。

また、相手の立場を考えないことは、ダメだと思いますが、何かに対する意見は常に「自分の立場で言えば」というのが、暗に含まれていると思います。そして、自分が発する意見は、自分の立場に基づいて、有利な希望になっていくのは、ある程度仕方ないと思います。

質問文を読んで思ったことですが、最終的に「意見がでない」となった理由、例えば、「あちら立てればこちらが立たぬみたいな感じ」に至った理由とかは、私は、文章で読んでみたいと思いました。賛成・反対のどちらかの意見も大事ですが、理由のある中間意見も、大事だと思います。


queen666さんのコメント
ご回答ありがとうございます。 >それらの人が全てじゃなくて、「強く主張する」という戦術だったりして これは政治家などを見ていると思います。 全員とは言いませんが、それなりに知能はある(少なくとも私よりはある)人が国民の代表になってるわけですよね… その発言に対する裏の裏、複雑に絡まった色々な事象、もう考え出すと結局は私の知識や立場では判断し切れない事なのかなと。 自分にとって有利な発言をするのは仕方ないし、私もどんどん自分にとって有利になる事を主張していいか…と考えると、そうではない気もしまして。 それが一部の人間の利益で全体の利益ではない場合、私は考えを変えるべきだろうか…とか色々立ち止まってしまいますね。 例を挙げて文章で書かせてもらうと、大学で論文を書いた時みたいにものすごい長文になると思いますし、結局結論は?と聞かれると答えられる自信もないです。 やっぱり主観的になってしまいそうなのと、絶対的に正しいことも間違っている事も存在しないって事がネックになりそうなので。

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